蛍火
桜子たちが茂みから見守っていると、牛車の軛が外され、簾が従者によってひそやかに巻き上げられた。
四つ脚のある漆塗りの榻を踏み台に、貴人と見られる人の影が差す。
——と、牡丹と尾長鶏を金糸で描いた朱華の唐衣が、鮮やかに目を引いた。
——女の人。
その姿を見て、桜子は息を呑む。
てっきり強面の男性がやってくるとばかり思った桜子は、妖艶な女君の登場に思わず目をみはった。
その人は檜扇を手に、蛍を追うように虚空を見つめていたが、おもむろに桜子達へ視線を向けた。
「そこにいることは、もう分かっている。姿を見せなさい。何のためのひと払いなのだ」
女君には人を使うのに慣れた威厳があり、声には糾弾する響きさえある。本来なら、このように人目に触れることのない立場なのだろう。
長く艶やかな髪を垂らした女の出現に、戸惑うのは桂木もまた同じのようだった。
桜子は目配せし、視線で私が話してみると伝えた。薫がかすかに首肯したときには、桜子はもう立ちあがっていた。
いつのまにか、いくつもの光が川のまわりを取り囲み踊っている。その幽けき光を頰に受け、女君は凛と佇んでいた。
従者が、桜子に面を伏せて跪くよう暗に指図したが、女君は扇のひと振りでそれを押しとどめた。桜子に視線を移す。その眼差しには、底知れない酷薄な光があった。
女君は値踏みするように、ひととき厳しい目で見つめていたが、桜子が見つめ返すとほんの一瞬唇を持ちあげた。
「そなたが桜子か。ずいぶん身軽そうな。そんな格好をわらわもしてみたいものじゃ」
目の前の女君は袿に唐衣を重ねていると見え、裾は長く動きにくそうだった。以前、伊織に着せてもらった汗衫と少し似ている。
「貴女ですか。『月読』のあるじというのは」
桜子の物怖じしない態度は、甚だ不遜に映った。
これほど直截的な問いを受けたことがないのか、女君は高圧的な視線を鋭くした。
「むろん。そうでなければ、ここでそなたと話すゆえがなかろう。そなたが邸を抜けだしたと聞いて、わらわ自ら出向くことにしたのじゃ」
「名は、何と申されるのですか」
桜子は重ねて聞いた。
ここまで不躾な少女もめずらしいと、女君はわずかに目を見開く。それからそっと嘆息して言った。
「そなたはよほど礼儀をわきまえぬと見える。わらわの本当の名を、そなたは知らずともよい。名が必要なら『桔梗の方』とお呼び。京の方ではその名で通っている」
「では、桔梗の方」
桜子は正面から『月読』のあるじを見据えた。




