199話 薬草研究と新たな発見 2
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その後、リリアとサイモンは喫茶エニシになかなか顔を出さない。
一度だけ、恵真がバジルの種や苗を融通し、二人が目を輝かせて張り切った姿を見たきりである。
恵真を慕う二人は店の常連と言える存在、アッシャーとテオも気になるようだ。
「サイモンさん、来ないねぇ」
「あぁ、いつもなら『今日の女神の料理には薬草を使用しているかい?』って顔を出すもんなぁ……」
実家がパン屋を営むリリアはともかく、サイモンが喫茶エニシに来ないのはめずらしいことである。熱心に薬草研究をしているのだろうと恵真は予想しているが、上手くいっていれば顔を出すはずだ。
顔を見せないということは、薬草研究が行き詰っているのではと恵真には思える。
「そういえば、ナタリアさんも遅いねぇ」
「そうだよな。もう、冒険者ギルド用のバゲットサンドも出来てるのに、めずらしいな」
几帳面なナタリアが時間に遅れたことは今まで一度もない。時計を見るが、いつもの時間を10分程過ぎてしまっていた。
「試食してほしい料理があるんだけど、また今度かな。まだ、時間に余裕があるから、アッシャー君とテオ君は先に食べてみる?」
リリアとサイモンの熱心さに恵真も気持ちが動かされ、バジルを使った料理をいくつか試作してみたのだ。
バゲットサンドもいいが、なにか違う形で提供できればと試作したのは粉末状のバジルを使ったクラッカー、バジルとトマトの冷菜などだ。
試食を勧められたアッシャーとテオは、クラッカーを嬉しそうにさくりと噛む。
「おいしい! チーズも入ってるの?」
「そう、良く気付いたね。粉チーズが入ってるから、食べやすいでしょ?」
薄く焼いた生地はクリスピーで香ばしい。酒のあてにも子どものおやつにもいいだろう。兄弟の様子を見ていた恵真はふと気付く。
「あれ、アッシャー君。どこかで擦りむいた?」
「あ、本当だ。でも、大したことないです」
「うーん、一応水で洗っておこうか」
アッシャーの言うとおり、小さな擦り傷なのだが、破傷風なども考えられる。
念のため、恵真は傷を洗い流すことにする。
昔は消毒をしたものだが、今では浅い傷には使用せず、良く洗い、タオルなどで水分を引き取るのがいいとされる。
恵真がアッシャーの傷を洗い流し、清潔なハンカチで水分を拭き取っていると、テオが呼びかける。
「エマさん、セドリックさんだよ」
「へ? セドリックさん?」
てっきり、ナタリアが来るものだと思っていた恵真は顔を上げて、ドアの方を見る。そこには険しい表情をしたセドリックが立っている。
なにか良くない報告であることが一目でわかるその様子に、恵真の口元も心もきゅっと引き締まる。
「なにか、ありましたか?」
恵真の問いかけにセドリックが頷く。
「ナタリアが怪我をしたらしいのですが、その後の状態が良くないようで……」
「え? ……どんな状態なんですか?」
問いかけにセドリックの眉根がぎゅっと寄せられ、恵真は厳しい答えが来ることを覚悟する。
「……今後、状況によっては剣が持てなくなる可能性もあるそうです」
セドリックの答えは予想以上に悪いものだ。
あのとき、腕が痛むと言ったナタリア。まさかそんな大事になっていたとは思っていなかった恵真達は言葉を失う。
今後のバゲットサンドの受け渡しを説明するセドリックだが、ナタリアのことが気がかりな恵真はなかなか頭に内容が入ってこないのであった。
*****
治療院の一室ではリリアがナタリアの傍でぎゅっと唇を噛み締めていた。
ここ二週間ほど、サイモンと薬草をどう育てるか、その効能を高めるにはどうしたらいいかと懸命に考えてきた。
しかし、どれも失敗ばかり。その一方で友人のナタリアが怪我をしていたこと、そしてそれが今後に響く可能性があることに、リリアは衝撃を受けていた。
「そんなに落ち込むことはない」
「…………」
「失敗しているというが、その方法や育て方ではダメだとわかったのは進歩だろう?」
「……もう、薬草の話は今はいいのよ」
自分が大変な時にもかかわらず、励ましてくれるナタリアにリリアの目にはじんわりと涙が滲む。
不甲斐ない――友人が人生を変えてしまうほど、大きな問題を抱えているのに、自分は力になれない。そんなもどかしさをリリアは抱く。
窓の外に広がる曇天の空同様、リリアの気持ちは重く暗いものであった。
どんよりとした雲から、ぱらぱら雨が降り出したかと思うと、途端に打ち付けるような激しいものとなった。
当然、客足も悪く、喫茶エニシの店内には客は誰もいない。
アッシャーとテオも、既に傘を持たせて帰らせたため、恵真とクロだけである。
「雨も止まなそうだし、早くお店を閉めたほうがいいのかな」
