⑨ 近づくその時・テグロアンの場合
「ほう、それで初対面の時はどうだったんだ? ディンスレイという男に対して、あんたはどう感じた? テグロアン・ムイーズ?」
目を隠され、拘束された状態で椅子に座らされている。
そんな状況で耳から入ってくるアイ・オーの言葉は、テグロアンにとってどこまでも不気味に思えるものだった。
(他人からそう思われる事には慣れているが、自分が思う事は不慣れだったか……)
アイ・オーは、勿論、テグロアンにとっての敵だから、そう思って悪いわけでは無いだろう。無用な恐怖さえ抱かなければそれで良い。どれほど自分が危機的状況だったとしても、今、追い続けた相手がすぐ近くにいる。
自分は進み続けて、今、追いついた。今の状況はそういう形だ。
そう思わなければ、耐えられそうになかった。
(何からだ? この声だって、軽薄そのものだ。しかも意味が分からない)
恐れる必要なんてない。
そもそも、会話をしていない。
「多分、何かしらの答えを最初に持って、次に、一気にその印象から遠のいた。そう言ったところじゃあないかい?」
「……」
アイ・オーは、黙っているテグロアンを無視する様に、一人で会話を続けているのだ。
(いや……)
「そこが重要な部分だ、テグロアン・ムイーズ。もし、印象が変わったと感じたのなら、それはそう感じさせられたって事さ。他人がどう考え、どう動くかなんて、そう左右出来たり操れたりはしない。だが、自分に対してどう感じるかは、もっと器用に誘導出来るのさ。その印象に自分自身の狙いを混ぜる事が出来るからな? うん? 意見の相違がある感じだな? どこらへんだ?」
その男は、恐ろしい事にテグロアンと会話をしていた。黙って、出来る限り感情を動かさない様に努めているテグロアンに対して、それでも会話をしていた。
(どこだ? 私の感情は、どこから漏れてしまっている? 表情を隠すのは得意だったはずだろう? 私は……)
考え続ける。こっちは黙り続けている以上、考える時間ならあった。
そう、時間なら……いや、違う。時間は無い。
「少し、方針を変えたか? テグロアン?」
「ああ。どうせ考えたところで分からん。お前の様なタイプは苦手なんだ。私は」
時間なら無い。二回目の中央委員会まであとどれくらい間がある? そうしてこの男の策が動きだすまで、どこまで猶予がある?
耐える事は勝敗以前に選ぶべきでない。やるべきは、例え苦手であろうとも、戦わなければ。
「オレみたいなタイプ……ねぇ。そこだ、そこをオレは気になっている」
「私の方も気になる事がある。まったく別の部分でだがな」
感情を隠し、黙り込む事は諦めたが、相手の話には乗らない。出来る限り本筋をズラし、一方でアイ・オーという人間の……何だって良い、何かを掴んでやる。
「なんだい? オレに対して、どういう好奇心を持った? あんたは?」
意外な事に、アイ・オーは乗って来た。もっとも、この男と話をしていて、意外に感じない事が無かった気がするが。
何にせよ、こっちの話に乗って来た以上、むしろそのまま話を続けるべきだろう。
「何故、私を捕えながら、対等な会話を続けようとする? 圧倒的に優位な立場だと言うのに」
そこがまず、どういう狙いなのかテグロアンには分からなかった。
アイ・オーの声は、椅子に座るテグロアンの斜め下から聞こえている。地べたに座り、むしろテグロアンを見上げているのだ。自由を奪っている側が。
「そうさなぁ、シルフェニアではこういう説を聞いた事は無いか? 痛みを伴う取り調べは、あまり意味が無い」
「拷問で聞き出した情報の価値は低いという話程度は……」
「そう、それだ。痛みや苦しみに人間は弱い。そこまでは良いんだが、別に耐える必要も無いってのを与える側は忘れがちだ。もう我慢出来ないって人間が吐き出す言葉が、どうして本当の事だって保障があるのかね? オレだったら、何だって言うね。助かるためにはだ」
「だから、単なる雑談をする様に話す事で、私から情報を引き出すつもりなのか……」
黙ったままのテグロアンからすら、何かを引き出せるアイ・オーの話術。真実、それがあるのなら、テグロアンにとっては脅威となる……か?
