⓽ 向かう先にあるもの
「あまり慌てるんじゃあないぞ。相手の様子を伺え。ここは奴らにとっての餌は豊富だ。積極的にこちらを襲っては来ないだろうさ」
ディンスレイはそうメインブリッジメンバーへと伝える。ついでに、その言葉を自分にも言い聞かせていた。
亀裂から出て来る浮き虫は、暗がりの中、やや半透明な身体を蠢かしていたが、その大きさにより、見逃すはずが無く、ブラックテイル号の視界の中にある。
「で、慎重に様子を伺って、どうするの?」
艦の今後についてミニセルが尋ねて来る。ここより重要になってくるのはディンスレイの判断と彼女の艦を動かす腕だ。意思疎通は積極的にしていく必要があるだろう。
「穴を上昇する。恐らく、ここで長居するべきじゃあない。奴が襲って来ない事を確認した後、さっさと尻尾を巻いて逃げ出そう」
「あら。あの亀裂の向こう側に向かってみようなんて無茶はさすがに言わないの?」
軽口を叩いてくるミニセルであるが、彼女とて反論は無さそうだった。
「あの亀裂の向こうに、君は進みたいと思うかな?」
「あたしの腕だって無理よ。出来ても、あんまりしたくないわね。あいつみたいなのが、まだまだ居るんでしょう?」
ゆっくりと、漂う様に動いている巨大な浮き虫。メインブリッジの窓越しにそれを見やるミニセルはそう尋ねて来た。
「恐らく、あれがこの深さの浮き虫の標準なのだろう。餌が良く、大量にあるなら、あれくらいは大きくなる物なのかもしれん。存外、シルフェニアの地下深くにも、あの大きさの浮き虫は沢山居るかもしれんぞ?」
「うぇ……あんまりそういう想像させないでよ」
嫌な表情を浮かべるミニセルであったが、それくらいに世界とは波乱と脅威に満ちているとディンスレイは考えている。
今、シルフェニアの国内と言える場所とて、かつては未踏領域だったのだから。
(だが、今は我々が居るこの場こそが重要だ。あの浮き虫が、ここに一匹だけである保障は本当に無いのだから)
既にあれで二匹目だ。ここから三匹目が飛び出してくる可能性も―――
「ミニセル君! 様子見は中止! 急速上昇だ!」
「っ……! 了解!」
つーかーと言える指示とその受諾……では無かった。
ただ、眼前の浮き虫が、活発に動き始めた。その事実から来る当然の判断を互いにしたまでだ。
こちらを襲って来た。最初はそう思えたし、だからこそ、すぐさまに逃げの一手を打ったのだ。
だが違った。
「お待ちください、艦長。あの浮き虫は我々を追って来てはいませんぞ?」
副長は冷静さを取り戻させようと、傾き、速度を出し始めるブラックテイル号の動きに耐えながら、ディンスレイに話し掛けて来た。
だが、ディンスレイはその返答に首を横に振る。
「分かっている。今、ブラックテイル号の横を同じ様に浮いているのだろう? 私だって見たさ。だが、だからこそ危険だ。次は……ぐっ……なんだ!?」
ブラックテイル号が大きく揺れた。それはミニセルの操縦だけに寄るものでは無かった。
何か、大きな衝撃が襲って来たのである。
「艦長、推進力が安定しない! 機関室で班長がサボってるんじゃないの!?」
「その様な船員を、ましてや船内幹部を雇ったりはしない! 原因はあれだ!」
やはり原因は外部にあった。メインブリッジから外を見ればそこには浮き虫がいる。
平行にでは無く、通り過ぎて行った。そうして、また次の浮き虫が穴を上昇していくブラックテイル号の後方から浮かび上がって来る。
「穴の底から二匹目の浮き虫ですって!?」
「わたくしの目では三匹目です、ミニセル様」
コトーの冷静さは失われていない様子だが、彼とて今は、もはやそれを気にしている場合で無い事に気が付いていない。
ならば、もっとも焦るべき状況である事を理解しているのはディンスレイだけという事か。
「ミニセル君! 限界だ! 限界の速度でこの穴から脱出させたまえ! 船体フィールドも展開だ、諸君!」
複数の浮き虫がどんどん穴の下方から浮かび上がり、その反動がブラックテイル号を揺らし続ける中で、ディンスレイは叫んだ。
