月光( 1 )
月の光に誘いだされるように、桜子は隅の妻戸を開けて表に出た。
簀子縁からは闇に沈んだ松林の暗い輪郭が見え、その向こうには高くはりめぐらされた築地塀が遠く見渡せる。
——あの日の夜も、こんな月が出ていた。
薫と話した夜を思いだしながら、桜子は思いきり息を吸い込んだ。わずかに湿る風の匂いがする。
——たとえば今ここで技を行えば、薫の消息も知ることができるだろうか。
まだ少し体に痺れは残っていたが、やろうと思えばできないこともない。そう思って軸足を固定し体を沈ませた刹那、パシン、と頰に降りかかるものがあった。
急に視界を遮られたことに驚いて手に取ると、それは広げられた扇だった。
檜の薄板を連ねた扇面には、極彩色で文様が描かれている。朱や白の色糸を束ねあわせた、長い飾り紐が両端についていた。
思わぬことに上空を見上げると、母屋の上から呼びかける者がいた。
「今はやめておいた方がいい。水脈筋に行ったばかりだろう」
聞き覚えのある声音に、今度こそ桜子は目をまるくした。
「その声——優さん?」
フッと、影が眼前を横切ったかと思うと、その人は簀子縁の前に降り立った。
「閨にまで押し入るつもりはなかったんだがね。妻戸が開いたおかげで場所が知れた」
優は、悪びれずにそう言った。
「驚いた。ずっとこの辺りにひそんでいたの?」
改めて眺めると、優は額に見慣れた天狗の面を付けていた。夜の闇に紛れやすいように濃紺の衣装をまとい、袴の脛を脚絆でくくっている。
「そこにいては身動きが取れないだろう。ここから連れだそうと思い忍んでいた」
桜子にとっては願ってもない申し出だが、その手を取るまでには若干の間があった。




