初陣
オレンジ色のユニフォームを着た敵の8番が、精度の高いロビングをディフェンスラインの裏に放り込む。それに合わせようと走り込むのは、先ほどから幾度となくうちのゴールを脅かし続けている、11番を付けた敵のセンターフォワードである。
11番はかなり足の速い選手で、立ち上がりから何度も、うちのラインを出し抜こうと積極的に仕掛けてた。
俺たちはオフサイドや彼のトラップミスに助けられてきたが、ここで遂に綺麗に裏を取られ、キーパーと一対一のビッグチャンスを作られてしまったのである。
「うわあヤベえぞ!!」
「キーパー止めろォ!!」
ベンチでは失点を予感したチームメイトたちが立ち上がり、こらえ切れない思いが口々に叫びとなって飛び出してきている。
我がチームのキーパー、藤沢雄二はタイミング良く飛び出し、11番に接近してシュートコースを切っていく。
問題はここからだ。雄二は敏捷性がそこまで高くなく、サイドステップや切り返しの動きに問題がある。シュートストップの技術はあるので、あのフォワードが冷静さを欠いて何の工夫もなく打ち込んでくれればいいんだけど……。
「うわぁかわされた!!」
11番は阿保ではなかった。彼はキックフェイントをかけて雄二を芝に倒すと、その脇を鋭く突破した。
彼の目の前には、大きく口を開けた無人のゴールがあるのみ。11番は余裕を持ってボールを流し込もうとした。
その時である、事件が起こったのは。
かわされた雄二は、なりふり構わず11番を止めに行った。彼は後ろから、ボールごと11番の足を削った。
「あっ」
先ほどから黙ってピンチを見ていたうちの監督・峯岸謙也も、遂にポロっと溢してしまった。やってしまった。レフリーの笛がけたたましく鳴り響く。そしてレフリーは、雄二に駆け寄りつつ胸ポケットからある物を__もう既に皆予感しているが__取り出した。
危険なファールでの決定機阻止。問答無用のレッドカードである。
「あちゃー、やりやがったなおい……」
峯岸監督は頭を抱える。
一方ピッチでは、オレンジのユニフォームは決定機をファールで防がれた怒りで殺気立ってはいるものの、倒された11番本人は至ってクールな表情でボールを持っていた。
彼からしてみれば、PKという一点確実なチャンスを得たのみならず、前半20分という早い時間帯でキーパーを退場させることに成功したのだ。普通に点を取るよりも、この方が与えるダメージはでかい。
しかもそれだけではない。うちのチームは県トレセンにも選ばれている正キーパーの高島正剛を怪我で欠き、今日は第二キーパーの雄二がスタメンを務めていたのだ。そして控えには、なんとキーパーを始めてからまだ二ヶ月弱しか経ってない奴がいるのみである。
まさに踏んだり蹴ったりだ。
「あーあ、どうするんすかねー監督これ」
俺は隣に座っている峯岸監督に、敢えて素っ頓狂な調子で聞く。
「どうするもなにも……栄治、お前がいくしかねえだろう」
「本気ですか?」
「本気だよ」
そう、なんとその控えキーパーとは何を隠そうこの俺、泉栄治のことだったのである。
なんと現実逃避をしたくなる状況か。正直に言おう、試合に出たくない。
「た、頼むぞ栄ちゃん」
左隣に座っている土井ちゃんこと土井正夫が、まん丸で愛嬌たっぷりな顔を不安に曇らせている。
土井ちゃん、そんな顔すんなよ……俺の方が不安だって……。
試合はキーパーがいないと始まらないので、現在は止まっている。しかしのんびりと準備するわけにもいかないので、俺は素早くキーパーグローブをはめ、グローブのパーム(表面の柔らかいところ)に軽く水をかけると、第四審判のところへ向かった。
その時気付いた。なんだか足がうまく動かない。
悪いイメージが、次から次へと浮かんでくる。心臓ばバクバクいってるし、なんだか身体が宙に浮いてるような変な感覚がする。背中には汗が噴き出し、冷たい雫がゆっくりと伝っていく。
公式戦でキーパーとして出場するのは、これがもちろん初めてだ。トレーニングマッチとは訳が違う。キーパーとはこんなにも責任重大で、孤独なポジションだったのか。
俺は頭の中真っ白のまま、間も無くピッチに入ろうとした。その時、
「栄治」
と峯岸監督が突然俺の右肩へ腕を回してきた。
「この絶望的な状況で、中学になってからキーパーを始めたばかりのお前になんとかできると思ってる連中なんて、正直だれもいねえよ」
俺は二ヶ月前まで、つまり小学校の頃はフォワードをやっていたのである。
「だから失うものなんて何もねえ。いいか栄治、この二ヶ月でお前がやってきた物を全て出してみろ。結果なんていい。とにかく精一杯、やれるだけのことをやって来い」
峯岸監督が耳元で早口でまくし立てていると、いよいよレフリーから催促の笛を吹かれた。
「よし行って来い!」
峯岸監督に強く背中を叩かれ、俺はタッチラインを越える。そして味方のフォワードと入れ替わる時も、「頼むぜ、頑張れよ」と背中を叩かれた。
そしてダッシュでゴールラインへ向かう。スパイクからは、スタッドがしっかりと芝を噛む感触が伝わってくる。背中の痛みは動悸を治め、地に足を着けてくれた。
改めて敵の11番と向かい合う。彼は腰に手を当てがって、浅く呼吸をしながら此方を見ている。右指は小刻みに自分の腰を叩き、なんだか落ち着きがないようである。
この時俺は気付いた。もしかしたら、この場面でプレッシャーがかかっているのは相手の方なんじゃないか?
