表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
籠の中の春  作者: 三樹
第二章 長虫
6/13

1

 九重の様子がおかしい。

 しきりに身体を跳ねさせては呻くように鳴き、ぐるぐるとその場を回って尾を噛み、情けないような顔をする。

 一人遊びに興じているのかと思ったが、それにしては力なく耳を伏せている。しなやかだった肢体に張りがない。月下の芒野原のようだった美しい毛並みが、心なしかくすんでいる。具合がよくないらしい。

 使い主である籠屋は、籠のことしか眼中にない冷血の輩であるので、気にも留めていないようだ。しかし、わたしが案じる間にも、九重はみるみる弱っていく。その様子が見るに耐えず、嫌がって身をくねらせるのをなだめながら、膝の上に抱き上げてよくよく検分してみた。

 目を凝らせば、銀の毛並みのなかで何やら蠢いているものがある。黒光りのする大小の百足であった。長い身体をうねらせながらうぞうぞと動き回り、九重が身じろぎするたびその地肌を、憎らしくも、鉤のごとき顎で噛んでいたものらしい。

 どこで憑けてきたのやら、これはさぞ痛かったであろう。何せ一匹どころの話ではなく、百足の一族郎党を養わされていたのである。難儀であったなあとねぎらいながら、見つけた端から始末していく。長箸で摘み上げると、安住の地を奪われた百足は、脚という脚をのたくらせて抵抗した。さらに毛の深いところに逃げ込もうとする小賢しいものもあったが、一匹たりとして見逃すつもりはない。

 多少ながら魔性の気のあるものも混じっていたのか、小癪に逃げ回る首根っこを押さえた途端、「後生でございます! 後生でございます!」と甲高い声で憐れみを乞い出すものもあった。とびきり黒々として肥えた百足であった。一党の頭領であったのかもしれない。しかし、往生際の悪いというものだろう。潔く腹をくくれとばかり、体長の大小かまわずまとめて袋に放り込み、口を縛った。

 袋中で百足たちがいかにも恨みがましげにざわざわとしたが、九重はけろりとした顔で尾を振った。見違えるように毛づやも取り戻した。何よりのことである。何よりのことなのだが、憂いの晴れたのがよほど嬉しかったのか、十近い尾の全部を一斉にはしゃがせた。押しとどめる間もあればこそ、湧きおこった風を受け、周囲にうず高く積み上げてあった籠屋の空籠が、がらがらと崩落した。

 振り返らずとも、籠屋の渋面が背中で分かる。ねちねちと嫌みを聞かされる前に、悪意のない九重にまとわりつかれながら、黙って積み上げ直した。百足捕りよりもよほど骨が折れた。

 さて、残ったのは百足である。どうしたものだろうか。喰って旨いものだろうか。火を通せば腹を壊すことはあるまいか。それでも、黒々とした外殻は甲冑のようで歯が折れそうである。

 そこで、百薬堂のことを思い出した。百足の毒を薬に煎じるとかいう話を聞いた覚えがある。あの物好きな藪医に押し付けることにしよう。高く売れればよい。

 思い立ったが吉日とばかりに、袋をぶら下げて店の腐りかけた濡れ縁から川へ降りようとしたとき、それまで一部始終に知らん振りを決め込んでいた籠屋が、藪から棒に声を掛けてきた。

「朽縄小路の白蓮という奴を知っているか」

 首をかしげる。始めて聞く名である。朽縄小路というのも、この町に根を張った裏通りの一つであるが、わたしが居候する籠屋の一角からはずいぶん離れていたように思う。

「聞き覚えがないな――朽縄小路なら、幾度か通りがかったことはあるだろうが。そいつがどうかしたのか」

 籠屋は探るようにわたしを見ていたが、やがて首を振った。

「いや、知らんならいい」

 そう言ったきり、さっさと行けというふうに邪慳に追い払う仕草をする。

 どこか腑に落ちないように思うが、食い下がって口を滑らすような可愛げのある籠屋でないことは重々承知している。そんなことよりも今は百足である。百薬堂である。そう切り替えて、快癒した九重に見送られながら、水面の花に乗った。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