NoëlHearts-ep02ビスマルク・フォン・シュヴァイツァー-
「…そうですか」
椅子に座った男が、残念そうに言葉を溢す。
昼下がりの学園には不釣り合いなほど豪華な応接室には、二人の男がいた。
一人はドーベルマンの獣人、刑事のダニエル。
もう一人はこの学園の理事であり、ノートレックシティ一帯を持つ貴族のヴォルフガング。
見事に整った容姿を持つ、大柄のダックスフントの男だ。
「バークハルト君は良い子でした、実に残念です」
「犯人は犯行を認めており、証拠が揃い次第司法の手にかかる予定です」
ダニエルは煙草をふかすと、灰皿に押し付ける。
学生が強盗に襲われた件の説明。
…ダニエルが最もやりたくない仕事だった。
ヴォルフガングは真面目だ。
異議があれば市政にも口を出すし、この町の殆どを知らねば気が済まない。
無論、善意なのだろうが…。
「クラスの人気者でした、文化祭などでは盛り上げ役として買って出てくれていましたし…」
「……」
バークハルト・エリック・ウィンチェスター。
マッケンジー学園高等部2年。
嫌われる要素の少ない陽気な少年だった。
つい先日、兄が行方不明となっており、個人的に調査を行っていたと言う。
それが仇となったのは想像に難くない。
「今朝、黙祷を全生徒と行なっておりました、彼の魂が少しでも救われると良いのですが…」
「……」
ヴォルフガングは沈痛な面持ちで淡々と応える。
自身の学園の生徒の死。
気の滅入る事件、それの事後処理も多いだろう。
それに、学園の評判にも良くない。
「生徒には集団下校及び寮までの警備強化で事に対処しましょう」
「恐れ入ります」
ダニエルは軽く一礼する。
事が事だ、学舎としてできる最大限などたかが知れている。
しかし、ヴォルフガングは違った。
いち生徒の死にも敏感に反応し、此処に警察を呼びつけて説明を求めるあたり、やはり真面目なのだろう。
「明日には保護者説明会を予定しております、同席していただけますか?」
「それには私ではなく、別の刑事が当たる予定です」
そうですか、とヴォルフガングは言うと、顎に手を置く。
今回の事件、やはり疑問が残るのだろう。
「しかし、何故バーク君が大金を…?」
「それに関しては目下調査中です、分かり次第お知らせします」
学生が大金を手に何かをしようとしていた。
無論、気にならないはずがない。
ダニエルにはひとつ仮説があった。
しかし、それはあくまでも憶測に過ぎない。
いや、憶測などいちいち言っていたらキリがない。
「では、私はこれで」
ダニエルは席を立つと、歩き去ろうとした。
ヴォルフガングが呼び止める。
「お待ち下さい、折角の機会です…食事でも」
「結構です、先約がありますので、では」
ダニエルは体を翻すと、早々と部屋を後にした。
自分以外誰もいない部屋、一人残されたヴォルフガングは小さく呟いた。
「相変わらずだね、ダニー…」
ノートレックシティ、18時、とあるマンションにて。
「…ここか」
メモを片手に佇む青年の姿があった。
その容姿はどの種族にも当てはまらない変わった姿をしており、片眼鏡をした、左右の長さの異なる髪型をした青年。
青年はそのマンションの一室を目指す。
しかし、そこには想定外の光景が広がっていた。
…規制線、大量の警察官と鑑識、それを不安そうに見つめる男。
「チッ…貧乏クジ」
青年は舌打ちすると、くるりと回り立ち去る。
自分は揶揄われたのか?
何故こんなところを指定してきたのか?
