番外編 潜ム里
「隠れ里?」
天狗が訝しげに声を上げる。
「そう、隠れ里。それが、今このあたりに来てるんだって」
杉の木の上。
そこで、マツリが微笑みながら答える。
枝にぶら下がる天狗は、ふん、と鼻を鳴らす。
「隠れ里、ねえ。人が夢に見る幻想郷だと聞くが」
隠れ里。
そこは、争いとは無縁、 暄暖な気候の土地柄な理想郷だと言われている。
「でも、隠れ里は、里の外とは違う時間が流れてて、普通の人は入れないの」
「そうなのか」
「うん、入口を見つけられないから」
マツリが自慢げに笑う。
「隠れ里が来てるってのは、どう言う意味だ?」
「隠れ里はね、『村』の付喪神なの。各地を転々として、旅をしてるんだよ」
「村の?」
うん、村の。
と、マツリは鼻を鳴らした。
「そもそも、付喪神ってのは何だ?」
「うーん、わかんない。100年使われた物に宿るって、よく言われてるけど、それは人間の解釈だからねー」
首を捻る少女を見て、天狗は面を少しずらす。
「お前でも分からないのか」
「別に、私はなんでも知ってる神様じゃあないからね。それに、私まだ7つだし」
そうだったのか、なんて言って、天狗は面を戻した。
「それで、隠れ里がどうしたんだ?」
「ああ、そうだった。もしかしたら、隠れ里に会えるかもしれないから、少しここで待ってて」
「ここに来るのか?」
「もしかしたら」
「そうかい」
それきり二人は黙り込んで、しばらく空を眺めていた。
半刻ほど過ぎた時だった。
「来たよ、天狗」
マツリに声をかけられ首を回すと、見知った風景は消えていた。
天狗の視界を覆ったのは、見たことのない光景。
石のような素材でできた、大量の巨大な直方体。
それは、いたるところから光を放ち、あたりを照らしていた。
眼下には、見たことのない服を着た人々。
そして、高速で走る、鉄でできた牛車のようなもの。
それぞれが、どこか無機質な光を放っていた。
「…………うっ」
そして、息の詰まるような、生温い空気。
それはとても自然のものと思えなくて、こんな空気を吸っている周りの人間がおかしいのではないかと感じるほどだった。
「天狗、天狗」
気付けば、その不気味な景色は消え、変わりに見慣れた風景が目に映った。
いつの間にか、社の付近は暗くなり、空を天の川が流れていた。
「どうだった?隠れ里の光景は」
マツリがニヤつきながら尋ねた。
「最悪だな。理想郷なんてどうかしてる」
「だね。私もここの方がいい」
「あれは何だ?」
天狗は深呼吸をし、吸いなれた空気を取り込んでいた。
「分からない。隠れ里の本体は、別の世界とか、未来とかにあるって言われてるけど」
実際に行った人に聞かないとね。
少女はそう言って、杉の木の中に歩き出した。
「疲れちゃった。もう寝るね?」
「ああ、お休み」
天狗は一人で、杉の木から空を見上げていた。
思えば、隠れ里の空はこんなに綺麗ではなかった。
「あんな理想郷ってのは、懲り懲りだな」
耳を澄ますと、社の主が自分を呼ぶ声が聞こえる。
「天狗ちゃーん、おーい。もう、どこ行ったの。折角美味しい果物が採れたのに」
天狗は伸びをすると、杉の木から降りた。
「今行く!」