その5
カプカプが揺れている!
パンクスたちが押し合いへし合い、衝動的に身体を動かし、拳を突き上げ、飛び跳ねる。
ギュウギュウの店内に、もう動く場所はないというのに、それでも誰かの肩につかまり、持ち上げられてはどこかへ消えていく。
もはや酸素なんてものはほとんど残っていない店内。それでもオーディエンスは、笑顔を見せながら、汗にまみれた身体をエネルギーの続く限り動かし続ける。
ドラムのショージは熱いビートを刻み、ベースのジャッキーがうねるラインを響かせる。ギターのゴンちゃんは巨大なモヒカンを振り乱しながら、ヒステリックなメロディをレスポールに乗せて爆音という形でまき散らしている。
アイヴィーは楽しんでいた。ひたすら楽しんでいた。
いつだってライヴは最高だ!けど、今まで経験した中でも屈指の小さなこのハコが、こんなに楽しいなんて知らなかった!沖縄で体験したソファー・パーティに匹敵する凝縮感。客と演者の違いすら感じなくなってくる。
手作りの音響が、独特の得も言われぬ臨場感を生み出し、唯一無二の雰囲気を作り上げている。
“カプカプ、大好き!”
アイヴィーは心から思いながら、マイクに向かって噛みつくように歌い続けた。いつものような激しいアクションをするスペースはほとんどない。その場に立ち、拳を突き上げ、足を踏み鳴らし、時にはオーディエンスにぶつかりながら、抑えきれない気持ちを歌に乗せる。
PAを担当していたモヒカン亭主はとっくに席を離れ、最前列で声を張り上げている。お客も演者もスタッフも、その場にいるすべての人間が徹底的に楽しむ。それが、この場所のルール!
「トオル君に!」
アイヴィーはひと言だけ叫んでから、ありったけの気持ちを込めて歌い出した。
その言葉に応えた歓声が、ほんの少しだけ切なさを帯びた。ここにいるみんな、その意味を知っている。
彼がリクエストしてくれた曲。
まだ感想をもらってない、あの曲。
一瞬ブルーになりかけた空気は、それでもあっという間に真っ赤な情熱に変わった。
今日一番の雄叫びがハコの中を駆け巡る。
悲しんでる場合じゃない。
悲しむよりすることがある。
彼が望んだライヴ。
全力で、生きて、楽しめ!
ありったけの哀悼を、ディストーションに乗せて。
カプカプは、ひとつになっていた。
一心不乱に歌っていたアイヴィーは、誰かに呼ばれているような気分を感じて、ふと前を向いた。
フロアの後ろの方。
人の波のあいだ。
誰かに肩車をされた彼が、そこにいた。
ベレー帽をかぶり、白いTシャツ姿で、片手にビールのカップを持ち、満面の笑顔で。
アイヴィーは思わず、まばたきをした。
目を開けても、まだ彼はそこにいた。
両手を広げて指を立て、汗だくの笑顔が光っている。
“やっぱり、来てくれたんだね”
アイヴィーはつられてニッコリと笑った。
そして、彼が大好きだった歌のメインパートを高らかに歌い上げた。
もみくちゃの場内で、シンガロングに合わせて、彼も歌っているのが見えた。
“トオル君。答え、受け取ったよ―”
「ありがとーっ!」
アイヴィーは高々と、拳を突き上げた。
その場に突き上がった、無数の拳。
その中に、彼の拳もまざっていた。
お墓の前で、アイヴィーはしばらく立ち尽くしていた。
泣いたりしない。
だって、昨日、会えたんだ。
今朝は、そのお礼に来たんだもん。
涙は、必要ないよね。
「…ありがとね。」
アイヴィーはそう言うと、小さな声で、彼が大好きだったあの曲を歌い始めた。
お供えも何も持ってこなかった。
仲間がまだ寝ているところを、そっと出てきたんだ。
他に相応しい贈り物、思いつかないから。
最後まで歌い終わると、辺りはまた静寂に包まれた。
アタシたちも、またこっちに来るからさ。
その時は、ハコまで遊びに来てね。
約束だよ。
「じゃあね、トオル君。」
アイヴィーはそう告げると、くるりと背を向け、振り返らずに歩き出した。