第1話『ハズレ聖女、幽霊屋敷に着任します』
聖女になるはずだった。
国にひとり、神の加護を授かり、聖具を通して奇跡を起こす——それが聖女。
叙任の日、私は誰よりも祈りを覚え、作法も理論も、ひとつ残らず頭に叩き込んでいた。
大聖堂の祭壇で、聖具に手をかざす。選ばれた者が触れれば、聖具は光を放って応える。そういう決まりだった。
けれど。
私が触れても、聖具は——うんともすんとも言わなかった。
しんと静まりかえった大聖堂で、司祭が冷ややかに告げた。
「反応、なし。……残念だが、君に聖女の才はない」
才能なし。なんの力も宿していない、空っぽの娘。
「待ってくださ――」
「聖女ではない者は、これ以上の神の庇護を受ける資格はない。直ちに出ていけ」
そういうことになって、私はその日のうちに、生まれ育った故郷を追われた。荷物ひとつと、十数年ぶんの努力を抱えて。
クロエ・ハーヴェイ、二十歳。黒髪で、聖具に見放された女。
——それが、馬車を幾度も乗り継いで辺境の幽霊屋敷にたどり着くまでの、私のすべてだった。
◇
辺境ローエンド地方の、そのまた外れ。
石ころだらけの道を半日も揺られた馬車が、森の縁でぽつんと私を降ろした。御者は荷物を放るように下ろすと、「ここから先は歩きで」とだけ言って、来た道をそそくさと引き返していった。やけに急いでいた。まるで、これ以上近づきたくないとでもいうように。
丘の上に、屋敷が建っている。
かつては立派だったのだろう。けれど今は、ツタが壁を半分のみ込み、窓の何枚かは割れたまま。庭は伸び放題で、門扉は錆びて傾いている。
「……〝出る屋敷〟、ねぇ」
求人票には、そんなことは書いていなかった。書いてあったのは『住み込みメイド募集・賄いあり・経歴不問』。経歴不問。その四文字に、私はずいぶん助けられた。経歴を問われたら、私には差し出すものが何もないから。
はぁ、と息を吐いて、私は荷物を抱え直した。
門をくぐると、先客がいた。
二人。
一人は銀色の髪を肩に流した、おっとりした雰囲気の女の子。もう一人は金髪を後ろで結わえた、いかにも元気そうな子。二人とも、私と同じくらいの年に見える。
「あらあら、こんにちは~」
銀髪の子が、大きな荷物を抱えた私を見て、ふんわりと首をかしげた。
「もしかして、あなたも——ここで働く方ですか?」
「クロエ、と申します。本日からこちらでお世話になる予定で」
「やっぱり! わたしはシルヴィアです。よろしくお願いしますねぇ」
「あたしはリリー! よろしく、クロエ!」
金髪の子——リリーが、ばしっと私の背中を叩いた。痛い。地味に痛い。
どうやら同じ求人に応募して、三人とも採用されたらしい。ずいぶんと人手不足な屋敷である。
あるいは——人が居つかない屋敷なのか。後者だろうな、と、傾いた門扉を見ながら思った。
「ねえねえ、クロエはどうしてここに来たの?」
屋敷の扉を開けようと格闘しながら、リリーが無邪気に聞いてきた。
来た理由。それは——と言いかけて、私は口をつぐんだ。
――聖女になりそこねた身です、なんて、初対面で打ち明けることでもない。
「……まあ、いろいろあって。リリーさんは?」
「あー、あたし? あたしね、叙任の儀でちょっとしくじっちゃってさ~」
——叙任の儀。
その単語に、私は思わずリリーの顔を見直した。
叙任の儀といえば、聖女を選ぶ、あの儀式のこと。つまりこの子も、私と同じ場所に立った人間だ。
「……リリーさんは、聖女の?」
「だったよ、いちおうね。なりそこねたけどね! でさ、なにがあったかっていうと」
悪びれもせず、リリーは続けた。
「聖火に火を灯すだけだったんだよ。ぱちっと小さい雷を落とせばいいだけ。なのにさー、なんか加減まちがえて、大聖堂の鐘楼がまるっと吹っ飛んじゃって!」
「……鐘楼が、まるっと?」
待ってほしい。鐘楼といえば、大の男が何人がかりでも動かせない、あの石造りの塔だ。
それが、火を灯すついでに吹き飛ぶ?
