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無限の大地と黒いエイ  作者: きーち
無限の大地と部下と見る景色
61/165

幕間 ガニ・ゼインの冒険 後編

 単なる親切心で行動した……わけでは無いとガニは自分に言い聞かせるものの、その親切心にしたところで、徐々に湧いて来る疑念を抑える事は出来なかった。

 ヘイレの手を引いてハナユンラの街を逃げる様に彷徨うガニであったが、どこへ行くにしても、ヘイレを探している男を見掛け、にっちもさっちも行かない状況になっていたからだ。

(最初の三人……だけじゃあないよな、こりゃ)

 彷徨い歩き、歩けば歩く程に足取りを掴まれる。それくらいの数に街ごと囲まれている事に気付いたのが、太陽が陰り始めた時間帯だった。

 そもそも街中の人混みに身を隠したのは追手の目を眩ますため。一旦それに成功した後は、さっさと追手が来ない場所へ向かうに限る。

 と考えて街の中央から離れようとしたのだが、どうにもそれが出来ないくらい相手の動きが早い。

 どうやらガニの想定以上に多くの人間がヘイレを追っているらしい。

(いったい、何が目的で、何者かって話だよなぁ……)

 その何者かについては、ヘイレに対しての言葉でもある。

 とりあえず観光客用の宿泊施設に逃げ込んだガニは、借りた部屋にあったベッドに腰を掛けながら、部屋に備え付けの椅子に座り、何かを紙に書いているヘイレを見た。

 最初は部屋を二つ借りようと考えたのであるが、どうにも自分から離れたがらないこの娘に対して、どうしたものかと頭を抱えている最中である。

(今さら、これくらの年代の女にドギマギする様な年齢でも無いけどよぉ……)

 ヘイレの方はどうなのだろうか。今日出会ったばかりの、言葉の通じない異邦人に、どうして信用を置いているというのか。

 そこもまた分からない。世間知らずのお嬢様なのか、それとも妙な連中に追われる程度に後ろ暗い経歴があるのか。

 言葉が通じさえすれば、幾らか、探りも入れられるのだろうが……。

「ガニ!」

 言葉が通じないので、名前に乗せた感情で意思疎通を行う様になったヘイレ。彼女は何やら重要なのだぞ、と言わんばかりの語調で、さっきから何やら書いていた紙を見せて来た。

