プロローグ~推しの夢を見た日~
――夢?
目を開けたら、煌びやかな中世風の建物の中だった。ここは知っている。いつもやっている乙女ゲームの世界の中だ。
夢だと思うのだけど、何かがおかしいな、と思う。たくさんの飾られている花の香りが鼻孔をくすぐる。床を歩く私の靴の音が、妙に生々しく響く。
「お前が魔王だったのか……!?」
大きな声が聞こえた。この声は、ゲームの中の人の声だと思う。
「いやあぁぁ」
「助けて!」
「サースティー・ギアンめ!!」
悲鳴とともに、聞き捨てならない言葉を聞いた。大好きな推しキャラの名前だ。
――サース様!?
廊下を、声の聞こえた方向へ走ると、大きなホールのような場所に出た。
そこには夜会のような、煌びやかな衣装を着こんだ人たちが溢れていた。けれどその顔には恐怖の表情を浮かべている。
人々の視線は一か所に向けられていた。
そこにいたのは、漆黒を纏う、一人の美しい青年だった。
透き通るような白い肌に、女性のように繊細な、作り物のように整った顔立ち。細身の体はスラリと背が高く、長い黒髪は艶やかに舞い、その姿はまるで美の化身。
私の心臓はどくりと跳ねる。
この世で一番美しい宝石を見せられたんじゃないかって思う。夜空に輝く星のように、キラキラと世界を輝かせる人。
彼を中心にして、黒い色をした風のようなものが巻き起こっている。
彼の腰より長い黒髪が生き物のようにゆらゆらと揺れる。黒曜石のような瞳は、何も映していないかのようにどこか遠くを見つめていた。
――間違いない。あれは、サース様……。
吹き飛ばされそうな強い風に耐えるようにしながら、会場の人々は彼に怯えていた。
「魔王を倒すぞ……!」
そう言ったのは、乙女ゲームの中の王子様で。
王子様を囲んでいるのはその他の攻略対象と、ヒロイン聖女で。
――ああ、これはゲームの中で魔王を倒すシーン。
そう分かったのだけど、ゲームをしている時のようには見守れなかった。
だって、生々しい。
目の前のサース様は美しくて、黒色の強い風は恐ろしくて、まともに息が吸いこめなくて。
「ミュトラスの神よ、私に力を……!」
ヒロイン聖女が神に祈りを捧げるポーズを取る。
ああ、駄目だ、と思う。
だって、彼女の祈りが仲間に力を与え、魔王を倒してしまうのだから。
ヒロインと王子様、その仲間たちの魔力が一つになってサース様に向かう。
すると彼に当たり、爆発するようにして闇色の風が霧散していく。表情を失くして床に倒れるサース様。
ゲームの中で何度も何度も繰り返し見た光景。止めることなんて出来ないもの。だけど。
「……いやぁぁぁぁぁ!!」
それでも私は、夢の中、思いきり叫んでいた。
◇◇◇
大好きな乙女ゲームがある。
タイトルは『二つの月の輝く下で……』。三年前に発売されたゲームだ。
それは聖女がヒロインの、中世ヨーロッパ風の学園で繰り広げられるラブロマンスものなのだけど、攻略対象の一人に『彼』がいた。
彼の名前は、サースティー・ギアン。
通称サース様。代々魔法使いの家系に生まれ、稀有な魔力をその身に抱え持つ、影のある表情をする青年だ。
漆黒の長い髪を艶やかに靡かせ、整い過ぎた顔立ちに高貴な気品を漂わせながら、長い睫毛を伏せヒロインを見下ろす彼の、その不機嫌そうな眼差し。
心の内に闇を抱え持つ、悲し気な表情。
気だるげなたたずまい。
――ああ、良い!何もかもが、良い!心鷲掴みだったよ!
私は、何度!悶え転げ回ったことか!……本当に何度だろ?10000回くらい?この先何倍でも増え続けるだろうから数える必要もないけど……ともかく私は彼に恋をした。
中学1年の時に発売されたそのゲームをやり続け、会話もスチルも何もかも暗記してしまった。
大好きだけど……これ以上、もう彼の情報が増えることなんてないんだな、って思っていた、そんなある日だった。
高校1年生になったとき。
ゲーム会社のSNSが、第二弾を発売する予告を出したのだ。
――サース様にまた会える……!?
夏休み前に発売されるというそのゲームの予告を何度も何度も100回くらい見てしまった。大興奮だよ。
だって、心の中には何年もずっと……彼が居た。
受験を失敗して辛かったときにも。
親が家にいなくて寂しいときにも。
友達関係でもめごとが起こったときにも。
いつもいつも。サース様がいた。
辛い時に、彼のことを思い浮かべるだけで元気が出たのだ。
心の中に溢れる幸せな気持ちが、どんな時も私を支えてくれた。
私はきっとまだ、本当の恋は知らないのだと……思う。
クラスの男の子のことを、良い人だな、とか、カッコいいな、って思うこともあったけれど、焦がれるほどの気持ちを抱けたことはなかった。
それでも私は恋を知っていた。
サラリと黒髪をなびかせて、時折悲しそうに笑う、心の穴を埋めるように愛をささやく「彼」を。
私は恋心以外の気持ちで見つめたことはなかった。
現実の人ではないから。
私の恋する彼は、頭の中のきっとただの理想の王子様のような人。
私を傷付けることが絶対にないから……どれだけ好きになっても大丈夫な、ただ心を満たしてくれる存在。
きっと、本当の恋を知るまでの、疑似恋愛なんだよって、人は言うんだろうけれど。
それでも、こんなに幸福にしてくれるなら、これが初恋でいいんじゃないのかなって。
私はそんな風に思っていたのだ。
◇◇◇
『ねぇ、何を願う?』
倒れ行くサース様を前にして思いきり叫んだ私の前に、ぽんっと不思議な生き物が現れた。
小さくて羽の生えた、白い衣を着た天使様みたいに見える。
『聖女の願いは、この世のどんな願いも叶えるよ。君の望むものはなんでも。ねぇ、君の願いは?』
「え、え……?」
謎の天使。
混乱が極まる中、私は泣きそうな気持ちで言った。
「サース様を助けて……」
彼が助かるのは、彼のルートに入ったときだけだ。
他のルートでは彼一人が死んで、めでたしめでたしになる。そんな物語なんていらない。
『うん。了解。時間を撒き戻す。だけど、出来るのはそれだけ』
だんだんと、意識が薄れていく――
『因果は変えられない。だから、変えたいのなら、それは……』
意識が消えていく。
『君が、変えるんだよ』
(不思議な夢を見た。変な夢だった。夢の中だけでも、サース様を助けることが出来たらいいのにな。4月26日土曜日)