その間も、さらに多くの浮き虫がブラックテイル号を過ぎ去って行く。こちらを襲うつもりは無い様子だが、その動きだけでブラックテイル号にとっては危機を発生させていた。
「そりゃ今が危険だって言うのは……分かって居るし、あの浮き虫連中が厄介なのは理解出来てるけど! あたし達の方を襲って来ないっていうなら、あいつらを避けて今は慎重に船体を維持する方が―――
「いいや違う! やはり急速な上昇だ! そうして穴を出たら極力穴から艦を遠ざける! 今、君がすべきなのはそれだ!」
それこそが、それだけがブラックテイル号を守る方法だ。ディンスレイはそう判断したからこそ、焦っていたのだ。
もはや時間が無いかもしれない。
「いったい何が……起こって!」
ミニセルの言葉と共に、ブラックテイル号が傾いて来て、ディンスレイは背中を艦長席に押し付ける。
ミニセルが叫びながら、ディンスレイの指示に従い、ブラックテイル号を上昇させ始めたのだ。
指示に従ってくれている以上、ディンスレイは彼女が求める状況説明を始める必要があるだろう。
「さっきの亀裂だ! 今、何匹、何十匹と大きな浮き虫と擦れ違っているが、これ程の数が通れる亀裂だったかね?」
「確かに、一匹が通れるのがやっとというものでありましたなぁ」
副長も副長席で身体を支えるのがやっとという状況なのに、普通に言葉を返して来た。
それだけ、ディンスレイの話に興味を持ってくれたらしい。
「要するに、今、亀裂が広がっているのだ。あのダァルフが用意した穴の蓋が!」
「亀裂を、浮き虫達が作っているって事? 奴らがダァルフの封印を破ろうと―――
「いいや違うぞミニセル君! 浮き虫達は当たり前に存在する生物だ! この深度の浮遊石の鉱脈を餌にするだけの、そういう存在だ! 故にダァルフ達がそれを恐れて封印するわけが無い!」
恐らく、浮遊石を発掘していた彼らにとっても浮き虫は馴染みのある存在だったはずだ。深くなればなる程に、より大きくなっていくと言った見地も、ディンスレイ達より余程持っていたはずなのだ。
だから彼らはその対策だって持っていたと予想される。彼らにとって、浮き虫は致命的な脅威足り得ない。
なら、いったい彼らはどうして遠方の巨大木を伐り、それを蓋にして穴の奥底を封じたのか。
彼らにすら対処出来ずに、今、この様な都市が無人になっている理由はどこにあるのか。
ディンスレイはそれに気が付いていた。
「いいかな? 物理の授業で習っただろう。世界を構成する主な力は下に向かう力と上に向かう力だと。その双方の均衡が、通常、我々が生きられる空間と大地を構成している」
「この状況で、授業を始めるつもりですかな? ミニセル様には聞いている余裕が無さそうですが」
副長はそう言うが、ミニセルにはより切羽詰まって貰わなければ困る。今や彼女の腕だけが頼りの状況だからだ。
彼女の腕とブラックテイル号の性能が少しでも劣れば、ディンスレイ達全員がここで終わってしまう。
命が無くなる。そう表現も出来るが、実際はもっと酷い事になるだろう。
「ある学者が、この二つの力の均衡が崩れればどうなるかという仮定の元で、仮説を立てた。軍学校の教科書にも載っている話だぞ? まず第一に、その様な事態が有り得るかと言う話から始まる。そうして、その学者はこう答えを出している。有り得ると」
世界を構成している様な強大な力の片方が消え去るものなのか? 多くの人間が思う疑問に対して、とても簡単な状況説明で回答がされていた。
「すべての物質は下方に向かう様になっている。それが重力だ。一方で上方に向かおうとしている力、通常の物質と同等の量が存在すると言われている浮遊石。その上昇力が二つ目の力なわけだが、この上昇力が浮遊石の消失という形で減衰する可能性を学者は示唆していた」
無論、唐突に消え去るなどと言うマジックや奇跡に寄るものでは無い。ここまで説明されれば、誰だって気付く理由があるのだ。
当時既に、人間の活動に寄って、飛空船を飛ばす重要な資源として浮遊石が多量に発掘されていたからだ。
世界すべてで浮遊石が消え去る事は無いだろうが、特定の鉱山地帯で、浮遊石を掘り尽くす事があるかもしれない。そういう仮定が成された。
