⑥ 戦闘配置
ブラックテイル号が空を飛ぶ。
未踏領域へ辿り着いてから数日。赤い嵐を越えた後から漸く、この飛空船は再び大地と同じ広さの大空を飛んでいた。
無論、帰還のためでは無く、旅路のため。一年間分の物資と食料と、そうして情熱を抱えながら、ブラックテイル号は未踏領域をそうでない場所へと変えて行くのだ。
「観測士。目的地予定の例の山の様子はどうか」
艦長、ディンスレイはブラックテイル号のメインブリッジにおいて指示を出している。とりあえず体調は万全。心の中は変わらず熱意が冷める事は無い。
何せ、メインブリッジからは浪漫の象徴とも言える物が見え続けていたからだ。
「目測での予想より大分接近が遅れている様です。つまりその……あれは我々の予想よりかなり大きいと言えるでしょう」
「なるほど。あれが、我々の常識を外れていると表現出来るわけだな?」
「有体に言えば、そうなります」
観測士の返答にディンスレイは満足し、そうして思案もする。
ディンスレイが観測士に尋ねた例の山とは、ブラックテイル号が向かう次の目的地である。
未知の場所であればそれこそ、未踏領域ではどこでもそうなのであるが、旅の目的としては地図の作成ともう一つ、何かしらの大発見が今回の事業では求められている。
ディンスレイとてその発見を求めている部分があるため、特徴的な地形を目指してみる。という、ややふわっとした方針がブラックテイル号にはあるのだ。
今向かっている山こそが、そんなふわっとした目的地であるわけだが……。
「操舵士から提案しまーす。いい加減、その山って表現、止めた方が良いんじゃない?」
なかなかにブリッジ内の上下関係を無視した言い方をしてくる女、ミニセルの言葉であるが、その提案についてはディンスレイ自身も納得するものであった。
「何時までも例の山と言うのは恰好が付かない。それは分かるが……」
「どう表現するのが適切か。あれを見て、そう考えていらっしゃっているのですかな?」
ディンスレイと同じくメインブリッジから例の山を見つめる副長、コトーからの言葉。彼はディンスレイの内心を代弁してくれたものであった。副長らしく、艦長のフォローとしてあえて言葉にしたのだろう。
「ああ、そうだ。良い呼び方があれば良いのだが……山と表現するのは不適当になっているからな」
ブラックテイル号が未踏領域で初めて着陸した地点から、それは影の形で見えては居た。相当に距離があるため、少し歪な影でしか無かったが、良く良く見れば、相当に大きな構造物である事が分かった。
そうして未踏領域で最初に発見した巨大木の切り株。それが何かしらの文明が斬り倒したものであると判断した時点で、その影は明確に次に目指すべき物へと変わったのだ。
影は切り株を作った文明が作り出した何か。それこそ街なのでは無いかと判断し、接触を測る事にしたのである。もっとも、今やそれを街では無く山と呼び、さらには次の呼び方を模索する事になってしまった。
「酷く大きい。当初の予定としてはもう着いていてもおかしくは無いはずだが……観測士。今だとあと何日掛る事になるだろうか?
「そうですね。さらに一日、今の速度で飛び続ければ着くと予想します」
という事で、まる一日のズレが出来るくらいに、その構造物の大きさは想定より大きいものであったのだ。
もはや街と呼んでいないのは、街にしては明らかに山の様に大きかったからだ。形も山なりに見えた。だが、さらに近づく中で、山なりに見えた影に凹凸が見え始める。
その形をあえて表現するのなら……。
「巨大要塞と言った事かな? 山一個分をそのまま要塞化したらあの様な輪郭になるだろう。今後はそう呼称する事にするが、意見はあるかね?」
「文句は無いけど、不吉な符丁よ。その呼び方」
ミニセルの意見については、やはり同意見だ。要塞などと言うものは、争いと切っても切り離せないからだ。
「だが、それくらい注意をするべき物だと判断する。だからこその要塞だ。近づいて、いきなり攻撃される事だって、想定しておくべきだろうからな」
今、向かっている構造物、要塞に対する印象として、ブリッジのメンバーも同じ物を持っているのだろう。それ以上の反対意見は出なかった。
「一応、他種族の初遭遇時の問題例や経過内容などの資料をまとめておきましょうか」
「ああ、副長。頼めるかな。軍学校では叩き込まれた内容だが、今の時点で再学習しておくのも悪くはあるまい。それとブリッジのメンバーには伝えておくが、こちらから攻撃的な行動は避ける様に。どれだけ向こうが野蛮だったり暴力的に見えたとしても、怪しい侵入者は我々側だしな」
これに関しても、ディンスレイが慎重と言うより、教科書的な方針と表現出来るだろう。ディンスレイ達が所属するシルフェニアという国家では、既に過剰な拡大主義は古びたものとなっており、外界に向けての探検にしたところで、他種族との対立を増やさない行動が常識化していた。
これは身を守るよりも優先しろという程のもので、例えばブラックテイル号がどこかの種族と敵対し、危機に陥ったとしても、自助努力でそこから脱しろ。本国からの支援は行わないという方針をシルフェニアは取る事だろう。
(ま、それだけリスクがあるという事だ。未踏領域の探索というのは)
