第3話『四人目は道端で寝ていました』
着任して、三日が過ぎた。
屋敷は、見違えるほど人の住まいらしくなっていた。床は磨かれ、窓は光を通し、井戸の水は相変わらず甘い。庭はもう少し落ち着いてくれてもいいと思うが、シルヴィアが世話をするたび元気になるので、これは諦めた。
午後のひと仕事を終えて、私たちは縁側に並んだ。お茶を淹れるのは、いつのまにか私の役目になっていた。甘い井戸水で淹れた茶は、我ながらよく出来ていると思う。リリーは縁側に足を投げ出してくつろぎ、シルヴィアは膝に焼き菓子の皿を乗せて、ふたつ目に手を伸ばしている。
働いて、お茶を飲んで、その日あったことをぽつぽつ話す。たった三日で、もうこの時間が、屋敷のいちばん心地よい区切りになっていた。
——ただ、ひとつだけ、気がかりがあった。
「四人目、まだ来ませんね」
私が言うと、リリーが湯呑みを片手に首をかしげた。
「ほんとだ。求人、四人募集だったよね? 道に迷ってんのかな?」
「あるいは、来るのをやめてしまったか」
「あらあら。それは寂しいですねぇ」
三人で、村へ続く一本道のほうを眺める。誰も、来ない。
考えていても始まらない。私は湯呑みを置いて立ち上がった。
「探しに行きましょう。途中で行き倒れていたら大変です」
「よっしゃ、あたしも行く!」
「わたしもご一緒しますねぇ」
こうして私たちは、まだ見ぬ四人目を探して、村へ続く道を下っていったのだった。
◇
丘を下りる道は、午後の日射しでのどかに乾いていた。両脇には背の高い夏草が茂り、風が渡るたび、さわさわと波打つ。辺境とはいえ、こうして歩いてみれば、悪くない景色だ。
「四人目って、どんな子だろうね!」
リリーが両手を頭の後ろで組んで、軽い足取りで言う。
「あたしらみたいに、なんかやらかして来た子なのかな?」
「さあ。手紙のやりとりしか、私も知りませんから」
「あらあら、楽しみですねぇ。早く会えるといいのですけど」
道に迷ってうろうろしているのか、それとも、村の宿屋ででも休んでいるのか。あれこれ想像しながら、私たちは一本道を下っていく。すれ違う人影もない、静かな道だった。
——その四人目は、本当に行き倒れていた。
道のなかば。
木陰になった路肩で、人がひとり、倒れている。
藤色の髪をした、ほっそりした女の子。
荷物を枕に、ぴくりとも動かない。
「えっ、ちょっと!? 大丈夫!?」
リリーが真っ先に駆け寄った。私とシルヴィアも血の気が引いて、慌ててあとを追う。
行き倒れ。最悪の想像が頭をよぎった。
「しっかりしてください! ねえ——」
私が肩を揺すろうとした、そのとき。
「……んっ」
女の子が、もぞ、と寝返りを打った。そして、心底気持ちよさそうに、すぅ、と寝息を立てた。
「…………」
「…………」
「…………」
三人で、顔を見合わせた。
行き倒れ、ではなかった。
ただ、爆睡していただけだった。
「ね……寝てる……こんな道のど真ん中で……?」
リリーが脱力した。
「揺すっても起きませんね」
私はもう一度、肩を揺すってみた。
「もし。もし、起きてください」
「……んっ……あと五分……」
「五分後にまた寝るパターンですね、これは」
数分の格闘の末、女の子はようやく半分だけ目を開けた。
眠たげな半目のまま、私たちをぼんやり見上げる。
「……だれ?」
「こちらのセリフです。あなた、こんなところで寝ていたら危ないですよ」
「……ねむ」
会話になっていない。
◇
それでもなんとか聞き出したところ、彼女はやはり、私たちの探していた四人目だった。
「ネル……あのお屋敷の、求人で……歩いてたら、疲れて。ちょっと休憩しようと思って……そのまま、寝てた」
「丸一日くらい寝ていそうな寝顔でしたが」
「うん。たぶん、寝てた」