実際はすべてを掘り尽くす必要は無い。ただ、上方への力と下方への力。この二者の均衡が致命的に崩れる程に、浮遊石を発掘すれば良いのだ。
「わたくしもその話なら知って居ますが、シルフェニアの採掘能力は、それ程に浮遊石を採掘する程では無いという話もまた出ていましたな」
「事実そうだろう。シルフェニアではまだ無理だ。もっと高い採掘技術が必要だ。例えばそう、ダァルフ達の様な」
彼らの技術は行き着いたのだ。この広大な世界の一部分だけとは言え、その環境を変えてしまうだけの技術力を。
結果、彼らはそれがもたらした結果を封印した。
「彼らは致命的に均衡が崩れる前に、穴に蓋をした。すべてを元通りにするには遅すぎたのだろう。だから時間稼ぎの様に、まずはこの穴を安定させるためにその形を一つの穴として整え、世界の構造を一時的に支える蓋を用意しだのだろうさ。だが、今、限界が来た」
浮き虫達が本能で危険を察して逃げて行く。一手遅れて、ブラックテイル号も穴を飛び出そうとしていた。きっと穴の奥では、巨大な木で作った蓋が割れ、砕け、そうして消え去ろうとしているはずだ。
「それで!?」
「ミニセル君。今は―――
「分かってる! 余裕なんて無いけど、何にせよ聞かせないよ! 失敗したら全部お終いなんでしょう!? だったら聞かせなさいよ! ここで何が起こるって言うの!」
「ブラックホール。この言葉を聞いた事は無いかな? それが発生しようとしている」
部分的に浮遊石が存在しなくなったその地点においては、すべての物質が底の無い穴へ落ちて行く事になる。
止める方法は無い。何せすべての物質は下方へ向かうという性質を持っているのだから。
大地も雲も、空も、光でさえ、下方へ向かう性質が存在し、上方へ向かう浮遊石の影響が無くなる地点のおいては、まっすぐ下へと向かうのだ。
「底無しの、永遠に落ちる穴。故に学者はそれをブラックホールと呼ぶが、私が頭の中で想像したそれは、少し違うかもしれないがね」
そう、想像だ。未だかつて、シルフェニア国内においてもその仮説は仮説のまま、実証には至っていない。
ブラックホールの存在は可能性としては有り得るが、実際の現象としては確認されていない、あくまで数式と仮説の上に存在する特異現象という扱いだったのだ。
だが、今、それが現出しようとしている。これもまた未知への冒険だ。有り得ざる領域と思われた場所を切り拓く航路だ。
(生きて帰る事が出来ればだがな! ミニセル君! 頼むぞ!)
今までの話で、ミニセルの表情にはさらに必死さが混じって行く。これで十分だろう。これ以上追い詰めれば心が折れそうだ。
「ああもう! ブラックホールなんて……物語の中だけでしか見た事が無いってのぉ!」
艦が激しく揺れている。それは先ほどからずっとそうだが、ミニセルの叫びに呼応する様に、その激しさを増していた。
機関部からの出力が上がっているのだろう。ダァルフが大地をくり抜く様に作り上げた浮遊石の採掘孔は今、ブラックテイル号を力強く地上へ射出ための力を与えてくれているのかもしれない。
(もしくは、これから発生するブラックホールにはせめて巻き込まれない様にとの神からの慈悲か……)
何にせよ、周囲の浮遊石に力を与えられたかの様にブラックテイル号は想定より速く、穴の出入口にまで突き進む。
「よぉし! いけるいけるいける! あたしならやれる!」
ミニセルのその声は自信から来るものが半分だろう。もう半分をディンスレイが予想するのなら、頼むから今の出力で船体がバラバラになってくれるなよという祈りであるはずだ。
「大丈夫だミニセル君。ブラックテイル号はヤワでは無い。だからやはり、穴から距離を取り続けてくれ。そろそろ、来るぞ!」
「分かってるっての!」
穴から大地へ向かう上方の軌道から、大地に出るや一気に平行方向へ。まさにブラックテイル号の頑強性に頼ったその動きに、ブラックテイル号の方は耐えたが、船員達にとってはそうでもあるまい。
(この動きは……漸く医務室の使用率が上がりそうな……うぐっ!)