「別に? 言ったろ? 単なるこれは好奇心だ。面白おかしく話そうっていうのに、なんで重々しい感じで話をしなきゃいけないんだ? こっちはさっさと目的を果たしてるのに」
そこだ。そこが厄介だ。
今はテグロアンにとって、アイ・オーの情報を得るチャンスではある。だが、それと同時に、迫る制限時間まで、何も出来ずに居る時間でもあった。
アイ・オーの側もそれが分かっている。分かっているからこそ、優位に話を進めている……のかもしれない。
そこはまだ、判断が付かない。
「目的とは何だ。シルフェニアをどうするつもりだ」
「どうするねぇ……素直に話すと思うかい? それこそ、痛みを伴う取り調べには意味が無いってやつだ」
「この質問は、お前にとって痛い話というわけだな」
「お、そういう話題の進め方も嫌いじゃあないぜ? 言葉だけで、鍔迫り合いってのもなかなか出来ない体験さ。だが、確かに今、俺の本音を話すっていうのは、ちょーっと遠慮したいところでね」
確かに、無理に聞き出した話というには意味が無さそうだ。この男がどこまで本当の事を話しているか、テグロアンには判断が付かない。
なるほど。軽口での話というのは、こういう効果もあるのだ。
「だが、そもそも、何に興味を持っているかについては、こちらは既に把握済みだ。ディンスレイ艦長。彼の事を聞き出そうとしている。その事とお前の目的には何か繋がりがある?」
「強気な一手だ。さて、じゃあオレの方はどうするべきか……そうだな。こんなのはどうだ? だいたい分かった」
「何?」
「あんたから聞きたかった事がさ、テグロアン・ムイーズ。こっちも強気に攻めさせて貰おうじゃあないか。あんたからディンスレイ・オルド・クラレイスという男について聞きたかった……が、それは聞き終わった。ここからも、あんたは意味を読み取れるかい?」
なんだ? ハッタリか? もしくは、本当に本音を話している? だとして、どうして本音なんて話す必要がある? いや、この男の話しぶりなら、単に気分が乗ったから程度で話す可能性もある。
まだ何も判断がつかない。ただ一つ分かる事は、アイ・オーの話は、正面から受け止めるべきでは―――
「よーし。オレが言っている事が本当だって証明を一つ、してみせようじゃあないか」
「何?」
「どうするんだって思ってるよな? 言葉だけで本当か嘘か分からないっていうのは、お互い本音で話しててもそうなりがちだ。うちの国なんて特にそういう状況が多い。だから……行動で示す」
アイ・オーが動く音がする。その音は下から上へ。
座った姿勢から立ち上がったのだろう。そうしてそのまま……。
「待て、どこへ行くつもりだ!」
「行動で示してる。こういうの、どう表現するんだったか? ああ、あれだ。丁度良い言い回しがあった」
アイ・オーは足音を立てる。その足音は徐々に、テグロアンが座っている位置から遠ざかっていく。
「あんたはもう用済みだ、テグロアン・ムイーズ。じゃあな」
その言葉を残して、アイ・オーはテグロアンへと話し掛けるのを止めた。
(どうする? 本当に居なくなったのか? 奴の事だ、そういうフリをしている可能性がある。安易に困惑したり取り乱すなテグロアン……)
椅子に座らされ、目隠しをされた状態。それはずっと変わらない。たださっきまで話をしていた相手が、どこかへ行ったか、話をしなくなっただけだ。
状況は変わったが、やるべき事は変わらない。自身の側の情報は明かさず、相手からは情報を引き出す。
今は相手の言葉を聞けない以上、こちらが黙り、何か一つでも相手に渡さない。それを心がけるべきだ。
どれだけ事態がひっ迫していても、その実、やるべき事は決まっている。自分に出来るすべての事をするのだ。それこそが、状況を……状況を……。
「馬鹿か、私は」
感情は込めない。ただ呟く。やはり何も返ってこない。
当たり前だ。ここには誰も無い。テグロアン一人だけ、拘束されている。
見張りももしかしたら居ないのかもしれない。そうだ。その程度の扱いになったのだ、自分は。
(私から、聞きたい事はすべて聞いたと言ったか。その証明が今だとも。最悪を想定するなら、それが事実である事を考えろ。あのアイ・オーという男は、ただ私を放置するだけで良い。中央委員会までの時間はどうなっている? 分からない。何もだ。私という人間は……今、この状況で、それだけの価値でしかない。ここに放置するだけで、事態へ干渉する事はもはや出来なくなった。そうだろう……?)