「あはは、あと城壁も一面、炭になっちゃった。魔物を追い払おうとしただけなのに。それで『お前は危ないから』って、やんわり国を出されたわけ」
城壁。一面。炭。
ひとつひとつの単語は知っているのに、つなげて理解することを頭が拒んでいた。なのにリリー本人は、天気の話でもするみたいにからっと笑っている。私の血の気が引いているのと、まるで釣り合わない。
「シルヴィアさんは……?」
半分、聞くのが怖いと思いながら尋ねると、銀髪の子――シルヴィアは頬に手を当てて、申し訳なさそうに眉を下げた。
「わたしはですねぇ……疫病を治そうとしたら、その、ちょっとやりすぎてしまって」
「やりすぎ、というと……どのくらい?」
「国の象徴の、それは大きな枯れた大樹があったんですけどね。つい元気にしてあげたら、一晩で王城のお庭が森になってしまって……」
「えっ?」
「その上、畑のお野菜も張り切りすぎて道を塞いでしまって……その結果、『災害級』と言われてしまい、しょんぼり追い出されてしまいました」
——王城が、森に。
もう、相づちすら打てなかった。疫病をひと晩で鎮めるだけでも聖女の中の聖女だというのに、ついでに王城を森に変えてしまう人が、この世にいるとは思わなかった。
鐘楼を吹き飛ばす子。王城を森に変える子。
そのどちらも、自分のしでかしたことを「ちょっと」「やりすぎ」くらいにしか思っていない。
……これは、とんでもないところに来てしまったかもしれない。
けれど、と私は思い直す。「規格外だ」「制御不能だ」とどこからもはじかれて、それでもへこたれずに笑っている二人を前にすると、不思議と身構える気にはなれなかった。
なんの力もない私と、力がありすぎる二人。向きはまるで逆だ。それでも、「お前はここにいるべきじゃない」と言われて流れ着いた一点だけは、たぶん同じなのだ。
だとしたら——力のない私にも、この吹きだまりの一員でいる資格くらいは、あるのかもしれない。
◇
扉はようやく開いた。リリーが蝶番ごと引きちぎりかけたのは見なかったことにする。
中は、思ったより荒れていなかった。埃はあるが、家具は揃っている。奥には大きな暖炉のある広間もあって、ここなら今夜から眠れそうだ。暮らせなくはない。
「とりあえず、住める状態にしましょう。日が暮れる前に、最低限だけでも」
私が言うと、二人は元気よくうなずいた。
「庭はわたしが見ますねぇ。あんまり伸びていると、お客さまも入りにくいでしょうし」
「じゃああたし、薪を割って火ぃ起こすわ! 夜、寒いっしょ!」
——今思えば、ここで止めるべきだった。
けれど初対面の私に、二人を止める理由はまだ、なかったのだ。
私が屋内の床を掃いている、ほんの十数分の間の出来事だった。
窓の外が、やけに緑になった。
ほうきを持ったまま外に出て、私は固まった。荒れ放題だったはずの庭が、青々とした若葉に覆われている。枯れていた花壇から色とりどりの花が顔を出し、ひからびた井戸端の苔まで、つやつやと生き返っていた。
その真ん中で、シルヴィアが土を払いながら、にこにこ立っている。
「あらあら、ちょっと雑草を抜いただけなのに、つられてお花も元気になっちゃいましたねぇ」
「ちょっと、雑草を、抜いただけ」
「ええ。土に触れると、なんだか皆さん張り切ってしまうんですよ。困ったものです」
困った、で済む光景ではない。私が着いたときには誰も寄りつかない廃屋だった場所が、今や手入れの行き届いた庭園みたいになっている。
言葉を探していると、屋敷の裏手から、ばちっ、という音と、リリーの明るい声が飛んできた。
「火ぃついたー! ……あれ?」
嫌な予感がして駆けつけると、薪が、なかった。
正確には、あった。けれど、組み上げたはずの薪は黒い炭の山に変わり、その向こうで物置の壁板が一枚、こんがりと焦げていた。
「いやー、なんか湿ってたから、ちょっと強めにパチッとやったらさ。一瞬で乾いて、ついでに燃えちゃった。あはは」
「ついで、で物置が焦げるんですか!」
「大丈夫大丈夫! めっちゃ加減したから! これでも!」
加減して、これ。
私は炭の山と緑あふれる庭を交互に見て、深く長く息を吐いた。
「……はぁ。お二人とも、初日からとんでもないですね」
「えへへ」
「ふふ、お揃いですねぇ」
褒めていない。まったく褒めていないのに、なぜか二人は嬉しそうだった。
そうして私は理解した。この子たちは、自分のやっていることが「とんでもない」とは、これっぽっちも思っていない。雑草を抜いただけ。火をつけただけ。本気でそう思っている。
怖い。けれど——なぜだろう。少しも、嫌な感じがしなかった。
◇
日が傾き、私たちは広間の暖炉の前に集まっていた。リリーが薪をすっかり炭にしてしまったので、火を起こすのには少し手間取ったけれど。
ふと、リリーが首をかしげた。
「あれ? そういえばさ、求人票、四人募集って書いてなかった?」
言われて、私も思い出した。確かに、募集人数は四名だった。
「もう一人、いるはずですねぇ」
シルヴィアがのんびり言う。三人で顔を見合わせた。
日が沈んでも、門をくぐってくる影はない。森のほうから、夜風が一度、ひゅうと吹いた。
四人目は、まだ来ない。
ぱちぱちと火がはぜる音を聞きながら、私はそっと、自分の手のひらを見下ろした。
庭を森に変える子。城壁を炭にする子。みんな、「やりすぎ」を抱えてここに来た。
私には、それすらない。聖具は、私には何も映さなかった。やりすぎることも、できなかった。
——結局、この吹きだまりで一番ハズレなのは、私なのに。
まだ見ぬ四人目を待ちながら、私はひとり、揺れる火を見つめて、そんなことを思っていた。
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