⑤ 進行中・テグロアンの場合
外交省と接触してから後のテグロアン・ムイーズの行動指針は、そこから大きく変わったと言って良いだろう。
中央都市内部で暗躍する何者かの影……の様なものの感触を掴めたテグロアンにとって、次にするべきは別組織への接触そのものではなく、その組織周辺で動く者を見つける事に変わったのだ。
(と言っても、どうするべきかとなると、足を動かすしか無いわけだが……)
方針が変わったと言っても、戦争への賛否決定する中央委員会、それを構成する組織に訪れるという動き自体は変わらなかった。
当初の予定から変えた部分はと言えば、深入りせず、必要最低限の情報を集めてから、すぐに去るを努める様にした事。
なので今もそうなのだが、中央都市の道路を、ひたすら踏み付けていた。
この街は道も入り組んでいるため、前に進んでいるか後ろへ進んでいるか分からなくなりそうな気がしてくるのが難点だ。
仕事の進捗にしてもそうなのだから、まるで街がテグロアンの心情を表現している様な気すらしてきていた。
(各組織に接触を行っている何者かを追うには、追う側も同じように動かなければならない。それは分かるから、今、私がやっている事は正道だ。それも分かっているが……足が疲れてくると思ってしまうな。邪道は無いものかと)
ふと足を止める。
というより、どこかへと歩き続け、どこかへと向かい続けたせいで、肝心な事を忘れていたのに気が付いたのだ。
(次に向かう組織を決めていなかった)
外交省と接触してから、既に三日は経過していた。戦争の方針を正式に決定するだろう二度目の中央委員会まで、早くて残り三日と言ったところか。
各組織間の調整があるため、日程がやや延びる事はあれ、時間は貴重ではあった。
結果として、自分の中に焦りが生まれているとテグロアンは気付いたのである。
どこかへ向かわなければ。こういう思考だけに染まってしまうというのも、事態の好転には繋がらない。
その自覚も生まれたから、テグロアンは足を休めるために適当な喫茶店へと立ち寄る事にした。
今の自身の思考だってまとめる必要がある。
「失礼。席は空いていますか? 冷たいジュースなどを一つ頼みたいのですが」
出来るだけ気安く来店したつもりであったが、テグロアンの言葉を聞いた店員が愛想笑いを浮かべるちょっと前、少しばかりぎょっとしたのをテグロアンは見逃さなかった。
(顔が怖がられがちなのは分かっているが、ショックを受けない事も無い)
勿論、そのショックだって顔には出さずに努めているからこそ、やはり怖がられるのだろう。
そうなると、この反応は職業上致し方ない事。そうやって納得しつつ、適当なテーブル席へ案内される。
テグロアンはさっそく席に座り、正式に注文し、飲み物が運ばれてくる間に、身体を休めつつ思考を始めた。
(まず、現状の振り返りだ。今の私は焦っている。ああ、それはそうだろう、間違いない。では何故焦っているか? それは勿論、複数の組織を回った結果だ)
何も進展は無かった。もし、そうであればそこまで焦る事は無かったろう。
進展は有った。各組織に接触し、戦争へと状況を促す流れを作ろうとしている動きは見つける事が出来たのだ。
(いや、違う。そういう表現は現実から目を逸らしている。こう考えるべきだ。既に大半の組織に、その流れは巻き込まれている)
テグロアンが足を運んだ組織。外交省から始まり、飛空船造船業の大手、都市組合、通商同盟に地図館等々、短期間の内に、テグロアンはもう随分とそれらの組織の動きを見たが、何者かの意図がそこに混じっている。それをテグロアンは感じたのである。
恐らく、黒幕の動きは迅速で手広い。各組織の方針が少しずつ戦争に傾く様に動いていると、テグロアンはそう感じていた。
だからこそ焦っていたのだ。自分はもしや、動きが遅かったのでは無いかと。
「っと、ありがとう」
冷えたカーモンの果汁入りジュースがグラスに入った状態で運ばれてくる。
思考の方向性がどん詰まりに行きそうなタイミングだったので、有難いものであった。
頭を冷やす。糖分を摂取する。どちらも今の自分に必要な事であろう。
実際、その冷たく非常に甘い飲み物を口に含み、喉へと通すと、また違う考えがテグロアンの頭の中に浮かんでくる。
(相手の動きは早い。そうして手広い……が、些か浅くも感じるな……)
例えば最初に赴いた外交省での印象。
そこでは元上司の意向の不自然さから、誰かの誘導を感じたわけであるが、言ってしまえばそれだけである。
(脅されているとか、何かを握られていると言った印象は受けなかった。そうする事を選ばず、ただ当人が自らの意思でその選択をする様に誘導する。そういう手管なのだとは思うが……)
少しばかり、やり方がぬるいとテグロアンは感じ始めた。
誰にも邪魔されない環境で、少しずつ大きな流れを作り上げるというのなら、手段がぬるくても有りだろう。
ただ、中央委員会の決定は、二回目の中央委員会開催までの間に、裏側で意見の調整を行うものであるのだ。
裏で動くというのなら、今、この瞬間に誰もがしている。テグロアンだってその手の一人にはなるだろう。
黒幕が中央委員会の意見を戦争賛成に傾かせる。その手段を取るなら、もう少しだけ、強く、強固に動く必要がある。相手に行動を促すにしても、促す相手の行動の種類は、積極的にその意見を推進させるような、そういう類のものであるべきではないか?