艦長席に縋りつくというより押し付けられ、食い込む様なそれ。顎ががくがくしてくる程の全身を襲う衝撃に、ディンスレイは自分が艦長であるという意地だけで耐えていた。
だが、他の船員達にまでは無茶を強制は出来まい。これが終われば、艦を着陸させる場所を見つけて、療養休暇を与えてやる必要もあるだろう。
ダァルフの発着場はもう利用出来ないだろうけれど……。
「なっ……何よ、これ!」
急にブラックテイル号が動かなくなる。
いや、未だ浮いて推進もしているが、穴の方へと吸い込まれる力が拮抗しているのだ。
「出力を……弱めるなよミニセル君……これは、ブラックホールが現出する……前兆だ。一旦、その範囲を拡大する様に、空間ごと周囲の物質を飲み込み―――
穴へと向かう力に耐えるブラックテイル号であったが、空中でスリップする様に、穴に対して横向きとなった。
まだ穴に飲み込まれはしないが、メインブリッジから見える世界に、穴が映る事となった。
ああ、だが、それはもう穴とは呼べない。
「なるほど……こうなるか」
それはディンスレイがブラックホールというものの姿を想像した時のそれと似ていた。
だが、やはり想像以上ではあった。
それはあまりにも隆々としていたからだ。黒い、黒い空間がそこにある。世界という色紙にそのまま黒の色を塗りたくった様な、そんな光景。
その黒が、ダァルフが掘ったはずの穴の輪郭より一回り大きくなりながら、穴より飛び出ていた。
(いや、その表現もおかしいだろう。今はもう、あれは穴でも穴から出た何かでも無く、大地より迫り出した柱だ。それが空の天頂まで刺し貫いている)
正確には、空の彼方からすべての物質が浮遊石という支えを無くして落ちていると表現するべきだろう。
黒く太い一本の線が世界の上の果てから下の果てまで真っ直ぐ存在していた。
「もはやこれはブラックピラーだな。そう名付けるべきだ」
「悠長に言ってる場合?」
「言うさ。とりあえずはあれの範囲から逃げる事が出来たのだから」
メインブリッジから映る黒い柱。それは見るだけで恐るべき物であったが、ブラックテイル号はそこへ吸い込まれはしなかった。
「確か……仮説上のブラックホールは、あくまで光すら落下する範囲までがその脅威的な崩壊現象の範囲であり、それが一旦安定すれば、周囲への影響はほぼ無くなるのでしたな」
副長もまた、落ち着きを取り戻した様子だが、若干息が荒かった。さすがに、先ほどまでのブラックテイル号の動きは、身体に堪えたらしい。
「こうしてみればあまりにも強大な現象に見えるが、世界全体からすれば細い細い線みたいなものだからな。世界からの矯正と表現するべきか、あの重力崩壊を起こしている範囲に対して無限という話すらある世界の空間が収縮し、どこかの地点で釣り合い取れる……だったか。そういう論だったと私も記憶しているよ」
故に、一旦落ち着けば、あの黒い柱の範囲に入らない限り、周囲の空間への影響は無くなるのだそうだ。
もっとも、一度その範囲に入った物質や人間は、収縮した空間から発生する潮汐力により身体があの柱と同じレベルにまで引き延ばされ、形を無くすという話らしいので、恐ろしい物である事は変わるまい。
「観測技術が高まれば、遥か遠くにあるそれを発見出来るかもしれないし、それは浮遊石を一定の位置から多量に採掘する様な文明がある証左にもなる。などという説も出ていたが、いやはや、今、すぐ近くでそれを見る事になるだろうとはな……」
「感慨深くなってるところ申し訳ないけど、さっさとあれから離れましょうよ。あたし、幾ら安全だろうと、あれの近くに居たくは無いわよ……あれを作った文明だって……」
普通に話すくらいには余裕が出て来たらしいミニセルからの言葉。
それは、ブラックピラーそのものでは無く、その周辺に対しての言葉であった。
穴の周辺に作り上げられた頑強極まるダァルフの鉱山街は、今や発生したブラックピラーの内側に巻き込まれていた。
