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風を操る女  作者: 冬戸 華
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第6話  10年前の事件

 賢吾は十年前の出来事を鮮明に覚えていた。順を追って詳細に一つ一つ思い出していく。


 賢吾が警察庁に入庁し公安課に配属され、仕事にも慣れてきてこつこつと成果を積み上げ続けていた頃だった。

その時は、某国にある日本大使館へ赴き、日本企業に対する産業スパイの情報を確認する任務にあたっていた。


 まだ幼稚園に通い始めた涼と妻を残し、長期に渡りそうな出張を恨めしく思ったが、日本を必ず守って見せるという揺るぎない信念が、賢吾を真摯に仕事に向かわせていた。


 日本企業の持つ精緻な工業技術は、利用の仕方によっては軍事転用が可能で、核の開発にも応用可能だ。

他国のスパイが多く流入する時代であった日本は、このイタチごっこに苛立ちを感じていた。疑わしき案件の情報が入れば一つ一つ地道に情報を集め、確実に検挙する事を目標とするこの仕事は、日々の忍耐と情報戦争の最前線にいる緊張感との戦いだった。


 現地に滞在して数日が経った頃、賢吾は私用で大使館を車で出た。


 これが間違いだった。大使館を出て路地を曲がった所で別の車に衝突された。

はじめは事故を起こしたかと思ったが、次の瞬間衝突してきた相手の車から数人の武装した男たちが飛び出してきた。


 とっさに賢吾は車内に身をかがめ銃を手にするが遅く、男たちに複数の銃を突き付けられた賢吾は、車外に引きずり出され頭を強打された。

意識が朦朧として動きが鈍くなり、持った護身用の銃が手から離れる。

そして男たちに手足を縛られた後目隠しの為、頭から布を被せられ視界を失った。

再度頭を何かで殴られ、賢吾は意識を失った…。


 しばらくして賢吾は意識を取り戻した。目隠しは外されているようで、ゆっくり目を開けると、視界にぼんやりと灰色の壁がうつった。

(ここはどこだ…。一体何が起きているんだ…。)


 痛む頭を押えながらそろりと辺りを見て、状況を把握しようとする。

まず視界に入ってきた物は、窓のないコンクリート壁の無機質な四角い部屋だった。部屋の一面は頑丈な鉄格子で塞がれている。鉄格子の外側に、銃を構え武装した男が二人立っている。

そして、部屋の中の片隅に四人の男が集まって座っている。座っている男たちの表情は恐怖で固まっていた。


 (これは…。人質として閉じ込められているのか…。)


 何となく状況を理解し始めた賢吾に、徐々に不安が襲って来た。

(あの銃は何だ。殺すつもりか。目的は何だ。)


 これは何とか助けを求めねば…。しかし、案の定携帯は手元になかった。

同じ室内にいた男性に声を掛けると、全員国籍が違うようだ。話す言語も様々だ。賢吾は、他の四人に何が起こっているか英語で尋ねてみるが、皆、賢吾と同様に襲撃され意識を失い、ここまで運ばれてきたのだと言う。


 コンクリートの壁と太い鉄格子…。武装した男。何も携帯していない丸腰の自分…。脱出は不可能に思えた。

絶望的な状況に命の危機を感じながら、二日程経っただろうか…。


 突然、建物自体を揺るがすような凄まじい風の音と地響きがした。

思わず、人質の五人は部屋の隅に固まって身をすくめ頭を覆った。

(何だ、嵐か?にしては風が強そうだ…。)


 次の瞬間、ガラガラっと建物が崩れるような音がし、突風のような強い風と共に部屋の中に激しい砂埃が吹き荒れた。

続いて銃声が数発聞こえる。

(何だ?襲撃か?それとも爆撃か?)

全く状況が理解できず、賢吾は聞こえた銃声から身を守る事だけに必死になった。


 しかし、銃弾は一発も賢吾達には当たらなかった。

(何が起こっている…。)

必死に事態を把握しようと、砂埃の舞う室内で目を凝らしていると、鉄格子の向こう側に人影が見えた。

(さっきの武装した男か?殺されるか…。)


 恐怖と混乱を必死に抑えつつ、鉄格子の向こうの人間に目を凝らしていると…。

立っていたのは女性だった。しかもたった一人だ。ヒジャブとニカブを着用しており、顔は判らない。


 敵か味方か…。


 賢吾はただじっと固まる。

砂埃がやや薄らいでくる。少しだけ視界が確保できるようになる。


 すると女性は、まるで何かを薙ぎ払うかのように右手を振った。

その瞬間、起きた風と共にまるで小枝でも払うかの様に、いとも簡単に太い鉄格子が薙ぎ払われた。


 (何者だ?何をした?)

賢吾は完全に混乱した。


 その女性は何かを持ち上げるように、スッと両手を掲げた。すると、人質となった五人にゆるく風が纏わりつき、何と五人共まとまって宙に浮いたのだ。

賢吾同様、その場にいた人質達の全員が狼狽しいていた。

そんな事など全くお構いなしの様に、女性は五人を伴って空へと上昇した。


 思考力を失った賢吾は、ただ呆然とこの事態に身を委ねていた。

賢吾達は、どうやら空を飛んでいるらしい…。

下を見下ろすと、大きく破壊されたコンクリートの建物、頭から血を流して倒れている、多くの武装した兵士たちが見えた。


 そしてそのまま空を飛び続け、日本大使館まで来ると、五人は敷地内にドサッと降ろされた。

降ろした直後に女性はちらりと賢吾の方を見た。


 目と目が合った。


 が、すぐに女性は上に向き直り、今度は弾丸のような速さで飛び上昇し、あっという間に見えなくなってしまった。


 騒ぎを聞きつけて、大使館の職員達が駆け寄ってくる。

(た、助かった。のか?空を飛んで?)