「なんだなんだ。こりゃあ……絵か? へったくそだなぁ~」

 恐らく人が二人描かれている絵なのだろうが、輪郭がぶれぶれで辛うじて分かるというものだった。

「ガニー?」

 どうやらガニが絵に対して文句を言った事は分かったらしい。睨み頬を膨らます彼女を見ると、どうにも幼く見えて来た。

 親父と小娘。とりあえず今の二人の関係はそんなものなのだろう。そう思えば、さっきまで抱いていた疑念も、まだ誤魔化せる様な気がした。

「怒るな怒るな。ええっとこれは……ここで休むのか、また外を出歩くのかって聞いているのか?」

 紙に描かれた人間は、寝ている姿と歩いている姿の二つ。背景に描かれた歪な四角と三角形は、もしやベッドや家か。そっちに関しては言葉以上に分かり難い。

「そうだなぁ。そろそろ日が暮れる時間帯だし、出歩くよりはここで休むか。さすがにこの部屋の場所まで追手も把握していないだろうしな」

 ガニの方もその意図を伝えるため、セイレから紙とペンを受け取り、その意図を絵にしてみた。

「……YVዽየー」

 セイレがこの国の言葉を発するも、今回はその意味が分かった。というより、それには多分意味は無く、おーとかわぁとかいう言葉になるはずだ。

「はっ、どうだ? 存外、上手い絵だろう?」

 紙には大人しくベッドで横になっている人間の絵が描かれている。

 これでも整備士として図面を引いたりするので、相応に絵が描けるのだ。

「ガニ……」

「その見掛けにまったく似合ってないって顔をやめろ。オレはだからインドア派なんだよ」

 訴えかけたところで通じないのだろうが、逐一言い訳はさせて貰う。自分自身でも細々とした趣味を持っていると自覚してはいるから。

「ま、何にしろ、今日出歩くのは良く無いだろう。明日は……明日にはオレの休暇も終わりだ。何とかしなきゃならんがねぇ……」

 だが、何をどうすれば、このヘイレという女を助けられるのか。いや、そもそも、彼女は助けを必要としているのだろうか。

 それすらも分からない。何かに不安や不満を抱えている様子を、時折見せるのであるが……。

「絵か。絵で伝わるもんかね?」

 ガニの描いた絵が面白いのか、未だにじろじろ見ているヘイレに対して、今度は言葉では無くまた違う絵で意図を伝えてみようと考えるガニ。

 だが、絵にしたところで何を今、彼女に言うべきか。

(お前は何者だ。みたいな事を尋ねる絵ってのはどういうもんになるのか……)

 試しに、ガニは紙にヘイレだと分かる様な人型を描き、さらにそれに矢印を描いてみた。この国でも、矢印は向けた先のものを示す形式であれば良いのだが……。

「これ、どういう意味か分かるか? お前さんは、何者だ?」

 セイレに紙に描いた絵を示すと、そちらに対してもヘイレは興味を示した様だ。

 ただ、予想された動きはしてくれなかった。

 彼女は一度首を傾げ、そうしてポケットから昼間、不安そうに握っていた細工物を取り出して来た。

 どうやら、ヘイレの事では無く、ヘイレが持っているものを見せろという解釈になってしまった様子。

 そういえば矢印が向かっている先はヘイレが細工物を取り出したポケットでもあった。

「一度描き直すか? いや、まあこの流れに乗ってみるか?」

 そう考え、ガニはヘイレが手に持っているその細工物を見つめた。

「ガニ?」

「ヘイレ」

 それは、何だ? 指を差し、こちらも首を傾げる事で、何を言いたいかを示す。この程度なら、確かに通じるはずだ。暫くこういうやり取りを繰り返す中で、それくらいは分かり始めていた。

 ただ、ヘイレの方は困ったままだろう。その細工物が何であれ、言葉無しに上手く説明するのは難しい。

 幾らかヘイレは考える仕草をした後、その手に収まる程度の、金属質の丸くやや縦に長いそれを開いた。

 どうやら蓋であったらしく、中には幾つかの彫られた文字と、文字に平行して伸びる数本の針が見えた。

「቟ፓቾ、፻Wኊ―……ガニ、ጽበኂቑካዧ?」

 言葉でも説明してくれているのだろうが、それが分からないため、ヘイレの言葉に込められた感情と、彼女自身の仕草でそれを読み取ろうとする。

 そうして、それは意外と簡単な答えであった。というより、一目でガニはその細工物が何か分かったのだ。セイレの身振り手振りと語調は、その答え合わせみたいなものだろう。

「そりゃあ時計か。なるほど。国が変わってもだいたいの形は同じになるわけか」

 さすがに彫られた数字はそれぞれの国の文字になるのだろうが、その数字を針で示し、秒針や分針等の幾つかの役割を持たせた針で一日の長さを示すという仕組みは変わらない様に見える。

 ただし、問題が一つ。

「その時計、どうにも壊れてるのか?」

 明らかに動きそうな針が、見るからに止まっていた。ネジ巻き式の可能性もあるが、あれだけ大事そうに持っていたものを、動かないままにしておくという事も無いだろう。

 何より、少しばかり悲しそうにその細工物、時計を見つめるヘイレを見れば、それなりに事情がある事が汲み取れる。

「ガニ……ሬኰየ……」

 だから何を言っているか分からない。

 分からないのであるが……なんとなく、ガニはヘイレが言いたい事が分かった気がした。

 これが壊れているのは仕方ない。そんな事を言ったのだ。彼女は。

 だからガニはヘイレに、いや、彼女が持つその時計に対して手を差し伸べた。

「ガニ?」

「貸せ、ヘイレ。直してやる」

 こちらの言葉だって、ヘイレには分からないだろう。けれど、多分伝わったのだ。ヘイレの方は時計を差し出して来た。

「቞Mpዸቌሺሢ」

 返してねか、直してね。そのヘイレの言葉はそういう類のものだろう。

 存外、自分だって異文化交流が出来るものだ。

 その本番は、多分これからであるが。

「こういう時、自分が仕事人間で良かったと思うんだよな」

 言いつつ、自身のポケットの中から幾つかの細い道具を取り出す。整備用の道具だ。細々としているが、これら一式で大半の機械は分解出来るし、組み立てる事が出来る。構造を理解出来ればの話であるが。

「未知の国の道具を解体し、故障箇所を見つけて修理して、元通りの状態に戻す。なるほどなるほど? これがオレなりの冒険ってやつか」

 自分らしいと思える作業。本来の仕事では無い、それでも熱中出来る事。

 これはつまり、士気向上のための気分転換にぴったりな作業と言えるのでは無いだろうか?

