② 今聞いておくべき事
「オヌ帝国探索の旅の際は、ワープを何度も繰り返していたろう? たかが十数日開いた程度でやり方を忘れていないだろうな? 今回はワープ先もシルフェニア国内だ。難易度は随分低いだろうし、失敗する事を恐れてはならんぞ」
ブラックテイルⅡメインブリッジにて、ディンスレイは艦内に指示を出し続けていた。
幸運な事か、それとも必然か、艦内を降りる事を選択する船員は一人も居なかった。
だからこそ次の課題として、無事にワープを遂行するという項目が目の前にぶら下がってくる。
「とは言ってもですね、艦長。現状集まれたのはフルメンバーと言えないんですから、手が足りない部署も出てきてるんじゃないですか? メインブリッジだと、操舵士が居ないわけですし」
テリアン主任観測士の、どこか真剣みが欠けるその言葉は、むしろ親しみすら覚えてくるものだった。
それに内容も中々に耳が痛い。
「予備の操舵士を結局用意出来ていないのは、確かに私の責任だよ、まったく。だからこそ、私が操舵士役を兼任しているんだ。不満か?」
「艦長が操舵桿を握った状態でのワープってこれまでありましたっけ?」
「……」
テリアンの言葉には何も返さない。一度も無いと返答したところで、不安を振りまく以外の効果が無い様に思えたからだ。
「わ、わたし、艦長のやる事でしたら命を掛けられますっ」
「そこは、艦長なら無事やり遂げられると言って欲しかったな、ララリート君」
「は、はい……すみません……」
「ちょっと艦長、今が肝心なんですから、部下にプレッシャーを与えるのは止めてくださいよ」
「おい、テリアン主任観測士。君、ミニセル操舵士が居ない分だけ、口が悪くなってないか? 観測士に欠けは無いのだから、君の方こそ全力を出して貰いたいところだぞ」
「そこは了解してます。手抜かりなんてありませんね、こっちは」
メインブリッジの雰囲気についてはむしろ何時も通り。何だったら、意識してこういう会話をしている部分すらあった。
何時も通りならば無事に成功するのだから、何時も通りを心がけるのである。これはこれで、不健全な空気なのだろうか?
「お前達、本当にこんな空気の元で艦を動かしていたのか……」
「頭が痛そうだな、レド。そうだ。こんなのが私達だ。君も染まるか?」
「遠慮しておこう。そう長い間の付き合いにはなるまい」
確かに、ワープに失敗すればそれまでだし、成功したところでその後の時間も長いものにはならないはずだ。
そう猶予は無いのだ。アイ・オーとの決着までの時間は。
だからこそ、今、こういう会話の合間にもワープの準備を続けて……そうして準備の段階が終わる。
「艦長。機関室の方は何時でもいけるそうです」
「了解だ副長。良し、これよりワープのために艦を飛行させる。操舵士が居ないから、安心安全な航行と行かない事だけは覚悟しておけよ、諸君!」
他の返答など待たずに、ディンスレイは艦長席の権限でブラックテイルⅡを空港より飛び立たせる。
空港に見える景色から、何名かの作業員が驚いた風にこちらを見ていた。
現在のディンスレイ達は、あくまでディンスレイの独断による指示に寄って集まったに過ぎない。ブラックテイルⅡそのものも、国軍の指揮系統に現在は収まっていなかった。
グアンマージ襲撃の混乱の只中で、勝手に動かせる隙が出来たから利用している。それだけの立場だ。
なので、そんな艦が空港より飛び立つとなれば、既に眼下となった人々は驚きの目でブラックテイルⅡを見る事になるのだろう。
(そんな目をしてくれるな。こっちについては、街を襲うつもりなんて毛頭無いのだから)
ブラックテイルⅡの浮上により見える様になったグアンマージは、その傷跡がより見えた。
街全体が傷ついたわけでは無いが、目立つ場所のみが軒並み狙われた結果、むしろ痛々しさが際立つ形。
街をこの様にした相手と……これから決着を付けに向かうのが自分達だ。
(だからまあ……今回の無茶は多めに見てくれ……ると良いが)
なんだったら、今回の一件がすべて解決したとしても、後の言い訳を考えておかなければ。
ブラックテイルⅡに乗っている人間全員が軍法会議にでも掛けられる可能性もあるだろう。
だが、それらはすべて皮算用。今は目の前の、やるべき事に集中しよう。
アイ・オーと、彼が乗る飛空艦が次の一手を打つ前に、撃ち落とす。その困難さを前にすれば、その他の悩みなど些末事だ。
