⑧ 治療は終わったけれど
人生における課題がそうである様に、ブラックテイルⅡが抱える問題というのも、次から次に現れる。
現在、ガウマ国に来た目的である、レド・オーを回復させる医療というものは、紆余曲折あって解決した形になるのだが、すぐに別の問題というものが出て来ていた。
「彼の回復を待ってから艦をシルフェニア本国へ……と考えたいところであるが、私個人の考えとして、今すぐにでもガウマ国を去りたい。その手の方針を正式に決定するため、皆、忙しい中で、船内幹部会議を開かせて貰った」
ブラックテイルⅡの会議室。もはや慣れ親しんで来た感があるそこで、やはり各々、いい加減この手の会議にも慣れて来たと言う風に、椅子の肘掛けに体重を掛けたり、仕事の疲れからか視線を宙に向けて居たりする。
まあ、本当に全員、忙しい中で会議に呼び出されているわけだ。
そんな中、もっとも忙しいであろう一人、ガニ整備班長が手を挙げ……る事も無く、発言した。
「艦長個人の考えがそうなら、独断で決める事が出来なかったんですかい?」
「その点、むしろ意見が聞きたくて君がここにいると考えてくれ。私の独断で決められんだろう話なんだこれは。ガウマ国に来てから一定、時間が経過しているが、今はどのくらいまで艦の状況を正常化出来ている?」
「そういう事なら……現状、通常の航空は可能ですが、シルフェニア本国へのワープはまだ無理です。もし、今すぐにそれでも移動するってのなら、より短い距離のワープを繰り返して行く必要があるかと」
「そうか……思うに、かなり上等な状況じゃあないか?」
会議の議題の最初は、良い話題から始まっている……とディンスレイは評価したいところだったが、船内幹部達の表情は明るいとは言えなかった。
「良い状況かどうか、まだ分かんないわよね。というより、分からないのが問題?」
「率直だな、ミニセル君」
「そういうのをお望みでしょう? 考えを整理する時間も無いから、顔を突き合わせて、現実でまとめようとしている。けど、そこまで切羽詰まってるのかしら、あたし達?」
ミニセルの問い掛けに、どう返したものか考える。
端的に言うのであれば、そこまで切羽詰まっている。
ただ、それはディンスレイの勘に近い物であり、また、解法に関してもそれぞれの情報をまとめる必要があった。そのための船内幹部会議だ。
「まず一つ。猶予の話をしよう。船医殿。君に尋ねたいが……」
「わ、私も……お、同じくなのですが……い、医務室に戻るのは駄目……ですかね? あ、あのあの、か、艦長も分かっていらっしゃるはずなのですが……ち、治療を行ってから、ま、まだ二時間程度……ですよ?」
そう。アンスィの言う通り、レド・オーの意識が戻ってからそれくらいしか時間が経っていない。
レドの治療そのものへの疲労もあるだろうし、今後も注力したいと彼女は考えているから、きっと、こんな会議に出席している場合では無いと考えているはずだ。
通常であれば、ディンスレイもその通りだと答えるだろう。だが、今は違う。
「実を言うと、その時間すらも惜しかった。今現在もな。だからやはり君にも尋ねるが……ウーフ師が例えば、今すぐ、レド・オーの治療に参加出来なくなったとして、レドの容体は快方に向かうか?」
「や、山場は越えたので……あ、あとは体力の回復に努めさせるだけ……かと。な、なので、それはわ、私でも出来ますが……ふ、不測の事態もありますので……そ、その時は、ち、力を借りられればとも思い……ますが……」
「そうか。なら、不測の事態が起きない様に祈る他無いな」
「か、艦長?」
「ウーフ師を街に返す。今すぐにだ。そうする必要がある」
「艦長!?」
せっかく回復した患者に対して、その治療を行う医者を一名、外すと言っているのだ。アンスィが戸惑うのも分かる。