だからこそ、やる価値もある。自助努力すら否定されないだけマシだろうという話でもある。少なくとも、ディンスレイ個人の機知を活かす機会は失われていないのだから。
「心配するだけはしておいて、やるだけの事はしておこうという話だな。諸君にとっては耳にタコが……なんだ?」
メインブリッジ。艦長席の近くからベルが鳴る。警報では無く、船内通信を告げるベルだ。どうにもディンスレイに直接話がある様だが……。
「こちらメインブリッジ、艦長席のディンスレイ。どうぞ」
『こちら機関室、整備班長のガニです。艦長さん。今、お時間よろしいですかい?』
名乗る通り、整備班長ガニ・ゼインの野太い声が聞こえて来た。
何時も機関室で難しい顔をしながら部下に指示を出し、自分の仕事に専念し続ける彼がメインブリッジに直接通信を繋げて来るのは珍しい話だった。
「時間ならあるが、どうする? ここで話をするか? なんだったら直接そちらに足を運ぶが」
『あーでしたら、こちらへご足労お願い出来ますかい? ちょーっと直接会って話をしなきゃならん事がありましてね』
ガニの言葉を聞いて、これは結構緊急かもしれないなとディンスレイは思う。彼の性格からして、単なる用事であれば率直に言ってくるはずだ。
恐らく、他の船員にはあまり聞かれたくない内容だと思われる。
「分かった。じゃあこれからそちらへ向かおう。副長。後を頼めるかな」
「了解しました。早急な問題の解決をお祈りしておきます」
辞儀をして了承してくるコトー。こちらに関しては話が早くて助かる。
ディンスレイにしても、コトーが言う通りに早い解決が出来れば良いのだが……。
「というわけででしてね。このままじゃあ艦が落ちちまうって、そういうわけでさぁ」
機関室にて、整備班長のガニから率直に説明されたその内容を聞いて、むしろ早急な解決が出来なければ、明日の朝日が拝めない状態である事をディンスレイは理解する破目になった。
「あーっと整備班長。君が私に、迅速な説明をしてくれた心遣いには感謝しているがその……もう少し、問題点をオブラートに包んだ表現が出来ないものだろうか」
ブラックテイル号の推進器の一部とも言える各種装置とそこから伸びるパイプや通気口が、部屋の武骨な飾りとなっているそんな場所で、ディンスレイとガニは直接目を突き合わせていた。お互い小柄な方なので目を合わせる事は容易い。降って湧いて来た問題は欠片も優しくは無いものの。
「じゃあ言いますがね。船の機関部の中心にある浮遊石が、少しずつだが出力を落としてるんですよ」
「ああ、なるほど。それは確かに不味い」
浮遊石。シルフェニアが誇る飛空船技術の中核となる物質だ。
マグナスカブの大地深くに多量に存在している資源であり、大半の物質が大陸側へと落ちて行く性質を持っているのに対して、浮遊石はその逆に空方向へ上昇する力を持っている。
この二種類の物質の均衡が世界を大陸と言う形に押し留め、生物の生存圏として安定させているとは学者の弁であるが、飛空船の乗組員として見た場合、もっと別の意味がある。
浮遊石とは、飛空船の心臓部だ。これが機能を失えば船は墜落する。ブラックテイル号も基本的な飛空船の構造と違いは無いので、その末路も同様であろう。
「機能不全であれば、予備の浮遊石は用意してあるはずだ。長い旅のまだ始めに交換するというのは問題もあるだろうが、いざとなればそれをするのを許可しよう」
「そこについては有難い話でしょうが、事の問題は原因が不明ってところなんですよ。交換した上で、やっぱり同じ事が起これば、それこそオレ達は終わりですぜ」
「そうだな。確かに原因が分からない事には対処も出来んか。班長。今の調子で浮遊石の出力が減衰した場合、墜落はどれくらいになる?」
「だいたい六時間。途中交換するって事なら二時間は見ておいて欲しいですから、ざっと様子見の時間は四時間程度ってところですかね」
「なら、猶予は三時間だ。その後に着陸できる場所があれば着陸する。さすがに飛行中の浮遊石交換なんて事もしていられない」
「オレと部下達ならやってみせますがね」
「今、そういう腕を見せつけるタイミングでは無いさ。それまでに、整備班長は原因探しを続けてくれないか」
「既に、試せる手段も考えられる要因も出しましたぜ」
「ならもう一度だ。事、機関部に関しては門外漢なのでね。そっちは班長を頼る他無い」
「そういう言い方をされるって事は、艦長はまた別の事をするつもりで?」
ディンスレイはガニの言葉に頷きで返した。やらない理由も無いだろう? こんなところでまたケチが付いて溜まるものか。
解決出来る問題なら、あらゆる手段を使って解決するに限る。
「あ、あのう……そ、それで、来るのが、わ、私のところ、なのですかぁ……?」
「どうせ怪我人も無く暇だろう? 船医殿」
機関室からまっすぐ、医務室へとやってきたディンスレイ。勿論、そこには船医のアンスィが居たし、一方で船医内のベッドはがら空きのままだ。
「さ、最近は風邪薬を、しょ、処方としたりとか、しましたけどぉ……」
「船内で風邪が流行ると厄介だ。船医殿には是非に適切な管理をお願いしたいが、今の相談内容は別口でな」
