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3 母のスープ

 『ラベンダー亭』酒場の時間。

 お昼だけでなく、夜も店は大賑わいだ。


「じゃあ、これはわかるか? 『親方のハゲ頭ー!』」

「親方のハゲ頭って言いました」

「当たり!」


 みんなが「おーっ!」と湧く。

 俺は今、『外国語を言ってユウが訳せなかったらみんなに酒を奢ってもらえる』というゲームに巻き込まれていた。


「次は俺の番だ」


 長い髪をくくってる男。


「『バボベボエボベボベー』」


 む?

 これは……。


「言葉じゃないです。適当に喋ってます」

「ぐっ……正解だ」


 男が悔しそうに俯いた。

 周りからブーイングが起きた。


「じゃあ次は私」


 セクシーな女性。

 唇をペロリと舐める。


「『私、胸を<ピー>されながら、お尻を<ピーー>して、後ろから<ピーーーーー>されるのが好き』」

「訳せるかー!」


 痴女だ。


「やったー!」


 女性が大喜び。


「すげぇ!」

「ユウにも訳せない言葉があったか!」


 大盛り上がりだった。

 一方、


「はい、私の勝ち」


 ルージュもゲームに巻き込まれていた。


「くっそ〜」


 男が腕を押さえて下がる。

 ルージュは、腕相撲をやっていた。

 ルージュに勝ったら高い酒が一杯タダ。

 負けたら高い酒を一杯注文する。

 すでに何人もの屈強な男たちが敗れていた。


「ふふ〜ん、あなたたちそんなものなの?」


 ルージュが挑発する。


「そろそろ俺の出番かな」


 男がコキコキ首を鳴らして前に出る。

 細身で筋肉の盛り上がりもない。


「大丈夫? 怪我するわよ?」

「そいつは、これを見てから言いな」


 男が窓から夜空を見上げた。

 すると、男の全身に毛が生え、口が獣のように前に突き出て牙が伸び、細かった体が筋肉で膨張した。


「お前ワーウルフかよ!」

「こりゃイケるぞ!」


 みんなが盛り上がる。

 狼男とは驚きだ。

 すげぇな。

 酒一杯のために変身するなんて。


「勝負だ」

「いいわよ」


 二人がテーブルに肘をついて手を組んだ。


「レディ……ファイ!」


 ダンッ


「うぎゃー! 俺の腕がー!」


 ルージュが瞬殺した。


「またまた私の勝ちー」


 両腕を掲げる。

 疲れた様子もない。

 みんなが勝者ルージュを讃えた。


「はーい、みんな聞いてー」


 そこへ、マリーさんがお客さんの注目を集めた。


「盛り上がってるところ悪いけど、もうじき閉店よー」


 エーッとお客さんから残念そうな声。


「ごめんね。最後にこれでも飲んで酔いを醒ましてね」


 マリーさんがスープをお客さんに配った。

 みんながゴクゴクと飲む。


「明日仕事行きたくねぇ〜」

「だりぃ〜」


 ブツブツ言いながらスープを飲み干すと、みんなは、家路についた。

 それを見送るマリーさんは、どこか寂し気だった。


「さ、片付けしましょう」


 気を取り直すようにマリーさんが声を張る。


「まだ私がいるけど?」


 しかし、お客さんが一人残っていた。

 赤紫色の髪でキリリとした眉毛が特徴的な四十四、五歳の女性。


「レア叔母さん。いつからいたの?」


 マリーさんの知り合いのようだ。


「ずっといたわよ。『ラベンダー亭』が繁盛してるって聞いて見に来たの」

「声かけてくれればいいのに」

「あんなに忙しいのにかけれないわ」

「まあ」


 マリーさんが微笑む。


「ユウ、ルージュ。この人は、私の叔母さんのレア・フォークよ。お父さんの妹ね」


 紹介されて三人で挨拶を交わした。

 あの濃いお父さんの妹さんか。


「叔母さん、座って。何か入れるわ。二人は、掃除を始めてて」


 レアさんがカウンター席に腰かけ、俺とルージュは、掃除道具を取りに行った。


「ねえ、ユウって人間の男の子よね?」

「ええ、そうよ」

「二十ヶ国語くらい喋ってたけどどういうこと?」

「アハハハ、それくらいで驚いてたら大変よ」


 マリーさんがおかしそうに笑った。

 レアさんは、頭にハテナマークを浮かべていた。


「噂通り、お店は大人気ね」

「ありがとう」

「でも、満員じゃないわ」

「……そうね」


 明るかったマリーさんの表情が曇る。


「覚えてるわよね、私との約束」

「約束って何?」


 興味を引かれたルージュが話に加わった。


「マリーは結婚するの」

「マジですか!?」


 俺も加わった。


「お店を満員にできなかったら、よ。期限は三年。その間にお店がお客さんで溢れるくらいにできなかったら、お店をたたんでお見合いするって条件で好きにやらせてもらってるの」

