② 晴天ならずとも霹靂
「まだ大半が雲の中という事で、視認による確認では完全とは言えない。一方で、浮島の大きさについては予想通り、いや、予想以上に大きいものとなっている。浮島の上方にブラックテイルⅡが着陸出るほどの平原がある程に、大きい。浮島そのものの構造が障害物になっているのもあるだろうし、内部で独自の生態系が出来上がっている可能性すらある。その点について、良く良く注意してから―――
「今回は付いて来れないのが悔しいからって、話が長いわよー、艦長ー」
発見した浮島にブラックテイルⅡを着陸させた上での、浮島の探索任務。その探索班に向けたせっかくの艦長説明の最中に、探索班の班長を任せるミニセルから茶々が入って来た。
場所は着陸したブラックテイルⅡを出たすぐそこにある浮島の上部。ディンスレイは探索班を並べて開始の合図の様に説明を行っているのであるが、雲の只中であり、薄霧に包まれた様な光景があるため、ミニセルの声が嫌でも強調される。視界より聴覚による感覚が優先されがちなのだ。
「こうも視界が不明瞭なんだ。注意しろと事前に幾ら言っても足りないぐらいだよ、ミニセル君。他の探索班員も注意してくれたまえ。特にカーリア・マインリア君」
「えっ、あ、はい。私ですか?」
班員の中で、もっとも真面目そうな顔をしている彼女、ブラックテイル号でも船員をしてくれていたカーリアに対してディンスレイは笑った。
「ミニセル君の性格については知ってくれているだろうから、上手く制御してくれると頼む。感情的な事を言ってる時は、だいたいが一か八かだからな、彼女。一の方選んでるなと思ったら是非止めてやってくれ」
「あのねぇ、艦長? 探索班の班長する役に対して、そういう事を最初に言うのは―――
「了解しました艦長。今回は慎重に。という事ですしね」
「ちょっと、カーリアさん?」
少しばかり探索前に揉めそうではあるが、その雰囲気については良い様子だった。
今回のブラックテイルⅡの目的が公的かつ軍事的な物であるためか、船員達の中では息苦しさを感じる者も居る。
それを幾らか晴らしてくれるというのが、この手の探索任務であった。彼ら直接調査を行う班員にしてもそうだが、その結果を待ちながら、船内にて別作業をする船員達にとっても、好奇心を擽られる任務というのは気分転換になるものだ。
「兎に角、これ程の規模の浮島というのは初めての探索になるだろう。君達にとっても、シルフェニアという国の人間にとってもだ。それを光栄に思うのは構わないが、命の危険があるという前提は忘れない様に」
「前の、山脈壁での任務みたいにかしら? 艦長?」
「ま、そういう事だ。あの時も、探索班が全滅しかねない状況だったからな」
未知への冒険というのは誘惑が多い。勇敢さから来る楽しさすら罠となりかねない。そこは今の探索班員達なら分かっていると思うが、分かり切った事を逐一事前に言うのが、艦長の役目ではあると思う。
「この手の任務では何かある。それこそ、絶対に何かあるわね。これも経験則ってやつかしら、艦長?」
メインブリッジでの副長との会話を憶えていたらしいミニセルが揶揄って来る。
実際、それは経験から来る事実であった。
そういう巡り合わせの元にブラックテイルという名が付く飛空艦はある……のだろう。
「今回は……いや、今回だって、色々あるさ。それだって、なかなかやめられんのが我々だな」
艦長であるディンスレイだけで無く、ここで選んだ探索班員達も、その何か、厄介事だって有ると分かりながら、挑まずには居られない連中なのだ。
「そこらを副長に理解させるために、今回に限っては大人しく艦に残る側になったわけ?」
「なんとも言えん問い掛けだが、ま、艦長と副長が同時に探索班をするわけにもいかんから、二人して残る側になるしかない……という事情くらいはあるかもしれんな?」
探索という仕事の主役は彼女らかもしれないが、ブラックテイルⅡという艦の主役は、ディンスレイが降りる事は無いとだけ、心の中で思っておく事にする。
雲に隠れた浮島の上部を探索班が歩き出す。
そこはまさに未知の世界であり、踏み出す一歩一歩が前人未踏をそうで無くしていくものであろう。
どれ程に困難な道のりであったとしても、やはりその一歩ずつには栄光と浪漫が混じっているのだ。