無論、機関室での話にも繋がっている。現在、整備班長のガニとその部下達が原因を探ってくれているが、恐らくは答えは出まい。万が一というのもあるので、彼らには働いてくれているが、ディンスレイの勘は問題が別の部分にあると感じている。
「時間も無いので率直に尋ねるし、素直に答えて欲しいのだが、例えばそう、浮遊石の力を減少させる様な生物というのは居たりするのかね?」
「そ、そのう。どうしてその様な?」
「大まかには勘だが、こういう不測の事態というのは、システム面において不具合が無い場合、生ものが原因である場合が大半だ」
「な、生もの……人間とか?」
「船員が何かしているという可能性も勿論考えたが、私が集めた船員達だぞ? この様な不都合を隠し立てする様な人間を雇ってはいない」
「す、すごい自信……」
何か奇妙な生き物を見る様な目でこちらを見て来るアンスィであったが、今は別の生き物について考えて貰いたい。
「それで、実際、浮遊石の力を減じさせる生物というのは居たりするのだろうか?」
「そ、そういう生き物は……い、居ます。ふ、浮遊石の発掘現場なんかに、げ、原生しているこう……ミミズ? みたいな生き物でぇ……」
だいたい片手の指をさらに短く小さくしたみたいな動きでその大きさを表現してくるアンスィ。
「ふ、浮遊石の上へ動こうとする力を、そ、そのまま食べちゃう生き物なんです。み、ミミズに見えるのも、見た目だけで、もっとこう……精霊って言うんですか? そ、その手の生き物で」
「なるほど……居るには居るのか」
精霊。世の中にはあらゆる種類の単純な力がある。火だったり水の流れだったり風の勢いだったり。
その力をそのまま自らの生存に当てられる存在が精霊だ。自然環境への影響をまともに受ける生物でもあり、地域に依存するため、特定の場所に生息している場合が多い。
「う、浮き虫って言います。せ、精霊の大半がそうですけど、摂食する力を、た、多少なりとも操れたりしますから」
例えば火の精霊なら火を発生させたり勢いを増したり出来る。浮き虫の場合は、即ち、浮遊石の上へ向かおうとする力をある程度操れるのだろう。
「け、けど、小さい生き物ですし、た、食べると言っても、飛空船の動力を、な、無くしちゃう程では……そ、それに、浮き虫が生息するのは、ふ、浮遊石の発掘場のふ、深くのはずです」
航行中の飛空船に乗り込んだり、その動力を喪失させる程では無い。とアンスィは言っている。
ならばディンスレイの方は話を聞いてどう思ったか。
「他に、その様な生き物は居ないのかな?」
「わ、私が知る限りは、そ、それだけ……です」
「なるほど。じゃあ次はメインブリッジに向かうとしよう。ありがとう船医殿」
「お、お役に立てましたか?」
碌な解決になっていない気がする。そんな目をアンスィは向けて来たが、ディンスレイは笑って返した。
「役に立ったかどうかは、これから分かるさ」
タイムリミットまでの残り時間。出来る事はまだまだあったわけだが、その間、ディンスレイはメインブリッジの自分の席で過ごした。
別に何か対策するのを諦めたわけでは無い。ブラックテイル号の艦長たる自分が出来る事というのは、大半がこの席でするべき事であるのだ。
(と言うのは良いすぎかな?)
艦長席に深く座り、足を組み、脇に置かせて貰った棚の上にある幾つかの資料。この数日における船員達の日誌を読み進めているディンスレイは目元と頭を動かしながら、その隅の方で余計な事を考えている。
「なんっていうか、読むの早いのねぇ、艦長」
「なんだ。今は雑談している余裕はさすがに無いぞミニセル君」
こうやって返事をしつつ読み進めるのだって、脳の使用量を幾らか割くのだ。時間にはまだ余裕があるはずだが、だからと言って無駄遣いをする場面でも無かろう。
「いやはやミニセル様。これは艦長の特技の一つでして、なかなかに見ていると不気味な部分がありますが、役に立つ物ですので、どうか許していただきたい。ブリッジの皆さま方もどうか理解を。いや、実際、これで軍学校の資料なんぞを大量に頭の中へ叩き入れて、教授ですら言い負かした事も―――
「副長」
「おっと。これは失礼」
「いや、資料を読むのは終わった。資料庫に返しておいてくれ」
「そうですか。それでは」
楚々とした態度で資料を受け取り、メインブリッジを出ていく副長。
副長のコトーのこの様な言動に苛つかないくらいにはディンスレイだって慣れている。どういうやりとりだこれはみたいにじろじろ見て来る他のブリッジ員に対して、苦笑いで想像してくれと表情で返すくらいには感情に余裕だってあった。
艦長とはそうで無くてはならない。焦って窮地に陥ったみたいな顔をする艦長に、どうして信頼を置けるのか。
だから堂々と宣言するのだ。
「諸君。操舵士のミニセル君はもう気付いているだろうが、現在、当艦はその動力を失いつつある。船が墜落するまでにはまだ時間があるし、唯一の対策方法も勿論ある。その動力を失い始めた浮遊石の交換だ」
機関室でガニと話をした内容を、正式にブリッジメンバーに告げる。いや、既に船内通信をオープンにしているので、船員すべてに告げている。
ブリッジを見れば、驚きの表情半分と、納得したかの様な表情が半分。船の動作に直接関わっている人間がだいたいの後者であろう。