「――んみゃう」
恵真の言葉に反対するようにクロが鳴く。不思議に思った恵真がクロを見ると、裏庭のドアをじっと見つめている。
それはまるで、今から誰かが来ることを示唆しているかのようだ。
恵真はやかんを火にかけ、温める。外は激しい雨だ。そんな中、訪ねてくる人はきっと体も心も冷え切っているだろう。
そのとき、裏庭のドアが静かに開く。
「……リリアちゃん?」
雨に打たれたのだろう。リリアは長い髪も服もびしょ濡れである。ドアの外には激しい雨が地面を打ちつける様子が見えている。
しかし、暗い表情を浮かべたリリアはただ静かに入り口に立ち尽くしたままだ。
恵真は慌ててタオルを持って、リリアへと駆け寄る。
「これで拭こう? 風邪引いちゃうよ」
タオルでリリアの髪や顔を拭う恵真の耳に、小さな声が届く。
「……エマ様、御力を貸しては頂けませんか?」
「え? 力って……」
拭う手を止めて、恵真はリリアを見つめる。
リリアの目からは涙が今にもこぼれ落ちそうだ。こぶしを握り締めた両の手、肩がかすかに震えているのは雨に濡れたせいではないだろう。
「あんなことを言っておいて、助けを求めるなんて情けないと自分でも思います。でも、いろんな薬草を扱えるのはエマ様しかいないんです」
ぽたりぽたりと濡れたリリアの髪から雫が落ちて、床を濡らす。
それがまるで彼女が堪えている涙のように感じられ、恵真は心がぎゅっと締め付けられる思いだ。
一瞬、迷った恵真だが、今の率直な思いをリリアに伝えようと考える。
「――私が力になれるかはわからない」
その言葉にリリアの肩がびくりと揺れる。
「そ、そうですよね、急にそんなお願いしても――」
そう言いかけたリリアの肩を恵真は落ち着かせるように、優しく撫でる。
「でも、一緒に考えて、悩むことは出来ると思うの」
「…………一緒に?」
「そう、一緒に。そうしたら、もっと良い方法がわかるかもしれないでしょう?」
聞き返すリリアに恵真は少し微笑んで頷く。
薬草の効果がどれほど今のナタリアに効果が出るか、それは恵真にも不明だ。
しかし、なにもしないでいるつもりは始めからない。リリアのように付き合いが長いわけではないが、恵真にとってもナタリアは友人と言える存在なのだから。
恵真の言葉に何度も頷くリリアのまなじりからは、ぽろぽろと涙が零れ落ちていく。
「さぁ、ちゃんと拭いて着替えなくっちゃね。私の服でサイズ合うかな……」
「い、いけません! エマ様のお召し物をお借りするなんて! 帰ります、すぐ帰ります! 走って帰れば、服も乾くはずです!」
そんな会話をする恵真とリリアに声がかけられる。
「エマさん!」
「あれ、テオ君? どうしたの? 忘れ物でもした?」
先程、家に帰したはずのテオがドアからひょこっと顔を出している。ドアが開き、後ろにアッシャーまで立っているではないか。
「エマさんにね、伝えたいことがあってきたんだ」
「雨は……あ、晴れてきたね」
傘を持っている二人だが、今は雨も止んだようで、雲の切れ間からは光が差し込む。
「うん。あのね、お兄ちゃんのケガを見てほしいんだ」
「え、また怪我をしたの⁉」
再びアッシャーが怪我をしたのかと、しゃがみ込んで彼の脚や腕を見回す恵真だが、そんな様子はどこにもない。
首を傾げる恵真にアッシャーが先日の傷を見せる。
「エマさん、このあいだの怪我がなくなっているんです」
「え? 本当、擦り傷があったのにもうなくなってる……」
小さな擦り傷ではあったが、治って消えるにはあまりにも早すぎる。
戸惑う恵真の服を少し引っぱって、小声でテオが呟く。
「あのね、このあいだのエマさんのごはんじゃないかな?」
「え……このまえの?」
アッシャーが擦り傷を負った日、試食用として恵真はバジルを使った料理を何品か振舞った。その効果ではないかと、アッシャーとテオは考えたらしい。
早くそのことを恵真に教えようと、喫茶エニシへと戻ってきたのだろう。
バジルであれば今までも喫茶エニシで提供してきた。主な効果は鎮痛であると恵真達は考えてきたのだ。
だが、タコのセドナ、ハンナの健康状態の回復など、鎮痛以外にも効果効能がある可能性が高い。薬と呼べるものの多くは作用、副作用が必ずいくつかあるものなのだ。
多くの人々に喜ばれていることに安心し、香草についてそれ以上試してこなかった恵真は忸怩たる思いになる。
「これは他の人にも相談して、考えなおす必要がある……」
「んみゃう!」
そうだと言うように鳴くクロに、励まされるように恵真は微笑み、頷く。
ナタリアのために、今出来ることを恵真は探ろうと決意するのであった。
5月は意外と日差しも強く、気温も高いですね。疲れやすくなるそうなのです。
あと数週間で梅雨も近付きますし、バッグに傘は必要になるかもしれませんね。