物ニ宿ル
女性が湯浴みをしている間、天狗は社のすぐそばに立っている、巨大な杉の木の枝にぶら下がっていた。
来るはずのない客を迎えるために。
「どうせ来ないんだから、いても仕方ないと思うけど」
天狗は杉の木に語りかける。
「こんな山奥に、それも変な噂が立ってる社に、人が来るはずがない。そうだろ?」
「まあ、そう決めつけずに、気長にね?」
すると、杉の木から返答があった。
木の幹から、白装束が印象的な少女が出てきたのだ。
「というか、主人が決めたことだし、言っても聞かないよ」
「………それもそうだな」
少女の名はマツリ。
杉の木に宿った「人間」だと、天狗は聞いている。
マツリ曰く、自分はこの土地の守り神だとか。
マツリは短い髪を揺らしながら、枝にぶら下がる天狗を見上げる。
「まあ、話相手なら私とバクが付き合うよ。ね?」
「承った」
今度は、杉の木に巻き付いていた、蔦か縄か判別のつかないものが声を発した。
それはたちまち人の形になって、木の幹に体を預ける。
それは男の姿だったが、人にしては奇怪だった。
顔を除く左半身が、縄で覆われているのだ。
男は気だるげに口を開く。
「マツリ殿の言葉ならば、よろこんで」
「珍しいな、バク。お前も話相手になるのか」
バクと呼ばれた男は、失敬な、と呟いて腕を組んだ。
「天狗殿の話相手になることなど、我等付喪神には雑作もないことである」
「そうかい」
このバクという男と、下駄から変化したギョウは、付喪神というらしい。
詳しいことは天狗は知らないが、縁あって社の主に世話になっているようだ。
「じゃあ、バク。今日は客が来ると思うか?」
「来ない」
「………だろうな」
「こんな不気味な場所に来るものなど、余程の阿呆でない限り来るはずがない」
だな、と天狗が言って、枝から飛び降りた時だった。
「残念ながら、その余程の阿呆が来たみたいだよ」
マツリが、不意にそんなことを言った。
「え?」
「お客様みたい。ほら、あそこに」
マツリが指さした方向に目を向けると、果たしてそこには、一人の女性が立っていた。
その女性は、何か小さな声で呟いた後ーーー
「たのもーーー!!!」
そんな、男らしい掛け声と共に、ぼろぼろだった社の引き戸を蹴破った。