 見ず知らずの女を単なる気まぐれで助け、さらに厄介事に巻き込まれるというのも、意外と悪くないのかもしれない。

 あの艦長なんかとは違う動機になるのだろうが、言ってみればこれがガニにとっての浪漫なのだ。

(もしくは、単なる空回りで終わるか……かね?)

 これはガニにとっての挑戦だった。もしかしたらワープ技術が導入された飛空艦を相手にする以上の挑戦かもしれない。

 そう思うと、どうしようも無く気分が高揚してくるのは、ガニとてブラックテイルⅡの乗組員だからかもしれなかった。




 若い女と同じ部屋で一夜を過ごす。

 言葉だけを並べるのであれば、それは随分と休暇を楽しんでいる事になるのだろう。

 一夜限りのロマンスなどとすら表現出来てしまうわけだが、実際のところ、その一夜をガニは時計の修理に費やしていた。

 ハナユンラの時計を設計思想の違いから理解するのに時間が掛かったし、故障箇所の代替えとなる部品を見つけるのにも苦労した。

 だが何より、それが異国の技術であるという事が、時間を忘れさせる程にガニを熱中させたのだ。

 ふと顔を上げれば、部屋の窓から朝日が差し込む。

 そこで漸く眠気を思い出したガニは、やや重い瞼をそれでも上げて、手に収まっている時計を見つめた。

「ま、一夜の出来にしちゃあ上出来じゃないか?」

 ガニの手の中で、ヘイレから預かった時計がチクタクと音を立てている。国は違えど、時計が立てる音というのは同じものであるらしい。

「同じところがなきゃ、直す事も出来なかったから、そりゃあそうなんだろうが……そこに浪漫を感じたいところだね。艦長の言葉を借りるならな」

「……ガニ?」

「お、すまん。起こしたか?」

 ヘイレの方はさすがにずっと見守っている事も出来なかったのか、ベッドで寝ていた。

 ガニの声で起こしてしまった様子だが……いや。

「ガニ!」

 はっきりと目が覚めたのは今、この瞬間らしい。それもガニの声を聞いたからでは無く、時計の音を聞いたからだ。

「おいおい、落ち着け。こりゃ目覚まし用じゃないだろう?」

 言いつつ、こちらに飛び掛からん勢いのヘイレに対して、ガニは規則正しい音を刻むその時計を返した。

 そのまま受け取ったヘイレの方は、素直に跳ねて喜ぶかと思ったのだが、時計を自分の胸元に当て、目を閉じる。

 まるで、それが動いている事を心から感じ取ろうとする様に。

「ガニ……」

 暫くしてから、ゆっくり目を開けたヘイレは、ガニを見つめて来る。

「うん? なんだ?」

「አመሰግናለሁ」

 その言葉の意味は……いや、今回ばかりは分かった。

 ありがとう。

 そう言われたのだ。

「どういたしまして。なかなか大事な時計みたいじゃないか。お前さんにとってどういう意味を持ってるのかは知らないが、大切にしろよ」

 そう言ってガニは笑った。笑った後に、今度はガニの方が目を閉じようとする。一仕事終えたのだ。今日一日はまだ休暇の範疇。ガニの方が寝る番というわけだ。

 ただ、それは部屋の扉がノックされた音で中断する。

「なんだ? モーニングコールでも頼んでたのか?」

 尋ねるガニの言葉に、ヘイレが首を横に振って来る。彼女は何もしていない。

 だとすると、誰かがこの部屋に尋ねて来る理由が無い。確か今日の昼頃まではこの部屋を借りているはずだ。

 少し、ガニの中に緊張が走る。眠気も晴れてしまい、ガニ自らがノックされた扉へと向かう事にした。

 鍵は閉まったままだ。片方の手でその鍵を開き、もう片方の手でほんの少し開け―――

「おい! ヘイレ! 逃げろ!」

 すぐさま扉を閉めて、鍵を再度掛けた。

 ほんの少しでもその動きが遅ければ、扉に足を挟んできた事だろう。

 扉の向こうには、昨日、ヘイレを追っていた白服の男の一人が立っていたのだ。

