陰謀と魔法の鏡
何だかんだで王子には甘いハインリヒ。
さて、どうしたものか。
王子が使えないのはいつものことです。それでも今回はひどすぎます。己が主の株は最初から底値と思っているハインリヒでしたので、更に下がったことに驚きです。
まあ、これまで輝く美貌を活かして数々の女性達を食い物に――もとい、数々の女性達と浮き名を流して来た王子にとって、自分が一方的に拒絶されるなんて初めての経験です。
しかも自分は憎からず思っていた相手から、きっぱりと「近付かないで」と言われてしまいました。
爆笑。
とは言え王子は腐ってもハインリヒの主、それに自国の王位継承者です。いつまでも真っ白な灰にしたまま放置するわけにも行きません。一通り笑って気は済んだので、ハインリヒは王子の扱いについて考えました。
「王子、王子」
「……………………」
ひとまず呼び掛けてみましたが、王子は呆然と突っ立ったままで何の反応も見せません。ここまで衝撃を受けている王子と言うものも珍しく、ハインリヒは鋭利な漆黒を軽く瞬かせました。
尤もそこはハインリヒです。一応「失礼」と声をかけつつも、王子を小脇に抱えました。
妙な抱えかたをされてようやく我に返った王子は、慌てて手足をばたつかせますが、この程度で抜け出せるはずはありません。
「な、は、ハインリヒ!」
「さあ王子、帰りましょう。元に戻りましたし、失恋もしました」
「ぐはっ」
「これ以上長居する理由などないはずです。さあとっとと帰りましょう、さあさあ」
「待て、僕はまだ――」
「……まだ姫君に罵られたいと?」
「何でだ⁉」
「この水死体野郎!」
「そして何でお前に罵られるんだ⁉」
「先程まさにそんな感じでしたので、つい」
池の水面から脚だけ出してた時ですね。
王子を罵る直接の理由にはなりませんが。
そこに王子が気付く前に、ハインリヒは「それより早く帰りましょう」と、歩を進めます。
王子はまたも逃れようと暴れますが、やはりハインリヒの拘束からは抜け出せません。抜け出せるはずがありません。
「くっ……ぼ、僕はこんなの認めないぞ‼ 絶対、絶っ対に彼女を諦めないからな‼」
「往生際が悪いですよ、王子。
……それともこのまま往生します?」
「きゃあ‼」
「そんな情けないを通り越して可愛らしい悲鳴を上げないで下さい。
そもそも冗談ですのに、本気で怯えられると対処に困ります」
「……お前が言うと冗談に聞こえないんだよ……」
力なくツッコむ王子。
そのまま疲れたように動かなくなってしまったので、ハインリヒは何憚ることなく王子を連れて、この森を後にしました。
――後日。
姫の父たる隣国の王は、末娘への留学の誘いに戸惑っていました。
因みにこの王、姫が普段何をしているかをまったく知りません。仮にも自分の、王家の血を引く娘だと言うのに、最低限の監視すら付けていないのです。使用人が悉く追い返されたせいか、割とあっさり諦めたようですが、無関心にもほどがあります。
結果、知らない間に姫があの美貌の王子と出逢い、更に向こうを恋に落とした――姫自身も落ちた――と言うわけで。
尤も画策したハインリヒはその辺りを伏せ、「お忍びで散策していた王子が森で迷った時に姫に世話になった」ことにしました。
そしてハインリヒがこんな画策をする羽目になったのは言うまでもなく、帰国した王子が相変わらず恋患いで使えないため。一度は振られた(ことになっている)王子、自分でもこのまま落ち込んでいるばかりではいけないと、国を通して改めて姫に求婚しようとして、ハインリヒに止められました。
時間をかけてゆっくり姫を口説こうと考えた王子、その間の邪魔が入らないように自分の意思を見せ付けようとした……のですが、あまりにも勇み足。
「お気持ちは充分に解りました。