それは何故かを説明するのもまた、この会議の目的だった。
「艦長はこれから、どうなると考えているのですか?」
テグロアン副長が、言うなら今だというタイミングで発言する。恐らく、狙ってのものだ。彼も副長という役職の仕事が板について来た。
だからこそ、それに答える必要があるのだ。彼だけで無く、船内幹部全員がそれを望んでいるから。
「ガウマ国側に我々が補足された。このままで居ると、近い内に何らかの形で襲われる事になる」
「それは……思ったより早い……ですね?」
テリアンは率直な感想を言葉にする。いや、彼にしたところで、考えている。だから何時もの軽口を吐いたのである。
もし、彼に思慮が無ければこう言っていたはずだ。マジですか? と。
「街に兵士が増えている。動きも迅速だ。目当ての物を見つけた動き……だと思う。だからこそ、今の艦の状況と、そもそもこの国に来た目的についてを共有し合う必要があった。私の結論としては……やはり、無理をしてでもこの国を去るべきだと考えているが―――
『メインブリッジより会議室へ。こちらララリート補佐観測士。船内幹部全員、持ち場へ戻ってきてください。現在、不明の飛空船が接近中。繰り返します。船内幹部全員、持ち場へ戻ってきてください』
「ほらな……急がなきゃこうなる」
艦内通信にてララリートからの言葉を聞きながら、ディンスレイは呟いた。
「言ってる場合ですか!? 全員、急ぎましょう!」
慌てた様子で席を立ち上がるテリアン。他の幹部達も同様に、すぐに会議室を出て行く。
まったく、だから問題というのは何時まで経っても湧いて出て来るんだ。
「ブラックテイルⅡ発進準備を早急に進めろ。整備班から文句は出るだろうが、今はメインブリッジの権限を優先させて貰う。なに? どうなっても知らない? そういう意見は既に整備班長から貰っているよ。彼は何と言ってる? 何も言って無いだろう。全部艦長の責任だからという言葉を、言外に伝えているというわけだ。やるじゃないか」
ブラックテイルⅡのメインブリッジ。ディンスレイが本領を発揮出来る場所。その艦長席に座り、ディンスレイは船内の各施設に通信を繋ぎ、直接指示を出していた。
(本来、一から十まで目を配らずとも、最低限の指示で動ける艦が上等な艦だし、ブラックテイルⅡならそれも可能だが……今は急ぎだからな。私が全部署の脳になって指示を出さなきゃならん場合もある。それに……なかなかこれも面白い)
切迫した状況に面白みを感じるのはどうかと自分でも思うが、そう感じてしまう身なのだから諦める他無かった。
とりあえず、自分がやった方が早い。そういう考え方は組織を駄目にするが、今、この瞬間だけはセーフだろと思いたいところだ。
「観測士。不明船の接近が思った以上に速いな。動きは鈍足に見えるが、実際のところはどうだ?」
「す、すみません、担当観測士はわたしです。不明船の船速についてはおっしゃる通り、速いものではありません。ですが、だからこそ、現時点までの接近に気付かなかった事は不手際でした。見過ごしていたなんて……」
船内幹部会議中、メインブリッジで周囲の監視を行っていた補佐観測士、ララリートの言葉を聞く。
彼女は今の状況に責任を感じているらしく、何時になく畏まっていた。
「責めているわけじゃあないが、察する事が出来なかったのは能力不足だな。今後、改善していく様に」
「キツい事言うわねぇ、艦長?」
「観測士だと言うなら、それくらい発揮して欲しいという期待だよ、ミニセル操舵士。あれは……すぐ近くにあった。それが発進したから、急に現れた様に見えるだけだ」
ミニセルに言われたところで、ララリートへの厳しい意見は変えない。期待に応えられるタイプの人間であるという事を、ディンスレイは既に感じているからである。
