桜子( 1 )
清涼な風が吹く山の頂きに、御霊会を行う小さな社があった。
境内には、白木で組まれた舞台の斎庭がある。
そのなかへ、白い小袖に緋袴をはき、金の挿頭を頭につけた巫女が、ゆっくりと進みでた。
二十歳を過ぎた年頃の女だった。
艶やかな黒髪は長く背を垂れて、優婉な雰囲気を身にまとっている。
斎庭の前には、奉納された直刀の剣があった。
巫女は袖をひるがえすと、たずさえていた扇を天にかざした。
一陣の風が吹く。
最初の足拍子を地に印す。
扇を広げると、祭壇の剣を前に、厳かに舞い始めた。
天雲の 八重雲隠り鳴る神の
音のみにやも 聞きわたりなむ
その声は、遠い山々の峰辺へ響いていく。
澄んだ声だった。
言葉にならない祈りがこめられた舞いであり、その動きは神々しくもあった。
挿頭が、陽の光にきらめいて反射する。
——と。
刹那、舞いに呼応するように影が差した。
現れたのは、水脈の大蛇の神霊——和御魂だった。
知らず、巫女の目から涙があふれだす。
透明なしずくが、頰をつたっていった。
美しい舞いだった。
巫女が神霊を呼ぶ。
——巫女は、『水神の剣の守り手』と呼ばれていた。
暦も春分を過ぎる頃になると、吹き入る風は日ごとに暖かさを増していくようだった。
裸足の感触が、途端に心地よくなるのもこの頃だ。
冬の間、板敷きの床を踏むのは氷の上に立つような苦行だったが、春から初夏にかけては一気に素足が快くなってくる。
菖蒲の節句を迎える前のこの時期が、桜子は好きだった。それまでに、稽古場にある桜も満開になるのだ。
今年、桜子は数え年で十五になる。
桜子の名の由来が、稽古場の桜の見事さからくることを、幼い時から繰り返し聞かされた。
薄い紅の花弁が一斉に花開く様子は、毎年春が来るたびに人々を魅了する。その艶やかさから、優美な女の子を望まれたのかもしれないが、桜子は祖父の開いた稽古場に幼少から馴染み、体を動かすのが好きな、快活でのびのびした少女だった。
父が少々おてんばすぎると揶揄するほど。何しろ、この里で武芸に関して桜子に勝てる者は、同年代ではひとりもいないのだ。
桜子の白い稽古着と袴姿の背には、漆黒の髪が長く垂れている。しかしそれも無造作に一括りで束ねているだけで、年頃の少女のように紅をさすこともない。
童顔で額が広く鼻筋も整っているが、目には光があり、ひるむことなく相手を見返すため、女子としては不躾な印象すらあった。
桜子も、稽古場の正面に佇む桜の木を決して嫌いではない。毎年つぼみがほころび始めると、満開になる日を今か今かと待ってしまう。
でもそれは、散るのを早く見たいからだった。パッと咲いて早く散ってしまう。どちらかというと、その姿は穏やかというよりはむしろ潔く見えて、飽かずにずっと眺めていたくなる。
兵と同じように、強く気高い木のような気がしたからだ。