ですが王子、かの姫君の存在を耳にしたことのある者は、この国には多くありません。それなのに王子がいきなり自分の婚約者候補と言い出せば、大抵の者はよく思わないでしょう。特に自分の娘を王子に嫁がせようとしている者にとっては、隣国の王女とは言え、単なる邪魔者でしかないかと。
……まあ、王子と姫君が相思相愛であれば、わたしもある程度なら彼等を黙らせますが」
「ぐはっ」
さりげなく振られたことを匂わされ、ダメージを受けた王子です。一介の従者が貴族達をある程度黙らせることが出来るのか、と言うツッコミは頭にありません。ハインリヒですから。
そんなハインリヒはまず、姫が嫌がらない程度で王子の傍にいて貰おうと、彼女の留学を提案しました。あの森の中での生活が王族に相応しいか否かを考えた結果でもあります。……あの豪腕姫なら森暮らしもありかなと思わないでもありませんが。
「……わたしも甘いですね……まあ、あとは王子の努力次第、ですが」
友好国からの留学の誘い、それ自体は不自然でもないでしょう。王子が姫に世話になったとの言い訳が付いている時点で、遠回しな縁談かと勘繰られても、それはそれで。
問題は、隣国の王にとって末娘がどのような存在であるか、と言うことですが――ハインリヒはそこもきっちりフォローしました。具体的に言えば、このまま姫を閉じ込め続けていた場合のデメリットをいくつか匂わせておきました。……ええ、その不具合は人為的にもたらされるものもありますが。
外堀をがっつり埋め立てたハインリヒの策に、隣国の王が出来る抵抗はと言えば、姫自身に断らせることでした、が――
「……冗談じゃないわ」
話を知って呟いたのは、姫――の義母に当たる、王妃。
魔女が産んだ庶子を彼女がよく思わないのは当然です。加えてこの王妃、あわよくば自分の娘のどちらかを隣国に嫁がせようと、前々から手を尽くしておりました。
美貌の王子に我が娘を――と考える者は多いのですが、今回の話は数多い競争相手の存在すら霞むほど、王妃を苛立たせます。
他の娘ならまだしも、よりによって、あの忌々しい魔女の娘が。
人払いは済んでいます。王妃は誰の目も憚らず憎しみと嫌悪に顔を歪ませながら、クロゼットの奥に隠した鏡に向かいました。
「鏡よ鏡、あの娘は何をしているの?」
王と魔女との逢瀬を知った時、秘密裏に手に入れた遠視の鏡――腸が煮え繰り返るような場面しか見せないから、すぐに仕舞い込んで普通の鏡としても使っていなかったのですが。
留学の話は丁度姫の所にも届いていました。訝る姫に、これが遠回しな縁談であることを、妖精乳母は嬉々と解説してしまいます。
鏡越しに向けられる極寒の視線に、気付くこともなく。
解説された姫は、『はぁ⁉』と血の色の瞳を見開きました。いつ見ても不気味な色――王妃は顔を顰めます。
ですが。
『ちょ……な、何言ってるの? じ、じゃあ、あの王子……まさか……ま、まさか、本気で……わたし、を……?』
一度直接プロポーズされたことを思い出してか、姫の顔が一気に赤く染まって行きます。
王子がそんなことを言ったなんて夢にも思わない王妃ですが、今の彼女の目――に限らず、余程鈍感な人間が見たのでもなければ、姫が満更でもなさそうなのは、明らかで。
『ようございました、大変ようございましたわ、姫様!』
『あう……ど、ど、どうしよう……』
妖精が喜びに光の粒子を振り撒くほど姫は恥ずかしがり、そして姫がもじもじするほど王妃の視線は厳しくなって行きます。
ですが王妃が憎々しげに鏡を睨んでいたのは、ほんの数秒。
王妃は苛立ちを抑えるように深く長く息を吐き出し、再び鏡を仕舞い込みました。
姫の姿を視界から追い出してしっかりと深呼吸をしても、王妃の眉間の皺はほぐれません。
「……認めないわ。例え陛下がお赦しになっても」
険しい目付きと低い声音で、王妃は更に吐き出します。
悪役っぽいです。
「本気で潰すしかなさそうね……」
王妃は今後も大体こんな感じです。