三話 幸運と空中庭園
のっぺりとした白い空間でIDとパスワードを入力してログイン。
その後ウィンドウの開き方やアイテムの使い方等のチュートリアルがちょっと昔にネットを席巻したネギを持った歌姫によく似ている合成音声で開始。
一通りマネキンのような体で動きを覚えると、今度は目の前に可愛らしい女の子が現れた。
腰まである黒いストレートの髪、くるっとした黒い目。ただし耳は長く尖って先端に黒い鱗があり、腰から生えるしなやかな尻尾も同様に黒い鱗に覆われている。背中にはこれまた真っ黒な翼がたたまれていて、黒に白いラインの入ったシンプルなワンピースをまとい、どこか人形のような雰囲気を持つ身長は、確実に私より頭一つ分は低い。
どこかで見たような、と思いかけ、すぐさま思い出した。
彼女はfortuna。愛称をフォーといい、『Free to There』での私の分身である。
希望すればキャラ画が付いてくる、と言う事でさっそく申し込んだら、「本当に無料で受け取れんのコレ!?」と思わず驚愕した繊細にして可憐な画。その通りの相手が現実としか思えない精緻さで目の前に居るというのは、VRに対する色々な不安をぬぐいさってお釣りがきた。
自分の分身だった姿に思わず見惚れていると、りりん、と鈴のような音がしてウィンドウが目の前に開く。
『キャラの名前を変更するとボーナスが付加される可能性があります。キャラの名前を変更しますか?(ボーナスの付加は現在のステータスに加算される形となります)』
これは『Free to There』に入れられている力が半端ではないと実感したシステムだ。……実際の所、自分の分身がフォーに決まるまで何回やり直した事か。シンプルな名前の方がボーナスが良いと気付くまでかなりかかった。
システム文の下に表示されている、現在はfortunaとなっている入力窓をしばらく睨む。……正直に言って、かなり迷った。
ボーナスの付加というが、実際はユニークを含めた全スキルからランダムに与えられるものであって、中にはゲーム内時間で日中に行動できない、とかいうマイナススキルも含まれる。
現在、というか、『Free to There』でフォーはそこそこ強くらいには強くなっていたから、行動制限系のマイナススキルで無い限りは大抵なんとかできる、とは、思うのだが……
『キャラの名前を“Luck”に変更しました』
悩みに悩んだ末、私は名前をラテン語から英語へと変更した。その意味は“幸運”。大当たり中の大当たりを引いたフォーと同じ意味の名前なら、そこまで悪い結果にはならないだろうと考えて、ボーナスの誘惑に負けた。
『ようこそ『Fragment of "The World"』へ。ゆっくりしていってね!』
どう考えても狙っているセリフが文字列で踊り、私の意識はホワイトアウトした。
白さが収まって視界に広がったのは、どこまでも突き抜けるような青だった。
風が耳元を吹き抜けていく。あまりに鮮やか過ぎて、その青が快晴の空だと気付くまでにしばらくかかった。視界の端を何か白い塊が掠めていった。……雲?
そしてようやく、私は自分のいる場所がおかしいことに気がついた。
「って何で空中に放り出されてんのぉおおおおおおおおお!?」
妙に体が軽いとは思ったけど! 風の音がやけにうるさいとも思ったけど! チュートリアルでは『始まりの町』の広場に転送されるって説明だったのに!?
今までの人生で一番叫びながら、上下も分からず落ちること数秒。唐突に背中に衝撃が来た。どふん、というクッションか何かの上に落ちたような感触に、とりあえず落下が終わったと思ってひとまず息をつく。
「あーびっくりしたああぁっ!?」
その途中でずるりとすべる感触がして再び落下。1秒後、ばっしゃーん! と派手に水しぶきがあがった。
……どうしてログイン早々こんな目に。とか思いながらぷかりとその場で浮いてみる。やはりゲームなのか水が目にしみることはなく、音と水の流れから噴水らしいこの場所の底を眺めていた。水中効果のせいかややぼやけているが、澄んだ水の下にあるのは美しい模様。
しばらく眺めていると、どーにもその模様に見覚えがある気がしてきた。パニックだった頭も文字通り冷やされて落ち着いてきたのもあって、とりあえず現在位置を確認することにして縁らしいところまで泳ぐ。
ザバッ、と音を立てて水から上がり、長い髪を絞って水を落としてから、後ろを振り向いた。
目の前にあったのは澄んだ水を噴き上げて落とす白い石でできた巨大な噴水。大小ある噴き上げ口から出てくる水が幾重にも虹を作り、噴水そのものに施された文字列のような彫刻とあわせて非常に美しい。
その周囲に広がるのは様々な花が咲き乱れる広い庭園。300人位パーティで入ったとしても余裕なくらいの広さがある。
そしてその向こうには、空を背景として中世風のお城が建っていた。何と言うか、RPGで定番の、尖塔が3つとそれより低い天蓋が丸くなっている塔が2つ、色は全体に白、まぶしすぎない程度に金が使われている……という、絵に描いたような『お城』だ。
周りを見回して、お城から3mはある石造りの柵が伸び、ぐるりと庭園を囲んでいることと、その柵の向こうにはどこまでも青い空と白い雲海しか見えないことを確認して、私は思わず納得の声をこぼした。
「…………あー、なるほど」
この空中庭園はギルド『ミスラの庭』、その本拠地として作られた美しい要塞だ。ミスラ、とは世界中の様々な神話に登場する英雄神で、本来の姿は契約と友愛を司る中性神だが、後々に真実の守護者、太陽神、軍神、司法神、豊穣神ともはや何でもありになった人気神である。
ちなみに、このギルドで冠している“ミスラ”は契約を司り、真実と太陽に強い関係を持っている、ということになっている。
なおこの本拠地設立当時のギルドマスターは「太陽神なのだから空中に浮かべよう!」という理由で難解極まるクエストをギルドメンバーを巻き込んで半ば強引にクリア、その他の必要材料もメンバーが泣きを入れるほどレアなものを取り揃えて建造したという逸話がある。あの時は本当に苦労した。
……まぁ、そのギルドマスターも現在はどこで何をしているのか分からない。現在このギルドに所属しこの本拠地を利用するのは、私だけなのだから。
「……しかしサービス終了からリアル1ヶ月経ってるし、維持費とか大丈夫なんだろーか」
ちょっとしんみりした気分を、声を出して吹き払う。本拠地の維持にはプレイヤーが所有する『町』で得ることができる特定の材料と、その本拠地ごとの特性によって異なる固有のモンスター素材が必要となる。
サービスが終わるなら持っていても仕方がない、と、あの時点で手持ちの分を全部こちらの倉庫に突っ込んでおいたし、ギルドを辞めると同時に引退した元メンバーがほとんど全財産を倉庫に入れて行ってくれたから、1ヶ月といわず半年くらいなら余裕で大丈夫な量が貯まっている筈。
とはいえ、確認しておくに越したことはない。
勝手知ったる神の庭を、私は城へと駆け出した。
タイトルの意味はコレです。