 ノックの音がまたする。だが、それは扉を殴りつける様な勢いとなっていた。

 ヘイレの方はまだ事態が把握出来ていない様子で、おろおろとしていたが、そんな彼女の手を取って、ガニは部屋の窓の方へと向かった。

 借りた部屋は一階部分だ。窓からでも外に出る事が出来る。

 窓そのものだって小さいものでは無い。いざとなればそこから外へと逃げる事が出来るのだ。そういう部屋を事前に選んでいたのだから間違いない。

 宿側には悪いが、追手が回り込んで来る前にさっさと逃げなければと二人してそちらから外へと出た。

 すぐさまに走り出せば、あの白服連中に追い付かれる事もあるまい。

 そう考えていたのだが……。

「ちっ、動きが早いな!」

 部屋の窓から外へ出て真っ直ぐに進んだ場所にも、待ち受けて居たかの様に白服の男がもう一人。

「ガニ! ዠኅከጘሼቆኺ」

 今度はヘイレがガニの手を引っ張って来た。真正面が無理なら、宿泊施設を囲む柵を越えるつもりの様子。

 良い手とは言えないが、早い判断力はそれに勝る。ヘイレの動きに合わせて柵越えを敢行するのだ。

(だからあんまり、動きが機敏じゃない方なんだけどなぁ!)

 なのでやはり、ヘイレに手を引かれた。ヘイレの方は素早く、腰より少し高い程度の柵を越えて、もたつくガニを引っ張って来る。

「痛い痛い無理矢理引かないでくれぇ!」

 柵にズボンが引っ掛かり、もたもたしているガニ。そんなガニをさらに引っ張り続けるヘイレ。

 傍から見れば喜劇みたいな光景だろうが、二人とも相応に必死だ。白服がこちらの動きに気付き、すぐそこまで迫っているのだから。

 ズボンの裾が破ける音を聞きながら、なんとかガニは柵を越える。ズボンが実際にどうなっているかを確認する暇も無く、ガニとヘイレはお互いに道を走り出した。

 向かう先はどこが良いか? そこまでは実は考えていない。というより、どうやら白服は複数人、ガニ達の逃げ道になりそうな場所に配置されているらしかった。

「おいおい、こりゃあ……」

「ዙቓሆቢ! ፈኗኆእምKs!」

 ヘイレがガニに進むならこっちだと話し掛けて来た。今日はどうやら、ヘイレがガニを誘導する番であるらしい。

 考えてみれば、土地勘の様なものは彼女の方があるのだろう。この次にどうするかが未定であるならば、ヘイレの方が上手く逃げられる。

 そのはずだ。そのはずなのだが……。

(今、この判断は正しいだろうよ。けど、正しいからって、このままじゃ不味いんじゃないか?)

 ただヘイレの背中を追う側になったせいで、状況を客観視出来る様になってきたガニ。

 息をやや乱しながらも、頭の中の冷静さはある事実をガニに予感させて来た。

(誘導されてやがる……)

 ヘイレに……ではない。ヘイレもガニも、白服の配置と動きに対応している様で、どうやら向かう先を決められている様に思うのだ。

 根拠は無かった。いや、それらしき物はガニの内にあるのだが、それが意味する事を思えば、ガニはさらに混乱してしまう。

「こういう、相手の動きを予想して嵌めようとするやり口……なーんかどっかで見た事があるんだよなぁ!」

 一度、頭を過ぎれば、どんどんその予想は確信へと近付いて行く。

 実際に街の中心をやや外れ、細い、人が見えない路地にまでやってきた段階で、ここへ向かわされたのだとガニは気付いてしまった。

「ዾዠኅከጘሼቆ……ガニ」

 ごめん……と、ヘイレは言ったのだろう。だが、そんな彼女にガニは首を横に振った。

 横に抜ける様な逃げ道の無い路地において、行く先も戻る先も、白服が立っていたのだ。完全に囲まれた。ここから走ってどこかへ行く事は、ガニの先導でもヘイレの先導でも無理だ。だからきっと、ヘイレのせいではあるまい。