黒い空間にくり抜かれる様に、世界からその姿を消していたのだ。
「ダァルフが残した遺跡。それが無くなってしまったな……それは悲しい事だ。我々が夢を抱いて調べた数々の品々が、今やブラックテイル号内部に収容した分以外は無くなってしまった」
悲しむべきだろうし、忌むべきでもあろう。
一つの文明が行き着いた光景があれだ。周囲に破壊をもたらし、後には何も残らない。そういう文明というものの悪い部分があそこにある。ディンスレイもそう思う。
「他山の石だ。あれを見て、我々も学ぶべきところがあるだろう」
「言う割に、そこまで悲しい顔をしないのね、艦長」
「無論、悲しんでいる状況ではあるまい。ブラックテイル号には無理をさせた、それにこれで旅が終わるわけでも無い。まだまだこういう光景を見る事になるかもしれんぞ? 気落ちしてはいられないさ。それに……」
「それに?」
「これで終わりでは無いのは、我々だけでは無いさ。思い出せ。我々がここに来た時、この遺跡は既に無人だった」
ダァルフは、この光景を予感したのだ。この光景がダァルフの過ちだと言ってしまうなら、今、ダァルフへの被害が彼らの残した遺跡のみに抑えられたのは、彼らの賢明さに寄るものだろう。
自分達が掘った穴の奥底に何があるかを察し、巨大な木を伐り、それを蓋にするためにあの大穴を整形もしたのだろう。
そうして時間を稼いだ。
「彼らは穴に蓋をして時間を稼いだ後に、避難をした。だからあそこには人一人居なかったわけさ。どこぞで生き残り、また鉱山を開発しているのかもしれん。なら、旅先で会えるかもしれんぞ。今度は遺跡ではなく、当人達にな」
「ま、そういう考え方もあるかもしれないけれど……」
それでも、ミニセルはあの黒い柱が怖い様子だ。それは仕方あるまい。ディンスレイだって怖い。
「ならば、今後はこう考えよう。我々にとっては危機一髪の出来事だったとな。土産話が一つ増えた」
「この調子だと、抱えきれなくなる量になるかもしれませんがねぇ」
副長のそんな言葉にディンスレイは笑った。苦笑では無く、笑ってやったのだ。
それくらいの旅は望むところだ。それでこそ、旅立った価値がある。そう思って笑ってやった。
「さあ、行くぞ諸君。次の目的地には何が待っているのか。それを心待ちにしようじゃあないか」
手をパンと叩き、気分転換をするみたいにディンスレイは言ってのけた。
それはこの艦をまとめる艦長の役目であったし、ディンスレイの心からの言葉でもあった。
ダァルフの遺跡が消失する事件からまた数日。無茶をしたブラックテイル号の修理も終わり、ディンスレイ達はまた未踏領域の空を進んでいた。
浪漫ばかり追っていた日々の反動から、細々としてストレスの掛かりそうな仕事に没頭する事になったディンスレイであるが、漸く一息吐けそうになったタイミングで、艦内の食堂へとやってきていた。
艦内各場所にある部屋は広い場所というのも少ないが、この食堂は比較的広めに作っていた。
長い旅路。間に楽しめる数少ないものが食事だ。出来る限り、その楽しみを尊重しようと考えて広めの食堂を用意したわけだが、これはこれで正解だったなとディンスレイは思う様になった。
「それでですね! 艦長さん! 聞いてます?」
こうやって、まるで子どもの勉強を見てやるかの様に、はしゃぐララリートから話を聞くのは、食堂みたいな気安い空気が流れる場所が丁度良いだろう。
お互い、長話をしているためか、もう皿は空だ。お互いのコップに水だけを入れて、今は雑談に近い話を続けて居た。
「ああ、聞いているよ。ララリート君。確かダァルフの穴から脱出した際の衝撃で転び、膝を怪我した様だが、大丈夫なのかね?」
「はい! 擦りむいただけなので、消毒だけしておきましょうってアンスィ先生も診てくれました! って、そうじゃあありませんよ!」
