林檎売りの魔女
前回から大分間が空いてしまいました。
そしてハインリヒに結界は壊せません。
結界を通過出来ないハインリヒ達は、元々小屋があったはずの空間で首を捻ります。
木々に覆われたこの森の中では比較的開けた、小屋があっても不思議ではない原っぱ。ですが小屋そのものは勿論、住民の姿も見えません。
「妖精の世界に引き籠ったのか、単なる目眩ましの結界か……ふむ、どちらにしても、どうしたものか……」
妖精の魔法が相手なら、はっきり言ってハインリヒにはなす術がありません。
「ほ、本当にどうしようもないのか? お前だったら、パンチ一発で大抵のことは片付けられるんじゃないのか?」
「王子、わたしを何だと……」
王子にとってハインリヒは万能従者ですから、妖精の結界なら拳で打ち砕けると思っているのでしょうね。
無理です。
とは言え、ハインリヒにも従者の意地があります。使えない奴と思われたくはありません、特にこのヘタレ王子には。
「まずは手がかりを探しましょう。ここで生活していた以上、何かしら痕跡はあって然るべきです」
ハインリヒ達がうろうろと痕跡を探している間にも、魔女は着実に姫の元に迫っておりました。
自慢の結界に王子が入れないことに気が付いて「やっちまったぜ」となっていた妖精でしたが、結局はそのまま。張りなおした一瞬の隙を突かれることを危惧し、あるいは、
「それにあの従者殿なら、わたくしの結界でも拳の一撃で割れそうな気がしますの」
『どんな従者だ!』
「そんな人間、滅多にいませんから、結界が壊れた時は王子が姫様を迎えに来て下さった時と思いましょう」
思うな思うな。
揃って内心でツッコんだ小人達です。
とは言え、妖精渾身の結界がそう簡単に破れないことも事実。
結局は全員、油断していたのです。
だからその時も小人達と、更には狼達も、姫と妖精だけを小屋に残して外出しておりました。
妖精も妖精で、ハインリヒが結界を殴らない限り何事もないと思い込んでいましたので、魔女がこっそり通過したことにも気付かなかったのです。
ゆえに。
「……こんにちは……だ、誰か、いませんか……?」
幼女に化けた魔女は、まんまと小屋の扉をノックして。
姫はやや警戒しつつも扉を開けましたが、その姿にすっかり騙されてしまいました。
「まあ……お嬢ちゃん、どうしたの? こんな所で」
「……解らないの……森から、出られなくって……」
いつも以上のあどけない容貌に加え、魅了の魔力をフル活用。
母親が魔女であっても、姫は魔法のことなどほとんど何も知りません。況してや魅了魔術への耐性も持たぬ彼女は、目の前に立つ「森に迷い込んだ子供」にすっかり同情してしまいました。
ついでに言えば、目の前の幼女が森から出られないのは、自分の乳母が作った結界のせいではないか……と言う罪悪感も手伝って。……無関係の者が外に出る時は問題ないことを、姫は知らないようです。
姫の同情を得た魔女はそのまま小屋の中に招き入れられると、素朴なバスケットを小さな手でぎゅっと抱え、更に相手の憐れみを誘うような泣顔を見せます。
「ううっ……ぐすん……どうしよう……帰れないよぅ……」
「だ、大丈夫よ。落ち着いて……ね?」
「……っく……う……」
宥める姫も無視するように泣きじゃくり――
――ぐぅ。
泣きじゃくる魔女の腹が、小さく鳴りました。
「……………………」
「……………………」
妙に気まずいですね。
瞳を涙で濡らしつつも、魔女は恥ずかしそうに俯きます。
姫はくすりと笑い、
「そうね、ずっと森で迷ってたのよね」
「う、えう、あう……」
恥ずかしそうにわたわた慌てる魔女の手元が狂い、バスケットから林檎がいくつも転がり落ちました。
「い、いけない! だ、大事な、商品が……」
「商品? あなた、林檎売りなの?」
林檎を拾うのを手伝いながら、姫が尋ねます。
魔女は頷き、ついでにまたも円らな瞳に涙を浮かべました。
――と言うのも、
「……林檎……全然、売れなかった……」
「あ、あらら……」
いきなりそんなことを言われても、姫にはどうしようもありません。
ですが。
「……このままじゃあ……ひっく……帰っても……怒られちゃう……」
「……………………」
つまり姫に林檎を買えと言うのですね。
言外に圧力をかけられた姫は、少し考えて林檎を買うことにしました。
こんな森の中で、こんな栽培種の林檎は食べられませんからね。
「……解ったわ。それじゃあ、お姉ちゃんが、そうね……二つ買うわ」
「本当? ありがとう!」
涙に濡れた顔をパッと輝かせる魔女でしたが、内心では「全部買いなさいよケチねぇ★」とか思っていたりして。
まあ、小人達の造る武具を売って金銭を得ているとは言え、逃亡中の身で贅沢は出来ませんからね。
姫は早速買った林檎を切り分けると、その皿を魔女の前にも差し出します。
「お腹空いているんでしょう? よかったら、一緒に食べない?」
