19 エルフ
『ラベンダー亭』。
お昼の食堂が終わって休憩の時間。
「わざわざ皆での見送りありがとう」
お店を出たところで、白いローブを着た短い髪の老人がお礼を言った。
ザンプロージア皇国の民で神官、エンヤ・ロッドさんだった。
昨日、ヒュドラを倒したルージュが、『天宿の剣』をエンヤさんに返すため店を出たところ、道中で本人に会った。
不吉な影が視えたと占いに出た俺たちを心配して、仲間数人と訪ねて来てくれたのだ。
「こちらこそ、心配してくださってありがとうございます」
マリーさんがお礼を言って俺たちもそれぞれに感謝を表した。
エンヤさんは、昨日ウチに泊まり、今から帰るところだ。
「それで」
とルージュ。
「これ、本当に貰っていいの?」
手に持つ仄白く光っている大剣『天宿の剣』を撫でた。
「ああ。やはり剣は使われてこそだ」
昨日、ルージュからヒュドラを倒した話を聞いて、エンヤさんは決心したのだった。
「それに、ルージュなら良い使い方をしてくれる。これまでの所有者であった、歴代の皇王がそうであったようにな」
「ありがとう。でも、やっぱりいつか返しに行くわ。だから、少しの間貸しててね」
「やはりお前さんは良い子だ」
目尻のシワを深くして微笑んだ。
「ロッド神官、そろそろ」
付き添いの女性が馬車へ促す。
「うむ。『ユウ、お前さんは綺麗な皇国語を話す。ザンプロージアの民になりたければいつでも来い』」
「『ハハ、考えておきます』」
皇国語で返すと、付き添いの女性が目をパチクリさせていた。
「ではな。くれぐれもシャープ王家には剣を渡さんでくれよ」
シャープ王家のことは、今でも好きになれないらしい。
ここにはアンもいるが、口を閉じて無関係を装っている。
エンヤさんが馬車に乗り、御者が馬を発進させた。
「ありがとー、エンヤおじーちゃーん。また来てねー」
みんなで手を振って見送った。
……
夜の酒場。
「ユウさん、ご馳走様っした!」
席を立ち、元気に挨拶したのはアイビー君。
約一ヶ月前。
北国から出稼ぎでベーリーの街にきた少年。
まだ十五歳だ。
「いつもありがとうな」
「自分、も、あざっす! 共通語、たくさん、溺れました!』
「『溺れましたって言ってる』」
「『あっ、しまった!?』。覚えました! 『どうですか!?』」
「完璧」
最初は、共通語がさっぱりだったが、仕事が終わると毎日『ラベンダー亭』に来て、俺と話して共通語の勉強をし、今はこの通り。
感慨深いものがある。
「あざーっす!」
ただ、せっかくだし礼儀正しい喋り方をと教えていたら、なぜか野球部員みたいになってしまった。
まぁ、礼儀正しくて怒られることはないからいいだろう。
「おう、アイビー。帰るのか?」
今日も研修中のジオさん。
「腹一杯になったか? ん?」
「はい!」
「よしよし。飯以外でもいつでも気軽に来い。がんばれよ」
「はい! あざっした! 失礼しゃっす!」
やっぱり野球部員みたいに元気に挨拶して帰って行った。
ジオさんは、面倒見がいいタイプ。
学生に慕われる食堂のおっちゃんとかになりそう。
「ユウ」
店内からお客さんの声。
愛嬌のある可愛い雰囲気の女性、ロア・リュートさん。
「はい。注文ですか?」
「もう一度好きって言って」
「またですか? もう何度も言ってるじゃないですか」
「お願いよ、確認したいの。ねぇ」
「わかりましたよ。んんっ……『好きです』」
「こう? 『スきデす』」
「まだ発音変です」
「も〜、エルフ語難しい〜」
ロアさんがうなだれた。
「またやってるわ」
ロアさんを見てルージュ。
「あれは何をやっているんですか?」
わからないアン。
「エルフ語をユウに習ってるの。いつかエルフ語で告白したいからって」
そういうことだった。
「エルフ語も話せるんですね、あの人は。確かにあの綺麗な響きは、世界一美しいと言われているエルフ語です」