食事が終わった後でも元気そうな彼女だ。話し足りない事はまだまだあるらしい。最近は特に、彼女にしか出来ない仕事というものが見つかって、当人が一番喜んでいるらしかった。
「ダァルフが残した文書類の解読を頼んでいたところだが、何か進展があったという話だろう? 遺跡が無くなってしまった以上、君の話が楽しみではあるさ。聞かせてくれるかな?」
「はい! そうなんです! あの遺跡にあった都市は、幾つかあるダァルフの都市の一つで、やっぱりあの……ブラック……なんでしたっけ?」
「ブラックホール。私はブラックピラーと呼ぶべきだなどと、旅から帰れば提言してみるが……」
「じゃあ、ブラックピラーです! そういうものが何時か発生して、街が破壊されるんだーって慌ててたみたいですね」
「未来に発生する災害の予想という奴だな。我々の国だって風向きや気圧から天候を予想する様な物があるが、彼らもまた、そういう予想をしていたのだろうさ」
「そうですね。色々話し合ったり、会議をする時間をとりあえず作るために、崇めていた大きな木……わたし達が前に着陸したあの木を利用しようとしたり、色々してたみたいです」
「そうか……あの木は、ダァルフにとっては特別な物だったか」
切り株だけでもその大きさが分かる。伐られる前は、それはもう雄大な姿を世界に見せてくれたのだろうと思う。
それを切ってしまうというのはダァルフにとっても、苦渋の決断だったのでは無いか。
「君が解読してくれた資料の内容は、私にとって思いを馳せたくなるものばかりだ。あくまで君がしたい事をしてくれれば良いが、私が望むところは―――
「はい! わたし、とりあえずこの解読作業頑張ってみます! ええっとなんでしたっけ? わたし、なんでもスーパーターカー」
「スペシャルトーカー。ま、なかなかスペシャルな名称を貰えて良かったじゃないか」
「ですねっ! あ、それはそれとして、艦長さんにもスペシャルな話があるんですよ?」
「ほう? 何か良い話かな?」
「かもしれませんっ。えっとですね、ダァルフの人達って、鉱山以外の場所にはあんまり暮らして無かったみたいなんですね?」
「なるほどな。そういう文化か」
あれほどの規模の採掘と街造りをセットでしてしまえる文明だ。それはもはや不可分な物だったのだろう。
存外、彼らの技術力に反して、彼らが住まう場所というのは少ないかもしれない。
「それでですねー。なななんと! そんなダァルフさん達にとって、物を……えっと、運んだり? 渡したり?」
「流通かね?」
「そうです。それです! 街の間で流通させてくれる、仲の良い種族が居たみたいなんです!」
「それは……ダァルフとは違う種族だったり?」
「そうです! その通りです!」
この未踏領域でも、異種族同士の交流が行われていた。否、今、この瞬間にも行われているはずだ。
確かにその話は、ディンスレイにとっては興味深い。率直に言って喜ばしい話だった。
まだまだ、この未踏領域には未知との遭遇が待ち受けているという事なのだから。
「その種族の名前なんですけど、ダァルフの人たちは―――
『艦長。こちら副長のコトーです。すぐにメインブリッジにお越しください。興味深い物……いえ、方々が見つかりました』
と、ララリートとの話の途中で、ディンスレイに呼び出しが掛かる。
「悪いなララリート君。どうにも暇な時間は終わりの様だ」
丁度良いタイミングだったのかもしれない。ララリートとの会話も一旦は中断だ。食堂の席から立ち上がり、ララリートに挨拶をしてから立ち去ろうとして……。
「そうですかー。あ、じゃあ種族の名前だけでもどうです?」
「いいや、それについては当人達から聞く事にしよう。恐らく、これから会う事になりそうだ」
そう言い残して、ディンスレイはメインブリッジへと歩みを進める。
副長が言う方々。新しく見つかったらしい種族との出会いを心待ちにして。