(艦長なら、恐らくそういう手段を取っていくはずだ。なら、私が追っている相手はどうだ? せめて影さえ掴む事が出来たら、相手の出方を予想する材料になるが……もし、相手が各組織に、深い関係性をそもそも作るつもりが無いのだとしたら……)
今、テグロアンがする様に中央委員会に近い組織へ接触し続けるという行動は、無為に終わる可能性がある。
方法を変える必要があるのだ。今すぐに。
再び、飲み物を口に含む。糖分がもっと欲しい。
「組織への接触を最小限に努めているなら……」
自分に問い掛けるために、あえて言葉を漏らす。他人に聞こえぬ程度の小声。
だが、確かに自分の耳には聞こえる。
自分はその問い掛けにどう返す?
「別の場所で、違う動きもしているはずだ。怠ける相手ではあるまい」
ではどこで? 恐らく、中央委員会絡みとは質の違う場所で、また違う何かをしようとしている。
考えろ。中央委員会で、オヌ帝国との戦争賛成の誘導をしようとしつつ、平行して行うべき事とは何か。
そうしてテグロアンは答えに辿り着く。
「シルフェニアの……弱体化だ」
もっと早く気付くべきだった。戦争を誘導する者が居たとして、それは当たり前に、自分が属する陣営にとって利益とならなければ意味が無い。
オヌ帝国側の軍事力が上等であったとして、万が一にでもシルフェニアが勝ってしまえば、すべての努力が無駄になる。
何なら、戦争へ誘導するより先に、その弱体化を優先するべきでは無いか? 相手の本命はそこにあるのだとしたら……。
「向かうべき場所が決まった」
自分への問い掛けが終わり、そうして丁度良く、飲み物を飲み終えた。
店員に代金を払い、そのまま店を出る頃には、足の疲れが消えた様に感じる。
ただ、軽くはなっていない。さらに状況は重いものになっているかも。
そんな事を思いながらも、テグロアンは新たに決まった目的地へと進む。その足取りに迷いは無かった。
グアンマージは歴史深い都市だけあって、街の構造そのものにも幾つか問題を抱えている。
公衆用のトイレが少なかったり、地価が利便性に不釣り合いな程に高かったりと言ったものだ。
中でも街の人間の大半が第一の問題として上げるのが、行政関係の施設が集まる街の中央を取り囲む様に存在している貧民街であろう。
(それは問題視されるくらいに、シルフェニアが優先して取り組むべき国の課題の一つではある)
その貧民街へと足を踏み入れたテグロアンは、その景色を見つめながら、まずは目の前の街並みについて考える。
スラム一歩手前とは良く言われるが、さらに半歩踏み込んでいるのではないかというくらいに、街並みは汚れたものであった。
ゴミで道が通れないという程では無い。むしろ物が少ないという印象だ。何かしら金銭に変えられそうな物がそこにあれば、誰かが盗んで行ってしまうためだ。なのでそもそもゴミ箱なども無い。
汚れているという印象は、そんな道と、その道を挟む建物のせいであろうか。
中央都市の多くの建物は石造りである事が多いが、この貧民街に限っては木造のものもそれなりに見えた。新しく建てられる建築物が、石造りなどという街の風景に合致したものを建てられる程、金回りが良く無いのだ。
一方で旧来の石造りの建築物も無いわけでも無い。単純に撤去するにも金銭が必要であり、誰もそれを出す程にこの貧民街に金銭を投じる必要を感じていないというわけだ。
結果として景観の調和などというものがこの区画には存在せず、整備されないままに放置され続けるがたついた道だけが、街の景色にどんどん見合ったものとなっていく。
そんな場所が、街の中央付近にあるというのは、なんとも頭の痛い問題であった。
(と言っても、私が今、どうこう出来る問題ではない)
テグロアンが挑む課題は別にある。
この街並みをどうにかするのでは無く、この街並みを守るという方向性の課題だった。
(そうだ。文字通り、この区画を守る必要があるかもしれない)
黒幕が居たとして、そんな存在が休む事なく働き続けているとして、さらにその相手の頭が水準以上に良いものだったとしたら……この貧民街で動いているはずだと、テグロアンは考えていた。
(他国を弱体化させるのなら、他国が抱えている問題をさらに大きくする事が一番効果的。もし何者かがシルフェニアに敵対しているとしたら、この貧民街を起点に、何かを引き起こす可能性がある……)