「などと思いながら、船員達の無事をメインブリッジで祈る艦長なのであった」
「いちいち声に出して言わないでくれませんか、艦長?」
本日は人の少ないメインブリッジ。浮島へと着陸したブラックテイルⅡであるが、周辺の安全確認をし、探索班員を見送った後は、半数の船員には休養時間を当てて貰っていた。
何が起こるか分からぬ未知の場所であるからこそ、変化を待つ側は何が起きても良い様に体力を保っておく必要があるとの判断だ。
結果として、今のメインブリッジにはディンスレイと主任観測士のテリアン・ショウジ二人のみとなっていた。
あまりにも少ないと思われるかもしれないが、ディンスレイが休憩している最中は、もっと多い人数が働ける様にする事で、休憩を続けながらも、常時、ブラックテイルⅡを動かせる様にしているのだ。
つまり、今、ここに居る二人だけでも、最低限にブラックテイルⅡを動かせる自信があるわけだ。
「私の話し相手として選ばれた事を光栄に思うと良いテリアン主任観測士。君と私が力を合わせれば、このブラックテイルⅡを乗っ取る事すら可能だ」
「あなた艦長でしょうが。艦長が艦長から乗っ取ってどうするって?」
「さて。一度くらい、不平不満を言う船員に対して、強権でも振るってみるか? せっかく乗っ取ったというのに、趣味でも無いそんな事をするというのも嫌気がしてくるが……」
「その強権を振るいたい相手っていうのが……副長相手って事ですか?」
「……ふん? そんな風に見えているか?」
テグロアン・ムイーズという男に対して、ディンスレイが何を思っているか。
他人から見れば、その感情は良いものでは無いらしかった。
「違うっていうんですか、艦長? あの人は……言う事は正論が多いですけど、いえ、偶に何言ってるか分かんない事もありますけど……こう、艦長の趣味じゃないって、そういう事が多い気がする」
「……君にとってはどうなんだ?」
「僕?」
ディンスレイがテグロアン副長をどう思っているか。それはディンスレイ自身が知っているのだから、今は他の船員が副長をどう思っているかが気になって来る。
丁度、今、副長は休養中だ。ここだけの話は、ここに居る二人が誰かに話さない限り、誰かの耳に入る事はあるまい。
だからこそ、テリアン主任観測士の意見を聞きたい。
「僕からしたらテグロアン副長は……やっぱり分からない人ですね。良い人か悪い人なのか、僕にとって相性の良い人なのか。向こうからは気に入らないと思われているのか。そのどれもがまだ分からない。そろそろ分かって来ても良いと思うんですけどね」
「なるほどな。恐らく、そう考えてるのは主任観測士だけではあるまい。かなりの多数が、副長に対してそう考えている。何せ、前回のブラックテイル号の旅にも参加していない一人だ」
「そこについては、むしろ僕の方が馴染まなきゃと思ってるところです。前とは違う。そこについては良く理解した上で、それでもこの艦に乗る事を決めたんですから」
主任観測士の考え方は、健全なものであるとディンスレイは判断する。
彼の性格自体、やや軽いところはあれど、善良なそれなのだ。
(なら、やはり今、私が気にするべきは、テグロアン副長についてなのだろうなぁ)
探索班が出発する前にミニセルに言われた言葉。
そのために、今回、ディンスレイはブラックテイルⅡに残る側になったのだろう。
今はこうやって主任観測士と二人で話しているが、機会を見つけて、今度はテグロアン副長と話をするべきか。
「そもそも、艦長の方は、副長についてどう思ってるんです?」
「私か?」
「そうですよ。僕にばっかり聞くなんてフェアじゃありませんね。艦長の愚痴ってやつを聞いてみたいなー」
「それじゃあ私が、副長について悪く思っているみたいじゃないか」
「違うんですか? 色々と意見に反対されるのって、嫌な印象が強くなりません?」
「あのなぁ、私は……主任観測士?」
「……ええ、はい。気のせいじゃないですよ」
二人の雑談が止まる。
音が聞こえたのだ。微かな音。だがどこかで聞いた様な音でもあった。
この手の音に関しては、観測士の出番である。この役目に就ける者は、視覚だけで無く聴覚も鋭い。いや、知識に富むと表現するべきだろう。
聞こえた音に対して、それはこういうものだという判断と説明が出来るのである。
勿論、テリアン主任観測士とてそうだ。
