ヤンデレ気味な俺と彼女の小話
僕を愛してくれないなら、いっそ殺してしまおうか。
当時の俺はそんな風に全力で思えるほどの愚か者で、強いて言うならば、どうしようもなく狂っていた。彼女が転校していなければ、きっと俺は実際に行動に移していたかもしれないし、友人が俺を止めてくれなければ、俺はこの世に既にいなかったかもしれない。それほどに、当時の俺は、彼女に恋することに病んでいたために、人としては酷く有害な存在になっていた。今でも、彼女のことを思い出すと、胸が痛むが、しかし俺にはそんな風に思う資格などないのだ。今、俺が彼女に言う言葉があるとしたら、それは謝罪の言葉以外の何者でもないのだから。あの頃のことを思い出すと、羞恥に悶えたくなる。俺にとっては黒歴史であり、消し去りたい過去のひとつであり、綴ることすら憚れる、そんな日々を過ごしていたからである。今の俺のクリーンな日常があるのは、転校した彼女のお陰であり、俺を支えてくれた友人のお陰である。だからこそ、俺は、再び彼女にあったとき、その時こそは、優しくしなければならないと思っている。勿論、俺がそんなことを思い行動に移したとしても、今更で、手遅れ以外の何者でもないだろうが。
――――
「転校生が来るらしいぜ? 仕善」
「それは、本当か? 凍」
俺の真向かいの席に座り込みこちらを向いている少年、日比谷凍はコミュ症な俺にそう話題をふってくる。俺を思い止まらせた人間の一人で俺の友人であり、小学校の頃からずっと同じクラスの腐れ縁ってやつだ。そして、何を隠そうこいつは容姿、成績、部活動、人徳とすべてが高い水準で揃っており、才能の塊なのである。俺だって、スペックだけならば、張り合えないことはないかもしれないが、人徳の部分で大きく敗北している。そして、過去成してきた出来事というか点でも俺は大きく負けているし、その点においては俺は一生彼に叶うことはないだろう。
「本当、本当。なんたって溶火から聞いたんだから」
溶火、と言うのは俺の唯一と言っても過言ではない女子の友人である。凍と一緒にかつての俺を止めてくれた友人で、独自の情報網を持つ、情報通な女子である。凍とは幼馴染みで、端から見れば両思い――多分本人たちも気がついているだろうに口にしないのは、どちらも少しばかりプライドが高いからか。告白した方が負けみたいな雰囲気を醸し出している。まぁ、付き合ってはいないけれど、二人でいるときのあの空気の中に入れる人間なんて、空気読めないやつか、その空気をぶち壊そうと企む奴ぐらいだろう。無論、俺ごとき小市民に、そんなことはできない。
「それで、だ、仕善。その転校生なんだが、なんと女子らしいんだ」
「――ふーん。それで? それがどうかしたのか?」
「まぁ、お前のことだからそんな反応だとは思ってたけどよ」
「この時期に転校生というのは気になるけどな」
俺は、転校生などに興味はない。昔の出来事より俺は恋も愛も恋愛もしないと決めた。生涯独身を、貫くとあのとき決めた。気になるのは六月というこんな中途半端な時期であるということだ。それ以外は興味がない。だから、俺には女子の転校生など関係ない――。
「例えそれが、どれ程美少女だろうと」
「口に出てるぞ……。いや、でも名前聞いたら驚くんじゃないかな?」
どうも、ニヤニヤとした友人のその笑いに俺は動揺というか不安を隠せない。嫌な予感が頭をよぎる。そして、嫌な予感というのはえてして当たってしまうものだ。彼がその名前を告げたとき、俺はその耳を疑った。
「転校生の名前は、哀原 鈴。お前の初恋の人にして、お前の最愛の人――なんだろう?」
一秒が一分に、一分が一時間に感じられるほど、俺の感覚は麻痺した。その名前に絶句し、言葉を返せず、俺はただ口を開けたり閉めたりするだけで、沈黙を守ることしか出来なかった。
「嘘……だろ……?」
俺の口をついて出た言葉は、否定の言葉だった。凍から聞かされたその名前は、俺のかつての思い人であり、俺が心に決めた最愛の人。そして、俺が傷付けてしまった人。だから、たとえ溶夏から届けられた、信憑性の高い情報であっても、俺はそれを信じることができない。何故なら、俺は、彼女に嫌われているのだから――。
――――
「お前らー、席につけよ」
