兄弟喧嘩~妖界の名門一條家~
一條家。
妖界の名門の鬼族であり、関東の総元締めである一條家本家に女の子が生まれた。名を綾子という。
綾子ははあ…と溜め息をついた。
どう見ても2歳の子供がすることではないが、それは人間の話。
綾子は生粋の妖である。しかも一條家本家の血筋となればどれだけおかしな子供でも流石一條の長女、で済む話である。
綾子は再び溜め息をついた。
産気付いた母を心配して、父と兄をはじめとする一條家の者のほとんどが右往左往しているからである。
「いい加減にしてよ。お父さんもお兄ちゃんも私の時で経験済みでしょう。」
この場で一番落ち着き払っているのが幼女というのもなかなかシュールな光景である。
綾子はこの数時間で馬鹿馬鹿しくてもう数えるのもやめてしまった溜め息をもう一度ついた。
綾子は柱の時計をちらりと見た。母が産気付いてからもうずいぶん時間が経過している。前回が安産だったからといって次も安産とは限らないのが出産の常ではあるが、それにしても時間がかかりすぎではないかと心配になった。
既に空はとっぷりと暮れ、庭から虫の鳴き声が静かに響いた。
すると微かな鳴き声が綾子の耳に届いた。
小さいが力強いそれは綾子が心待にしていたものだろう。
綾子は子供とは思えない瞬発力で長い廊下を走った。
走り寄る綾子と、その後ろに続く父と兄に気づいた産婆は満面の笑みで三人を出迎え、出産部屋となった部屋の襖を静かに開けた。
「お母さん!」
母の腕に抱かれた小さな存在に思わず笑みがこぼれる。
「あなたの妹よ。仲良くね?」
「…うん」
何かを掴もうとして開いたり閉じたりする妹の小さな小さな手に自分の指を握らせてやり、綾子はほっと息をつく。
部屋の外ではやれめでたやと酒をかっくらう者あり、何故か万歳三唱する者あり、無意味に庭を駆け回る者ありと、お祭り騒ぎではあるが、それは安堵の裏返しだろう。
「これからよろしくね?」
大騒ぎのなか、くぅくぅと寝息をたてながら眠る妹に微笑み、額にキスを落とした。
* * *
さっ、さっ、さっ、と箒を掃く音がした。
一條家本家の庭を掃除しているのは狼男であった。狼男は人間と狼男とで自在に変化できるので今は掃除をしているだけなので普通の人間の姿である。そしてそれを眺めながら縁側に座っているのは綾子である。
「ねえ狼男?」
「どうしました、姫?退屈になりましたか?」
そうじゃないよ、と綾子は苦笑する。
「ちょっと聞きたい事があるんだけどいい?」
「私にお答えできる事であれば」
狼男はかたん、と箒を傍らにに立て掛けて綾子の側に腰を下ろした。
綾子は鏡に写る自分の姿を見る度に思うことがあった。
「ねえ、天子って、誰?」
狼男は息を詰め、大きく目を見開いた。
そう、綾子は見る度に思っていた。自分の容姿は「天子」と瓜二つなのではないかと。
周りから、こそこそと一條家の一部の者が「天子様に似ている」と噂していたのが、綾子の耳に届かないように狼男も細心の注意を払っていたのだが、それでも届いてしまうのが噂である。
疑念が確信に変わったきっかけはある日の昼間の事だった。縁側で寝こけている父を起こそうとしたら、父が小さな声で、風の音に掻き消されてしまいそうなくらい、微かな声だったが、綾子は聞いてしまったのだ。「天子」と。
「それは…」
狼男は口籠っている。
無理もない、子供に向かって、その人は父親の前の奥さんです、だなんて口が避けても言えそうにないのだから。
綾子が生まれるずっと前、綾子の父は天子と結婚していた。しかし天子と結婚して3年経った頃、もともと体が強くなかった天子は他界してしまった。
無理に言わせるのも良くない気がして綾子は話の方向を変えることにした。
「じゃあ、私とその人って似てる?」
「はい、とてもよく似ておいでです……」
「そっか、ありがとう、狼男。」
そう言って綾子は足音すらたてず、何処かに行ってしまった。
そして事件が起こるのはこの翌日の事であった。