だが、それでもディンスレイ達はするのだ。戦争が多くの命を奪ってしまう前に、ディンスレイ達が命を尽くす。
そのための第一歩をディンスレイは叫んだ。
「ブラックテイルⅡ、ワープ開始!」
ブラックテイルⅡがワープの輝きに包まれる。離れた距離を一気にゼロに。それはつまり、アイ・オーとの距離の事でもあるのだろう。
もっとも、敵との距離はあくまで例えであり、ワープ先に敵が待ち受けているなどという都合が良いか悪いか分からない展開は早々無い。
ただそこには街がある。
「バルンデフォルグは国境近くの都市だけあって、観光地として見るべきものが多くある。時間があるのなら、船員達にも自由時間を認めてやりたいところなのだが……レド、君はどう思う?」
目の前にテーブルがあり、そこに並べられた魚料理に舌鼓を打ちながら、ディンスレイは対面に座るレド・オーに尋ねる。
場所はシルフェニア南部国境線近くの都市バルンデフォルグ。その都市の片隅にある、魚介系の料理を取り扱う店であった。
以前、上司だった男に連れられて来た時は、あまり好みでは無いなと感じたものだが、長い国外での旅路を終え、さらにその後には中央都市での働き詰め。
その手の経験をした後に食べるこの素朴な味は、以前の時とはまた違った印象を与えてくれる。
ほっとすると言えば良いのか、ここに連れてきてくれた元上司、フラミニーズ・ジョウズ艦長が良く訪れていた理由も、今なら分かる気がする。
こういう料理について、オヌ帝国人のレドはどう感じるのだろうか。
「率直に言っても良いか?」
「私以外、他に聞く輩も居ないしな。幾らでも、どんな内容でも良いぞ」
「正直美味くは無い」
「ま、すぐ近くで戦争中で、物もあまり入って来ていないわけだしな。調味料も揃えられていない様に見える」
店内は以前に来た時より殺風景に見えた。
客が少ない……というより、ディンスレイ達以外居ないせいもあるが、店の調度品にもなっていた食材等々が、見事に無くなっているからでもあるのだろう。
「攻め込んでいる側の人間である、俺への嫌味か?」
「半分くらいはな。いや、本当に、以前来た時はもっと美味かったんだ」
「どちらにせよシルフェニアの味付けだ。慣れるまでは美味いとも感じられんさ」
「シルフェニアに来てから日数は経過しているし、その間に飯も食っていたろう? まだ慣れんもんか」
「この数日の話なら、そもそも味を感じる暇も余裕も無かった。勿論、今もだ」
なるほど、不味く感じるわけだ。
結局のところ、どんな料理もそれを食する人間の心持ち次第なのだから。
「どういう状況であろうとも、料理を楽しむ余裕の様なものを持っておいた方が良いと思うのだがね。どっちにしろ食事や睡眠と言った欲求は取らねばならないものである以上、その瞬間を楽しんだ方が人生豊かになる」
「こういう状況で、本当に言うべき事か?」
「こういう状況というのは、ワープした先の街で、悠長に食事を取っている事に対してだろうか?」
「それもそうだが、別の―――
「なあお二人さん。相席しても良いかい?」
「っ!」
レドの言葉が途中で止まり、代わりに人影が一人、ディンスレイ達が食事を取っているテーブル席へとやってきた。
丁度良く、椅子が一つ空いている。どうぞと手を差し伸べたら、やってきた人影は遠慮など無い様子で席に座って来た。
「それじゃあ有難くっと。おいおい、反応が二人ともぜんぜん違うな。とくにそっちの。久しぶりの兄弟の再会なんだ。驚いた表情を浮かべるより、するべき事があるだろう? ほら、あれだ。感動して抱き合うとか」
「まさか……本当に来るとは……」
現れたその第三者とレドが見つめ合っている。お互い、知人同士……いや、その第三者の言葉そのままに、兄弟という事になるのだろうか。
恐らく、ディンスレイの予想が当たっているとしたら、その名前は―――
「来ちゃあ悪いか? オレは、あんた達が会いたがっているアイ・オー当人だぞ?」
「勿論、歓迎はするとも。むしろ君を待っていた……が、私の方も驚きはしたな」
アイ・オー。まさにディンスレイ達が追っていた男……そんな彼が今、自ら姿を現した形になる……が、その姿にレドは勿論、ディンスレイの方も驚いた。
彼を待っていた事は事実だし、実際そうなってくれたと言うのに。
「こんな戦争最前線の都市で、人払いをした店で、二人して食事をしている。どう考えてもオレを待ってくれていたんだと思うんだが、なんであんたまで驚いてくるね? ディンスレイ・オルド・クラレイス」
