桜子( 3 )
普段はまったく意識しないこととはいえ、桜子のなかに巫女に通じるものがあることは確かだった。だが、桜子はすぐその考えを打ち消した。
桜子は、じっとしていることが苦手なのだ。
稽古のなかの正座には耐えられても、たくさんの儀礼を覚えなければならない巫女修行に自分が耐えられるとは思えなかった。
「どうした、ずいぶん難しい顔をして」
開脚し体を前に倒している途中、祖父の瑞彦が稽古場の門の蹴放しに現れた。
桜子は動きをとめた。瑞彦は白い稽古着に藍染めの袴姿で、さすがに髪には白いものが混ざっているが、年齢に比して遥かに若く見える。
その身のこなしには隙がなく、背中にも目がついているのではと桜子がひそかに思うほど俊敏だった。
瑞彦が開いた稽古場は隠流と呼ばれ、暗殺を請け負う忍の術であることを桜子も知っている。しかし今は、古武術を基礎とした護身の技へと形を変えていた。
いつもは稽古場に入れば武芸に集中できる桜子も、この日は気が散じて柔軟にも身が入らなかった。
「おじいちゃんからお父さんに言ってくれない。私は誰とも祝言を挙げる気はないって」
桜子は袴をさばいて正座し、頼むように下から祖父を見上げた。
瑞彦は一瞬虚を突かれたようだったが、たちまち相好をくずした。
「何を考えこんでいると思えば」
どこか感慨深げに瑞彦は言った。
桜子は祖父にむかい立ち上がった。
「笑いごとじゃないのよ。お父さんは早く婿がねを得ようと必死なの。私にそんなつもりはないというのに」
桜子が言い募ると、瑞彦もいくぶん口調を改めた。
「だがいつまでも嫁がずにいるわけにもいくまい。お前の父、秋津彦にも考えがあるのだろう。それとも誰か想う相手がいるのかね」
色めいた質問に桜子は頰をふくらませた。
「いるわけないでしょう。いたらこんなに苦労しないわよ」
桜子が言うと、瑞彦は愉快そうに笑った。
——まったくもう、他人事だと思って。
様々な受け身の取り方を繰り返し体になじませていくうちに、波立つ心も徐々に凪いでいった。
——こういう時、お母さんがいれば違うのかな。
桜子は記憶にない母を慕うことは滅多になかったが、最近しきりに思うのはそのことだった。
何不自由なく育てられたとはいえ、自分が異性のことを知らずにまごついてしまうのは、身近で指南してくれる人がいなかったからではないか。
友達としてなら別だが、男女のこととなると桜子は疎かった。母が生きていれば、こういう時どうすればいいかを諭し、父を懐柔させてしまうのではないかと思うのだった。