朝のホームルームを告げるチャイムがなり、教師が教室に入ってくる。俺は、朝の情報をいまだに信じれずに居た。やはり、彼女が転校してくるなど、どう考えたってあり得ない。俺が、彼女を転校へと追いやったようなものなのだ。俺を嫌っている彼女が、俺のいる学校に戻ってくるわけがない。溶夏の情報だって時には間違うんだ。
「今日は転校生を紹介する、入ってきなさい、哀原 鈴さん」
「……っ!?」
言葉にならない声があがりそうになるのを飲み込む。まだ、彼女と決まったわけじゃない。同性同名なんて数多く存在する。その中の一人に決まっている。そして、鈴と呼ばれた少女は、扉を開けて入ってくる。その扉から現れたのは、長く艶やかな黒髪に、整った顔立ち。目は大きく二重で、鼻筋も整っており、ふっくらとした唇。そして――昔と、何一つ変わらない、薄白い、肌。なにより、俺が別れ際にあげた花の髪留めがそれを物語っている。つまり、そこに現れたのは、そこに居たのは、俺のよく知る人物。他ならぬ、哀原 鈴そのものだった――。
――――
何も知らず転校してきたはずなどない。何故なら、俺の情報の一部は溶夏が彼女に知らせているのだから。教室が騒々しくなっても、俺は身動ぎ一つとれず固まって居たと思う。それほどに衝撃を受けた。たとえ、それが事前に知らされていたとしても。だからこそ、彼女がこちらを向いたとき、俺は彼女のその黒い瞳から逃れられなかった。何故、俺の方を向いたのか、それは俺にも分からない。けれど、俺のことを嫌っている彼女が、こちらを向くというのは、少し信じがたかった。その上、こちらを向いて、昔と何一つ変わらない笑顔を向けられただけで、俺は気絶しそうになる。それは、その笑顔をもう一度見られたという、嬉しさと、かつての俺はこんな笑顔を失わせてしまっていたのかという、余りにも今さら過ぎる罪悪感からだった。
――こちらに笑顔?
彼女の笑顔にやられて、数秒程度、思考を放棄していたが、やがて脳が正常な活動を取り戻すと同時に、それがいかに異常な出来事であるかに気が付いた。その笑顔は、俺にだけは向けられることのないものであるはず。俺の犯した過ちはそれほどに重く、深い。
「じゃあ、自己紹介してくれるかな」
「――はい」
彼女の口から出てきた言葉は、ただの返事であったが、しかし、その言葉に含まれた重みは普通ではなかった。騒がしかった教室もいつのまにか静かになり、彼女の次の言葉を待っていた。
「名前は、哀原 鈴。一年間よろしくお願いします。」
凛としたよく響く、さながら清んだ川のごとく綺麗な声で、彼女はあっけなく、誰もが唖然とするような早さで、転校生恒例の質問タイムすら与えることなく、言い切った。それはまるで、何も聞かれたくないし答えたくないという拒絶の表れのようだった。教師としても、予想外だったのだろう。だが、ベテランの教師であるためか、慌てながらも、彼女に席の場所を教え、教卓の上にたち、先程の出来事がなかったかのように振る舞う。 俺も、出来るだけ平常心を装うとした。したのだが。
――――彼女が俺の隣の席になるというのは、一体どこのラブコメだ。
もし、これが運命の神様ってやつの悪戯なんだとしたら随分と性格が悪いと見える。他人の心の傷口抉って楽しいかよ。彼女にとっても、俺にとってもきっとそうだ。いや、俺だけなら別に構わないのだ。過去俺が犯した過ち、と言うのは償えるものではないのだから。けれど、彼女はどうか、幸せにしてやってくれ。俺は切にそう思う。
――――
彼女が一歩ずつ近づいてくる。それは、俺にとっては死刑宣告にも似たようなものだったが、俺が今、この席を立てば不要な注目を浴びるし、彼女の印象にとってもそれはあまりよくないだろう。彼女に話しかけられても、あくまでも淡白に。俺が二度と彼女に依存しないように、心掛けなければ。そうしなければ、俺はまた同じ過ちを繰り返す。それだけは勘弁だ。彼女の傷ついた顔なんて、見たくない。俺が傷付くのは構わない。むしろ彼女が傷付かないのならいくらだって傷つけてくれていい。だから、彼女を傷つけるのはやめてくれ。
「……」
やがて、足音が聞こえなくなり、彼女が立ち止まる。俺が視線を向けると、そこには俺を見下ろす彼女が存在していた。やはり、俺の横など嫌なのだろう。俺は黙って席を離そうとする。先生に全ての事情を話せば俺が席の場所を誰かと交換するのを了承してくれるだろう。だが、事情を話されることは彼女にとっても余り知られたくない出来事のはずだ。過去の傷口を抉るようなものだからな。だから、俺は席を離そうとした。