 何かの仕業だと言うのなら……。

「おいおい。てめぇら! この娘に何をするつもりか知らねぇがな、もし、荒事に巻き込むつもりだってんなら、オレを殴り倒してからにして貰おうか!」

 ガニは白服達に啖呵を切った。いや、そうするしかもう手段が無かったのだ。

 それでも、一人の男として意地は示したかった。この後の展開を予想すれば、それは本当に、意地でしか無かったが。

「そういう立派な言葉をうちの整備班長が言い張ってくれるというのは、上司として嬉しくはあるがな……」

 白服達の後方から、割って入る様に一人の男が歩いて来た。

 そうだ。他人の動きを誘導し、追い詰めるこの手口は、空戦時のこの男のやり口に似ている。

「艦長……いったいどういう事です?」

 現れたその男、ディンスレイ艦長にガニは尋ねる。

 いったいここで何が起こっているのか。そもそも、何でディンスレイが白服達に指示を出して居る状況になっているのか。

「こっちもそれをあなたに聞きたいが……一つ、君の隣にいる女性に言わせて貰っても良いだろうか?」

 ディンスレイ艦長の言葉に促される様に、ガニは隣に立つヘイレを見た。

 不安そうに、ガニが直した時計を握る彼女。そんな彼女を見れば、いざとなれば上司と対立する事になっても守ろうと思ってしまう。

 思ってしまうが……。

「ቓሆቢቀ、ጂኊሆሮጃጘሼቆ、ኺሔጾ」

 ディンスレイは拙かったが、それでもこの国の言葉で一言、ヘイレに何かを伝えた。

 その言葉を聞いたヘイレは、ディンスレイ艦長と白服側に一歩進み、今度はガニの方を向いて、深い、深い辞儀をしてきた。

「ዾዠኅከጘሼቆ」

 彼女がガニに対して向けて来た言葉は、先ほどと同じ、ごめん。を意味するであろう言葉。

 そうして、ガニのこの国の休暇と、ほんの少しばかりの冒険は、終わりを迎えたのである。




「あの時、私はこう言ったんだよ。うちの部下を、そろそろ解放してくれませんか。とな」

 ガニが逃走者側の大捕り物が終わり、少し早めにブラックテイルⅡへの帰還を果たしたガニは、ディンスレイ艦長よりお叱りの言葉をいただいていた。

 思ったよりかは、激しいものでは無かったその言葉。というよりは、混乱していたガニに対する状況説明程度である。実際のところ、叱られてすらいない。

 だが、それでもガニは謝罪した。

「すみません艦長、オレは無茶や勝手をした側です。罰を受ける覚悟はあります。あるのでその……こっちの気持ちなんか考えなくて良いんですぜ?」

 ブラックテイルⅡへと帰還した後、場所はガニの部屋へと移動している。

 他人に聞かれない様に。という事なのはガニにも分かる。そうして、話の本題は恐らく、今、滞在しているハナユンラという国に、ガニが何かしらの迷惑を掛けた事に対してだだろう。

 あのヘイレという女がどういう立場だったのかはまだ分からないままだが、何か、逃がしてはいけない人間だったのだと今は思っている。

 それをガニが逃がしてしまったせいで、艦長が尻拭いする事になった。そういう事なのだ。

 だからガニは、その責任を取る必要がある。

「あのなぁ、整備班長。何か勘違いしていないか? 休暇中に多少、破目を外すくらい、むしろ私が煽った方だろうに」

「い、いやしかしですね、ハナユンラに対してオレは……」

「謝罪されたのはうちの方だよ。うちのお姫様が迷惑掛けてるみたいですみませんとな」

「……お姫様?」

 あまり聞き慣れぬし、日頃使う事も無いだろうその単語に、疑問符が浮かぶ。その疑問符はガニの申し訳無い気持ちを上回った。

「なんだ、聞いて無かったのか。確かに言葉が通じないからなぁ……あなたと居た彼女、なんでもこのハナユンラという国における第……ええっと、そう、十三王女という立場らしい」