「すぐ近くに……あっ、街にあった岩の……」
「そうだ。ガウマ国め、独特な飛空艦の配置をしている。湖に飛空艦を沈めているんだ。岩の装甲も、水による錆を受けん様にするためだろう」
接近する不明船は、ガウマ国の飛空艦。それもディンスレイ達が出入りしていた街に配備されていたものだ。あの街に最近になって兵士達が見え始めたのも、飛空艦の乗組員が集まって来ていたという事だろう。
そうして今、あの艦は真っ直ぐブラックテイルⅡを目指していた。
明らかに準備万端、敵対する状況という事でもあった。
もう少しで互いに戦闘を行える距離になる。それまでに艦を空に飛ばす必要があるわけだが……。
「ミニセル操舵士」
「はいはい、焦んないで艦長。まだ発艦出来るタイミングじゃあ―――
「違う。君には別の船を操舵して貰いたい」
「ちょっと艦長、どういう事?」
戸惑いと怒り。その両方を感じるミニセルの言葉に対して、ディンスレイは淡々と答えた。
「この艦にはまだウーフ師が乗っている。だが、いい加減無事に街に帰す必要があるんだ。それを、余裕を持ってする猶予が無くなってしまった」
「そりゃあ分かるけども、今すぐ艦を降ろして、歩いて帰って貰えば……」
「約束したんだ。この国の人間に傷は付けないと。今回は正直、迷惑しか掛けていない立場だ。この約束だけは守らなければと考えるのだが……」
「分かった。分かったわよ。あーはいはい。受け入れりゃあ良いんでしょうが。で、艦の操舵は艦長がするのね?」
「君で無ければ私だ。悪いがララリート君などはまだ訓練生レベルでね」
「あ、あはは」
照れた様なララリートの笑い声も聞こえて来た。そろそろ空戦が始まるとは思えない弛緩した空気。これがやはり、ブラックテイルⅡの空気でもあった。
ただ、その空気から今日は、ミニセル一人居なくなる。
「無事に届けるくらいはやってあげるわ。けど、帰って来る際はどうなの? 今はどうせ、外に例の小型飛空船、シルバーフィッシュを準備してるんでしょうけど」
「帰還用の収容場所については整備班長が準備しているらしい。と言っても、本当に、とりあえず艦内に入って来れる穴程度らしいから、無事シルバーフィッシュを艦内に戻せるかは君の腕次第だな」
「そうじゃなくて、これからこっちは空戦が始まるんでしょう?」
「その点に関しては、私に考えがある。なあに、任せておけ。君に帰る場所が無くなるなんて事にはしないさ」
「一応、信じてるからねって言っておく。一応だからね。油断するんじゃないわよ」
言いながら、メインブリッジを去っていくミニセル。
そんな彼女を見送りながら、ディンスレイは呟く。
「そんなに信用ならないか、私は」
「本気で言ってます? 艦長?」
それはどういう意味で聞いている? 答えを聞くのが怖いのでテリアンの言葉に対しては、曖昧な笑みで答えておく。
「さて艦長、ミニセル操舵士が小型飛空船で街へ向かうタイミングが、ブラックテイルⅡの発艦のタイミングでしょうが、先ほど言っていた考えとやらを、今のうちに聞かせて貰っても?」
「気になるか、副長?」
「勿論」
相変わらず神妙な表情を浮かべて来るテグロアン副長であったが、率直な質問を増えて来ていた。ディンスレイに対してはそういう対応が上手く行くと、実感として理解している様だった。
だからディンスレイは答える。
「やる事は何時も通りだよ。相手の動きに対応して、相手の思いも寄らぬ方法で隙を突く。だが、今回の突き方は特殊でね。諸君らも事前に準備をして貰う。勿論、奥の手だから、やらないで対処出来た方が良いが……」
使う事になるだろうな。
ディンスレイは接近してくる、装甲が岩で包まれたガウマ国の飛空艦を見つめながら、心の中で呟いていた。
小型飛空船が飛び立っていくのを隠す様に、ブラックテイルⅡもまた空へと飛んだ。