その発想へと至ったテグロアンは、だからこそ組織回りを止めてこの場所へと来たのだ。
中央委員会への働きかけは最低限のものであり、本命はむしろこの地区なのでは? そんな予感すらしていた。
勿論、予感でしか無いのだから、大外れの可能性だって念頭に置いておく必要はあるだろう。
(重要なのは、この区画に来て、まずどこへ向かうかだな)
時間を掛けるわけには行かない。かと言って、ただ歩いているだけで重要なものが見つかるという事もあるまい。
(アテは……あるにはあるが、そう多くも無いな)
だから今、やっている事は賭けになるのだろう。出来るだけ目立たず歩いていた道の端。この貧民街を歩く時の最低限の礼儀だ。
この場所において、一般人でありたいと思うのなら、そうするのがもっとも正しい。
だが、テグロアンはそこから外れた
実際に、道の端から中央へとズレて行ったのだ。
そのまま、堂々と道の中央を歩き続ければどうなるか? その答えはすぐに出る。
さっきまでそう見なかった人間が複数人、視界の端に現れだすのだ。
その動きは勿論、徐々にではあるがテグロアンを取り囲むもの。
テグロアンの身なりは上等と言う程でも無いが、それでもこの貧民街においては随分とマシな部類になる。それこそ、この区画に居住する住民からすれば、羽振りの良さそうな恰好という事になるだろう。
懐にあるだろう金銭もまた、相応のものであろう。そんな風にも思われている。だからこそ、遂にテグロアンは歩けなくなった。
完全に取り囲まれ、囲む男達のうち、もっとも強面の男が正面からテグロアンを睨み、口を開いてくる。
「こうなった以上、分かってると思うが、金目の物を持っているなら、さっさと出した方が―――
「ザンドーはまだ、ここいらの顔役をしているのか?」
「あ?」
このままスムーズに強盗の話へと進む前に、テグロアンは本題を進める事にする。時間が無いのだ、本当に。
「ザンドー・ノッコスの事だ。もうそういう立場じゃなくなっているのか? 確かに、無頼連中の力関係なんぞ簡単に変わるものだからな。もうどこかで野垂れ死んでいるというのなら、他を当たるが……」
「あんた、誰だ? なんでザンドーさんの名前を知っている」
「知り合いだからだ。テグロアン・ムイーズが来たと伝えたら、会うくらいはするはずだ。ただ、良い顔はしないだろうから気を付けろよ」
「う、嘘じゃないだろうな?」
「嘘でザンドーの名前を出す様な輩なら、なおさら、直接会わせた方が好都合だろう?」
「う……分かった。こっちだ」
ここまで言えば、むしろ行動が早いのがこの手の連中だ。上下関係が厳しい割に、背負うものが少ないからだろう。
テグロアンが何者であろうとも、自分たちの手に負えないタイプの人間だと分かれば、誰かに押し付けようとする聡さもあると言えるだろうか。
何にせよ、テグロアンはこの貧民街を取り仕切る男の一人に会う事を選んだのだ。
この手の貧民街がどうして出来るかと言えば、そこに正規の仕事が無くなる事から始まる。
グアンマージは古いだけあって、都市内部での仕事が非常に効率化されている。
この地区ではこの種類の仕事。この場所ではこの物を扱う商売。そういう暗黙のルールが何時の間にか出来上がり、それがより洗練されていく中で、必要とする人間の数を減らしていくのだ。
どうせ利益は一定なのだから、享受する人間は少ない方が得だ。ただでさえ、中央都市は行政関係が主な仕事。何かを生み出す事をする人間より、何かを右から左へ伝えるだけの仕事の方が多い。ならば関わる人間はより少なく、より省コストに。
そこからあぶれた人間については、出来る限りに見ない事も含めて。
そういう風潮が出来た時点で、この貧民街が出来るのは決まっていたのかもしれない。
グアンマージの仕事は限られている。そこから漏れた人間は、中央都市を去る他無いが、それが出来ない人間だっているのだ。
庁舎区画という都市の中心地を囲む様にそれが存在しているのがある種の証拠だ。
中央都市から離れられない。離れたくないという未練があるから、解決策の一つである街の外に出るという選択とは反対の方を向いている。
(とまで言うのは、言い過ぎか?)
