願ヒハ
名ノ神。
ヨカは、自身をそう言い表した。
「聞いたことないでしょ?まあ仕方ないんだけど」
知名度低いからね、と彼女は笑っていた。
訪問者の女性は、今にも潰れそうな社の中で、中身がほとんど無い座布団に座していた。
外を見れば、空は橙に染まり、夕闇が辺りの草木を呑んでいる。
仄暗い社の中で、女性は先程ヨカに言われたことを思い出していた。
「何も言わなくていいよ、『秩父のお嬢さん』。あなたの願い事はもう分かってる。用意するから、一刻ほどここで待ってて」
女性は、ヨカに名乗った覚えもないし、親族にこんな女性がいるとは聞いていない。
しかし、問おうとしたところ、ヨカは天狗やマツリ、バクを従えて社の奥に消えてしまった。
仕方なく、女性は指示通り社で待つことにした。
見渡すと、社の中にはかなり物が散乱している。
下駄に巻物、火のついていない行灯に、鞘の無い剥き身の刀ーーーー
「……………汚いな」
女性は、何の気なしにそう言った。
すると、
「失敬だな、人よ。文句なら主に言うがよい」
目を上げると、顔に本を模した面をつけた、小柄な女がいた。
それも、女性のすぐ目の前を、逆さになって浮いているのだ。
「…………いっ………!!!?」
「我等とて好きで散らかっているのではない。主の使い方が悪いのだ」
「そのあたりにしておいてください」
今度は、先程まで下駄があった場所から、年老いた男性の声。
見ると、背の高い老人が、困ったように首をひねっていた。
「お嬢の陰口は良くありませんぞ」
「わかってるよ、ギョウ」
浮いている女は、音もなく着地すると、
「我は書の付喪神。名をロク。覚えるがよい」
抑揚のない声で言った。
「私はギョウと申します。以後お見知りおきを」
続いて、今度は老人が穏やかな口調でお辞儀する。
一方、女性は口を開けたまま、黙り込んでしまっていた。
「…………あ、あなたたちは一体……」
「言っただろう、付喪神と。我らはお主とは違う存在なのだ」
ロクは欠伸のような動作をすると、女性を指さしてこう言った。
「お主の望みも、主に願えばきっと叶うだろう。今は待つがよい。さすれば、お主の道は開けるだろう」
女性はその言葉に身を震わせ、
「本当に」
消え入りそうな声で言った。
「本当に、私の願い事は、叶うのか?」
「もちろんですとも」
老人が、髭を撫でながら微笑んだ。
「何もかも、私達と『名ノ神』様にお任せください。きっと、あなたを変えてくれるでしょう」