「え……? で、でも……」
「遠慮しないで。わたしはただ、自分で買った林檎を、お客さんに勧めているだけだから」
「ん……」
魔女はもじもじと逡巡してみせます。
泣き落としで姫に林檎を買わせることには成功しましたが、自分で食べては、意味がないのです。
ゆえに。
「……お姉ちゃんは……食べないの?」
「え? そうね……」
ですが言われてみれば、その通りなのです。
買った方としては自分が買った物をどうしようが自由――だとしても、売った方としては本来の用途に沿って使って欲しいもの。この場合は、林檎を買ってくれたお客さんに美味しく戴いて欲しい――と言うところでしょう、表向き。
売り主の表向きの心情を察し、姫も林檎に手を伸ばしました。
「そうね、こんなに美味しそうな林檎だもの。
それじゃあ、戴きます」
「うん! 自信作だよ!」
魔女は満面の笑みで頷きました。
今回の林檎は、本当に自信作なのです――
「ん……うん、美味しい。蜜たっぷりで……っう!?」
もぐもぐと林檎を咀嚼していた姫が、その一口を嚥下して――ほどなく。
「……う……っぐ……!」
「……お姉ちゃん?」
いきなり喉を押さえて苦しみ出した姫に、魔女は不安そうに問います。
ですが姫はそれに応えることなく、テーブルに倒れ込んで喉を掻き毟るだけ。
「お姉ちゃん……どうしたの? 苦しいの?」
魔女は心配そう――には思えない、淡々とした声音で訊ねます。
苦しげに踠く姫は、そこに気付いているのかいないのか――
段々と動きが鈍くなって来る姫は、もう呻き声を出す余裕もないようです
「……まだ、動けそう?」
冷淡に問う魔女は、姫の首筋に触れます。
「でも脈は確実に弱くなって来てるわね……言ったでしょ、自信作って☆」
幼女の姿のまま、魔女が本性を現しました。
長い雪色の髪を乱してテーブルの上に倒れる姫は息も絶え絶えですが、それでも血の色の瞳を僅かに見開きます。
「あら? まだ意識があるのね……さすが化け物と呼ばれる白き忌み子だわ★ いやーん、怖-いっ★☆★
でもね、だからあたしも今回は特製の林檎を用意したのよ。普通の生物なら飲み込まなくても、ただ口に含むだけで仮死状態にする、即効性の猛毒――まだ動けることが不思議だわ★
ま、もう聞こえてるかどうかも怪しいけどねぇ☆★☆」
造形だけは愛らしい顔を醜く歪め、魔女は喉の奥でくつくつと笑います。
その笑いが不意に途切れたのは、奥のドアからの気配ゆえ。
「姫様……?
いやあっ、姫様!」
ぐったりと動かない姫を目にして妖精乳母が悲鳴を上げました。
妖精が目にしたのは姫の他、見知らぬ幼女――と言うことは。
「どこから入りましたの、この魔女が!」
小さな体から漏れる魔力を感知した妖精は、瞬時に魔女を敵認定。相手より更に小さな体は、怒りを直接表すような激しい火花を纏います。
「わたくしの結界を破るなんて……姫様に危害を加えるなんて!!」
「はッ、今更何言ってるのよ、この虫けら★」
妖精の体は小さくとも、彼女が放つ烈しい火花に触れたら、軽い火傷では済まないでしょう。スパーク状態で突っ込んで来る小さな脅威……ですが、魔女は鼻で笑うだけ。
彼女は普通の人間ではありません。魔女です。妖精への対抗策も、ちゃんと用意していました。
「鬱陶しいわね! 虫は虫籠に入ってなさいよ!」
「ひゃあっ!?」
言葉と共に魔女はどこからか取り出した籠を妖精に投げ付けました。怒りで我を忘れ突っ込んで来ていた妖精は、避けようとする暇すらなく、実に呆気なく籠の中に閉じ込められてしまって。
投擲中に妖精を捕らえた籠はそのまま床に落下。衝撃で中にいた妖精の体が激しく揺さぶられます。
そして魔女は、妖精を捕らえた籠を力強く踏み付けました。
「きゃはっ、ブ・ザ・マ☆
まさかこぉーんなに呆気ないとは思わなかったわー☆」
無邪気に邪悪な笑顔で籠を拾い上げると、その入り口を姫に向けて開きました。
「姫様!
……っ!?」
空いた瞬間、当然妖精は外に出ようとしましたが、外から吹き込んで来た強風が彼女の体を押し戻します。
更にその不思議な風は、籠どころかそれを持つ魔女よりもいくらか大きな姫を、籠の中へと押し込んで。
と言うか……姫が籠の中に吸い込まれた、と言った方が正しいでしょう。
「ひ……姫様……?」
妖精が気付いた時には、籠の入り口はすでに魔女によって閉ざされており、そして自分より遥かに大きいはずの姫が、自分とほとんど変わらぬ大きさになっていて。
ですが妖精にとっては、大きさがどうと言う問題ではありません。
「姫様……姫様っ! ああ、姫様……どうかお返事を……目を開けて下さいまし! 姫様ぁ!!」
籠の中、小さくなった姫は、最早ぴくりとも動かなくて。
妖精の泣声を掻き消すように、魔女の高笑いが響きます。
姫(他)がもっと慎重でもっと警戒していたら、魔女の襲撃が失敗して話が続きません。