5 闇を纏いし妖狐九尾 哀愁の顕現(短歌・解説あり)現代
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現代 3
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鳴門海峡。その名を聞くだけで胸が高鳴る場所。荒々しく美しいこの場所を今はただ不穏な闇が覆っていた。
――ドオォォォ!!!
黒雲が空を覆い、雷鳴が辺りを切り裂いた。海面に突如、恐ろしいまでの吸引と轟音を生み出して巨大な渦が現れた。その中心から溢れ出したのは、黒き邪気。暗さと重さが混じり合い、光すらも飲み込もうとする禍々しさであった。
やがて、それは渦の奥底からゆっくりと現れた。
巨体、それも尋常ならぬ巨大さだった。黒い毛並みは夜よりも深く、ねじれるように尾が扇のように広がる。ギョロリと白く輝く瞳が、大地――いや、この世界すべてを睥睨するかのように剣奈と玲奈を射抜いた。
九つに分かれた尾が海風に乗って舞い、渦中に冷たく鋭い気配を漂わせた。
嵐の轟音のなか、剣奈は膝の震えを隠せなかった。だが、来国光の柄だけは全力で握りしめていた。逃げ出したい衝動を押さえ込んでいた。
これまでの戦いが脳裏を駆け巡る。黒巨蛸、黒巨猪、すばしっこい黒猿、黒獅子に、凶暴な黒鬼……どれも恐ろしかった。けれど、この妖狐、禍々しく黒く巨大な黒九尾。この圧倒的な威に比べればすべてが霞んでしまうようだった。世界が、ただこの黒九尾一匹のために、打ち震えているようだった。
「……あれは何?」
誰に問うでもなく剣奈はつぶやいた。口元は強ばり、声は微かに震えていた。それでも剣奈の目は妖狐から決して離れなかった。
玲奈もまた、冗談を言う余裕などない様子で顔を強ばらせていた。その口元にいつもの悪戯めいた笑みはなかった。ただ真剣に、目の前の圧倒的な怪異を見つめていた。
剣奈が呟いた。
「あれほどの、凄まじい妖気……これ……、この化け物は人の力でどうにかなる相手なの?」
剣奈の声は波の音に掻き消されそうなほどか細く聞こえた。
その瞬間、妖狐が二人の存在に気づいたかのように顔を向けた。禍々しい瞳の奥には、無慈悲な絶望と、何か胸を刺すような深い哀しみが見え隠れしていた。
玲奈が乾いた喉で息を呑み込んだ。
「はっ、とんでもねぇ化け物が出やがったぜ。猿まではなんとかなったんだがな。剣奈、どうする?逃げても笑わねぇぜ?」
玲奈の声色にはいつもの揶揄うような軽さはなかった。驚きと隠し切れない恐れがにじんでいた。だがそれ以上に剣奈の意志を問う温もりが感じられた。
剣奈は玲奈の顔を一瞬だけ見つめ、そして再び揺れる黒九尾の妖怪に視線を戻した。
怖い。逃げたい。だが、今ここで退けば、あの日のボクに逆戻りしてしまう――あの日ボクは犬に怯えて泣いていた。クニちゃさえ失いかけた。
嫌だ!
ボクは、ボクは、あの日のボクに戻りたくない!
