第2話 人質事件
時刻は午後八時を回っていた。警察庁の公安課に勤務する課長の桐谷賢吾の仕事は日々忙殺を極めており、突然の出張や帰宅が午前になることも珍しくなかった。
家事や一人息子の涼の世話は妻に任せきりのまるで昭和スタイルな家庭。共働きや夫の家事育児参加が当たり前の光景になった世の流れに逆行していると賢吾は常々思うが、目の前に積まれた書類の量を見て、何も言わず献身的に支えてくれる妻のおかげでこれだけの事をこなせているのだと改めて感謝を感じる。
ふと家庭に思いを馳せた賢吾は、たまには早く帰ろうと働きすぎな自分を少し自嘲し書類を片付け始めた。
その時、デスクの電話が鳴った。席を立とうとした賢吾は座り直し応答する。電話の相手は努めて丁重に報告しているようだが、やや焦りを隠せないほどの早口だった。
内容は、紛争が絶えない某国の過激派組織が、現地企業の日本人と他国の数人の男性を人質に取っているという内容だった。過激派組織は、自分達の仲間の何人かがその国の政府に拘束されており、組織の仲間の解放と人質の解放の交換を要求をしているという。要求が認められない場合は、人質の殺害も辞さないと脅しをかけてきているとの事だった。
脅しか本気か。いや、本気だろう。
以前から紛争地帯のある国では、似たような人質解放要求に関する脅迫が度々起こっている。
そこへ今回は日本人が巻き込まれてしまった。
とにかく上層部へ現状の一報を入れる。それから受けた指示の元、各国の情報機関に連絡をとる。
某国に日本大使館はない。なら、近隣のアラブ共和国の大使館は何か情報を掴んでいるのか、アメリカやイギリス、他国の情報機関とも連絡をとり、また日本政府が何かしら情報を掴んでいないかもう一度確認する。
人質となった日本人の命がかかっている。早急に情報を集めなければならない。
賢吾は脳内が騒がしくなるのを務めて冷静に保ち、次に取るべき行動を模索していた。
翌日、政府はこの件を世間に報道すると決定した。報道陣に伝えられた内容は、大まかに日本人男性が某国で過激派組織に人質として捕られている事、現地の企業に勤めている事、
過激派の仲間の解放の要求に応じなければ、捕らわれている人質の命を保証しないと脅している事などが伝えられた。
日本中が、この報道に驚き戦慄した。各報道では、トップニュースとしてこの事件を放送した。国民の多くが日本人男性の安否を気遣い、政府に対して迅速に行動するよう声高に叫び始めていた。
しかし、翌日。突然近隣の日本大使館から緊急で連絡が入った。
何と、人質となった男性は無事大使館で保護されたという。
(良かった…。)
安堵と共に報告の続きを聞いていた賢吾は驚く。
その内容とは、男性が開放された経緯だった。
なんと、その男性は、黒いヒジャブとニカブで顔を隠した、たった一人の女性に助けられたのだと言う。
さらに驚くべき事に、男性の証言では、その女性は風で建物を破壊し、過激派組織を射殺後、人質全員を抱えあげ、空を飛んで大使館まで避難させたのだという。
それを聞いて、賢吾の脳裏に十年前の出来事を鮮明に思い出した。
自分でも信じられない事だったが、実際に起きた事件だった。
政府の上層部は、始めの内こそそんな非現実的な事があるのかと全く信用していなかったが、時間が経つにつれ、一部の者達がある事件を思い出していた。
それは、十年前、政府が国民や他国に知られる前に、秘密裏に抹消したある事件だった。
そして、その一部の上層部の人間の脳裏には、皆同様に賢吾の顔が浮かび上がっていた。