なら、やるべき事は考える事か? 冷静ぶって、まだ出来る事があると高を括る事なのか?
(そうじゃない。そうではないだろう? そうだ……くそっ、考え無しは私か。せめて……助けを用意するべきだった。私一人でここから脱出するのに、どんな方法を取っても、時間が掛かり過ぎる!)
だからこそ、アイ・オーはテグロアンに何もせずに去ったのだ。
けれどやはり諦めない。普段の、それこそブラックテイルⅡで旅立つ前のテグロアンであれば、早々に自分の役目は終わったと感じて、諦めていた事だろう。
だが、今は違うのだ。自分は柄にもなく、他人の願いだとか命だとか意地だとかを背負っていた。
ブラックテイルⅡの船員達の顔が、目隠しをされた視界に浮かんだ気がする。
(馬鹿馬鹿しい。それは錯覚だ。感動して意地を張る前に、やはりやれる事をやれ。それがお前だ。テグロアン・ムイーズ)
身体を揺らした。椅子がほんの少しだけ傾く。地面には固定されていないらしい。椅子がまた元の位置に戻る……その前に、反対側にやはり身体を揺らす。
さっきよりより大きく椅子が傾くのを感じる。それが分かれば十分だ。あとはそれ繰り返せば、いずれ―――
「ぐっ……いずれ……地面に椅子ごと叩きつけられるっ!」
椅子に縛られているのだから、受け身など取れるはずもない。
地面に……いや、感触から床だろう。木の床だ。全身でその衝撃を受け止める。いいや止められもしない。ただ身体に回る苦痛に身悶え……椅子に拘束されたままなのだからそれすら出来なかった。
強い痛みが全身に響く感覚のせいで、気すら飛びそうになるも、辛うじて耐える事が出来た。
気絶してなどいられるものか。時間が無い。こうやって倒れたのも、次に繋げるためだ。
(次……次は……)
身体の半分が床側についた。まだ自由にならないままの腕も、半分は床に触れていた。ここからは運の勝負だろう。自由が利かない手が届く範囲に、何か無いか?
(まずは最初……こっちの運は勝ったか?)
手に何かが触れる。石片であれば儲けもの。なんとか腕を椅子に縛っている縄を切れるかもしれない。
しかし、次の運の勝負はテグロアンの敗北だった。
(木の床の上だ。あっても木材の破片か、これは)
恐らく、ここはボロが来ている木造の家か何かだろう。その割れた床の一部をテグロアンは手に取っている。これで縄を切れって? 出来そうには思えないが……。
「やるだけは……やるさ」
手に持った木の破片は、なんとか手を拘束している縄には届いた。あとはそれを何度も擦るだけ。こんな行為をどれだけ続ければ、縄は千切れるのか。縄を千切ったところで、その後はどうする? もしかしたらまだ敵の監視はあるかもしれない。
そうで無くても時間が無かった。そう、時間、時間だ。時間が無い。だがそれはどれ程だ? アイ・オーとの話をする中で、その時間の感覚すら狂わされた気がする。
(時間が無くなる? もう既に、とっくにすべてが終わってるのじゃあないか?)
そんな可能性は考えるべきで無いか? こうやって、木の片で、何時切れるか分からぬ縄を擦り続ける事で繋がるものがあるのか?
「認めろ、テグロアン。お前は負けたぞ」
まずすべき事は、きっとそういう認識を持つ事。何なら、こうやって捕らえられ、アイ・オーに第一声を掛けられた時点で、それを認めるべきであったのだ。
そうすれば、第二戦目を始められた。まだもう少しばかり、マシな結果を引き出せたかもしれない。
或いは、それをさせなかった事こそ、アイ・オーの手口であるというのか。
「負けは負けだ。深く考えるのは後にしろ、テグロアン……上手く行けば儲けもの。今はそういう状況だろう?」
だからやはり、縄を木の片で擦り続ける。敗北した自分には、もうそれしか方法が残されて―――
「……誰だ」
足音がした。ここに来て、アイ・オーが戻って来たか?