自分の身に起こった事なのに、全く訳が判らない。


 集まってきてくれた職員や警備員に何か見ていなかったか聞いてみるが、誰も賢吾が大使館内に入って来るのは目撃していないという。ただ、物音を聞いた警備員に発見され現状に至ったらしい。

後で監視カメラを確認するが、当時の画像は荒く、はっきりと状況が確認できない。


 混乱する頭で、今起きた事を順に思い出し、整理しようとする。

おそらくあの女性は、風圧か何かで建物を破壊し、砂埃に紛れて過激派の兵士を射殺し、空気か風を操って賢吾達を救出してくれたという事で間違いないだろう。


 そして、顔は判らなかったが、目が合った瞬間をはっきりと覚えている。

切れ長で大きく睫毛の長い、美しい目だった。

印象的だった。

大きな目ではあったが、おそらくアジア人女性の目だろう。その形によく似ていた。


 しかし、空気か風か何かで建造物を破壊し、人を浮かす…。

超能力としか表現できないが、そんな力を有する人間がいるのか?いや、いた。確かにいた上に自身が経験した。


 が、この状況をどうやって上層部に報告しようか…。

頭でもおかしくなったと思われても仕方ないような話だ。

が、事実だ…。


 とりあえず上層部に報告する。

案の定、始めの内は、賢吾が精神的にダメージを受けた為、おかしな報告をしてきたと思われていたようだったが、それぞれの国に帰った他の人質も同様の証言をした為、賢吾の話す内容には信憑性があると判断して貰えた。


 指示を受け、日本と現地で謎の女に関する情報収集にあたったが、何も手掛かりになる情報は浮上してこなかった。


 同じく人質をとられた他国の情報機関も、詳細の調査に当たり始めていた。

そして、謎の女はアジア女性の様だったとの証言を受け、日本の女性が疑われ始めた。あの場にいた人質の内で、アジア人だったのは日本人である賢吾ただ一人だ。その同族を救いに来たのではないか。

 

 そして、日本が危険な能力を有する人間を匿っているのではないか…。

 日本はこれを自国にとって有益に利用しようとしないか…。


 密やかに各国の情報機関が、日本が抱える機密情報を探り始めた。が、日本同様、彼らも決定的な情報は掴めなかったようだ。


 微妙な国家間の摩擦が起きた。


 賢吾は日本に戻ってから必死に詳細を説明したが、上層部の集まる会議内で、結局は強盗に襲われた賢吾が、自力で大使館へ戻ってきたという事で処理しろという指示を受けた。


 他国から危険視されたくはない…。

内密に処理しなければいけなくなったのだと賢吾は理解した。


 しかしあの美しいとも思える目だけは強烈に印象に残った。



 あれから十年。その黒い何者かのおかげで今生きているようなものなのか。

長い間忘れかけていた記憶が鮮明に蘇る。 

黒いヒジャブを纏って男を抱え空を飛んだ女。


 (多分間違いない、同一人物だ。)


 当時若手だった賢吾の権限では、女に関する情報は何も得られなかった。

おそらくその当時の資料や情報は全て抹消されているだろう。

だが、今一度調べ直して見たかった。何か手掛かりになる情報が残っているかもしれない。


 今や課長になった賢吾には多少の権限もある。普通ならアクセスが難しい機密情報を検索する事も可能になった。

が、それは後でやろう。まずは現状をどうするかが先決だ。この後の会議で、各国から日本に疑いがかかる前に、対処法を考える予定だ。


 しかし、会議で行われるはずの議論は先に結論が出ているようなものだった。

既に各国の情報機関が、黒いヒジャブの女が何者か、総力を挙げて情報収集にあたり始めている。十年前と同じだ。

もちろん他国からは日本人も疑われ始めていた。


 会議で通達された結論。

それは、もし謎の女が日本人であった場合、他国に知られる前に内密に射殺せよとの指令が下った。


 竜巻のような風を起こして堅牢な建物を破壊し、容易に侵入してテロリストをあっさり射殺した人間。さらっと鉄格子を薙ぎ払って、人質になった男性達を解放した人間。さらには全員を軽々と抱え空を飛んだ人間。

つまり、どこからでも出没でき、狙った標的をいとも簡単に抹殺して逃げ切れる危険な能力を持っていると見なしていいだろう。

 

 そんな超人的な能力を有する人間がこの世に存在するのかと誰もが疑うが、賢吾は過去の経験から知っている。間違い巻く経験したのだから。

 

 しかし、そのような力を有する人間の存在は、政治家や宗教家、どこかの国の独裁者など、権力を持つ一部の人間たちにとっては恐怖の対象でしかないだろう。


 (まるで狙った所へピンポイントに打ち込める小さな核爆弾みたいだな)

賢吾はそう思った。


 早速具体的な指示が下る。警察庁警備局は情報の機密性から、極一部の人間で内密に活動を開始すること、黒いヒジャブの女が日本人であった場合、正体がわかり次第極一部で構成された公安の人間で射殺し、証拠を抹消すること、必ず他国に知られる前に、速やかに実行すること。

会議とは名ばかりだった。


 公安内には、秘密裏に特殊部隊が結成されていた。つまり、特殊部隊の人間で射殺せよという事だ。


 そして黒いヒジャブを纏った女性には『風の女』とコードネームがつけられた。

 

 そう指令が下ると号令と共に会議は解散した。機密事項なだけに特殊部隊の人間でしか活動できず、賢吾も管理職でありながら情報管理にあたりつつ現場に張り込みに行くことになった。





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