そのタイミングはかなりギリギリと言えるだろう。空へ飛んだブラックテイルⅡの横を、ガウマ国の飛空艦から放たれた攻性光線が通り過ぎていく。
(まだ狙い澄ませる距離では無いが、一方で牽制を撃てる距離には来られていたか)
敵艦からの攻撃に対して、ディンスレイは淡々とそう思う。
ここで慌てたところで仕方ない。ギリギリとは言え、間に合いはしたのだから。
「敵艦からの光線、色は青です!」
ララリートからの報告に頷きながら、ディンスレイは呟く。
「なかなかの出力だな……見るからに重そうな艦だ。出力は相応というところか?」
言いつつ、ディンスレイは艦を動かす。ミニセルが居ない以上、ディンスレイが今は操舵士兼任だ。
敵艦の周囲を旋回する軌道で艦を動かしつつ、ディンスレイは次の一手を考える。敵艦から攻撃をしてきたのだから、次は反撃、それが常道ではあるが……。
「主任観測士。君が反撃の一射を撃て。ただし装甲に掠らせる程度だ。出力は……そうだな、黄色で良い」
「了解ですけど……掠らせる?」
「ああ、そうだな。当てはしても直撃させるな。あくまで装甲を削る様にだ。出来るか?」
「狙う事は出来ますけど……いけるかどうか」
「狙いを外すならそれでも良い。代わりに、やはり直撃は避けろ」
「それなら……出来ます! 出来た!」
テリアンが指示通りにブラックテイルⅡより攻性光線を発射させ、やはり指定通りに敵艦に攻性光線で装甲を掠らせた。
敵艦の様子を見るに、当たり前であるが航空に支障は無い様子。このまま空戦も継続出来るだろう。
「結構自信を持てる一射だったんですけど、あれ、もしかして向こうの動きが鈍いからですか?」
「ああ、だろうな。それと、外見だけで装甲も頑丈とは言えんらしい」
敵艦の性能を評価するための攻撃。それが今、やって貰った事であった。
その結果はと言えば……。
「これは幸運であり、不幸でもある」
「どういう意味です?」
テリアンが尋ねてくる。自分でも哲学的な事を言ってしまった自覚があるため、ディンスレイはすぐさまに答えた。
「有利な状況というのも、厄介な事態という事だ」
ガウマ国の飛空艦は、性能が良いとは言えない。ガウマ国側にも事情があって、岩の装甲なのだろうが、その重さのせいで艦の機動性が無い様に見えた。
恐らく、その重さを支えられる出力を発揮するため、かなりの数の浮遊石が艦に配置されているはずだ。そうして、それをした場合、それぞれの浮遊石の力を推力として同期させるため、艦としての動きはより鈍くなる。
艦としての設計の段階で、その手の失敗をしてしまっているとディンスレイは見た。さらに言えば、その失敗をした上で手に入れたはずの岩石装甲が、あまり上等な防御性能をしていない様にも見えた。
出力を抑えた攻性光線の一射ですら、それを削る事が出来たのだ。
(ここまでは幸運な要素。現状のブラックテイルⅡでも、十分に戦える。いや、むしろ圧倒的に優位ですらあるだろう)
再び敵艦から攻性光線が射出されるが、それをブラックテイルⅡは余力を持って回避出来た。
ディンスレイの腕が良い……という理由では無いだろう。機動性において、ブラックテイルⅡが上回っている証左だ。
ならば不運な部分とは何か? それについても、さっきと同じだ。
(敵艦が弱すぎる! 迂闊に攻撃を加えれば、撃墜してしまいかねんぞ……)
不運かつ、問題はそこにあった。
はっきり言ってしまおう。ここでブラックテイルⅡが勝利するわけには行かないのだ。
「艦長、一応、現状のままであれば、回避に専念すれば敵艦からの攻撃は凌げます。つまり、現状維持がベストなのでは?」
「ああ、だろうな、副長。こっちは敵艦を傷つけるわけには行かん。この国の人間に、これ以上敵意をぶつけるわけにもな……」
