ガラスの靴と蛙の王子
色々な童話を継ぎ接ぎしたドタバタラブコメ……になる予定。
今ではないいつか、ここではないどこかに、それはそれはハンサムな王子様がおりました。
純金を紡いだような髪など、この王子の他にいるものではありません。晴れ渡った青空の色した瞳で見つめられれば、煌く星々でさえ恥じ入ってしまうでしょう。ましてやその微笑みを向けられれば、可憐な花々でさえ頬を染めそうで。
当然、王子に心惹かれる女性は年齢や身分の差、未婚既婚すら問わず、数多くおりました。ええ、それこそ掃いて捨てるほど、無駄に。
そして今宵は、そんな王子の花嫁を決めるための舞踏会。年齢を問わず、身分を問わず、未婚女性が国内外から集まっています。
ところが――おやおや? 当の主役は、どうやらただ一人に夢中の様子で――
現れた瞬間から大広間の視線を一身に集めたその女性は、一体どこの誰なのでしょう。
丁寧に結い上げた白絹の髪を飾る銀色のティアラ以外には、装身具の類は見当たりません。ほっそりとしなやかな体を包む白いドレスも流行や飾り気など一切見当たらない、極めてシンプルなデザイン。
ですがそれでさえ、着飾った女性達の誰よりも、彼女は輝いて見えました。
にも拘らず、これほどの美女を誰も知らないのです。
ずっと彼女とばかり踊っている王子も、さり気なく相手の素性を探ろうとしますが、曖昧な微笑ではぐらかされてばかり。
ですが――零時を告げる鐘が鳴った、その瞬間。
最早無表情のようですらあるその微笑みが、軽く強張りました。
「どうしました?」
訝り問いかける王子ですが、それに対する彼女の答えは、と言えば。
「っ、ごめんなさい!」
「へ?」
いきなり王子から逃げました。
のみならず、二回目の鐘が鳴る中、そのまま扉の方へとひた走って行きます。
一瞬ぽかんとした王子でしたが、彼女が自分から逃げようとしていることだけは理解出来ました。
慌てて衛兵に命じて扉を閉めさせようとしますが、それよりも早く彼女は扉の隙間から広間の外へと飛び出してしまいます。
「はっ、速い……。
ハインリヒ!」
「はい」
ドレス姿ではありえない速度で更にぽかんとした王子でしたが、それでも我に返り、控えていた従者を呼びました。
壁際で景色と同化していた黒髪の従者――ハインリヒは王子の傍近くまで歩み寄り、指示を待ちます。
「彼女を追え! 絶対に逃がすな!」
「向こうの都合も考えてあげて下さい」
まったくの無表情でさらりと異を唱えるハインリヒ。
ですがこの従者が素直に言うことを聞かないのはいつものことなので、王子も構わず声を張り上げました。
「ならばせめて、名前なり住所なり、聞き出して来い!」
「黙秘権は認めてあげて下さいね。
……では」
王子にとって余計な一言を付け加えたハインリヒは、ですが次の一瞬には広間の外へと飛び出しておりました。
一方、慌てて広間から飛び出した雪色の美女は、外へと続く階段を駆け下りていて。
途中で転びそうになって顔を顰めましたが、その原因であるガラスの靴を脱ぎ捨てると再び走り始めました。五回、六回と鐘の音が響くたびに焦りを滲ませながら、広い庭園を裸足で駆け抜けます。
そして八回目の鐘が鳴り終わる頃――
「っ!?」
彼女の目の前、道を塞ぐように突然現れたのは、ハインリヒ。
まあハインリヒ当人に言わせれば、彼女の頭上を飛び越えてそのまま着地しただけなのですが。
予期せぬ妨げに足を止めた彼女に、跪くハインリヒは途中で拾ったガラスの靴を差し出しました。
「お忘れ物です」
「……結構よ。そちらで処分して頂戴。
それよりも、道を開けて下さる? 私、急いでいるの」
「ならばお送りしましょう」
「はっきり言って、余計なお世話ね」
「……そうですか」
ですが王子からは、せめて彼女の素性なり何なりを聞き出せと命じられているハインリヒは――
「ではせめて、靴をお返ししましょう」
あっさりと引き下がりました。
これには雪色の美女も真紅の双眸を軽く見開きましたが、
「結構よと言ったでしょう? 走るには向いてないのよ。
……でも、意外だわ。あの王子から何を言われたの?」
「自分の望むものすべてをわたしが用意出来ると、あの阿呆に思われたくないので」
「あの阿呆って……」
眉一つ動かさず主を阿呆呼ばわりした従者に、彼女が呆れを見せたのは、ほんの数秒。
「っ! じ、じゃあ、本当に帰るわよ⁉」
一一回目の鐘の音にはたと顔を上げ、そして警戒するようにハインリヒを睨め付けました。
彼女の正面に立っていたハインリヒは僅かに身を退き、素直に道を明け、更に一礼。
「気を付けてお帰り下さい」
「……そう」
彼女はやや戸惑いつつも、ドレスの裾をたくし上げて裸足で走り去って行きました。
