帰途
桜子は歩きながら、薫が最後に言い放った言葉を反芻した。
お母さんの結界が残っている? そんなことが、果たしてあり得るだろうか。でも薫の口調には、真実を語っている確かな響きがあり、冗談で言っているようには見えなかった。
薫の言ったことが本当のことなのかは別として、彼自身はそれを信じているのだ。それも不思議なほどの確信をもって。
母のことを、桜子はあまり知らない。
父ですら、母——撫子について語ることはない。
桜子は自分が母に似ていないため、まわりも進んで話したりしないのだろうとずっと思っていた。
どちらかというと、桜子は父親似だ。面長というよりまるい輪郭の顔と、額から目元までの形がそっくりだと小さい頃から言われて育ってきた。
——おじいちゃんにさえ、お母さんについて教えてもらったことはほとんどない。
桜子が知っているのは、母が虚弱な体質だったことと、神社の巫女として神楽舞いをおさめたことだけだ。考えると不自然なほど、桜子はまるで何も知らないのだった。
父がどのように母を見初めたのか。その父の弟——優が、どういう経緯で行方をくらましたのか。
このところ薫の言動も、不可解に思える謎で満ちていた。桜子と同じように、何も知らない子供ではなかったのだ。
父も祖父も、今まで身近に思っていた人たちが、急に遠くなったように思える。何も知らないのは、自分だけなのだ。
優に関しても何か事情があると思ってはいたが、それは大人の世界で起きたことで、自分に照らし合わせることはなかった。桜子は薫がその事情を引き受けていることに驚いてもいた。
『薫は、すでにすべてを承知している』
祖父の言葉が浮かぶ。そして自分は、その一端も知らない。それが意図してそうなっているのなら、桜子にも知る権利があるのだ。