男達に案内されながら、貧民街を歩くテグロアンは、脳内で進むこの区画の正確な評価を、一旦止める事にする。
男達の背中を見れば、それぞれがそれなりに必死に生きている事は分かるからだ。
十把一絡げに、それは街とお前たち自身の責任だと、頭の中でだって言い放つのは、それこそ世間知らずの弁になってしまう。
ただし、街の景観そのものに関しては、問題は問題であった。
「暫く来ないうちに、ここは変わったな。一層暗くなった」
「あんた、この区画には良く来てた口かい?」
漏らしたテグロアンの言葉に、前を歩く男が反応する。
別に話をするために呟いたわけでも無いが、言葉を返されれば黙り込むわけにも行かない。
「出身はここだ」
「ほーん? らしさは無いが……」
「どこを出身と言っても、らしく無いと言われる性質だ」
「なるほどな。理屈は分からねぇが、意味は分かるぜ」
言葉通りに理解されているとは思えない。相応に複雑な過程があって、貧民街出身者が今や国軍の大尉である。
別にそれが誇りでも無ければ、故郷に錦を飾ろうとも思っていないのだから、やはり事情はより一層複雑なのだと言える。
この街の暗さと同じ様に。
(金も仕事も無い場所だが、どうしてだか少し路地に入れば、物は増えるんだ。建物を無理やり補修した結果の建材に、洗濯物かゴミか分からない干された布切れ。そもそもの土台からして迷路みたいな構造になっているから、空からの光が届かない。塞がれているのではなく、混沌が明かりだって遮っていると考えれば、独特とすら言える)
その混沌さが、ブラックテイルⅡで旅をした前の時と比べて、より増した気がしてくる。もしくは、テグロアンの方の感じ方が変わったか。
どちらかの結論を出す前に、目の前の男の足は止まった。
目的の場所へ辿り着いたらしい。
主要道路を外れ、路地の深い場所へと入り、さらに幾つかの曲がり角を曲がった先にあったのは、何でもない建物の入り口の一つ。
大層な場所では無い。というより、この貧民街に大層なものなんて存在しないのだ。どこにも。
「ザンドーさん。居ますかー?」
男が扉を雑に叩く。そう強くは無いのだが、軋む扉の音は大きかった。壊れないか不安になるものの、中の空間にははっきりと音が聞こえた事だろう。
扉の中から、返答の声が聞こえて来た。
「おう。なんだ。今月のあがりを渡すつもりなら、まだ時間にゃ余裕があるぜ」
「あー、用件はそっちじゃなくて……あのですね。テグロアンって男知ってますか?」
「……」
扉の向こうの声が一旦止まる。
代わって、中からどたばたと誰かが移動する音。
その音は扉のすぐ前までやってきて、次の瞬間には扉が勢い良く開かれた。
「よう。ザンドー。久しぶりだな」
扉の向こうから現れた、体格は良いが髪と髭を伸ばし放題にしている男に、テグロアンは話し掛ける。まるで旧知の相手へ話し掛ける様に。
「……テグロアン。あんた、今度はどんな様だ」
一方の男、ザンドー・ノッコスは、目の前に害虫が現れたと言った風に、不機嫌そうな表情を浮かべている。
今のところ、テグロアンとザントーという男の関係性は、そういう類のものであった。