俺もよくPKキッカーを務めていた。小学校の時はチームのエースだったので半ば当然の如く蹴っていたが、あの「PKは決めて当たり前」という前提は、相当なプレッシャーになっていた。
そうだ。キーパーは、特に俺は決められて当たり前なんだ。キーパーについては素人同然だし、加えてスクランブルでの出場。寧ろ止めたらヒーローになれる。
__失うものなんてねえんだ。あとはこの僅かな期間で学んだことを、ここで総動員させてやる。
俺はグローブを大きな音を立てて叩くと、食い入るように11番の目を見つめ始めた。
目を逸らすな。敵の目を見ろ。目、目、目__
11番の視線は基本的にボールに向いているが、時折俺から見てゴールの左隅をチラチラと見る。
それでも俺はまだそっちがコースだとは決めつけない。構えを崩さず、三白眼で絶えず睨み続ける。
レフリーが笛を吹いた。11番はゆっくりとしたスピードから助走を開始する。その時だった。11番の視線が僅かにゴール右隅を向き、再び左へと戻されたのは。
(こっち(右)か!!)
直ぐ様視線を左に戻したことからして、もうこれは明らかだった。あとはいかに上手く、シュートを右側に誘導するかだ。
俺は11番が軸足を踏み込む直前に、若干体重を左足にかけた。
11番はそれを確認すると、視線をボールへ向ける。ボールを蹴るため、もう顔は上がらないだろう。これで彼は右にコースを決定したはずだ。
あとは余程厳しい、ノーチャンスなシュートが来ないことを祈るのみである。
11番の右足のインサイドがボールを捉えた瞬間、俺は右足のバネを引き絞った。
セービングも正直、あまり見栄えの良いものではないかもしれない。それでも一歩でも遠くへ跳べるように、少しでも遠くのボールを触れるように、満身の力を込めて飛んだ。
次の瞬間、まるで羽が生えたかの様に身体が軽くなった。空中にほぼ水平に浮かび、そして__目一杯伸ばした右手はボールを捉え、そのままゴールの外に弾き出した。
この刹那が、俺にとっては永遠に感じられた。
「うっ?!」
だがそれも束の間、落下した衝撃によって現実に戻される。横腹から不器用に着地したため息が詰まり、すぐに立ち上がることができなかった。
それでもなんとか首を振り、必死にボールの行方を探す。ボールはゴールラインの外にあり、ラインズマンの旗がコーナーアークを指していた。
どうやら俺はPKを止めることに成功したようだ。
「栄治! 栄治!!」
「すげえよ栄ちゃん! ナイスキー!!」
「お前がマンオブザマッチだあああ!!」
座り込んでいる俺に、チームメイトたちが群がり盛んに褒め立ててくる。俺は夢が現か分からないまま、なすがままにされていた。
それをレフリーが、俺が頭を打ったとでも思ったのだろう、笛を吹いて一旦試合を止め、小走りで近づいてきた。
「キーパー、大丈夫かい?」
「あ、大丈夫っす。すんません」
慌てて立ち上がり、味方にマークをつけさせるべく怒号を飛ばす。
側から見れば、俺はビッグセーブにも驕ることなく瞬時に切り替え、敵の攻撃に備えているように映っただろう。事実、土井ちゃんもハーフタイムでベンチに戻った時にそう見えたと言っていた。
だが本当はそうではなかった。俺は今自分がしたことが本当かどうか分からないまま、ただ単に目の前の出来事に対応することで誤魔化そうとしていたに過ぎなかった。
自分がPKを止めたことが、本当に信じられなかった。