「なんで叔母のレアさんがその条件を出すんですか?」

「このお店は、レア叔母さんに借りてるの」

「それに、私はマリーの母親の代わりだからね」

「母親代わりですか?」

「ええ。マリーの母親、マイアは、病気で亡くなったから」

「あ、そ、そうですか」


 ちょっと言葉に詰まってしまった。


「私が七歳のときの話よ」


 マリーさんが気遣ってくれた。


「好きにやらせてもらう代わりにって条件を出したのはマリーだからね。私は条件の変更なんて認めないよ。あんた、年も年なんだから」

「わかってる」


 マリーさんは、静かに頷いた。



 ……



 レアさんが帰り、三人で店内の掃除。

 食器を拭いてるマリーさんは上の空。

 落っことしそうで危なっかしい。


「満員にできれば、お店つづけられるんですよね? きっとなりますよ」


 励ましたけどマリーさんの口元が少し綻んだだけだった。


「結婚してお店つづければ?」


 ルージュが案を出す。


「レア叔母さんね、お見合い相手に良家の御子息ばかり探してくれてるの。私がうんと幸せになれるようにって」


 例えば貴族の家とかかな。

 貴族の奥さんが食堂経営か。

 ピンとこない。


「どうしてそんなに食堂やりたいのよ?」

「お母さんがね、食堂やってたのよ」


 マリーさんがお皿をじっと見つめる。


「すごく人気のお店でね、いつもお客さんでいっぱいで、毎日お祭りみたいに賑やかだった。私もあんな場所を作りたいの」


 思い出してるのか笑顔になった。


「特にスープが有名で、みんなあのスープを注文してたなぁ」

「だったら、そのスープを作ればお客さんでいっぱいにできるんじゃないですか?」

「レシピが残ってないの」


 なんて惜しい。


「すごく美味しいスープでね、私もお父さんもお客さんも大好きで、あのスープを飲むとみんな元気になって仕事の疲れも吹き飛んだって顔で帰っていったわ」


 どんなスープだろう。

 飲んでみたい。


「うう……そのスープ飲んでみたい」


 ルージュも同じことを考えてた。


「そのレシピって本当にないの? 家のどこかに落ちてるとか。私、目が良いから、あるなら見つける自信あるわ」

「竜人族の目か……」


 マリーさんが少し考える。


「……そうね、二人とも明日の仕事前に私の実家に行きましょう。もしかしたら見つかるかもしれないわ」



 ……



 翌日、予定通りマリーさんの実家に来て、スープのレシピを探した。が、


「ないわね〜」


 一向に見つからない。

 ルージュが椅子に座って一息ついた。


「やっぱりもともとないのかしらね」


 マリーさんは、すでにあきらめモードだ。


「ここは何が入ってるの?」


 ルージュがチェストに手を置いた。


「昔着てた服や布よ」

「開けるわよ?」


 ルージュが引き出しを開けた。


「わ〜、綺麗な刺繍ね〜」


 紅潮した頬で衣類を眺める。


「母がね、そういった刺繍が得意だったの」


 懐かしそうに目を細め、ポケットからハンカチを取り出した。


「これも母が縫ってくれたのよ」


 四つ折りにしたハンカチの刺繍をそっと指で撫でた。


「へ〜、確かに綺麗な刺しゅ……あ」

「どうかした?」

「これ読めます。『長い』って書いてある」

「え?」

「何言ってるの?」


 マリーさんもルージュもキョトンとしてる。


「この刺繍、文字ですよ。いや、文字というかこの一つ一つの刺繍自体が意味を持ってます」

「「ん?」」


 伝わらない。

 二人仲良く首を傾げてる。


「ルージュ、刺繍のある服どれでもいいから一着出して」

「うん」


 ルージュが綺麗な白いドレスを取り出す。

 胸に刺繍がある。


「『結婚』『祝福』『幸福』って読める」