こっちはまだ名乗っていないはずだが、顔と名前を憶えられているらしかった。
その事については驚かない。アイ・オーという男のこれまでのやり口を考えれば、それくらい知っていて当たり前だとすら思う。
驚いた理由は、彼の外見だ。
「私はな、アイ・オー。君がこっちの男の兄だと聞いていたんだ」
「ほほう。そりゃあまた、あまり親しくはしてないみたいじゃあないか、レド?」
「あんたは事実、俺の兄だ」
「だろうな。そう扱われた。だが、シルフェニアの文化に合わせて説明するなら、こう表現するべきだろう? 兄として育てられたが、姉だとさ」
驚いたのは、人種こそ違えど、アイ・オーの外見が女性のものに見えたからである。
恰好は恐らく、オヌ帝国軍の軍服を着崩したものであろうが、やはり全体の身体のラインも女性らしい……という表現をするのは、些か礼を失する受け取り方だろうか。
「だが、事実として、俺はあんたを―――
「だろうなぁ。お互いそう育ったし、お互いの考える事なんざ考える事も無かった」
「俺の方はそうだったかもしれない……だが、あんたは、俺の考える事なんて、手に取る様に分かるんじゃあないのか?」
「そう思われてたのか? そりゃあ心外だ。なあ、ディンスレイ。あんたならこう言われて、どう返すね?」
アイ・オー。彼……いや、彼女か。オヌ帝国人らしく頭部に角を生やしながらも、その妙に焦れる目つきと眼光。おどけている様な仕草。どこか侮られているのではないかとすら思えてくるそんな彼女の問いへ、ディンスレイは率直に答えた。
「人の心なんぞ、分かりやすく読めるものではない。相手が家族だろうが、それはそれだ」
「その通り。特に、オレやあんたに関しては、他人と思考形態から違いそうだものな? 根本的な共感なんてそもそも無理な話さ。思考を読むなんてとてもとても」
「だが、誘導は出来る。特に他人が自分を侮っている状況においては」
「そうだ、ディンスレイ。だが、あんたがオレを、オレがあんたについてを考える限りにおいては、そうでも無い。だろう?」
どちらに掛かった言葉か。いや、どちらにも掛かっているのかもしれない。
他人の思考なんて読めるはずも無いが、目の前のこの女については別だ。そうして、だからこそ言葉だけでは相手の考えを誘導出来ない。
相手が何を考えて、どういう動機で行動しているか、どうしたところで分かってしまうから。
だからこそ、本来、飛空艦で決着を付ける様なタイミングで、こうやってわざわざ艦を降りて顔を合わせる事が出来ているのだ。
「何故だ兄上。どうしてこんな事を仕出かした。いや、やろうとしている? このままではオヌ帝国に悲惨な未来を持ち込む事になる。こんな俺の想像は、単なる過剰なものだと言えないのか?」
「おいおいレド。本来ならな、オレが一番警戒するべきなのはお前なんだぞ? それをそんな有様で……そこのディンスレイが居なけりゃ、お前の命なんて本来ここには無かった。それくらいは分かるだろうに」
「あんたが……お前がそれをしたんだろう!」
「レド。落ち着け」
レドがテーブルを叩き、立ち上がろうとするのをディンスレイは手で止めた。
今は話をするためにここに居る。殴り合いをしたいというのなら、別のタイミングがあるのだ。
今しか出来ない事をするために、ディンスレイはただここに居る。その邪魔は味方であろうともさせない。
「と言っても、ここでの用事の大半は、そちらが来た時点で終わってしまった気もするのな。アイ・オー。君の方はどうだ?」
「さて、どうだろうねぇ。もう少し話を続けても良いんじゃないか、ディンスレイ・オルド・クラレイス。とりあえず認めておくが、確かに、オレはお前がわざわざ艦を降りて、こんな店で食事をしながら待たれると、つい顔を出してみたくなるタイプの人間だよ。こういう酔狂も、お互い様か?」
「だろうな。そういう機微が分かるというのも、似ているか……まったく。難儀なものだ」
言いつつ、テーブルの上の揚げた魚に手を伸ばす。せっかくそこにあるのだから、どういう味だろうと食べてみないのは勿体無い。
「難儀さじゃあこっちの方が上じゃあないかね? まったく、これまで随分と地道に、こっそり準備をし続けたのに、急にお前みたいなのが現れるなんてな。警戒を傾ける先が増えるどころか、一番注力しなきゃならん」