「原因である浮遊石の交換タイムリミットまではもう十分程度となっている。当たり前だが、まだこの未開領域に来て数日程度で呼びの浮遊石を使うべきかどうかを、つい先ほどまで私は判断していた」
そうしてその答えを先ほど出した。
「ガニ整備班長。この話が聞こえているかな? 聞こえているならブリッジに通信を繋いでくれ」
『はいよ艦長。聞こえてやすぜ。こっちは交換する準備万端って状況なんで、さっそく実行するって事ですかい?』
「いいや整備班長。実を言えばそれをする前に一つ。頼みたい事がある。交換するというのなら、その後、やはりする必要があった時に備えてとなる」
『それはどういう?』
「一つ。まだ仮説の段階の話をしよう。とある生物の話だ。その生物は浮遊石の、その力そのものを食べる。食べたら食べた分だけ浮遊石そのものの力を減じさせる、浮き虫と言うらしい」
ここまでは船医のアンスィから聞いた単なる事実の話。実際に居る生き物の話だ。
仮説となるのはここからである。
「この浮き虫。既知のものであればそれこそ虫と呼ばれる程に小さいものであり、浮遊石から摂食する力も微々たるものらしいが、このブラックテイル号の動力を奪ってしまう程だとしたら、それは大食漢の浮き虫と呼べるだろうな」
『図体だってデカいと、そう考えてらっしゃるんで?』
「だから仮説の話だ。さて、私はこの仮説が頭に浮かんでからさっきまでずっと、船員達の日誌を読み進めていた。丁度、動力が減じ始めた前後の時間帯に言及があるものを見つけ出すためにな。何が見つかったと思う?」
『……ちょっと思った事を言っても良いかい? こりゃ艦全体に聞こえちまうわけだが』
「構わんよ。言って貰っても」
『あんた性格が悪くないか!?』
「ははは。船員の内、何割がそう思うかな? 想像してくれた通り、日誌には、艦の揺れを感じたという報告があったよ。夜間に、しかも複数人にだ。うちの優秀な操舵士が動かしているブラックテイル号に、そうやって感じられるくらいの衝撃があったというわけだ。操舵士自身にも確認した。なあ、ミニセル君?」
と、ブリッジで今も操縦桿を握っているミニセルを見つめる。
「私、性格が悪いって部分はあのおっさんに同意するわよ。単なる突風か何かと思ったんだけどねぇ。実際、大きな生物にぶつかったとは思えなかった」
さすがに、それほどの衝撃なら誰だって気が付くだろう。だが、大半の船員が気付かず、一部も自然現象か何かだと勘違いする程度だったのだ。その現象は。
「それは、一般的な浮き虫と同じく、空を漂っている。風に流されながら浮く塵の様に。しかし、好物である浮遊石を見つけた。それはゆっくりと、少しずつ近付く。といっても、相対的にだろう。それは前方からなら気付かれるから、対象の目が無い後方から、対象にスピードを合わせ、少しずつ近付いて行き、獲物を捕食するために貼り付くや、その力を絞り取って行く」
メインブリッジの誰かが息を飲む音が聞こえた。別にホラーとしては三流の筋書きであるが、実際の話としてならば、どんな荒唐無稽な話題だって身に詰まされるというものだ。
『で、艦長。その仮説とやらが正しかったとして、どうするつもりで?』
「まだその前の段階だよ、整備班長。仮説を検証するのはとても簡単だ。普段は燃料節約のために使用していない船体フィールドを発生させるだけで良い。それで船体に張り付いている何かがあれば弾き飛ばされる。だが、確かにそこからどうするかだな。無理矢理剥がされたそれは、一体何をしてくるか……それに用心するつもりだから、今、船内全体に聞こえる話で語っている」
ここから、ディンスレイが何を言うつもりなのか。それを予想し、覚悟させるつもりで、わざわざこんな話を船内全部に通信を繋いで話をしていたのだ。
本来は会議を繰り返し、正規の伝達で認知させるべき話であったが、急遽であり、早急な解決が必要な問題は、こうやって直接、頭に叩き込ませる様に理解させるのが一番だ。
そろそろ、それが出来ただろうから、命令を伝える。
「さあ総員、戦闘配置だ! これより当艦は船体フィールドを発生させる! 機関室周辺の人員は注意しろ? それが居るとしたらその周辺の装甲付近だ」
バタバタとメインブリッジにおいても船員達が動き出す。既に自分の席に座っている者はさらに手を動かす様になり、休憩中の者もまた持ち場へと移動し始めていた。
「やれやれ、何とも忙しい事で」
「資料庫に行って戻ってくるだけの事だろう? 副長?」
「それは仕事の始まりでしかありますまい?」
メインブリッジに小走りで戻って来たコトーと小話をしてから、次に操舵士のミニセルに目配せして、彼女から頷きの返事を得る。
「整備班長。まだ動力に余裕はあるな?」
『あーはいはい。艦長が早めにタイムリミットを切ってくれたんで、まだ余裕がある段階ですがね、本当にこれから?』
「仮説が当たって居ればな? 外れていたとしても、残念でしたとなるだけで、当たって居れば―――
「船体フィールド。発生させます!」
メインブリッジのメンバーの一人がその言葉を発する。それは引き金だ。既にディンスレイは了承した。後は結果を待つだけ。