そんな謎など、どうでもよかった。
『警察』
自分とは一切相入れないあの集団を見ただけで虫唾が走る。
国家権力を振りかざす、自称正義の味方。
その実は、自分達にとって不快な奴等を公的に虐める腐り切った組織。
青年は、イライラしながらとある男の前を通り過ぎる。
煙草の臭いが染み付いたいけ好かない風貌の男が、青年を呼び止める。
「お前か、この紙に書かれた奴は」
「…何が?」
青年は男の言葉に睨み返す。
髪に隠れた瞳もよく見えそうなほどの清々しい下衆を見る目。
男はフッと肩を竦ませてみせる。
「規制線を見て引き返してる奴はお前しかいなかったからな、しかも時間通りに」
「…依頼人がアンタだとしたら随分悪趣味だな」
青年は睨んだ形相を変える事なく、淡々と喋る。
「依頼人なら死んだよ」
「何…?」
依頼人の死、その言葉に青年の眼光が驚きに変わる。
奴らの手にしては早すぎる。
しかし、紙のことを知っている以上、この男の言葉を信じるしかなさそうだ。
「強盗に襲われてな、お前に渡るはずだった報酬を目当てに」
「で?わざわざ説明するアンタは?」
青年は、腕を組みながら問いかける。
依頼人ではないなら何故この内容を話す必要があるのか、理解不能で仕方なかった。
ただ、一つの理由を除いては。
「ダニエル・メイソン、警部だ」
やっぱり。
これだから警察は嫌いなんだ、と青年は目を泳がせる。
相手が警察だろうと察しはついていた。
確証を得た青年はぐるりと目を一周させる。
「参考人だとするのならお門違いもいい所だぞ、俺はその件は何も知らん」
「それを聞きに来た訳じゃない」
ダニエルはきっぱりと言うと、煙草に火をつける。
煙草の煙が青年の方へと向かう。
「タバコなんか吸うなよ、不快でしかない」
青年は眉間に皺を寄せると、手を振って煙を払う。
「そうか?すまんな」
ダニエルはニヤリとする。
「じゃ、用件は何だ?俺は忙しいんだ」
青年のイライラはどんどん募ってくる。
不快でしかない存在が、不快でしかない応答をする。
…電子機器とは大違いだ。
「情報だよ」
ダニエルはそう呟くと、横を向いて煙を吐く。
なるほど、目的は情報の横取りか。
ジトリとした目で青年が見つめる。
大抵こういう場合は碌でもないことが条件だ。
「依頼人の知りたかった情報が知りたい」
「聞いてどうする?金も無しに吐くと思うのか?」
ここぞとばかりに言葉の先制攻撃を青年が仕掛ける。
やれ『逮捕は見逃してやる』だの『見物料』などと言ってくる輩は山ほどいた。
この返しはそういう碌でもない奴かそうでないかの線引き。
青年の切り返しを横目で流しながら、ダニエルはパンパンに膨らんだ茶封筒を手渡す。
それは明らかに何枚もの紙の入った封筒だった。
青年は中身を確認する。
そこにはサラリーマンなら年収ほどの金額が入っていた。
青年が顔色を変える。
驚いた、これは本気だ。
「…場所を変えよう、ここで聞かれると不味い」
そう言うと青年はさっさと歩き去っていった。
ダニエルも青年に続く。
…それを見ていた人影がいた。
「…で、何でカラオケに?」
ダニエルは不思議そうにソファに腰掛ける。
壁の向こうでは大声で歌う者、練習とばかりに綺麗な声で歌う者、雑談などさまざまな声が入り混じり、なまじ小さな声では遮られてしまうほどだ。
室内には大きな張り紙で『禁煙』と書かれている。
「声が聞こえないからだ」
青年は通路に人がいないことを確認すると、室内に入ってきた。
ソファに腰掛けることなく、立ったまま。
「で、内容は?」
ダニエルは慣れない手つきで適当に音楽をかける。
声を聴かれないようにする配慮なのだろう。
青年はスピーカーを避けるように耳を動かす。
「ノエルハーツ…」
「ノエルハーツ?」
ダニエルは青年の言葉に耳を疑う。
NoëlHearts。
この世界に存在すると言われる秘密結社。
目的も、メンバーも謎の組織だ。
…というか、実在すら怪しい。
「あの秘密結社の?冗談だろ?」