今回に限っては、勝手な侵入者はブラックテイルⅡの方である。
ウーフ師との約束もあった。こういう状況ですら、ガウマ国の人間を傷つけるわけには行かない。例え空戦であろうともだ。
(だからこそ、相手よりこちらの性能が勝っているのは幸運であり、そこに言い訳が出来ないのが不運でもある……か)
ここで敵艦を圧倒する様な戦いで撃沈してみろ? それこそ、ディンスレイ達の傲慢な身勝手さを示す事になる。
ガウマ国との外交関係もまた、そこで完全に失敗するだろう。
「主任観測士としては、敵艦の様子を見るに、副長の言う現状維持に賛成ですね。明らかにこっちの性能が上です。万が一撃墜してしまったらっていう艦長の心配も分かりますが、そういう心配があるって事は、やっぱりこっちが敵艦の攻撃を避け続ける猶予もあるって事でしょう?」
「その点は現時点で、それを実行出来ている事が証明しているな。私の操舵でだ」
腕は悪く無いつもりだが、ミニセルの様な達者ではない。ただひたすらに敵艦から放たれる攻性光線を、敵艦の狙いを翻弄する様に動く事で、回避に専念し、それを現実に出来ていた。
「あの……もしかして、これも幸運でもあり、不幸でもあったり……します?」
「……ああ、その通りだ、ララリート君」
彼女の頭も鋭く働き始めたらしい。彼女の場合、その動き始めがまだ遅いのが難点であるが、ディンスレイと同じ結論に至れたのは僥倖と言える。
この後に起こる事が、それでほぼ確定したのだから。
「すみません、艦長、補佐観測士? 二人で遠回しな会話を続けられると、非常に嫌な予感がしてくるのですが、もしかして、嫌な事がこれから起こります?」
「君も察したな、主任観測士。ほーら来たぞ!」
それが来ると分かっていたから、ディンスレイもまた対応する様にブラックテイルⅡを動かした。
敵艦からより距離を置く角度。結果として、艦を襲った衝撃は最小限に抑えられたのだと思う。
岩で出来た様なガウマ国飛空艦が、突如、輝きを放ったのである。
いいや、それは錯覚だ。艦内の各位置に配置されているであろう浮遊石と、その偏力器から、攻性光線を放ったが故、ガウマ国の飛空艦そのものが光った様に見えたのだ。
故にそれは光の帯というより、幾条もの光の線。いや、途中で何度も途切れているため、光の雨と表現出来た。
攻性光線としては最低出力の緑。その緑に輝く雨が、空戦中の空域を染め上げて行く。
「これだ。これが嫌な予感だ! 敵艦が弱すぎる! 向こうの諸事情に寄るものではあろうが、だから仕方ないと、ガウマ国側が諦めるわけも無いだろう予感がしていた!」
鈍重で装甲も信頼出来ない飛空艦。その欠点を補完するための努力を、ガウマ国がしていないわけが無い。
それがこの特殊な攻性光線の発射。拡散攻性光線と言えば良いのか。
重い岩の装甲を持ち上げるために用意された有り余る出力で、攻性光線を一点に撃つのでは無く、解放する様に放ち続けるのだ。
結果、一条一条は出力が低いだろうが、それでも雨の様に周囲に広がる攻性光線が、敵艦がどれほど素早くても捉えてしまう。また、その雨自体が防御のための幕にもなるのだろう。
「面白い武装だ……が、シルフェニアの飛空艦がするには難しい戦術だな、これは!」
「言ってる場合ですか!? 艦、被弾してますよ!」
主任観測士の報告を聞かなくても、それは艦を襲う揺れで分かっている。
届く攻性光線の出力の低さと、ディンスレイが咄嗟に距離を取らせたというのもあって、まだ耐える事が出来ているが、それでも、何時までもこの状況が続けば、いずれ限界が来る。
それを予感させる揺れが続いていた。
「極力、艦へのダメージを最低限にする機動を取ってみるが……完全に避ける、という事までは出来んな、これは」
もし、ここで艦を動かしているのがミニセルであれば?