ハインリヒは追いかける素振りもなく、彼女が残したガラスの靴を見て、小さく独り言ちます。
「さて……今回はあの阿呆をどう躾けたものでしょうね」
不敬な従者の呟きは、一二回目の鐘に掻き消されるだけ。
彼女に逃げられた(ことにした)従者を、案の定あの阿呆は詰りました。
ですが慣れっこのハインリヒは、無表情を崩さずに返します。
「お言葉ですが、王子。わたしにも出来ることと出来ないことがございます」
「えっ、そうなの?」
「『そうなの?』じゃねぇよ阿呆」
とうとう面と向かって阿呆呼ばわりした従者に、王子の美貌が不快そうに歪みます。
でも、精々それだけ。
これまでのハインリヒの“躾”の賜物です。
表情が歪んでも美しさは歪まない王子は、今回も溜息一つで諦めました。
ですが――露台へと出て夜空を見上げる憂いの表情が、彼女を諦めていないことを物語ります。
見上げられた夜空の星々が恥じ入って墜ちてしまいそうな、悩ましげな苦悩――今ここで王子を見ている唯一が考えるのは、ここにご婦人方がいたら失神者が続出して面倒だろうな、程度ですが。
「でも……困ったな。僕はもう、彼女以外は愛せない気がする」
「気のせいです」
「おいっ!」
「はて? わたしの記憶が確かなら、あなたが言う『君がいないと僕は生きていけない』を、これまで二八回ほど聞いているはずですが――ああ、因みに相手の女性一人に付き一回と単純計算しましたので、実際にはもっと沢山口にされているのでしょうが――
お元気そうで何より」
「そ、それはそれとして、だ!」
「っ⁉」
ハインリヒが思わず目を見開いたのは、王子が自棄になって叫んだためでは、断じてありません。
叫んだ刹那、王子の全身が奇妙な緑色の光に包まれてしまったのです――
そして。
「王子っ‼」
これでもハインリヒは王子の従者です。いきなり正体不明の光に包まれた主の傍へと急いで駆け寄ります。
謎の光は一瞬で消え失せたのですが、
「お……王子……?」
そこに王子の姿はありませんでした。ただ王子が立っていた場所に、豪奢な夜会服が落ちているだけ。
光が消えると同時に、王子の姿も――
突然の異常自体に愕然とするハインリヒでしたが、その漆黒の瞳が生き物の姿を捉えました。
それは衣服の下からもぞもぞと這い出して。
「……うう……は、ハインリヒ……」
揚げ句、弱々しい声でハインリヒを呼ぶ始末。
その情けない口調だけで、何故かハインリヒは理解してしまいました。
彼も彼で力なく膝を突くと、衣服に埋もれたそれ――金色の蛙を両手で掬い上げて、そして。
「……御冗談が過ぎますよ……王子……」
突然の出来事に茫然としてしまうハインリヒですが、こんな所で嘆いていても、何も解決しません。
ひとまず自分が今何をすべきか考える……のですが、ハインリヒのその思考は、いきなり降って来た莫迦笑いで邪魔されました。
訝り見上げれば、夜空に浮かぶ謎の人影。
「くはははは! いい様だな、おい‼」
暗くてよく見えませんが、魔法使いが好んで着るようなローブのシルエットは、ハインリヒにも確認出来ました。宵闇とそこに紛れる服の暗さゆえに、肌色の皙さが際立ちます。
そんな魔法使いっぽい色白不審者が、空中からハインリヒ……の手の中を見下ろして、嘲笑います。
――と言うことは。
「おいおい、おっかねー従者殿だなぁ。俺が何かって? そこの莫迦王子を蛙ちゃんにしたお茶目さんだぶぉうぇっ⁉」
語尾が可怪しいのは、笑う顔面にハインリヒが投げ付けたガラスの靴のせい。
咄嗟に手を翳して顔面衝突は免れた不審者ですが、
「動かないで下さい、王子」
「は、ハインリヒ……」
不審者がガラスの靴を受け止めた時にはもう、ハインリヒは露台の床に蟠る夜会服の上に蛙の王子をそっと置いていて。
そして素早く手摺に足をかけて鋭く跳躍、
「曲者を成敗して参ります」
「はっ、速……⁉」
中空に浮かぶ不審者の目前に迫ります。
ですが不審者は元々宙に浮くことが出来るのです。寸前で身を翻して拳を避けた不審者を、ハインリヒは落下しながら憎々しげに睨め付けて。……この視線だけで小動物位は殺せそうです。
主が蛙にされると言う異常事態で「とりあえず犯人殴っとけ」行動を取ったハインリヒに、不審者は顔を引き攣らせました。
「な……何だよ、こいつ……予想以上に規格外だな……」
悔しげに独り言ちましたが、庭園に着地したハインリヒが再び地面を蹴ったのを見て、身の危険を覚えたようです。
「こんな所に、もう用はねーんだよ!」
色々と浮いている不審者は捨て台詞のような怒声を一つ、夜空の向こうへと飛び去って行きました。
更新ペースは遅いです。