「十三……そりゃまた多い……ってそうじゃなく、つまり……偉い人だって?」

「ある種、象徴的な存在らしいがな、この国の王族は。それにしたところで、警護が複数人付くレベルだ。その十三目の王女、ヘイレ・キオミに対してもな」

「じゃあ、やっぱりオレはとんでも無い事をしちまったんじゃあ!?」

 ヘイレとの最初の出会いを思い出す。

 白服に囲まれたヘイレを、ガニは助け出したつもりだったが、あの白服がその警護だったのだろう。

「状況をまず聞け、整備班長。あなたと行動していたヘイレ王女は、その……有名なんだよ」

「王女ですからね?」

「やんちゃな王女としてだ。時折、警護の目を掻い潜って、街中に逃げ出して遊んだりするタイプのやんちゃさだな。良い言い方をするなら、お忍びというやつだ」

「お忍びってのも、関係者に話を通すもんだと思いますがね……となると、オレが最初に会った時は……」

「なんでも、逃げ出した王女を漸く追い詰めたと思ったら、うちの船員らしき人間が王女を助け出して来たと聞いているが……事実か?」

「そうなります。いえ、ぜんぜんそのつもりは無かったんですが、事実はそうなるでしょうな」

「ま、つまりそういう王女だ。だから真っ先に、うちの船員が騙されてるんじゃないかと話が入って来た」

「あー……いや、言われてみれば……ええっと、騙されたわけじゃあないんですぜ? オレはオレなりにちゃんと考えて行動したつもりで……けど、あー、くそ、あれはそういう事か」

 一度助けて、それでさようならをするつもりだったが、なかなかの慣れ慣れしさや厚顔さで、一緒に行動する事になった。

 あれはきっと、その手の事に慣れていたのだ。

「様子を見るに、結構大変だったみたいだな、整備班長。私の方は逃げる君らをさっさと捕まえて状況を整理させるのが一番だと考えて行動した。それで警護役の方々と協力する事になったわけだが、実際のところ、あなたはどんな目に遭ったのだろうか?」

「説明します。説明しますよ畜生! 思い返してみれば、つまり体良く使われた側か!? せっかくの休暇を、騙されて過ごしたって事かい!」

「まあまあ整備班長、そう愚痴を言うのもあれだぞ? 勿体ない」

「何が勿体ないって言うんですか」

「気分転換には、なったのだろう?」

「そりゃあ……うーん……なった……んでしょうか?」

 ブラックテイルⅡの旅が今後、どうなるか。自分達の旅路は、本当に前に進んでいるのか。その手の不安が、気が付けばガニから無くなっていた。

 むしろ、明日からすぐにでも艦の整備を始め、万全の状態でこの国を去ってやろうなどと思う様になっている。

「未知の国の王女様の逃走劇に巻き込まれ、少しばかり冒険をしたのだろう? 休暇を出した船員の中で、あなたが一番、それを楽しんだと私なんかは思えてしまうな」

「そういう風に茶化すのは無しですぜ、艦長。そりゃあ、オレに関してはそれで良かったかもしれませんが……なーんか無駄な時間を使ったみたいな気分にもなっちまう」

「さて、本当に無駄だったのかは、まだ分からんさ。それに、無駄な時間なんてものも無い。ほら、とりあえず船内幹部全員に渡している資料だ。居残りの船員達に作らせておいた」

 言いながら、ディンスレイ艦長は紙を一枚渡して来た。

 それは様々な注釈が入った地図であった。

「こりゃあ……カンガサから貰った地理情報を元にしたもんですか?」

「ああ。カンガサの地図に、これまで回った国々で得た情報をまとめたものだ。あなたも知っての通り、それぞれの国では得たものが少なかったものの……それでも、オヌ帝国に繋がりそうなものはゼロでは無かった。それを一旦まとめてみた。どう思う?」

「どうって……得た情報そのものは役に立つかどうか分からないが、方向性がありますな? 情報量みたいなもんが、ある方向に対して多くなってる」

 地図に書かれた注釈は、それぞれはオヌ帝国に関わるものとは言え、それ単体では意味の無いものだった。オヌ帝国という言葉を知っているかどうか。らしき艦を見た事があるか。噂レベルにしても荒唐無稽な内容のものまである。