「ボク、逃げない。逃げないよ?怖い……ものすごく怖い……。でも、ここで逃げたらもう戦えない。そんな気がする。玲奈姉……クニちゃ……ボクに、ボクに力を貸して?」
剣奈の声が震えた。唇を噛みしめすぎて血が一筋、顎を濡らした。
玲奈はこわばる顔に力を込め、無理やり口角を引き上げた。
「おぅ! 任せろ剣奈」
玲奈の頬はひくひくと震えていた。玲奈は左頬にさらに力を込めて震えを封じ込めた。
玲奈は太ももに手を伸ばした。そしてホルスターからワルサーP38を静かに引き抜いた。その動きにはためらいも迷いも感じられなかった。
剣奈の手の中で来国光が静かに語った。
『うむ。それでこそ剣奈じゃ』
心に届けられる来国光の声が剣奈の心にそっと寄り添った。
「ん♡」
剣奈は即応できるように全身に薄く剣気を流した。勇気と守護の力が全身を覆った。
潮風が二人の髪を激しくかき乱した。波は荒れ狂い九本の尾は天を突くように踊った。見上げれば暗雲が渦を巻き、稲妻が一筋光った。
闇に包まれた世界で、剣奈と玲奈の瞳――二対の双眸の光はけして消えることはなかった。
『剣奈よ。あの九本の尾……淡路の古語りで聞いたことがある。古の怪異、妖狐九尾じゃな。まさか本当に実在してたとはのぉ』
来国光の声に剣奈が息を呑んだ。玲奈は片頬をあげてニヤリと笑った。凶暴な笑みだった。
「見ろよ剣奈。世界の終わりみたいだぜ。でもよ、こうなったら意地でも諦められねぇな」
「うん!」
その短い返事の中に、剣奈のすべてが詰め込まれていた。自分の弱さも、過去の恐れも、すべて振り切る。
――今、ここで逃げてしまえば、自分を赦せなくなる。たとえ九尾にこの身が裂かれ、あの鋭い牙に全身が屠られてしまったとしても。
「物語でもよくあるよね。エリアの境界を間違えていきなり高レベルの強敵があらわれてしまうことが。もしかしたらいったんリ〇ミトとか、思い〇の鈴とか、テ〇ポとかを使ってダンジョンから脱出するのが正解かもしれない。力を蓄えてレベルを上げて再チャレンジするのが王道かもしれない。でも、でも。玲奈姉、クニちゃ、ごめん、ボク、行くよ?」
「はっ、訳のわかんねぇ御託並べてんじゃねえよ。とっくに覚悟できてんだよ!」
『うむ』
グオォォォォォ!!
妖狐黒九尾が大きく吠えた。黒雲が捻じれ、雷が全てを貫いた。大地が唸った。衝撃波は地の彼方まで揺らした。海面は大きな波紋にまみれた。打ち寄せた荒波は剣奈と玲奈に潮の飛沫を浴びせかけた。
「行く!ボクは、ボクは、クニちゃとあいつに挑むよ」
「頼もしいな、剣奈。援護射撃は任せろっ」
いつもの玲奈の男前な口調が剣奈の心を強くした。剣奈の不安と恐怖が少し和らいだ。玲奈の男気、その優しくも強い気持ちが剣奈の背中を支えた。
ビシュゥゥゥゥゥ!!
黒渦の中心から妖狐の巨大な尾が、九つの尾が同時に空を切り裂いた。その動き一つ一つが、まるで天地を動かしてしまいそうだった。
「来い! 黒九尾!」
剣奈が雄叫びのように叫んだ。玲奈の片頬がニヒルにニヤリと吊り上がった。その横顔は荒々しくも頼もしかった。
彼女たちの身体は小さく、黒い嵐の中で儚い存在だった。しかし鳴門の怒涛の潮騒が彼女たちの心の鼓動と重なり、彼女らの命が明るく光り輝いた。
絶望と希望が交錯する鳴門の海。
二人と一振り。対するは一匹の大妖狐。それぞれの魂を賭けた壮絶な闘いが今、始まろうとしていた。
………………
◆今日の短歌
渦巻く夜
黒雲たなびき
九尾立つ
死すとも戻らじ
士魂しぼらむ
◆解説
この短歌は圧倒的な絶望の情景と古の武士的精神をもって立ち向かう剣奈の心情を表現しました。
初句の「渦巻く夜」ですが、時間帯で言うとこの時間は真昼に近い時間です。したがってここのは時間的な「夜」ではなく、闇に覆われた世界を比喩的に「夜」と表しました。
この夜の闇は未知や恐怖の象徴としても使っています。これから訪れる妖狐黒九尾との対峙への不吉な予兆を表しました。ここでは「夜」は「よ」と読みます。短歌の字と響き的な制約のためです。