愚にもつかない自身の思考は、自分自身で鼻で笑う。馬鹿馬鹿しい。ミニセルとて、この様な状況で攻性光線を避け続けられるものか。
「答えは分かり切った事を尋ねますが、今、この状況においてもっとも最適な行動は反撃です。敵艦は劣った性能を特異な技術と方法で解消しているのですから、素直に正面から対応すれば、こちらの勝利となる可能性が高いかと」
テグロアン副長が、真っ当な勝利への道筋を言葉にする。端的に表現すれば、性能はブラックテイルⅡがなお上の状況なのだから、逃げに徹するより撃退してしまえば、それで解決するだろうと言っている。
「答えが分かり切ったと言うが、どういう答えになると思っている?」
「やはり反撃は駄目だと、そう返って来るのでしょう?」
「正解だ。こちらが完全に不利で、手も足も出ずにやられる状況となれば、形振りも構っていられなくなるだろうが……」
そうではない。ガウマ国飛空艦の機能には驚嘆したものの、まだその程度だ。
反撃すれば勝てる。そういう状況において、やはり今、敵艦を攻める事は出来ないとディンスレイは判断した。
ならばどうすれば良いか。
「別に手段はある。ただし、ミニセル君が帰って来る段階でそれをしたい。主任観測士、シルバーフィッシュの船影は今、確認出来ているか?」
「まだです。行って送って帰って来るまで、予想するに後五分ってところですかね」
「途中でサボってショッピングでもしていない限りは、それくらいだろうな。つまり、五分は耐えるぞ。私と諸君らの腕で」
「実際に、腕でどうするっていうわぁ!」
テリアンの悲鳴を聞きながら、ディンスレイはブラックテイルⅡを加速させ、さらに傾けて行く。やはり距離を置く事が重要だが、それと同時に、被弾面積を最小にする角度を意識するのだ。
これでこちらの装甲を貫かれるまでの時間は多少稼げるだろう。非常に仕事をし難い傾きが現場に発生するわけだが、数分は我慢して貰う。
「言ってくださいよ、こういう動きするって」
「空戦中はこの手の動きだってするという覚悟くらい、主任観測士含め、皆、持ってるだろう? 他に何か案は無いか? 今なら採用し放題だ」
「なら、補佐観測士から提案です。角度として、敵艦の下方を取るというのはどうでしょう? 拡散している攻性光線の幕……の様なものがやや薄く見えます」
「採用。さっそく実行だ。ちゃんと椅子に掴まっておけ!」
またしても無理をする機動をブラックテイルⅡに取らせる。ミニセルの操舵もまあまあ荒い時はあるが、それでもそれは必要最低限だ。
一方のディンスレイのそれは、技能が足りないからこそ、荒くなってしまう部分があった。
(操舵士役としての私は、ブラックテイルⅡでは力不足だな。今後、一考しておく要素だが……現状ではこれで我慢しておく必要がある)
未だブラックテイルⅡが健在という事は、その我慢のし甲斐があるという状況でもあるだろう。
シルバーフィッシュとミニセルの帰還を待つくらいの時間稼ぎは、このままであれば出来そうであるし―――
「艦長! 敵艦の挙動が変化!」
主任観測士の言葉に反応し、敵艦の下方へと位置取ろうとしていたブラックテイルⅡの動きを止める。
その予想された進路に、青い色をした攻性光線が通り過ぎていく。
「なるほど、都合良く攻撃が薄い場所があるのは、誘い込むためか。向こうもなかなか考えるじゃあないか」
拡散する攻性光線と、高出力の攻性光線を使い分ける事が出来るのだろう。確かに、それくらい出来なければ国防など出来まい。
「す、すみません。わたしの考え不足でした」
「採用したのは私だ、補佐観測士。私だって不足があった」