 だが、その量には国毎に差異があった。その中で、特に多くなっている方向性が二つ。

「シルフェニア方向への情報と、もう一点。その二方向に情報が多くなっている。つまり……シルフェニア方向とは違う方に―――

「オヌ帝国があるかもしれない。向かう先が、決まったって事ですか」

 それは、無駄に思えた国々への探索が、確かに有用な形になって現れたという事。

「なあ、整備班長。存外、無駄な旅程というのも悪くはあるまい?」

「人が悪いですぜ艦長。艦長はこれを狙ってこの南方諸国家群を回って立って事でしょう?」

「まだ答えは分からんさ。さらなる無駄骨に終わるかもしれない。ただ重要なのは……何が役に立つか、実際に形になってみるまで分からんという事だ。あなたのハナユンラでの休暇も、その類のものであれば嬉しいんだが……で、実際のところ、王女様とはどうだったんだ?」

「それについては、これから長くなりますよ。そりゃあ大変でしてねぇ……」

 ガニはとりあえず、自室にある椅子に座って話を始める。

 どうやらディンスレイ艦長は、そうやって寛ぎながら出来る話を所望の様だったから。




 ガニのハナユンラの休暇が終わったところで、滞在期間はまだあった。

 もっとも、それはガニがブラックテイルⅡの機関室に籠り続ける時間でもある。

 自身が休暇中、ディンスレイ艦長が管理していた機関室であったが、勿論、余計な仕事はせず、必要十分な整備が続けられていた。

 一方、それは必要最低限であった。ガニの仕事を邪魔せず、まさに休暇を取らせるためだけの仕事だ。

 つまり……休暇に戻ったガニ自身が再び仕事を引き継いで、ワープ機関を再稼働までもって行かなければ、ブラックテイルⅡは次の目的地まで進めない状況であったのだ。

(文句はねぇけど、この国をさっさと立ち去ろうって気分だった手前、どうにも落ち着かない気分だなぁ……)

 部下に指示を出し、自身も複雑極まる機関室の機材の一つを調整しながら、その落ち着きのなさを仕事にぶつける日々。

 それにしたところで、もう少しで終わる。今日にでも、このじゃじゃ馬の機関室は、再度のワープを可能にするところまで行く。

 そうなればこのハナユンラという国ともおさらばだ。この落ち着きの無さもこれで晴れる……そう思うガニであるが……。

「なんだろうね?」

「どうしましたか? 班長?」

「いや、なんでもねぇよ」

 つい漏らした言葉を部下に聞かれてしまう。

 皆、休暇のおかげで動きは良い。ガニの気分でその状況を邪魔するのは以ての外なので、ガニは言葉を濁した。

 それに、上手く説明する事も出来ないのだ。この、何かの納得の行かなさは。

「すみませーん! 整備班長は居ますかー?」

 なんとか自分の中の気持ちを整理しようとした矢先に、機関室に無駄に元気の良い声が聞こえて来た。

 最近は落ち着きを見せ始めているが、それでも耳に響く声を発して艦内を歩き回る姿が見受けられる彼女、今は補佐観測士をしているララリート・イシイがやってきたのだ。

「おー、ここにいるが、こんな場所までなんだいったい?」

 補佐観測士はメインブリッジで働くものだろう。言外にそういう意味を込めてみるも、分かっているのかいないのか、ララリートの方はきょとんとした表情のまま、手紙を一枚、ガニに渡して来た。

「これ、整備班長に渡す様にと頼まれまして」

「手紙をか? オレに? 誰が?」

「読めば分かる……そうです。一応、わたしが翻訳したので、わたしの字ですけど」

「あん? お嬢ちゃんが翻訳した……?」

「お嬢ちゃんではなく、ララリート補佐観測士なんですがー?」

「はいはい」

 時折、この艦の操舵士の影響を受けたのか厚顔さを見せてくるララリートを流しつつ、受け取った翻訳された手紙とやらの中身を見る。

 そうして……。

「あのー? 翻訳したわたしが言うのも何なんですが、いったいどういう事なんです? それ?」

「ああ、こりゃあな」

 受け取った手紙を見て、ガニは笑いながら答える。

 さっきまで、落ち着かなかった気分が晴れて、爽快な気分になるガニ。

 なるほど。これが足りなかったのだ。今回のこの国での旅では。

「礼が書かれてあるのさ。時計を直してくれてありがとうってな」

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