「……」
何も起きないか? 艦内の誰しもにそんな考えが過ぎった時、大きくブラックテイル号が揺れた。
「操舵士! 艦を最大船速!」
「もうやってる! 振動があったのは後方だけど、もう少しでどうなってるか……見えた!」
ブラックテイル号が最大の速度で空に弧を描く軌道。勢いに身体もまた横に傾くも、それを気にしても居られなかった。
何故なら、ミニセルにより軌道を調整された艦のメインブリッジから、それが実際に目に入って来たからだ。
「虫だと? あれがか?」
「浮いている虫というより、浮いている大蛇ですな」
なんだったらブラックテイル号の倍くらいの長さがある蛇だ。大蛇というにはその外観は爬虫類より甲殻類を思わせるそれ。口元には牙では無く、鋭い角型の顎がガチガチと開閉していた。
足は短いかぎ爪みたいに胴体から直接生えて来て、あれで身体をどこかに固定するのであろう事が分かる。
「あらら。良くまあ、あんなのが艦に張り付いてて気が付かないものね」
「少し怖気の走る光景ではあるが、浮き虫の中には身体が半透明になる物も居るらしい。擬態能力という奴だな。事が起こったのが夜間だったというのであれば、肉眼での発見に難があったのかもしれん。もっとも、確かにあの大きさだ。何時か気が付いた事だろう。あの長さで、艦に巻き付いていただろうからな」
というより、やはりディンスレイ達は気が付いたのだ。あの大きな浮き虫は大食感であり、その結果として、艦の動力が減衰しているという事にさっさと気が付いてしまった。
向こうにしてみれば、到底上手いやり方では無かったという事もある。
「場所が変われば、おかしな生態系があるという事だ。我々はそこへの闖入者であり、誰も彼もに違和感を持って……おい、観測士。あれ、こっちに近づいて来て居ないかな?」
「はっ! 相対距離、接近しています! なんだこれ。動いてる風でも無いのに凄い速さだぞ!?」
「ミニセル君!」
「もうやってる!」
空をうねっているだけに見える巨大浮き虫だと言うのに、そんな動きのまま、どうしてかブラックテイル号に近づいて来ていた。
空を泳ぐという表現ではとても言えない動きで、しかもかなりの高速で迫って来ている。それを察した瞬間に、ディンスレイは艦を逃がそうとするも……。
「くっ! まだ艦の動力が完全に戻って来てない! 思ったより加速出来ない!」
「それはかなり厄介な報告だな。ミニセル君。整備班長! そちらの様子はどうだ! 奴め、まだ逃げた餌に未練があるらしい」
「こちら整備班長! 浮遊石の力は戻って来てやす! だが、本調子になるにはまだ時間が掛かる!」
ガニの報告を聞いて、ディンスレイは口元に手を当てる。ほんの一瞬だ。そのほんの一瞬で次の決定をする。
「このまま逃げ切るというのも難しいか。なら、予定通りだな」
「やりますか、艦長」
副長の言葉に頷く。
予定通り、既に総員には戦闘配置を命じている。。
「船員全員に告げる! 準備は完了しているな! これより当艦は現地巨大生物と空戦に入る。攻性光線、放て!」
ディンスレイの指示を船員はそれぞれの役目通りに従い、まるでブラックテイル号そのものが艦長の言葉に従うが如く、ブラックテイル号はその砲門から青く輝く光線を浮き虫に向かって放つ。
攻性光線はシルフェニアという国家が開発した兵器の一つだ。まさに光線の如き見た目と速度をしているが、その実、魔法と呼ばれる技術に根源を持つものであり、かつては火や水、風を何も無いところから発生させる技術体系であったそれを解体し、光線をぶつけ、対象を破壊する力という形で顕現させた、なんとも無粋な破壊兵器であった。
利便性は勿論あり、弱いものであればぶつけた対象に衝撃を発生させる程度の威力となり、模擬訓練時に使用出来る程に調整出来る。そこから出力を上げる毎にその光線は色を変え、今、ブラックテイル号が放った青い光性光線は飛空船にぶつかればその構造を破壊するに十分なものである……はずだが。
「外した?」
「あれは外れたと言うべきでしょう」
狙いを外さず、青い輝きは真っ直ぐに浮き虫へと届いたはずであったが、それは浮き虫に効果を届かせず、向こうは尚もこちらへ接近し続けている。
「今度は長射だ。もう一度撃て!」
再び船体に巻き付かれるまでに時間はある。故に攻撃を繰り返させるものの、やはり光線は当たらない。いや、今度は視界にしっかりとその理由が映し出された。
ブラックテイル号から放たれ続けている青い光線が、浮き虫の胴体にぶつかったその部分より、胴体を滑る様に曲がり、受け流される様に後方へと伸びていた。
光がぶつかる浮き虫の胴体は美しく発光しているが、一方でのその胴体が不思議に透明度を増していた。
「身体を透過させている? いや、胴体に光線を曲げるフィールドの様なものがあるのか?」
「あの見た目から判断するに、予想通り擬態能力もありそうですな」
「本来はそうやって利用する機構か……」
身体を透明にさせ、対象に気付かれないための能力という奴だろう。自然界において身に付ける者が多い能力であろうが、それが耐攻性光線としての機能を持っているのは、向こうにとっては出来過ぎだ。
(あるいは、こっちにとっての不運かだ!)