「……そのままでいい」
微かに聞こえるか聞こえないかぐらいの声で彼女は呟く。俺は、その言葉を聞き入れたとき、ただ純粋に驚いた。思考が働かなくなって、席を動かそうとしていたことを放棄する。俺自身、それが俺にとって良くないことだと気が付いているが、それに甘えようとしている自分がいる。結局、俺は自分に甘いだけの奴だ。だから、席だって離そうとすることしか出来なかった。俺は、俺の隣の席につく元幼馴染みの横顔を眺めながら、自分の弱さに自分を心底殴りたくなった。
――――
隣の席が彼女で授業に集中などできるはずもなく、俺は彼女に教科書を貸して眠っていた。実際、それ以外の行動をとりようがないのだ。彼女の方を見てもよいのか、彼女と話してもよいのか。もしかしたら、許されているかもなんて考えは当の昔に捨てている。殺人未遂なのだ。あのときの行動に移さなかったというだけで。あのときに、凍と溶火がいなければ殺していたかもしれない。異常な愛情を持って接していたのだ。あのときの俺は。だから、俺は、そんな望みを持つのがおこがましいほど、自分の情けなさを知っている。それなのに、どうして。
「哀原、帰ろう」
放課後、教室に残るのは、俺と彼女だけ。何故か、彼女は最後まで残っていた。俺は、凍に押し付けられた形で教室の鍵を返さなければならなくなったので、最後まで残ることにしていた。誰かに託してもいいが、そいつが鍵閉めるの忘れてた時は俺の責任になるからな。というわけで、俺は凍に鍵を押し付けられた時は最後まで残ることにしている。教室には夕日が射しており、カーテンのオレンジと同じぐらい床が赤く染まる。彼女は俺を見たのち、教室の後ろに扉の鍵をかけ、俺の方へと近寄ってくる。そして、俺の胸元まで迫ると、俺を下から見上げる。俺はその行動の意図が掴まない。さらに言うと、初恋の人が近くに居て、心臓がヤバイ。自分の感情を自分で止めることはできず、心臓の鼓動が跳ね上がる。このままだと、昔のようになりそうなので、距離をとろうと後ろに下がる。
「っ!?」
後ろに下がった俺についてこようとした、彼女は何もないところで躓き、こけそうになる。俺は、慌てて距離を詰め彼女を抱き止める。昔と変わらない柔らかさに、理性が吹き飛びそうになるが、なんとか耐える。
「大丈夫か?哀原」
俺が彼女をそう呼ぶと、彼女は悲しそうに顔を振り、目に涙を溜める。そして俺に抱き止められた意を決したように顔を上げる。
「私のことは、昔みたいに鈴って呼んで」
「えっぇぇぇ!?」
俺は動揺の余り、大声で叫ぶ。彼女は、そんな俺を見て、そう言えばと前置きをして、その顔に暗い笑みを浮かべ口を開く。
「ねぇ、仕善。今日、私が他の男子と話しているとき、興味無さそうに窓の外見てたよね?なんで?私のこと好きじゃなかったの?それに、なんで私の名前、哀原って呼ぶの?ねぇ、なんで?私のこと嫌いなの?別れるときに、あれだけ好きそうに振る舞って置いて、私のことを捨てるの?私、今でもあのときの仕善の求愛行動を覚えていると言うのに、仕善は忘れてしまったの?私は仕善に捨てられたら、いく場所ないのに捨てるの?私なんて要らないの?」
わーお。和解できそうにない。などとふざけている場合ではなく、本当にヤバイ。これは、過去の俺を見ているようである。大丈夫、少しずつ理解すればいい。まず、彼女は俺に捨てられたと思っている。これが勘違いの元である。そもそも俺は鈴のことが好きで好きで堪らないのだ。それこそ、今の彼女だって受け入れられるぐらいには。そもそも、ヒステリックになっていないヤンデレはまだ大丈夫だ。人殺しまでは出来ない。情報元は俺。
「あー。安心してくれ、鈴。俺はお前を嫌いになったりはしない。なるはずがない。けど、お前に好きって言われたら、俺は昔みたいになりそうで恐いんだ。お前を傷つけそうで」
心から、そう思う。むしろ、こうなるぐらいなら、嫌ってくれていた方がよかったかもしれない。この状態で裏切られたら、俺は確実に彼女を殺す。誰にも止められないほどの歪んだ愛情を持って殺す。それぐらいは理解できている。けれど彼女は、そんな俺の心を乗り越えてくる。
「見て仕善、この傷。前の高校で虐められて出来たんだ」
「……っ」