そうして、そういう不足した状況でも、耐えなければならないのが現実の厳しさだ。
このまま、後どれくらいブラックテイルⅡは耐えられる? 拡散する攻性光線の攻撃は今なお継続中であり、さらにそこに高出力の攻性光線も混じり始めていた。
これがガウマ国飛空艦の、想定された戦い方なのだろう。
「提案します。反撃をしましょう」
「副長、それはまだ―――
「当てずにです。不安があるのであれば、そもそも当たらない軌道で。数分の時間稼ぎというのであれば、的外れでも意味はあります」
「……なるほど、採用だ副長!」
さっそくディンスレイはブラックテイルⅡの尾部主砲の引き金に手を掛ける。艦を動かしながら火器管制もするというのは、些か業務を抱えすぎに思えたが、そのどれもに今は艦長判断をさせて貰う。
今、ここでは空戦だけで無く、外交だって継続しているのだから。
「確か首都の方角は……こっちだったな?」
言いながら、ディンスレイはブラックテイルⅡの尾部主砲から、赤黒い攻性光線を、ガウマ国の首都がある方向へと発射した。
その結果は? 当たり前であるが、攻性光線は空気中で減衰する。だいたい国境線沿いから国の中央にあるだろうガウマ国首都へ、どれだけの出力で攻性光線を射出したところで、何ら意味ももたらさない。
ただし、そこに意味が無いと知っているのは、ブラックテイルⅡだけである。
「おっと、敵艦の動き、鈍くなりました! こりゃあ多分、向こうの困惑を引き出せたってわけですね」
テリアンの報告通り、敵艦の拡散攻性光線は継続しているものの、その勢いは減じ、高出力の攻性光線は無くなった。
動きの種類としては、敵の動きに備えて構えを取ったと言ったところか。
「無意味も重なれば意味がある様に見えて来るものだ。あの一撃、非常に強力かつ、明らかに首都を狙っていたが、何かあるのか? とな。幾らかの戸惑い程度かもしれないが、こっちにとってそれは貴重だな」
「実際、直接的な危害を加える事が出来ないとなれば、心理的な部分を攻めるのが次善でしょう」
テグロアン副長の言葉に頷く。その余裕がディンスレイとブラックテイルⅡに生まれた。
互いに空で動き続けているものの、一旦は凪みたいな睨み合いとなる。
無論、ここからブラックテイルⅡは何もしないのだから、すぐに化けの皮が剥がれる事だろう。
「……敵艦、また攻撃の勢いを増して来ます!」
主任観測士からの報告。それはガウマ国側が、こっちの時間稼ぎの意図を知ったからだろう。
なかなか判断が早い。
だが、それでもブラックテイルⅡにとっては遅い。
「艦長! シルバーフィッシュの船影を確認! こっちに接近中です!」
続く補佐観測士からの報告により、時間稼ぎが成功した事を知る。
漸く、奥の手を出すタイミングだ。
「良し! メインブリッジから機関室へ! 準備は良いか! あれをする!」
ディンスレイは機関室へと通信を繋ぐ。それは予定に含まれた行動であったため、機関室からすぐにガニ整備班長の声が返って来た。
『こちら機関室。やれる自信はありますが、ぶっつけ本番だ。賭けになるって事は理解しといてくださいよ』
「知ってるか整備班長。私の運は良い。虫に当たるくらいだ」
『まったく信用できねぇ言葉ですが、とりあえず号令どうぞ』
「では……ブラックテイルⅡ、船体バリア、起動しろ!」
その言葉と同時に、艦を襲っていた揺れが収まる。敵艦が攻撃を中止したわけではない。
拡散する攻性光線が、ブラックテイルⅡの装甲に触れるより前に無力化しているのだ。
船体を強力に覆う力場。オヌ帝国の飛空艦が搭載しているその技術を、今、ブラックテイルⅡは再現していた。