「声だけ聞いてると、まるでエルフね」
「ええ、声だけ聞いてると、まるでエルフですね」
言い方がすごい引っかかる。
「あ〜あ、手紙の返事まだかな〜」
待ち遠しいロアさん。
エルフ文字で俺が代筆した恋文。
「きっともうすぐきますよ」
「だといいなぁ」
「相手のエルフってどんな人なんですか? 確か、ユリス・ファーって名前でしたよね?」
「えっとね、仕事で何度か会ってるんだけど、とっても素敵な絵を描く画家でね」
とそこへ、チリンチリンとドアベルが鳴ってお客さんが入ってきた。
白金色の長い髪に整った容姿、笹穂型の耳。
「ユリス!」
ロアさんが勢い良く椅子から腰を上げた。
てことは、あの人がロアさんの想い人のエルフか。
初めてエルフ見たけど、とんでもない美男子だ。
「あの方がユリス・ファーさんなんですね?」
「う、うん。人が多いところが苦手なのに、珍しい」
興奮気味に教えてくれた。
ふと気づけば、店内が静まり返っていた。
男女問わず、ユリスのあまりの美貌に見惚れるを通り越して絶句していた。
エルフは美男子という俺の知識を遥かに上回る美男子。
煌めいているような白金髪で小顔、細く長い首、透き通るような白い肌。
どこか儚げで、憂いを帯びた眼差し。
ちょっと見たことがないくらいの綺麗な男性だった。
と俺も一緒に見てる場合じゃなくて、
「いらっしゃいませ」
「この手紙を書いた者はいるか?」
迎えたが、スルーしてユリスは、手に持っていた手紙を頭上に掲げた。
声も綺麗だな〜……あ。
あれってロアさんの。
「手紙に、夜の『ラベンダー亭』によく来ると書いてあったが?」
「あ、は、はい!」
ロアさんが緊張した声で手を上げた。
「お前が?」
眉根を寄せるユリス。
こっちに来た。
「お前が手紙の差出人のロアか?」
「は、はい!」
「お前がこの美しいエルフ文字を書いたと?」
「あ、そ、それって代筆してもらったの」
「何?」
「で、でも、内容はちゃんと私の気持ちで」
「そんなこと聞いていない。中身などどうでもいい」
冷たい目で酷い言葉。
「ご、ごめんなさい……」
ロアさんは、怯えたように謝った。
あまりにあんまりな返事にかける言葉が見当たらない。
「ならば、これを書いたのは誰だ?」
「お、俺です」
「ん?」
ユリスが俺を見た。
またしかめっ面になった。
「お前がこの美しいエルフ文字を?」
「そうです」
「嘘をつくな。その若さでこれだけの文字を書けるものか。書いたやつはどこだ?」
「いえ、本当に俺が」
「お客様、どうかなさいましたか?」
マリーさんがカウンターから出てきた。
「なんでもない。口を挟むな」
偉そうに。
さっきから何なんだこの人は。
「お客人、もしかして冷やかしですかい?」
ジオさんがずずいと顔を寄せて聞いた。
「俺は、この字を書いた者に会いたくてきた」
「字ですかい?」
「ああ。俺は、二百年以上生きているが、未だかつてこれほどまでに美しいエルフ文字を見たことがない。一体誰が書いたのか、その者に会いたくてここへ来た」
「ですから、俺が」
「いい加減にしろ!」
声を荒げる。すると、
「う」
いきなり大声を出して目まいでもきたのか、よろめいてテーブルに手をついた。
「大丈夫ですか?」
手を伸ばす。
「いらん!」
パンッと手を払われた。
マジで何だよこいつ。
「も、もういい」
ユリスがフラフラと出口へ歩き出した。
しかし、結局扉の前で床に座り込んでしまった。
動かない。
「大変。ユウ、手を貸して」
「はい。外に放り出しましょう」
「ユウ」
視線で怒られた。
「冗談ですよ。客室に運ぶんですね」
ユリスの腕を持ち肩に回す。
今度は振り払ったりされない。
「立ちますよ」
と断って顔を覗き込むと、
「すぅ〜」
ユリスは、寝息を立てて眠っていた。