彼女は、制服の端を持って捲り、俺にお腹を見せる。そこには痛々しい、傷のあとが残されている。見ているだけで、不快になるようなそんな傷。つけたやつを殺したくなる。
「この傷を見て、そんな顔をしてくれる仕善だからこそ、私は自信を持って言えるんだよ。
――私は仕善のことが好きだって」
まだ、転校初日なのに、彼女は俺に告白をした。してくれた。好きだった子に告白された。こんな時、どうすればいい。考えても答えは出ない。元より、彼女が関わっている時点で俺の思考回路が他人と少し違うのは分かりきっていることだ。それに、幼馴染みなんだし。何より、昔のことを許してくれると言っているのだ。いや、それは間違いなのかもしれない。きっと間違いなのだ。学校で虐められてて、転校してきて、異常な愛情を植え付けた俺に依存しているだけなのだろう彼女は。けれど、それでも俺は。
「勿論。俺は、お前と付き合う。どこまでも」
自分にどこまでも甘い俺は、それを無視して返事する。
――――
既に辺りは暗くなっている。彼女と話している間にだいぶ時間が過ぎてしまったようだ。彼女と共に教室の外へと出ようとする。
「よっ」
教室を出ようとした、その時俺と鈴に声がかけられる。その声は、俺のよく知る人物、凍のものだった。まるで、俺たちが出てくるのを見計らったようなタイミングで――
「ってまさか!?」
「そ、そのまさかだよ。俺と溶火が鈴をお前にけしかけた」
「なんでそんなことするんだよ……!?」
訳が分からない。こいつは、鈴の件に関しては俺の敵のはずだ。というか、俺がそう頼んだのだ。だから、凍が俺に鈴をけしかけるというのは理解しがたいことなのだ。理解できない。こいつがそそのかしたから、鈴は俺に依存するような状態なのかっ!
「おいおい、勘違いするなよ。けしかけたのは俺だが、後押ししたのは俺達だが、相談してきたのは、鈴だ。最終決定も全て鈴が決めた。念のために何度も止めるか?と聞いたが、鈴は首を縦には振らなかった――つまり、そういうことだよ。仕善」
「……そ、そうなのか、鈴」
「うん」
彼女が自分の意思で全てを決めた?俺に告白することも、依存していることも?だったら、だったら彼女は本当に俺のことを――
「好きだよ。仕善。心のそこから愛してる」
そうやって呟く彼女は、誰よりもいとおしく、可愛らしく、歪んでいるからこそ、綺麗に見えた。そんな俺は、相当歪んでいるのかもしれない。けれど、彼女が幸せならばそれで構わない。
――――
「はぁー、ついに善まで彼女持ちかーー」
感慨深そうにそう呟くのは、星枷溶火。凍の将来の彼女だ。俺のことを善と呼ぶ。久しぶりに、三人で帰ろうと思ったら、校門の前で待っていた。恐らく凍待ちだろう。凍は、俺達が後押ししたと言っていたし、彼女もこの件に絡んでいるのだろうが、聞こうとは思わない。
「ふっふっふ、溶火、俺とどっちが先に相手を作れるか、勝負するか?」
凍は、不敵な笑みを浮かべて、溶火に勝負を挑む。無駄なことを……と思わないでもないが、面白そうなので傍観することにする。さーて、どうなることやら。俺は、鈴に喋らないようにサインを送る。彼女も理解してくれたようで、頷く。物分かりの良さも昔から変わらないのな。
「あら、凍、それ本気で言ってるの?」
「あぁ、本気だぜ?何なら、勝った方がなんでも一つ言うこと聞くってのでもいいぞ」
「へー。なら、残念だけれど、言うことは聞かせられないわね。」
「はぁ?何言って――むぐぅ」
何が起きたのか説明すると、いきなり立ち止まった溶火が振り返って、凍の唇を奪った。それを見た鈴が俺の腕に抱きついた。そして、溶火には捕捉説明が必要のようだ。星枷溶火、凍の彼女にして、将来の奥さん。凍から唇を離した彼は不敵に笑う。
「だって、これで勝負は引き分けだからね」
「なぁ、鈴。俺ら邪魔じゃね?」
「そう、ね。」
俺が必死に鈴を引き剥がそうとしている間に、終わっていた。畜生、なんか見ときたかったのに。まぁ、ここでその事を突っ込むのも野暮ってやつかなと思い、鈴の手を引いて俺は、昔みたいに一緒に走り出した。空には、月が輝いていて、俺と鈴の仲直りを祝福してくれているようだった。俺はいつか、彼女に依存せずに愛すると心に誓った。
勢い余って投稿。
けれど、これで本当に小説の体を成しているのだろうか……?
ジャンル道理だなぁと思っていただけたら幸いです。