「そうだ、ノエルハーツは実在する。その話を聞きたがっていた」
青年は声を絞りながら慎重に口を開く。
「目的不明、しかし特定の人物とノエルハーツを嗅ぎつけた奴を始末しているという」
「…なるほどな」
ダニエルは顎に手を置くと、暫く考える。
青年はジロジロと室内を見ている。
…幸い、盗聴器や監視カメラなどは無いようだ。
「で、それを嗅ぎつけた被害者は死んだ、と」
「そう言う事だ」
青年は扉越しに周囲を確認する。
幸い、誰もいないようだ。
「…にしてはあまりにも早すぎる、そう言うものなのか?」
「さぁ?俺は情報を持ってこいと言われただけだからな」
ダニエルは少し考えた後、はぁとため息をつく。
強盗にしては出来過ぎている、しかし、NoëlHeartsの仕業と言い切るにはあまりにも迅速すぎる。
「お前名前は?」
「…は?」
「名前がわからんと呼びにくいだろ」
ダニエルは頬杖をつくと、青年のポケットを指差す。
情報料に対してイヤに多い報酬…
嫌いな警察が依頼人、と言う構図にため息が出る。
これは他にも何が吐かせる気だ。
気乗りしないまま青年は渋々答える。
「ビスマルク、ビスマルク・フォン・シュヴァイツァーだ」
「そうか」
ダニエルは手持ち無沙汰にフィンガー・スナップを何度かする。
「身の上は後程調べるとして、ビスマルクさんよ」
「今度は何だ?」
ビスマルクは落ち着きなく足をトントンする。
早く終わってくれ。それだけが脳内を支配していた。
あまり姿を見覚えられては今後に関わる。
「連絡先を交換しねぇか?」
「…俺は友達を作りに来た訳じゃ無い」
「それは俺もだ」
ダニエルの意図がいまいちわからない顔を浮かべる。
…しかし、依頼人の仕事に関わる事ともなれば致し方あるまい。
ビスマルクは手元の紙に連絡先を書く。
「次の仕事の連絡用だ」
「なんだ、…何?」
紙を交換する寸前、手を止める。
次の仕事?一体何のことだ?
仕事に対して報酬が法外なのはわかる、しかし、協力するなどと一言も言った覚えはない。
「それは捜査協力の謝礼だ、先渡しの、な」
「国家権力に与しろと?」
「そういうことだ」
ビスマルクは少し考える。
自らリスクを冒してまで協力することか?
しかし、依頼人の死となった以上、自らも無事の確証はない。
しかも、NoëlHeartsは相当に手が速い。
不幸は重なるものだが、選択の余地はなさそうだ。
…仕方がなかった。
「身柄保護も条件だ」
「承知した、取引成立だな?ビスマルク」
ビスマルクは一際大きなため息をつく。
「あぁ…今日は厄日だ」
「そうだな…ッ!?」
ダニエルが不意にビスマルクの後ろの扉を開く。
力強く開いた扉の向こうには、若い学生がドリンクを持っていた。
「盗み聞きとは趣味が悪いな」
「いえ…僕はただ…」
ダニエルの強い視線に少年は怯えている。
手に持っていたドリンクを落とすと、両手を上げて涙目になっている。
「へ…部屋を間違えて…」
「やめとけよ警部、相手は一般人だぞ」
ビスマルクはダニエルを窘めると新しい飲み物を取ってこい、と少年の背中を押す。
不安がりながも少年はさっきの出来事を忘れようとしているようだった。
「しょっ引いて吐かせることも出来たんだぞ」
「そんなことしてみろ、次の瞬間アンタは懲戒処分だ」
ビスマルクはスマホを弄ると、画面をこちらに見せてくる。
「『サイトウナオヤ』15歳、私立マッケンジー学園中等部3年、おかしい要素あるか?」
ダニエルは訝しむようにスマホの画面を見る。
両親はノートレックシティ在住、父は建設業、母は専業主婦。
そこには個人情報がびっしりと載っていた。
「わかったよ、お前の言うとおりだ…ところで」
ダニエルはビスマルクに詰め寄る。
奴はただの情報屋じゃ無い。
いち情報屋にしては用意が良すぎる。
「お前は何者だ?」
ビスマルクは呆れた顔をする。
まるで捜査不足と言わんがばかりの目を明後日の方にやると、口を開く。
「ハッカーだよ、元…な」