その2
アイヴィーはハコの奥にあるDJブースの前に立ち、ビールを片手に仲間のDJと談笑していた。ライヴの転換中、出番を終えてホッとしたひと時。
DJがおしゃべりを止めて、次の選曲のために下を向いた。つかの間、何気なく周りを見渡したアイヴィーの視界に、こちらに向かってやってくる、さっきの彼の姿が入ってきた。
「いいライヴだったね!」
挨拶の代わりに、彼は人懐っこく声をかけてきた。アイヴィーもニッコリと笑顔を返す。
「ありがと。」
そう言って、アイヴィーと彼はビールのカップを合わせた。
「前から“ズギューン!”の話は聞いてたんだけどさ。なかなか聴く機会がなくて。今日は楽しみにしてたんだけど…いやあ、やられたよ!」
「そう言ってもらえると嬉しいね。」
「気づいたら拳、上がってたもんなー。…あ、俺、トオルって言います。」
彼は今日これから出演する、岩手のバンドでギターを弾いてるらしい。
「トオル君。アタシ、アイヴィー。よろしくね。」
「アイヴィーちゃん。よろしく。」
「ただのアイヴィーでいいよ。」
「じゃあ、アイヴィー、よろしく。」
話しているうちに、アイヴィーは彼をどこで見かけたのか思い出した。
SNSだ。確かモヒカン亭主の友達で、アイヴィーの書き込みにもよく反応して、レスポンスをくれていたはず。
「トオル君って、確か…前は、仙台の?」
「うん、そうだよ。」
アイヴィーが大好きだった、仙台のハードコア・パンクバンド。彼は以前、そこでギターを弾いていた。
直接の知り合いではないけど、縁を感じる。まあ、この世界にいたら、そこらじゅうが縁だらけだけどね。
「アタシ、たぶんトオル君がいた頃のライヴ、観てたよ。全然分からなかった。」
「痩せたからね。」
「あー、そうだね。もっと、ふっくらしてなかった?」
「ちょっと、大きい病気をしたから。」
「そっか。」
その響きが気にはなったけど、アイヴィーは病気についてはそれ以上追及せず、あとは楽しい話に終始した。彼とは共通の知人も多く、話題は尽きなかった。
彼のバンドのステージを、アイヴィーも最前列で観た。
以前、ギターを弾いていたバンドとはずいぶん毛色の違う雰囲気に少し驚いたけど、彼が楽しそうに演奏しているのが、とても良かった。
ユニオンジャック柄のシャツがまぶしいギターヴォーカルさんは、とてもいい人に見えた。
イヴェントは大盛況で終演となり、これまた大騒ぎになったハコ打ちを経て、そろそろ帰ろうかという時間。
アイヴィーたちも、仲間たちと別れの挨拶をしていた。
お互いの距離なんて、単に物理的なものでしかない。東京も岩手もあっという間。日本なんか、地球なんか狭いと感じさせてくれたのは、紛れもなくパンク・ロック。
彼がアイヴィーに近づいてきた。他のみんなと同じように握手を交わし、再会の約束を誓う。
「あのさ。ちょっと頼みがあるんだけど。」
彼の言葉に、アイヴィーは片眉を吊り上げた。
「来年の夏に、俺らのホーム…ゲンちゃんの店で、企画をやるんだけど。“ズギューン!”、出てくれないかな?」
アイヴィーはつかの間、答えに詰まった。
もちろん、仲間からのオファーは大歓迎。それが近くだろうが遠くだろうが問題じゃない。信頼で呼んでくれたなら、地の果てまでも行く。それがライヴ・バンド。
ただ、彼が言うそのハコは「必ず“ズギューン!”呼ぶからさ」とモヒカン店主が約束をしてくれていて、それは来年の秋ごろの予定だった。
それを差し置いて、いいのかな?
モヒカン亭主に相談しようかと、いっしゅん口を開きかけたアイヴィー。
だけど。
目の前の彼の眼差しを見ると、彼女はフッと笑みを浮かべて言った。
「いいよ。」
どうしてそう言ったのか、自分でも分からないけど。
ただ、彼の企画なら、出たいなと思った。
アイヴィーの言葉に、目の前の彼はとっても嬉しそうな笑顔を見せ、彼女もそれを見て、腹の中が暖かくなるようだった。
帰り際にモヒカン亭主に事後報告すると、緑髪のモヒカンはいつもみたいに「なんも、なんもだよー。」と笑って受け入れてくれた。