それ程までに、ディンスレイとこのアイという女は似ている。外見が似ているわけではない。仕草や喋り方も、まったく似ては居ないだろう。
だが、思考が似ている。似ているからこそ、いざ、戦いの前という段階で、わざわざこんな場所で話に誘えば、のこのことやってくる相手だとディンスレイは理解していた。
自分なら、せっかくの機会だからとこういう馬鹿みたいな状況に乗るからだ。
もし、その予想が外れたのなら、むしろマシだと言えただろう。相手と自分は違う。なら、これまで通りにやるだけだ。
しかし、アイ・オーはやってきた。こうやって話も出来ている。自分ならそうするという行動を、互いに相手がしているのである。
それは当たり前に、自分にとっての難敵足りえる。相手が何をするかについて、ただ頭の中で想像するだけで答えが出るからだ。
「アイ・オー。とりあえず、こちらが聞きたい事は一つだけなんだ。事を本格的に始める前に、必ずやっておく必要がある事……君は、これからの事を止めるつもりは無いか? 何に不満があるのかについては、それこそ個人的な話なんだから私には分からない。だから聞くだけだ。二つの国を、そのまま壊す様な真似は無為だろうに」
殴り合い、殺し合い。飛空艦同士での撃ち落とし合い。それらを始める前に、そんな状況になる前に、お互い退く事は出来ないのか。
言葉でそれをやり取り出来る機会があるのなら、しておくべきだと感じる。
もっとも、ディンスレイ自身の頭の中でその答えは出てしまっていた。きっと、返してくる言葉は決まっている。
「無為か有為かじゃないだろう? それこそ、なんであんたの方こそ乗って来ないんだ。そういう可能性だってあるだろう? 自分を縛る国なんて、壊した方が余程人生スッキリする。自由になりたいだろう? もっと好き勝手したいじゃあないか。オレ達みたいなのは」
「人生を……スッキリ……? 兄上の狙いは……そんな?」
愕然とした表情を浮かべているレド。なるほど。こういう本音を話せば、他人からはこういう表情をされるのか。
ある意味、これに関してはディンスレイにとっての発見であった。
「世の中を、窮屈だと思った事は、私もある。今、こうやっている間も、時々ある」
レドには悪いが、彼にどういう表情をされようとも、ディンスレイはアイ・オーに同調した。いや、むしろ目的の一つではあったのだ。
多分、今、わざわざここに来たアイ・オーも。
「他人から見ればくだらないかもしれないよな? こうやって、出来れば性別を偽れなんて育てられたのに、弟が生まれた瞬間に親の目はそっちに向かう。だったら捨てるなり何なりしてくれればさよなら出来るってのに、どうしてかそのまま育てられたりもする」
「親がそれでも、上等な思考をしてくれるのなら別だが……そうでもない。大概が愚かに見えて、成長するうちに、そういう愚かさが親だけじゃない事にも気が付く」
お互い、別々の事を語っているはずだ。だというのに、お互いが何を言いたいのかは分かっている。そこには……不気味な程の心地よさがあった。
「そりゃあ理解者が居ないわけじゃあない。人生色々、人間だって色々さ。だが、頭に過るのは窮屈さだ。何時の間にか、雁字搦めになっている。自分が悪い部分もあるんだろうが……ならいっそ、自分の力でそれを全部取り払ってみようと考えたら……思いの外、デカい話にもなっちまった」
「考え方としては大したものじゃあ無い。自分自身でそう思ってるが、出来る能力と、出来てしまう世の中がある。自分を縛るものすべてを取り払うというのは、そういう事だと気が付く」
組織だとか社会だとか国だとか。案外大したものでは無いのじゃあないかと思えた瞬間、目に入るのは無限の大地。
自分がどうしたところで、覆るはずの無い広すぎる世界。それに比べて、自分を縛るものの、なんと小さく頼りない事か。
だからそれを―――
「本当に、自由になるためだけなんだけどな。個人的にスッキリするために……オレはこうした。流れで家族だって手に掛けようとしていたってわけだ。ディンスレイ。お前はどうなんだ? オレがここに来た理由なんて、そっちはとっくに分かっているだろう? 言葉にするなら……そうだな。なあ、ディンスレイ」
確かに、人間の考えなんて語られなければ分からないものの、どうしてか、続く言葉は分かってしまった。
「オレと組まないか? お前と手を組めたら、もっと事をスムーズに進められる」