浮き虫はさらに接近。こちらは攻め手を欠いている。
「ミニセル君! 艦をあれから距離を最大限に取る様に旋回させろ!」
「もうやってるけど、今は距離を一定に保つのが精一杯よ!」
むしろ、少しずつだが追い付かれつつあるだろう。ディンスレイはそう予測する。ブラックテイル号は本調子では無い。他ならぬあの浮き虫のせいでその能力を一時的に喪失しているのだ。再び組み付かれた時は、より酷い状況になるだろう。
(そうなる前に決着を付けたいところだが……)
方法を考えろ。会議や相談をしている時間は無い。今ある手札の中から、最善の一手を作り出す必要がある。
単純に全力で当たるなどという選択肢は、今の段階で取るべきではない。
「どうするのよ艦長。追い付かれるまではあと十分ってところなんだけど」
ディンスレイの予想ではあと八分だ。それより長いというのは、二分くらいは時間を稼げる自信があるのだろう、うちの操舵士には。
もっとも、その二分を有難がる程に追い詰められては居ないはずだ。
「追い付かれる前に、艦の高度を今より上げてくれないか」
「高度を上げる? 障害物の多い地上付近にじゃなく?」
速度に勝る相手に接近されない様にする場合、速度以外の要素を追加するのが常道だ。ミニセルの言う通り、艦に機動戦をさせられる自信があるのなら、地上スレスレで飛行し続ければ、相手だって早々に追い付く事は出来まい。それがミニセルの二分は稼げる判断と言ったところか。
だが、ディンスレイの方には別の時間稼ぎ手段が頭の中にあったのだ。
「兎に角、今より高度を上げるだけで良い。それだけで、結構なんとかなると思う」
これは飛空船同士の戦闘では無い。そこが肝心だ。相手は見るからに大きく、脅威的で、狂暴そうであるものの、飛空船では無いのだ。
怪物であって人では無い。だから戦い方は怪物を倒すためのそれ。
「やるべき事は知恵を働かせ、型に嵌めるというのが相応しい」
「ちょっと、どういうマジックよ? あいつ……速度が遅くなっていってる……!」
ブラックテイル号が天を目指せば目指す程に、浮き虫との相対距離が開いて行く。別にブラックテイル号の調子が良くなって来ているのでは無い。むしろ、ブラックテイル号もまたその速度を減じているのだから。
「通常、高度を上げれば、あらゆる物質の速度は遅くなっていく。大地が天側へ向かう浮遊石の力により支えられているのに対して、通常の物質は下方へ向かう力を持ち、それは天に近くなる程に重くなっていくからだ」
世界そのものの釣り合いだ。下へ向かう力と上に向かう力が拮抗しているから、生物が生きられる安定した隙間が出来る。それがこの世界の在り方なのだ。
学者はもっと複雑な数式や理論で説明してくるだろうが、今の状況において重要なのは、浮遊石の上方へ向かう力は、天へ近づくに従って急速に失われていくという事だ。
「高度限界点。ある種、それも我々にとっての未踏領域だな。飛空船が浮遊石の力を使って空を移動する以上、浮遊石の力が下方へ向かう力、重力に勝てなくなる点が必ず存在する。そうして、それは浮遊石と同じ力を使う、アレにしてもそうだ」
「けど、だったらやっぱり、お互い様って事で、追い付かれるんじゃあ……」
「あの浮き虫の動きを見たまえ。あれは空を飛んでいると言えるか? このブラックテイル号は船体からして、動力である浮遊石の力以外にも、最新の空気力学を反映せた装甲や船体形質、その他の補助推進器により、飛行性能を底上げしている。一方であの浮き虫は、浮遊石の力にその飛行機能のすべてを依存しているだからこその、歪な飛行というやつだ」
鳥や翼竜とは違う優美では無い、ただ空を移動するだけの飛行。故に、その力の根源が減じた場合、その影響を露骨に受ける。
それが今だ。
「さあ、時間が稼げたぞ諸君。ま、追い付かれる事はこれで無くなったろう―――
自信満々に言い終わる前に、艦が大きく揺れた。何事かと叫び出しはしない。何が起こったと叫び出すのは他の船員がどうせ言っている。
艦長は何時だって自信満々に艦長席に座るものだろう。ちょっと肘掛けを強く握るくらいはバレないはずだ。
「で、これは何だねミニセル君」
