白い姫と年増ビッチ
姫も魔女もどっちも『魔女』だなと考え、差異を出そうとした結果、サブタイトルが悲惨になりました。
城からほぼ見捨てられている姫は、自給自足の生活を送っています。
今日も彼女は、森の中で自分の食料を調達しておりました。
「哈ッ‼」
……森の中で、猪に踵落としを喰らわせておりました。
一撃で昏倒して地面に転がった猪の脚を、手慣れた様子で縛って一つに纏めます。獲物が捕れたことで鼻唄すら口ずさむ姫でしたが、ふと気付きました。
前々から自分が淑女らしからぬことは自覚していましたが……猪を縛り上げる今の自分は、それ以前なのではなかろうか――
今更ですね。
気付いた姫は、ですが首を横に振り、
「べ、別にいいし! こんな乱暴な女なんて嫌とか言われても、そ、そもそもわたしにそんな気はないし!」
一人でツン発動です。
大体あの留学の話だって、王子の目の前で大木を蹴り折った以上、縁談要素はないと姫は考えています。……自分から王子を遠ざけるようなツン思考をして、勝手に納得して消沈もしています。
あの程度の暴力なら、王子はハインリヒで慣れていますが――まあ、女性を自分の従者と同列に考える辺り、ずれていますが。
「……わたしはずっと、ここにいるんだから……結婚とか、そー言う、表に出るような真似、しないんだから……。
そうよ、ずっとこの森で暮らすの。それが一番、平和だわ」
「果たして、そうでしょうか?」
「っ⁉」
自分の独白に応えた聞き慣れぬ声に、姫は驚きと警戒をあらわにして立ち上がりました。
血の色の瞳が捉えたのは、整った顔立ちの青年。その服装から察するに、猟師でしょうか。
違いますね。魔女です。
ですが魔法による変身を見抜けない姫にとっては、見知らぬ男性――尤も相手の性別に拘わらず、この森に侵入して来た見知らぬ人間は警戒対象なので、露骨に身構えます。
魔女はイケメンの顔に薄い苦笑を掃き、一礼すると、
「お初にお目にかかります、姫様。わたしは怪しい者ではございません。王妃様から伝言を預かって参りました」
「……王妃、の……?」
姫は益々眉を顰めます。
城の人間の中でも、特に王妃(と彼女の娘達)が自分を嫌っていることは、姫も知っていますから。
そして今回、とうとう庶子の暗殺に踏み切った彼女――の意を汲み、魔女が用意した台詞は、
「隣国からの申し出について、王妃様はこうお考えです。
まるであなたに対する縁談のようですが――もし本当にあちらの王子殿下が姫様を見初めたのだとしても、本気で妃に迎えるつもりがあるのでしょうか」
「っ……」
「一時の気の迷いを本気にしてあなたを輿入れさせたとしても、側妃として扱われるかも知れません。
仮令庶子でもあなたは我が国の王女です。それに隣国とは、さほど力の差があるわけではありません。もし王妃様が危惧される通り、あなたが軽んじられることがあれば、これは王家にとって由々しき問題です」
一時は顔を強張らせた姫も、魔女が述べた尤もらしい理屈には静かに頷きました。
「つまり……わざわざ隠していた恥を表に引っ張り出されるなんて冗談じゃない、ってことね」
「いえ、そこまでは」
王妃に嫌われている姫ですが、向こうが体面を重んじることは知っています。にも拘らず姫への育児放棄を黙認したほど、王妃は彼女が嫌いなのです。
だから今回も王妃は、元々隠している恥を外に出さないようにしている――察して姫は、溜め息一つ。
「……やっぱりわたしは、この森から出るべきじゃないんだわ」
王子の一時の気の迷いかも知れないし。
解っていたはず――姫は胸中で呟き、我知らず俯きました。
ですが魔女は軽く眉尻を下げ、こんなことを言うのです。
「ところが困ったことに、そのお話は断れないんですよ」
「へっ⁉」
ハインリヒの脅迫のせいですね。
そこはぼかして、魔女は困ったような曖昧な作り笑顔で続けます。
「姫が絶対に無理、どうしても嫌、死んでも行きたくないと言うのであれば、話は別ですが……」
「いや、そこまでは」
「ではお受けするしかありませんね」
「そ、そうなの……?」
「陛下はこのお話を受けるおつもりですから」
渋々ですけどね。
ですが魔女は、その辺の事実を姫に伝えるつもりはありません。
父王の真意を隠された姫は、戸惑います。放置しつつも王妃のようにはっきりと嫌悪を見せるわけでもない王が、自分をどのように思っているのか、ただでさえ判らないだけに。
留学と言う形で森の外に引っ張り出されることへの不安は、勿論あります。加えて、これまで自分を放置して来た城に今更利用されることへの、不満も――尤も城にとっては、姫が「死んでも嫌‼」と断った方が都合がいいのですが。表に出さなくて済みますからね。
王妃の思惑を聞いた姫は、城の希望も薄々感付いています。それを敢えて蹴飛ばして鼻で笑う――ことが出来るほどの性格なら、外に出ることへの不安もさほど感じないのでしょうが。
その不安を断ち切ることが出来たなら。
王子の傍まで、迷いなく行けたなら。
……無理ですね。
「姫様、一つ提案がございます」