「何度か、酷い嵐の中にブラックテイル号が突っ込んだ事がありますよね?」
「あっちは未踏領域での長旅だったからな。そりゃあ悪い天候の日もある」
「ああいう時、当たり前に装甲に雨がぶつかるじゃないですか」
「さっきの音は、そういうものだと? 雨が降り出したか?」
ディンスレイの問い掛けにテリアンは首を横に振った。どうやら違うらしい。
「これは艦の上方装甲に何かがぶつかる音って事です。だから激しい雨に当たった時の音に似てますが、継続して聞こえないから雨じゃあない。けど、音そのものは雨一粒ずつよりずっと大きいから、艦長だって聞こえた」
つまり、何か大きな物が艦の上方にぶつかって来た。という事だろう。
「岩でも落ちて来たか」
「近くにブラックテイルⅡより高い岩場なんてあったかな? いえ、無かったですよ。ちゃんと記憶してます」
観測士が言うのならそれは正しいだろう。ディンスレイの記憶でもそうであった。出来る限り開けた場所に着陸したのである。
「だが、ここは浮島だ。もしかしたら岩なんかの破片だって浮いているかもしれん」
「まあ、そこは僕の専門外ですから。一度、確認してみますか?」
「だな。分からないまま首を傾げるというのは一番不安で何も解決しない行為だろうし……おい、また聞こえたぞ」
再び、ディンスレイの耳に聞こえる形で、さっきと似た様な音が聞こえて来た。今度は二つ、いや三つか。
「またじゃなく、まだ聞こえてますね、これ。装甲に当たった後、トントントンって感じで継続して装甲を叩いてる」
そっちに関してはディンスレイにははっきりと聞こえなかった。だが、感情はテリアンの言葉を聞いて焦り始める。
「叩いてるというより、足音じゃないか、それは? 何か、ブラックテイルⅡの上に落下して、移動している」
「あー……確かに、そういう音に聞こえ……は? 何かが上を歩いてるって事ですか?」
「そうかもしれんという話だが、不味いな、タラップの方に行こう。何時でも探索班が戻って来ても良い様に開きっぱなしだぞあそこは」
「確かに。何か野生の獣でも入ってきたら事だ!」
二人してメインブリッジを離れようとする。
だが、メインブリッジを出ようとしたタイミングで、逆に勝手に扉が開き、向こうから慌てた様子のテグロアン副長が姿を現して来た。
(まて、慌てた様子の副長だと?)
まずその光景が異常事態なわけだが、彼はそのままディンスレイ達に向けて両手の平を向けた後に口を開いて来た。
「お二人とも、どこかへ行こうとしているところ恐縮ですが、ここでじっとして居ていただければ」
「む。いったいそうれはどういう事———
ディンスレイの言葉が咄嗟に止まる。というより話すより行動が先んじたのである。
それはディンスレイだけで無く、ここに居る三人ともであったらしい。
三人が三人ともに、メインブリッジの扉を閉めようとしたのだ。
考えてそうしたというより、本能がそうさせたのである。
何せ入って来たテグロアン副長の後方から、見知らぬ人影が凄まじい形相で迫って来ていたから。
しかもその人影には目が一つしか無く、体格に対して酷く巨大な足を動かして迫って来る異形の怪物と来たものだ。
「おい! 鍵なんぞ無いぞこのメインブリッジには! テリアン君! 扉は副長とで抑えておくから、留め具なり何なり早く持って来い!」
「と、留め具って、それこそそんなのここにありませんよ!」
言っている間にも扉が叩かれる。いや、破られようとしていた。向こうに居るあの化け物みたいなやつは、今は一体だろうか。
だが、艦上層を叩いていた音は一つだけでは無かった。複数人居るはずだ。
そもそも、上の音から艦に入って来るのが早すぎる。既に何体か侵入した後に、追加の連中がやって来る音を聞いたと言ったところだろう。
それが今、メインブリッジまでやってきている。
「椅子です! それらは取り外せる様になっていますから!」
「りょ、了解!」
副長の言葉に、漸く戸惑っていたテリアンが動き出し、メインブリッジ内の椅子を床から取り外し始めた。
その動きは慣れぬものであったため、ディンスレイの方は徐々に強くなっていく扉への圧力に冷や冷やし続けていた。
扉の向こうからは罵声も聞こえて来る。
「ℸℬ℩№! ℔ST4℥ⅎ!」
(言葉の意味が分からん! 少なくとも意思疎通が出来んぞこれは!)
