物思い( 2 )——桔梗の方
『水神の剣の守り手』を欲するかどうか、桔梗は文に添えた扇に匂わせた。
その問いかけに対し、朱雀帝は『否』と応えたのだった。これがもし了という返事なら、一縷の望みが残されていたものを。
亀甲の文様を刷りだした薄色の唐紙には、伸びやかな筆致で漢詩が書かれていた。
曰く、
何に縁てか更に呉山の曲に究めむ
「なぜわざわざ山の奥に座下の花を求める必要があろうか。その必要はない」——と。
桔梗が物思いにふけっていると、新参の女房だろうか、几帳の隙間から呼びかける声がした。
「お白湯をお持ちしました」
白湯などもう良い、と言い返そうとして、桔梗は年若の女房が気配を悟らせず控えていたことに、ふと興味を覚えた。
「そなた、名は何と申す」
女房は叩頭したまま、短く言った。
「大炊と申します」
「そなたはきっと、隠密にむいている。わらわの配下にならぬか」
それは酔狂と言える突然の申し出だったが、大炊はうろたえる素振りを見せなかった。それどころか口元には、薄いほほ笑みさえ浮かべたのだ。
大炊は叩頭したまま静かに言った。
「大后さまが望まれるのであれば」
***
その後、剣の守り手に代わる者が探し求められ、ひとりの女君が入内する手はずとなった。もとは近衛大将が月影と呼ばれる社に立ち寄った折に、ひとりの巫女を見初め、生まれた姫君を邸で大事に養育していたという。
社ゆかりの品なのか、女君は白珠を連ねた美しい玉かずらをその手にたずさえていた。このところふさぎがちだった朱雀帝も、清らかで美しい更衣の登場に心を慰められた様子だった。
女君はのちに「白珠の更衣」と呼ばれ、女御をさしおいて類いまれなる帝の寵愛を受けることになる。
このとき名乗った大炊は、数年後「梧桐」という異名で、男装して大内裏にまぎれこんだ。
桔梗は剣の守り手の一件をきっかけに、暗殺を配下に命じるのをやめた。前世の縁の深さか、白珠の更衣が懐妊したからだった。
十月が経過したのち、生まれてくる命というものを桔梗は初めて目の当たりにした。 桔梗は、小さな皇女を政争から遠ざけ、『月読』の手で隠すことにする。
それはまた違う時代——白珠の更衣が亡くなり、後を追うように朱雀帝が崩御した後のことだった。