そんな姫の迷いを見透かしたように、魔女がぽつりと。
訝しげな血の色の視線に、魔女はイケメン面で微笑み返します。不覚にもときめいた姫が赤面で目を逸らす初々しさを、内心ではせせら笑いながら。……この姫、ツンデレチョロインですからね。
魔女――が被る、王妃の使いのイケメン着ぐるみを完全に信用したわけではないのでしょうが、話を聞く意思はあるようですし。
先を促すような上目遣いを鼻で笑いつつも、魔女は誑かすような甘い微笑を崩しません。
「もし姫様がよければ、ですが。
この森から――陛下や隣国からも、逃がして差し上げます」
それは、つまり――
「……どういう、こと……?」
有り体に言えば、この世から逃がしてやる、なのですが。
さすがにそのような本音は隠して、魔女は柔らかな微笑に皮肉めいた色を覗かせます。
「今回のお話を断れば、姫様に対する陛下の覚えが悪くなるやも知れません。元々放置しているのに、可怪しな話ですが――ならばいっそのこと、そのような柵をすべて断ち切ってはいかがですか?」
「……どういう、意味……?」
「姫様、お気付きですか? あなたはこの森で、使用人もなく一人で生活されていますが――それすら、陛下の監視下にあるのですよ」
嘘ですね。
あの王が最初に姫に付けた最低限の監視は、すでに妖精達に無力化されています。それきり王は娘を放置です――つい先日、王妃が魔女の鏡でようやく遠視するまで。
真実を隠され、姫は顔を強張らせました。
愕然と見開く赫い瞳に、魔女は苦笑で応えます。
「尤もこのままこの森で、朽ちるまで怠惰に飼い殺されても構わないのなら、わたしはこれ以上は何も言いませんが……。
それでいいのですか? 姫様」
「……そ、それは……」
自分がこの森から出なければ、すべて丸く収まる――事実、森から出て舞踏会に行ったことで、姫は王子に狙われたのです。
逆に言えば、あの時に森から出なければ、彼との出会いも――
知り合わなかった方が、幸せだったのか。
下手に恋を知っただけに、姫は迷います。
見透かして、魔女はもう一押し。
「姫様、あなたはまだお若い――そして世界は、広いのです。このような所で生涯を終えるのは、勿体ないと思いますよ」
「……あなた、王妃様の部下じゃないの?」
「あなたが消えれば、今回のお話も成立しませんからね。何より、あなたが自分の見える所にいるだけで、王妃様は気分を害されます。むしろいなくなってくれた方がいいようです」
「清々しいほどの嫌われっぷりね」
にこやかに放たれては、怒りも湧きません。
半眼で呻きつつも、姫は考えます。
森と言う巨大な鳥籠の居心地は、決して悪くはないけれど。
ありもしない父王の監視を受けながらこのまま緩やかに朽ちるか、あるいは――
俯き考えるその瞳は地面を見たまま、魔女がこっそり取り出した短剣に気付くことなく。
「姫様ーーーーっっ‼」
『っ⁉』
考えていた姫も、短剣を取り出した魔女も、その声に驚いて顔を上げました。
二対の視線の先には、真っ直ぐこちらを目掛けて飛んで来る、小さな光の玉――と言うか、妖精乳母。
「ばあや? どうしたの――」
その勢いを訝る姫……の隣に、乳母は鋭い視線を向けて、声を張り上げます。
「くうっ、あの男のせいで見落としましたわ‼ 姫様、その曲者から離れて下さい‼」
「え……?」
戸惑いながらも、姫は魔女を見て――そして相手が短剣を構えていることに、気が付いて。
「っ⁉」
「ふん、今更遅いのよ!」
魔女は青年の姿のままながらも普段通りの口調で吐き捨て、姫の心臓目掛けて刃を突き出しました。
勿論姫も咄嗟に避けようとしますが――突然過ぎる出来事に、実際には体が上手く動かなくて。
「させませんわっ‼」
『っ⁉』
刹那、妖精の手の中から生まれた光の奔流。
小さな両手はシーツか投網を広げるようにその光を姫に被せました。凶刃が届くよりも早く姫を包んだ光は、妖精の加護となって魔女の短剣を弾きます。
「く……こ、この羽虫が……★」
「……え? 何、これ……」
魔女が歯噛みする一方で姫が更に困惑するのは、自分を包んだ光が赤い頭巾となって頭を覆ったせい。
頭巾として具現化した妖精の加護を一瞥、魔女は青年の顔に凄絶な微笑を刻みました。
「どうやら物理攻撃を拒絶出来るのは、あの一回だけのようね……★」
素早く短剣を構え直します。
ですが状況に付いて行けない姫は、この二撃目も上手く避けられそうにありません。今も咄嗟に出来たのは、ただ暴力の気配に身を縮めて固まるだけでしたから。
「させませんわと言ったはずです‼」
またも妖精が手の中に光を生み出します、が。
「姫様、どうかご無事で――」
「え……?」
乳母の一言を聞き咎めて思わず声を上げた、瞬間。
自分に迫る切っ先のみならず周囲の景色すべてを遮った光の壁に、姫は目を瞠り――目を瞠ろうとしましたが、結局は目映さに負けて目を瞑りました。
加えてその途端、急に足元の地面が消えて――
「……えっ? きゃあ⁉」
眩しい光で目を灼かれたまま、姫は自分がどこかへ落ちて行くのを感じました。
妖精の落とし穴。
つまりは、そう言うこと。