『こちら機関室。今のところ、オヌ帝国の連中が残した機構自体は上手く動いてくれます。が、何時まで継続出来るかは分かったもんじゃありませんぜ』
「ああ、それは既に聞いているよ」
元来、ブラックテイルⅡには船体の装甲の性能をより高める船体フィールドの技術が存在していた。
そうして、オヌ帝国の船体バリアは、その技術の発展形であるという知識を事前に得ても居た。
さらにオヌ帝国がブラックテイルⅡを解析するための装置。それが艦内に残されている。
今、ブラックテイルⅡはそれらの装置の影響で、十全に性能を発揮出来ないのであるが、唯一、向こうの技術を再現するという部分においては、役に立ってくれたのだ。
元々あった船体フィールドの機能を、オヌ帝国の装置や機構と合致させ、それを船体バリアという形で発揮させる。
無茶かつ突貫でのやり方であったが、ガニ整備班長は良くやってくれたらしい。
今回の敢闘賞は彼にありだ。
もっとも、彼の突貫作業の結果については、いまも未知数の部分が残っている。
「さて、あとは操舵士を収容するだけだな」
「船体下部に、小型飛空船を収容する穴を作ったと聞きいてますけど、それで実際、飛んでいる飛空船を受け入れる事って出来るのでしょうか?」
「それはな、ララリート補佐観測士……十分なものを用意する時間なんぞ無かったから、彼女の腕に期待だ。我々の腕の見せ所はもう終わってしまったわけだし」
「それは……そうですね……」
あとは緊張して待つしかない。既にミニセルが操舵するシルバーフィッシュは、ブラックテイルⅡに迫って来ていた。
一方のブラックテイルⅡは、船体バリアのおかげで、攻撃を避ける必要が無くなっていた。急に攻撃が効かなくなったので、敵艦の動きや勢いも、再び減じてくれている。
ブラックテイルⅡはそこで船速を落とし、艦の傾きも並行へと戻す事が出来た。
後はミニセルが乗るシルバーフィッシュを受け入れるだけ。
「よし、今だ。船体バリア解除! シルバーフィッシュが突っ込んでくるぞ!」
このタイミングだけは、船体バリアを張るわけには行かない。再び、敵艦の拡散攻性光線が装甲にぶつかり、船体が揺れるが、それに関しても受け入れる他無い。
その震動とは別の、違う種類の震動についてもだ。
「今の揺れ、シルバーフィッシュが艦内に入った震動じゃあ!?」
ララリートが慌てた様子で報告してきた。やはりミニセルの無事が気になるのだろう。その点に関してはディンスレイも同様だった。
「収容用の区画には、通信設備もある。今、繋いでいる最中だが……」
『はーいこちらミニセルタクシー。今、お客さんを送って帰って来た最中。一応、あたしは無事よ。シルバーフィッシュについては……ちょっと擦ったけど、大丈夫よね?』
「後で整備班長の是非、怒られてくれ。それと、あと十秒で、その区画から艦内の安全な場所へ移動してくれ。理由は分かるな?」
『了解。ま、今回もなかなか上等な結果になったんじゃないかしら?』
そうであれば有難いが。
ミニセルからの帰還を知らせる通信が終わり、そうして次の段階へ作戦は進んだ。
後は尻尾を巻いて逃げるだけだ。
「それでは諸君、耐える時間は漸く終わりだ。何時も通りと言えば何時も通りだが、さっそく次の場所へ向かう事にしようじゃあないか! ブラックテイルⅡ、予定通りにワープ開始! シルフェニア本国へ、とは行かんがな!」
ディンスレイの号令と共に、ブラックテイルⅡは、再度、ガウマ国から去る事になる。二度とも、あまり良い接触では無く、逃げ去る形になったわけであるが、三度目があるのなら、もっと良いものである事を祈ろう。
なにせ今のディンスレイは、運が良いのであるし。