 つまり、文にすると『結婚おめでとう。幸せに』ってところか。


「ええ!?」


 マリーさんが驚きの声を上げた。


「これって結婚するとき、お母さんがおばあちゃんに贈ってもらったドレスよ!」

「うそ!? じゃあこれは!?」


 ルージュが子供服を出した。


「『娘』『健康』『永遠』『願う』って」


 娘がいつまでも健康でありますように、だろう。


「マリー、この服マリーのなの?」

「え、ええ。小さい頃に着てたわ……」


 マリーさんが戸惑ってるような表情。


「じゃあ、本当にこれって字なんだ」


 ルージュがマジマジと刺繍を眺めた。


「……ちょっと待って」


 マリーさんが何かを考えるように口に手を当て、


「思い出したんだけど、お母さんがね、すごく大切にしてた布があるの。刺繍がいっぱいしてある布なんだけど」


 話しながらクローゼットがあるほうへ移動した。


「私ね、小さい頃お母さんに聞いたの。『この布は何に使うの?』って。そしたらお母さん、『美味しいスープによ』って。あの時は、全然意味がわからなかった」


 クローゼットの引き出しを開けて、布を取り出した。


「これなんだけど」


 バッと広げた。


「ユウ、どう?」

「『水』『五リットル』、『チキン』『二羽』、『玉ねぎ』『五個』、『人参』『五本』、『キャベツ』『二玉』」

「レシピだ!」


 ルージュが飛び跳ねて喜ぶ。


「マリーっ、これよ! これがママさんの作ってたスープのレシピだったのよ!」

「え、ええ、そうみたい」


 気の抜けた返事のマリーさん。


「どうしたのよ? 嬉しくないの?」

「だ、だって、まさか本当にレシピがあったなんて。しかも、こんな形で」


 まだ信じられないんだろう。

 マリーさんがハンカチをキュッと握り、


「そうだ。ねぇ、ユウ? これは何が書いてあるの?」


 それを俺の前に広げた。

 さっきも見たハンカチ。


「これね、お母さんが病気で亡くなる前、私にって刺繍してくれたの」

「『娘』『長い』『命』『願う』って読めます」


 つまり、


「『この子が長生きできますように』っていう……」

「……」


 マリーさんがハンカチに視線を落とす。


「お母さんこそ……長生き、してよ……」


 涙が落ちた。

 ポタリポタリとハンカチを濡らす。

 マリーさんは、床にしゃがみ込むと、ハンカチに顔を埋めて泣き出した。


 俺とルージュは、顔を見合わせそっと廊下に出た。

 扉の向こうからは、いつまでもマリーさんの嗚咽が聞こえていた。



 ……



 その日、店に帰り仕事が終わったあと、マリーさんは徹夜でお母さんのスープを作った。

 完成したスープを飲んで、また少し泣いていた。



 ……



 数日後。

 味の微調整をしてスープをメニューとして出すことになった。

 夜の酒場の時間。

 閉店の時間になり、お客さんが帰る準備をする。


「明日休みてぇなぁ」

「仕事やる気しねぇ」


 楽しかった時間が終わってブツクサ言ってる。


「みんな今日もありがとう。最後にこれ飲んで」


 マリーさんがサービスでスープを配る。

 お母さんのレシピで作ったスープだ。

 お客さんがお礼を言ってスープに口をつけた。

 みんな、驚いたように眠そうだったまぶたをパッチリと開き、あとは無言でスープを飲み干して、


「うめー!」

「美味しいー!」


 大満足の声を上げた。


「こんな美味いスープ飲んだことねぇよ!」

「これ明日も飲みにくるわ!」

「なんか急に元気になってきた!」

「明日も仕事がんばるか!」


 みんな笑顔で帰っていった。

 マリーさんは、嬉しそうな顔でお客さんの後ろ姿をずっと見送っていた。

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