「言っておくけど、操舵ミスじゃないわよ。何か飛んできた。多分、あの浮き虫の方角から」
なら浮き虫が何かを仕出かして来たと考えられる。状況に戸惑う前に、ディンスレイは医務室へ直接通信を繋げた。
「船医殿。そっちを利用する人が増えそうな振動のすぐ後に失礼するが、君の知見を貸していただきたい」
『な、なんですかぁ!? 何が何で何をぉ!?』
発生した振動で一番慌ててそうなアンスィの声が聞こえて来たが、彼女を気遣うのは後に回す。
「浮き虫は、外敵に遭遇した時、どうやってその危機を脱する? 浮き虫の詳しい生態を是非に知りたい状況だ」
『い、今さらそんな情報を話してぇ、お、お役に立てるかどうかぁ』
「今はその手の謙遜は敵だ。船医殿」
『そのそのぉ……動力にしている、た、蓄えた浮遊石の力を、一気に放出してぇ、その場を移動する特性があった様なぁ……』
「なるほど、さっきのはそれだ」
「その様ですな」
副長とも意見の一致を見た。詳しく観察すればまた違う考えが浮かんで来そうであるが、今のところの結論はそれで良い。
「上方へと向かう力を、推進力へそのまま変えられるのなら、逆に相手にぶつける事も出来るわけだ」
「あれよね? 空気の塊がぶつかると、ぶわっとなる様な感じ?」
「理屈はまったく違うが、起こる現象であれば似た様なものになるだろうな、ミニセル君。あの浮き虫にとっては、獲物を仕留める衝撃波みたいなものだ」
何度もぶつけられれば、ブラックテイル号とてダメージにもなるだろう。組み付かれる事は現状無くなったが、まだあの浮き虫は獲物であるこちらを逃がさないつもりらしかった。
『も、もうよろしいですかぁ……?』
「いいやまだだ船医殿。さっき、外敵から逃げ出す方法を語ってくれたが、つまり、浮き虫を獲物にする生物も居るわけだな?」
『い、一般的な生き物ですよぉ……? う、浮き虫は本来、小さな生き物なのでぇ、ムカデとか、小さな鳥なんかが嘴でこう……ぐ、グサッと』
「嘴やムカデの牙などか……なるほど。だいたい分かった。次の振動が無い事を祈って……おっと、次の次の振動が無い事を祈っておいてくれ、船医殿。通信を終る」
『ひ、ひぃい……』
二度目の衝撃波に艦が大きく揺れるのを感じながら、三度目があって堪るものかとディンスレイは考えをまとめる。
あの大きな浮き虫を打倒する方法を。
「主砲を使う。出力は赤光で調整出来るかな?」
メインブリッジメンバーの内、艦内のエネルギー調整役に話し掛ける。
「はい! しかし、あの敵生体は攻性光線を弾いてしまうのでは」
「さっきのやり取りを聞いていただろう? 捕食する生物が居るとなれば、倒す方法はあるというわけだ。狙いを付ける役とトリガーを引く役は私がする。安心したまえ」
艦長席脇にある幾つかのキーを操作し、跳ね上がって来たグリップを握り込む。一応、艦長席からこの艦にある機能の基本的な操作が可能なのだ。艦長権限として、いざとなれば単独で操舵する事も出来る様になっている。
専門の火器管制役を雇っていないというのもあり、その役目をディンスレイが担う事にする。
「けど、その捕食する生物ってのは、相手が小さい場合だけでしょ? あれはそういうのじゃあ無いわよ」
ミニセルの指摘通り、ただ倒せるのなら苦労は無い。恐らく、ブラックテイル号主砲の赤い攻勢光線。先ほどの青い攻性光線よりも対象の破壊を破壊する事に優れる出力を増加させたものであるが、それだけでは足りないはずだ。
先ほどと同様に、当たったところで弾かれる。だからより、工夫する必要があった。
「ではミニセル君。あれの、上方を取れないかな? 奴のやや後方上部にブラックテイル号を位置取って欲しい」
「また無茶言うわねぇ!」
ミニセルの叫びに反して、ブラックテイル号は激しく動き始めた。浮き虫の攻撃に寄る振動では無い。ミニセルがその腕を発揮し始めたのだ。
位置取りは完璧。敵として相対するという意味ではシルフェニア国民の中では初であろう浮き虫に対して、その攻撃が当たらぬ範囲というのを勘と経験で感じ取り、適切な軌道というものを導き出して行った。
(ま、船員の吐き気というものを考慮しなければという話ではあるが……今はそれが頼もしい!)