それだけは否定する。敗北を認めたテグロアンは、それだけは無いと断言出来る様になった。
あの男は、既にテグロアンへの興味を失っていた。今はとっくに、次の目的のために動き出しているだろう。
ならばこの足音は、用済みになったテグロアンを殺すための処刑人か。
「そんな上等では無いだろうな……小間使いか誰かが、掃除にでも来たか」
「酷い事言わないでください副長。確かに船内幹部と言う程に上等では無いですが、助けは助けです」
その声は、完全にテグロアンの予想外であった。
知っている声だったのだ。こういう場所で、まさか聞くはずが無いと思っていた声。
「確か……船員のカーリア・マインリア……」
「あ、名前、憶えていてくれたのですか? はい、艦長からすぐに副長を呼んで欲しいとの指示を受けたので、助けに参りました」
言いながら、カーリア、ブラックテイル号の時から、ブラックテイルⅡに引き続く形で船員をしていたという彼女の手を借り、目隠しと縄が解かれる。
「艦長の指示で助けに……それにしたところで随分と早い」
ずっと目を隠されていたため、やや眩みながら、カーリアとの話を続ける。
「実を言えば、ミニセル操舵士からも、副長の助けになる様にと指示を受けていまして、こっそり、動きを追っていたところでして……それでも、貧民街に来てからは一時、見失ってしまったんですよ? 再度見つけるまで時間が掛かり、申し訳ありません」
「いや……いえ……構いません。というより、敵わない」
「それは……艦長にですか? それともミニセル操舵士に対して?」
「分かっているみたいだ。どちらもです」
目が慣れてきて、見知ったブラックテイルⅡの船員の顔が見られて、安心してくる。いや、まだ安心している場合でも無いだろう。
テグロアンはその場を立ち上がる。さっき床に身体を打ち付けた痛みはあるが、動くのに支障も無い。
それに、碌な場所では無いこの場所から、さっさと移動したかった。
(なんの事はない小屋。こういう風に私が発見されたところで、別に構わないと言った風の場所だな……)
カーリアがテグロアンを発見出来た理由の一つでもあるだろう。貧民街によくある襤褸屋の一つに、ただテグロアンは椅子一つ用意され、放置されていた。探す者にとっては、大して隠されもしていない。
「カーリア船員。艦長が呼んでいるとの事らしいですが、さっそく行こう」
「……了解です。急ぎましょう」
カーリアの言葉が少しだけ止まったのは、テグロアンは今、体力を消耗している外観をしているからだろう。だが、休んではいられない。
ああ、そうだ。テグロアンが敗北した以上、次はディンスレイ艦長に任せるほか無い。それが今だ。
テグロアンは襤褸屋を脱し、カーリアと二人で貧民街を走る。
追手などは居なかった。これはアイ・オー側の余裕か、それとも向こうは別の事に注力している最中なのか。
「カーリア船員。実を言えば、捕まっていて、時間の感覚がない。今はどれくらい……中央委員会まではどれ程の時間の猶予があるでしょうか?」
「中央委員会は明日、開かれる予定です。今は丁度夜明けの時間ですので、まだ丸一日あるとは思うのですが……」
意外だった。いや、体感的には、まだそれくらいの猶予はあるとは感じていた。だが、アイ・オーに時間の感覚を狂わされていたし、そんな彼が今の時点で、テグロアンを見逃す様な形になっているため、もっと事態はひっ迫していると予想もしていた。
「まだ動ける余裕はありそうだ。艦長は今、どこに?」
「貧民街近くで利用している拠点です。恐らく」
「恐らく……というのは?」
まさか、艦長にも何かあったというのか。自分の様に、捕まっていたり?
「あっ、艦長に関しては無事ですよ。むしろ精力的と言いますか……ここに来て、非常に忙しく各所を動き回っているので、都合良く居るタイミングであれば良いのですが……」
「ここに来て……確かに二回目の中央委員会開催までの締めのタイミングですからね。こちらからも伝えたい事がある。やはり急ぎましょう。艦長に伝えなければならない事がある」
「というのは……?」
「この貧民街に動きがあります。まだ起こっていないというのなら、尚更早く対処しなければ……明日にでも、ここから暴動が起きる可能性がある」
アイ・オーの手から、今の時点でテグロアンは逃れる事が出来た。それが意味している事については、まだ判然としないままであったが、それでも、テグロアンが貧民街へやってきてから掴んだ動きは、ディンスレイ艦長に伝える必要があった。
恐らく、きっと。
その時が近い。




