第7話 真織
今日で七月になったと遠坂真織はカレンダーをめくり忘れていた事に気が付いた。
兵庫の病院で重い心臓病と診断され、一時は余命半年と宣告されたが、徐々に回復の兆しを見せ、宣告されてから三年が経つ。
ゆっくり身を起こし、病室のベッドから窓の外を眺める。
ここのところ比較的体調がいい。外に出てみたいな…とゆっくり体を窓に向けた。しかし立ち上がることはできない。そのまま空を飛ぶ鳥を目で追い続けていた。
自由に飛びたいなあ。死んだら私も自由に飛べるのかな…。
中庭のムクゲが咲き誇り、夏の到来を告げているようだ。
花びらが二枚、風に吹かれてくるくると戯れあっている。綺麗だな…。
そんな事を考えていると、病室のドアが静かに開いた。
「あら、真織。起きてたの。今日は調子よさそうね。」
母の美沙が手早く洗濯物を片付けながら微笑んだ。
「お母さん、今日は仕事、いいの?風の女は見つかったの?」
真織の母は兵庫県の警察に勤務する公安職員だ。ここ最近ネットを賑わせた日本人男性の拉致とそれを救った黒い女の事件で多忙にしているはと聞いていた。
「しー。それは極秘事項の話だから、簡単に口にしちゃダメ。」
「でもお母さん、私に言っちゃったじゃん。」
笑いながら真織が言うと、
「それはあなたに長生きしてもらう為よ。公安に入りたいんでしょ。病気が治ったら協力してもらわないと。」
「そりゃ、病気を克服できればね。でも何で、東京の警察のトップしか知らない情報を知ってるの?」
美沙は洗濯物から目を離さないまま答えた。
「お母さんは情報に敏感な人間だからですー。それに元々兵庫の公安は外事に強いしね。」
美沙はあらゆる情報を素早く収集する能力に長けていた。
「あはは、何それー。でも、私の病気もちょっとずつ良くなってきてるし、本当に治ったら、真剣に公安に入りたいな!」
美沙は、真織が時々こうやって母を悲しませないよう、努めて笑ってくれる事をよく分かっていた。いただけに一人の時は何度もむせび泣いた。そして真織の所へ行く時は笑顔で戻る。
そんな事を繰り返して日にちは過ぎていったが、今の真織は随分体調が良さそうだ。
美沙にとっては本当に安堵する日々が続いた。
仕事が忙しく病室へ行けない日もあったが、真織はどんなに苦しくても、決して弱音を吐かなかった。
そんな真織の姿を見て、以前は、もう仕事を辞めようかと思った事もあった。
最愛の夫を病で早くに亡くし、母子家庭になってから、真織が唯一の生き甲斐であった。
真織のそばにいて、少しでも良くなってくれるのなら、誇りを持っているこの仕事を辞めても構わないと思っていた。
(けど…。本当に完治したら、一緒に働ける日々がやってくるのかしら…。)
美沙は洗濯物を仕舞いながら、自然と微笑んでいた。
その時、美沙の携帯が鳴った。
「もしもし?」
知り合いの様だ。美沙が笑顔で親しそうに答えている。美沙は真織に、笑顔でドアの外を指して、真織の頷く顔を見てから病室の外に出た。
美沙が応答すると、電話の相手が真織の体調を問う。
「相変わらずよ。病状はずっと厳しいけど、ここのところ随分良くなってる。そっちこそどうしてるの?元気?」
電話の相手はゆっくりと話始めた。短い会話だったが美沙は全てを察した。
「大丈夫よ。心配しないで…。」
窓の外を見ながら、美沙は声を抑えて言った。
窓から見える中庭にはムクゲが美しく咲いている。満開を迎えた色鮮やかな花びら達が、急な風に煽られて木から離れてしまった。そして幾重にも重なって舞い上がり、真夏の空へと向かって消えていくのを、ずっと目で追い続けていた…。