「渦巻く」は、鳴門の渦潮の渦からの連想ですが、いくつか意味を含ませました。九尾の出現で海峡の潮が激しく渦を巻いています。そして暴風が空間で渦巻いて闇を満たしています。不穏で凄絶な状況と押し寄せる緊張感を鮮烈に表そうとしました。
二句目の「黒雲たなびき」は、空を覆い尽くす黒雲がたなびくさまを詠みました。天地が妖しき気で満たされていく様子を思い描いています。「黒雲」は絶望や圧迫感、そして不穏な運命を暗示しています。
なお「黒雲たなびき」は、字的には八文字で字余りなのですが、詠んでみるとあんがいすんなりと音が流れました。「こくうん」が「こくぅん」的に子音的になる音節の響きやアクセントがそうさせるのかもしれません。なのでここは「黒雲たなびき」で良しとしました。
三句目の「九尾立つ」はまんまです。九本の尾を持つ大妖です。怪異大妖狐黒九尾です。ここでは淡路島の浄瑠璃で語られる妖狐九尾を思い浮かべました。
ここまで読んでお気づきかと思いますが、この小説は、「現在の剣奈と九尾」と「過去の九尾と周りの人たち」、この二つストーリーを交互に繰り返してます。
前話で盛吉に「藻は二藻寄り添う。まるで乙女が袖をたなびかせるように浜辺を彩るのだよ」と語ってもらいました。
「千年前の藻」と「今日の藻」が寄り添い袖をたなびかせるイメージで進めています。
あ、でもいい加減な夏風です。もしかしたら途中で討ち死にするかもしれません。どっちかのストーリの尺が足りなくなるか、長引いてくのはあり得ることです。
「ごめん、やっぱ夏風には無理だっ!」とあきらめるかもしれません。そのときは生暖かく許してやってくださいませ……
四句目の「死すとも戻らじ」は、ストーリーで剣奈が命の危険を前にして「決して逃げない」といっちょ前に断固たる覚悟を表明したのを受けてます。
泣き虫で、ビビりでおしっこ漏らしの負けヒロ雑魚剣奈が偉そうに…… げふんげふん。
いいえ。勇気を振り絞る剣奈の悲壮で断固たる決意、剣奈の死をも恐れぬ決意を表そうとしました。
「戻らじ」はもう二度と過去の自分や敗北の道に退かぬ固い意志です。ここに剣奈の成長を託しました。
「士魂しぼらむ」。この絶句は難産しました。「来国光を手に、頑張って九尾の前に奮い立つ」みたいな感じを7文字で書けないかがんばりました。でもなんかうまくいかなかったんですよね……
「剣」だったらおさまったんですよ。でもいい加減なアホ剣奈ならともかく、作者の夏風が来くんを剣といったらさすがにね。え?アホ夏風だから許してもらえる?それは惜しいことをしました……
まあそれはともかっく、二文字でいけるならと「来」に置き換えようとしました。ですがどうしてか音感が締まりませんでした。
そこで来国光を持つのは当たり前だぁ!心に沸き起こるナニカを表したらいいのだぁ! と開き直り、げふんげふん、方向転換することにしました。
え?はじめは何だったかって?はい、捨て去ったナニカを覚えていられるほど夏風は賢くありませぬ。今更思い出せませぬ。ガチです。
ということで結句は「士魂しぼらむ」にしました。「士の魂を振り絞る」の意味で詠みました。
なんか士魂って、かっこよくないですか?JK巫女が活躍する物語の「四魂の◯」に音も通じますしね。
ちなみにこの四魂って、古代ギリシアのアルケーの地水風火だと思ってた時期があります。夏風の黒歴史です。
まあそれはさておき、「士魂」に古来から武士に受け継がれてきた気骨、品格、不屈の精神を込めました。尊厳をもって「魂のすべてをふりしぼって立ち向かう」気概を込めて詠みました。
さすが男の子!いえ間違えました。すでに剣人は剣奈でした。ですので、さすが今時女子!です。
「しぼらむ」の「む」に決意と、未来への祈りを込めました。
って、なんか長くなっちゃいましたね。すいません。書き始めると止まんないんですよね。
まあ、こんな愚解説など忘れちゃってください。
和歌の57577の語感の響き。それだけですべて伝わってくれたら嬉しいなぁ
渦巻く夜
黒雲たなびき
九尾立つ
死すとも戻らじ
士魂しぼらむ