悪びれもしない。リリーが「すげー」と感心とも呆れともつかない声を出した。
「ねえねえ、ネルもさ、なんかやらかして来た口? あたしらみんなそうなんだけど」
ネルは、のっそりと身を起こして、ショールを肩にかけ直した。
「……んー。わたし、鎮めるのが、得意」
「鎮める?」
「うん。荒れてるものを、休ませる感じ。嵐とか、川とか……怒ってる人とか。国境で、両方の軍隊が喧嘩してたから……鎮めてあげたの」
「ほう」
なんだか、まともそうな話だ。聖女らしい仕事ではないか。私が少し見直しかけた、そのとき。
「そしたら、両軍まるごと、三日くらい寝ちゃって」
「…………はい?」
「兵隊さんも、指揮官も、ぜんぶ。みんな疲れてたんだと思う。寝かせてあげれば、直るし」
「両軍を、三日」
「うん。起きたらみんな機嫌よくなってたよ。喧嘩もやめてた」
たしかに、丸く収まってはいる。収まってはいるが。
「……それで、追放を?」
「追放っていうか……気づいたら、わたしのこと、いないことになってた。まあ、いっか、と思って」
まあ、いっか、で片づく話ではない。
鐘楼を吹き飛ばす子。王城を森にする子。そして、両軍を三日寝かせる子。
私はそっと胃のあたりを押さえた。なぜだろう。まだ何も起きていないのに、すでに胃が痛い。
この子は——たぶん、いちばん、私の言うことを聞かない。直感がそう告げていた。
◇
「とにかく、屋敷へ行きましょう。立てますか?」
「……あと五分」
「いま起きたばかりでしょう」
「移動の前に、充電が……」
「充電とは」
「ネルー、おんぶしてやろっか?」
リリーが背を向けてしゃがむ。
「そのほうが早いっしょ!」
「やめてください、リリーさんに背負わせたら、勢いで屋敷まで吹っ飛んでいきます」
「えー、加減するってば!」
「あなたの加減を、私はもう信用していません」
わいわいと言い合う私たちの横で、ネルはまた、うとうとしはじめていた。
世話が焼ける。本当に、世話が焼ける。
結局、シルヴィアが「はい、ネルさん、あーん」と道中で食べる用に持ってきた焼き菓子を差し出すと、ネルはぱちりと目を開けて、もぞもぞと自力で立ち上がった。
「……食べる」
「お腹が空くと不機嫌になる人なんですね、把握しました」
ひとつ、ネルの取扱説明書が増えた。胃痛と引き換えに。
四人そろって、屋敷への坂道を上る。
三人で下りてきた道を、四人で上っていく。たったひとり増えただけなのに、なんだか急に、にぎやかになった気がした。先頭をゆくリリーが何か言うたび、ネルが「……んっ」と気のない相づちを返し、シルヴィアがそれを見て楽しそうに笑っている。
日が傾きはじめて、丘の上の屋敷が、夕焼けにぼんやり浮かんでいた。蔦の絡んだ古い屋敷。村人が「出る」と噂し、誰も寄りつかない場所。
その門の前まで来たとき、ネルが、ふと足を止めた。
眠たげな半目で、屋敷をじっと見上げている。
「……どうしました?」
私が尋ねると、ネルは小さくあくびをして、なんでもないことのように言った。
「このお屋敷、いるよ」
「……えっ?」
「中に、誰か。……ううん、こわいのじゃない。いい子。ずっと、待ってたみたい」
すっ、と、背筋に冷たいものが走った。リリーが「ちょ、ちょっとネル!?」と声を裏返らせ、シルヴィアも珍しく目を丸くしている。
幽霊屋敷。出る屋敷。三日前に聞いた噂が、いやでも頭をよぎる。
けれど——私は、思い出していた。
昨夜の台所。火を入れていないのに温かかったケトル。あの、優しい気配。おかえり、と言われているような、あのあたたかさを。
怖く、なかったのだ。あのときも。
ネルはというと、もう興味をなくしたみたいに、とことこと門をくぐっていく。
「……ただいまー」
誰にともなく、そう言って。
まるで、ずっと前からここに住んでいたみたいに。