口でやり取り出来るなら、どんな状況でもやり様があると思っているディンスレイであるが、一方的な暴力には弱い。強い人間なんぞが居たらそれはそれで不気味ではあるが。
「よいしょっと!」
そんな暴力から守るために、テリアンが扉にメインブリッジ内の椅子を持ってきて扉の前に置いて行く。
何脚か置いた後に、ディンスレイもまた手を離し、次は動かせそうな机を持って行ってそれも障害物にし、後はメインブリッジの中で動かせるものすべてで扉を塞いでいく。
「なんとか……これで時間は稼げるか?」
障害物同士が絡み合い、向こう側は見えなくなるくらいになったタイミングで、漸くディンスレイは腰を降ろした。
椅子は無いので直接床に尻を付ける形だ。
もっとも、障害物が合間を置いて揺さぶられるので、安心するのはまだまだ先の話になりそうだ。
「時間を稼いで……そ、それでどうするんですか!? っていうか、どういう状況……ですかっ。今!」
さっきまで一番肉体労働をしていたテリアンが、息も絶え絶えで尋ねて来る。いや、これはディンスレイに対してでは無く、テグロアン副長に対してだろう。
「私も詳しい事は……ただ、休養で自室に居たところ、外が騒がしいなと顔を出したのですが……」
「さっきのあれが居たというわけか」
テグロアン副長の方は何時もの表情を取り戻していたが、詳しい事が分からないのはディンスレイ達と同様らしい。
「ただ、他の船員が取り押さえられていっている光景なら見た気がします。相手は複数居て、次々にこう……」
「殺されたか?」
「いえ、組み伏せられて居たかと」
「……」
副長の言葉を聞いて、ディンスレイは顎に手を置いて、漸く思考を始めた。
数少ない現在の情報だ。その情報だけで次の行動を決めなければならない。まずこれ以降は何もしないという選択肢は捨てる。
「今は判断材料が少ない。だが……すぐに命を取らないというのなら、向こうも強硬手段には出ていないのかもだ」
「こうやって艦に侵入してきたのは強硬手段じゃないって言うんですか?」
「問答無用の殺害では無いというのは、こっちにとってはまだマシな方の手段だ、主任観測士。だが、確かにだから良しとは言えん状況だな」
「まるで、ここからまだ出来る事があると言った言い草をしますね、艦長」
そう言ってテグロアン副長が視線を向けて来た。
ディンスレイは頷く。それが状況を解決出来るかと聞かれれば肯定は出来ないが、出来る事はまだあった。
「あれを見ろ。扉側のさらに上だ」
障害物がこれでもかと積まれたそちら側。そこに換気口があった。
「……もしやあそこ」
「あの奥のダクトは、大人でも、這ってなら移動出来る大きさがある。勿論、換気口だから艦内の幾つかの部屋に繋がっている」
メインブリッジで守りに入った三人であるが、閉じ込められては居ない。そうして、さっき艦内に侵入して来た連中なら、その隠された通路に気付く事はあるまい。
「けど、換気口に人が通れるって言ったって、中の構造は分かったものじゃあ……うわ、知ってるよこの人」
艦内の構造ならだいたい頭の中に入っている。艦長として当然の事だと思うのだが、どうやら昨今の船内幹部にとってそれは違うらしい。
「でしたら艦長は、次にどこへ向かうつもりなのでしょうか」
「とりあえず候補はあるが、まずは相手の観察だ。換気口の奥のダクトを進むと、途中で蓋がされている箇所がある。空気入れ替え用の穴が開いたな。そこからこっそり侵入した連中の様子を探れれば幸運だが……それより前に一つ、問題がある」
言いつつ、ディンスレイは換気口から視線を落とし、障害物に寄り隠れた扉を見る。やはり、その障害物を破ろうと向こう側で何かをしている様子で揺れ続けていた。
「あー、即興で作った障害物ですからね。放って置いたらすぐにでも破られそうだ」
「正しい観測だな、主任観測士。つまり、ここに残って一人、障害物を支えながら、時間稼ぎをする人員が必要だ」
「艦長だけがあの換気口内部の構造を知っている以上、艦長はむしろ残って貰っては困ります。つまり私か……」
「分かりました、分かりましたよ。艦長と副長と主任観測士。誰かが犠牲になるっていうなら、僕です。順番で言えばそうでしょうよ」
両手を上げて諦めた様な事を言うテリアン。そんな彼に対してディンスレイは告げる。
「酷な事を言う様で悪い。ここには居て欲しいが、無事でも居て欲しい。なんとか……してくれるととても嬉しいのだがね」
「相手は命を奪ってくるってわけじゃあないんでしょう? だったら、それに賭けましょう艦長」
ここで、納得して残ってくれるというのは嬉しいが、怖くもあった。
今、この瞬間でなくても、どこかで自分のために命を捨ててくれそうな、そんな感情をぶつけられたからだ。
(向こうがどう思おうが、私の方はそれに慣れるわけにはいかん)
テリアンの言葉を無下にしないよう、心の中でそう思いながら、さっそく行動を開始する。
扉の上までは丁度障害物が山になっており、足場にも出来る。
後は換気口の蓋を外し、中へ入って行くのみだ。
「本当に、命を無駄にしないようにな!」
「了解しました。ご武運を、艦長と副長!」
テリアンの言葉を耳に残しながら、ディンスレイは先に進んだ。
何よりもまず、今の状況を打開しなくては。




