稽古場( 1 )
夜遅くまで起きていたことが祟って、翌日桜子が稽古場に出向いたのは、もう夕暮れのさし迫る時刻だった。
淡い黄昏に混ざるようにして、とぼとぼ歩いてきた桜子を最初に見つけたのは桂木だった。
「めずらしいですね。桜子さんが稽古を休まれるなんて」
朗らかで何の他意もない口調に、桜子は顔をあげた。
桜子は桂木を見つめたまま尋ねた。
「桂木さんは、優さんの話を知っているの」
突然の問いに、桂木はひるんだようだった。
彼は首を振った。
「薫の父親について知っている人は、ほとんどいないでしょう。彼はみずからこの里を出て行ったのです」
何かはぐらかされている気もしたが、とりあえず返事が返ってくることを良しとして桜子は再び聞いた。
「それは、私のお母さんが剣の守り手だったことと関係があるの」
そう口にした直後、桂木の顔色が変わったのを桜子は見逃さなかった。
と同時に、桜子は冷や水を浴びせられたような心地がした。母、撫子が「水神の剣の守り手」であったことと、薫の父親、優が失踪したことは、関連性のあることだったのだ。
そしてそれこそが、今まで桜子の見ようとしなかったもの、無意識に抱えていた負い目だった。
「近頃、ずいぶん薫を気にかけているんですね」
桜子の問いに答えず桂木はつぶやく。
一瞬かいま見せた動揺は、もうどこにも残されていなかった。その表情をぬぐい去ってしまうと、声にはどこか諦念の響きさえあった。
桜子は挑むように桂木を見返した。
「これは私からの忠告にすぎませんが、もう薫と関わるのはやめた方がいい。薫は確かにあなたの護衛役でしたが、今はもうそうではないのです」
桂木が静かに諭すのを、桜子は黙って聞いていられなくなった。
「薫が私の護衛役ですって? そんな話、全然知らなかった。どうして誰も彼も私に本当のことを隠そうとするの」
「桜子さんは、薫と会ったのですね」
桂木にそう指摘され、桜子はぎくりとした。深夜の密会を見られたのかと思ったのだ。
しかし桂木が言ったのは、違う意味合いのことのようだった。桂木は口調を保ったまま言った。
「今後はもう会わない方がいい。薫は師範に破門されたのです。何をやらかしたかは知りませんが、おそらく余程のことがあったのでしょう」