トリガーを握り込む手を緩めずに、ディンスレイはメインブリッジから見える景色から目を離さない。
正確に言えば、メインブリッジからは前方とその周囲しか見えないため、ギリギリその範囲に収めた浮き虫の輪郭から狙いを外さない。
「良し、ここがベストだ」
「向こうにとってもでしょうがね」
副長のコトーの指摘は、浮き虫がこちらへとまた近づいて来ている事を意味していた。今の位置取りからして、ブラックテイル号はむしろ後方から浮き虫に近づいている事を意味しているのだから、確かに浮き虫にとっても好都合な位置取りと言えるだろう。
浮き虫は再び、その空を飛んでいる風には見えない、空を這う様な動きでこちらへと近付いて来ていた。
それは危機を意味するのか。勿論それも一つの意見だろう。
だが、ディンスレイの考えは違う。
「的が大きくなってくれた。これもまた……ベストな状況だとも!」
ディンスレイはトリガーを引いた。
ブラックテイル号より赤き光線が放たれる。だが、それは船体中央からでは無く、エイの様な形をした艦から伸びる、尾の部分からだ。
元来、冒険をする事を主要の目的としたブラックテイル号は火力に不足がある。その不足を補うための機構こそブラックテイル号の尾であり、主砲なのだ。
この主砲だけはシルフェニアという国の最新技術をつぎ込んだ火力であり、その一つの主砲を尾という形である程度の可動範囲を与えている。
その尾が今、曲がり、前方下方より近付いてくる浮き虫に尖端を向け……赤い攻性光線を放ったのだ。
赤い輝きは浮き虫へと真っ直ぐに向かい、浮き虫の外殻にぶつかり、弾かれる。
「やはり出力を上げただけでは通用しない様ですな」
「分かっているから、ここからだ!」
副長の落胆する様な声に反して、これからが自分の仕事だとばかりにディンスレイは手元のトリガーを調整操作していく。
尾から放たれる主砲には出力以外にも他の武装と違う特徴がある。
放たれる光線が細く、照射時間がより長いのだ。
その細く、長時間照射される光線がディンスレイの操作により浮き虫の外殻を沿って行き、殻と殻の隙間に届いた。
「主砲以外の攻性光線の照射準備! 狙う先は……今作ったぁ!」
殻と殻の間に差し込まれた主砲からの光線は、殻の接続部を切り取ったのだ。
その部分のみ、浮き虫の殻は剥がれ落ちる。光線を弾くためか、半透明になっていた浮き虫の身体の一部が、明確に視界へ映り、狙うべき的として現れた。
ディンスレイはこれを狙っていた。小さな浮き虫を捕食する生物は聞く限り、獲物に対して鋭く、圧力を与えられる武器がある生物であると聞いた瞬間から、あの大型の浮き虫にしても同じ事が出来るのでは無いかという予想に賭けたのだ。
つまり、殻を正面から砕き、破壊するのでは無く、その殻に守られた内側を狙う方法だ。細い光線で殻の隙間から、手術する様に殻と身体の接合部を切り取る攻撃を仕掛けた。
結果として、賭けは勝ったと言えるだろう……いいや、まだだ。
「全砲、あの殻が剥がれた部分に向けて……攻撃!」
ディンスレイの叫びにブラックテイル号が、それを操作する船員達が呼応する。
主砲以外のすべての砲が、さらに近づいて来ていた浮き虫の身体に、外れる事無くぶつかった。
「―――」
空気が震えた。それは錯覚か、実際に何らかの物理的か魔法的な現象が起こったのか。
何にせよ、ディンスレイはそれを浮き虫の断末魔だと感じていた。
あと少しで、ブラックテイル号に再び組み付ける。そんな距離で、浮き虫は吠えていた。ブラックテイル号にか、その艦長であるディンスレイに対してか、それとも、世界そのものの過酷さへの恨み節か。
浮き虫は甲虫めいた口元を叫ぶ様に大きく開き、すべての力を喪失したが如く、無限の大地へと落ちて行く。
「浮き虫の落下確認を怠るなよ。まだ何か仕出かしてくる可能性も……万に一つはある……かもしれんからな」
自分で言って置いて、ディンスレイの語調は確かなものでは無くなる。
ディンスレイ自身、今の光景の意味を分かって居るからだ。
未踏領域において始めて発生した現地生物との戦いは、ディンスレイ率いるブラックテイル号の勝利に終わったのだ。
「やれやれ、しかし、休まる時間というものが無いな」
気を張りつつも、溜息の一つくらいは吐きたくなった。これが未踏領域における冒険だと言うのなら、自分の事ながら無茶な旅を始めたものだと思う。
「ですので、休める時には休むべきだと日頃から忠告しているのですよ」
「分かってる分かってる。今はベッドでぐっすり休みたいなどと思っているところだよ副長」
戦闘配置もこのまま何も無ければ早々に解除する事になるだろう。船員達を何時までも張り詰めた心持ちにしていられない。
「ま、早く休みたいって思いは分かるけど、そう上手い話にはならなそうよ、艦長」
ミニセルは不吉な事を言ってくる。今度はどんな問題が発生したのか。みんなの艦長は問題がすべて解決するために一生懸命に働こうとも。
「ほら、見て、あれ。今のところの目的地が見えて来たけど……」
人工物。遠方からは要塞にも見えていたそれ。だが、浮き虫と戦闘している間にも近づいており、さらに浮遊石の力が減少する程の高度までブラックテイル号が上がった事で、より明確な光景として目に映る様になっていた。
恐らく、それは要塞ではあるまい。
「ふむ? ミニセル君。あれはむしろ、上手い話の類に私は見えるよ」
「ふーん。それってどういう類の?」
「心を、わくわくさせてくる、そういう上手い話だ。あれはな」
要塞に見えていたそれは、むしろ壁だった。内側と外側を区分けする壁である。
円形に伸びるその壁があまりにも大きく長いので、近付き、上方より見なければ要塞にしか見えなかったのだ。
そうして、要塞が如き壁に囲まれた内側にはいったい何があるか。それこそがディンスレイの心を興奮させてくれる。
「巨大な木の幹と巨大な浮き虫に続く、次の発見は、巨大な穴か。何やら、この領域の因果の様な物が見えて来ないかな? 副長、ミニセル君」
二人にそう尋ねるディンスレイであるが、二人からはやれやれと呆れた様な目を向けられてしまう。
そんなにおかしいだろうか? 山の様な壁の、さらに向こうに存在する、ひたすらに巨大な穴に浪漫を感じるというのは。