大蛇( 2 )
『吾は水脈の奥深くに棲まうもの。お前が吾を斬れば、いずれあの男は死ぬことになるぞ』
「……どういうこと」
かろうじて掠れた声で桜子は言った。
口のなかがカラカラに乾いている。
大蛇は賢しげに双眸を細くした。
『あの男は吾の棲まう場所にいる。お前が吾を斬れば、深い水脈へと続く道は閉ざされ、もう二度とこの地を踏むことはできぬ』
——水脈筋へ続く道が閉ざされる。
それは薫が望んだことだった。
そうすることで、薫はこの地に災厄を呼びこむまいとしたのだ。その脅威は、目前に迫っている。
大蛇は双眸を細めたまま言った。
『こういうのはどうだ。お前が吾に命を捧げるのだ。代わりに男は助けると約束しよう』
桜子は動けないまま、大蛇の語る言葉に耳を傾けた。大蛇の言うことが本当なら、ここで剣を呼べるはずもない。
しびれたような体を抱えたまま、桜子はひとつわずかに頷いた。赤い舌がしゅるしゅる音をたて、あざ笑うような大蛇の声がした。
『いずれ吾は、皇に奪われた剣を取り戻す。その贄として、まずはお前をここで喰らうてやろう。お前はここで、吾の一部となるのだ』
大蛇が口を開け、鋭い牙をむきだした瞬間、桜子は死を覚悟して目をつむった。
最初の動揺を乗り越えてさえしまえば、不思議なほど桜子は冷静だった。それで薫が——薫さえ助かるなら、それですべてを終わりにできるなら、それでもかまわないと思ったのだ。
赤い鮮血が散る。
生温い血しぶきが降りかかる感触に、ハッとして桜子は思わず目を開けた。
目を閉じた一瞬に、桜子の前に現れた人影があった。その人は、牙を剥く大蛇に喰い千切られた右腕を押さえたまま、桜子を見ると苦しげに顔を歪めた。
「屈してはいけません。何のためにここまで来たのですか」
桜子は両手を口に添え、愕然とした。
切断した箇所から血が溢れ出し、あっという間に地面は赤く染まる。今まであったはずの肘から上の部位は大蛇に喰われたのか、もうどこにも残っていなかった。
「桂木さん——」
桜子は蒼白になり、小さくつぶやくことしかできなかった。
雨の音が、不意によみがえる。
「里の方に行ったんじゃなかったの」
血を流し続ける上腕から、目をそらせなかった。
桂木は歯をくいしばったまま、それでも気丈に桜子に微笑んだ。
「心配になって戻ってきたのです。やはり戻ってよかった」
『小賢しい真似を。人の分際で』
大蛇は炎のような舌をふき、轟く声で言う。その声が聞こえるのは、どうやら桜子だけのようだった。




