表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

タカラモノ【Alith_Link】

作者: 都築

自創作掌編。

サーフィニウスとミュー。旅が始まる前の、母と娘の一幕。

 鏡台の前にちょこんと行儀よく座った姿はさながら仔猫だ。後ろに回って小さな頭越しに鏡を覗き込むと、まばたきを繰り返すくりくりとした蒼い瞳と目が合った。その奥に見え隠れするいとけない好奇心と期待。サーフィニウスは思わずくすりと笑みを零す。


「ごめんね。お姫様をお待たせしてはいけないね」


 ゆるく波打つ撫子色の髪をすくい取り、手にした白木の櫛でひと房ひと房丁寧に梳く。ほのかに浮かび上がる陽だまりの匂い。春の匂い。自分のそれとは少し質の異なる少女の髪は子供らしく細やかで、綿毛のようにふわふわと絡む感触が指先に心地好い。

 こちらの手の動きに合わせて、ミューの頭も時折ひょこっと楽しげに揺れる。


「痛くないかい?」


 ん、とまだぎこちなさを残す淡い表情で頷き、ミューは先をせがむようにサーフィニウスの胸元に頭をもたせかけてくる。無防備な仕草には微笑ましさを越えていっそ危なっかしさすら覚えるけれど、かえって愛らしくもあるのだと気付いたのは、この子と暮らし始めてからのことだ。


 ──誰かの髪を整えてあげるなんて、いつ以来だろうか。


 過去も身寄りも、記憶の一片さえも持たなかったまっさらな『モノ』。引き取った当初こそ右も左も判然としない人形同然だった少女は、養い子として自分の手元で共に過ごすうちに少しずつ自我の萌芽を露にするようになった。自らの意思で考え、求め、行動する、器ではない生身のヒト。

 だからサーフィニウスは、一歩一歩日増しに感情豊かになりつつある少女に、何か欲しいものはある?と訊いてみたのだ。


「君が望むなら、もっと別のものでも用意してあげられるのだけれど……」


 リボン、がいい。サフィに、むすんでほしい。ミューが乞うたのはそれだけだ。何かを望む自由すら手探りで持て余している幼子の、ささやかな我儘。不確かな道筋を手繰るように、胸中を確かめるように、蒼い瞳はじっとこちらを見上げていた。その眼差しに打たれて、ああ、私はこの子の、この目に弱いのだと思い知ったときのどこか面映ゆい感情を、今も鮮明に思い出すことができる。

 絆されてしまっている自覚は、多分に、ある。


「ううん。いいの。わたし、これがいい」

「そうだね。──さあ、できたよ」


 満遍なく櫛を通し、仕上げに手櫛で軽く髪を撫でつけてからミューの両肩に手を置き、鏡越しにあらましのほどを眺める。ミューの目がぱちりと大きくひとつ瞬き、髪を彩るそれを見とめて輝いた。


「……わぁ……!」


 肩口に届くふわふわの蓬髪、その左側方からより分けて編み込みを加えたひと房を、控えめに結われたリボンが飾っている。先端に白のラインをあしらった布地は、ドレスの色に合わせた深い臙脂だ。


「私の手作りだよ。簡易式だけれど、君の魔力の波長に合わせて守護の術式を組み込んであるから、お守りにもなる」


 よほど感じ入ったのか、少女の手が何度もリボンの結び目に触れてはその輪郭をたどる。サーフィニウスは冗談めかして笑いかける。


「気に入ってもらえたかな?」

「……サフィ、」


 一瞬の間を置いて体ごと少女がこちらに向き直る。眩しげに注がれる無垢そのものの眼差しを受けとめることにはとうに慣れたはずなのに。

 今はなぜか自分の方が吸い込まれてしまいそうなほど、空と海の境界に滲む澄んだ蒼に、目を奪われる。


「あり、がと。だいじに、する、ね」


 サフィがくれた、わたしのたからもの。


 リボンを大切そうに撫でる手つきをそのままに、ミューがふわっとはにかむ。どういたしましてと穏やかに返した自分は、上手く微笑めていただろうか。そっと手を伸ばす。いつものように頭を撫でるでもなく、自然と小さな背に腕を回して抱きしめていた。


「サフィ?」

「ああ──大丈夫。なんでもないよ、……ミュー」


 陽だまりの匂い。春の匂い。どこまでも穢れない透き通ったぬくもりに、はらはらと心がほどけてゆく。この子を見出し手元で育てると決めたときから、心の奥底で本当は知っていた。優しい日々に、屈託なく向けられる親愛の情に焦がれていたのは、果たしてどちらか。

 ミューはきっと気付きはしないだろう。自らの運命を厭う賢しく臆病な『魔女』が、どれだけ己の存在に救われているかなど。ただ一緒に笑い合っていられる、その事実さえあればそれだけでよかった。


 ──私の宝物。大切な愛しい娘。いずれ来るその『時』に引き裂かれるとしても、今だけは……。


 やわらかな撫子色の髪に頬をすり寄せ、サーフィニウスは祈るように睫を伏せた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