目覚め
人の声がする。
淡い夢のはざまで押し殺したように囁かれた声を、桜子は確かに聞いた。どこか緊迫して、差し迫った声音。
それが祖父——瑞彦のものだと知って、桜子は思わず耳を研ぎ澄ませた。
「——だといいのだが。優が関与していることは間違いない」
——優?
桜子の意識は、そこで浮上した。
木目の天井が目におぼろげに映る。
桜子は起き上がって、辺りを見回した。見るとそこは、桜子が飛びだしたお宮のなかの社務所の一室だった。
その物音を聞きつけたのだろう。襖のむこうから祖母の清乃が顔をだした。
桜子がまだ焦点の合わない顔でぼうっとしていると、清乃は声をかけた。
「お腹が空いたでしょう。何か持ってこさせるから、そこで待ってなさい」
片引きの襖が閉まる。
桜子が空腹なのは確かだった。見咎められまいと、夏芽が朝餉の用意をする前に家を出てきたのだ。
桜子は自分がこんな風に横たわっている理由を、しばらくの間、思いだせなかった。
——が、直後、嵐のような風雨と薫のことがいっぺんに脳裏に浮かんだ。
「秋津彦が青くなっていたぞ。ここじゃないかと思ったが、見つかってよかった」
そう声をかけたのは瑞彦だった。
聞いた声は幻聴ではなかったのだ。瑞彦はいつもと変わらない、穏やかな眼差しを桜子にむけていた。
「——おじいちゃん」
桜子は、敷かれた薄縁の上で身じろぎした。清乃が着替えさせてくれたのか、濡れた小袖の代わりに白い単衣の袂が映り込んだ。
「薫は、まだ宝物殿にいるの」
祖父は柔和な目を細めてみせた。
「薫に会ったのか」
桜子は頷いて、そっと唇を噛む。
問答無用で手刀にさらされたのだ。いくら気を許していたとはいえ、あんなにも簡単に背後をとられるとは不覚だった。祖父はただ、静かな声で言った。
「何か食べたら家に戻りなさい。春の嵐も西に去ったようだ」
それ以上何も言わずに祖父が立ち去ろうとするのを見て、桜子はその背中を呼びとめた。
「剣が狙われているなら私も監視する。べつにいいでしょう。私の方がお宮にだって近いし、おじいちゃんの稽古を受けているし」
聞きたいことが、山ほどある気がした。
今まで一番——父よりもずっと身近に思っていた分、知らないうちに隔てられたのが、とても信じられない思いだった。祖父は斜に振り向いて、その横顔を桜子の方にむけた。
「薫は、すでにすべてを承知している」
そして不意に優しい口調で言った。
「今はとにかく体を休めなさい。朝から何も食べずにいるんだろう」
それと同時に、塗り椀の膳を持った巫女装束の女性が入ってきた。汁粥の湯気とともに、焼いた鰯の香ばしい匂いが立ちのぼっている。
桜子がそちらに気をとられた一瞬、入れかわるように祖父は退出し、引きとめる隙も与えられなかった。
桜子はそれを悔しく思ったが、結局空腹には勝てなかった。