① 挑戦する事そのものへの価値
『サオリ国の件は了解した。こっちはまだ時間が掛かるだろうが、それでもシルフェニアから外交官を送る様にして置こう』
非常に小さな部屋。扉とその内側にある椅子が一つに、各種箱状の機材を重ね、並べ、せめてものと小さな机と肘掛けが申し訳程度に置かれたそんな部屋。
そんな部屋において、ディンスレイは部屋の中心。これまた小さな箱状の物体を眺めていた。
いや、その箱から聞こえる声を聞いていた。
『しかし、さっそく忙しくしてくれたな? ディン?』
「そこは私にこの任務を託した以上、想定済みの話だと思っていましたよ、ゴーウィル大佐」
ディンスレイは箱から聞こえて来た相手の言葉に対して、箱に話し掛ける形で答える。
声はディンスレイの昔からの知人であり、現在は直属の上司となっているゴーウィル・グラッドン大佐のものであった。
『そっちが南方諸国をひたすら進む先鋒役なら、俺はシルフェニアでお前達の仕事の支援をする後方役……というのは分かっては居たが、なかなかお前んお方は面白そうで、嫉妬してしまいそうだ。苦労するのは俺ばかり。嫌味くらい許せ』
「こっちもこっちで、相応に苦労はありますが……事実、ブラックテイルⅡ側で良かったと思っているところです」
ディンスレイが居る側、ブラックテイルⅡ遠距離通信室。そう名付けられたこの部屋で、ディンスレイはブラックテイルⅡから遠く離れた本国、シルフェニアに居るはずのゴーウィル大佐と話をしているのだ。
この小さな箱にはそういう機能がある。いや、小さな箱を含めたこの部屋にある機材すべてが、離れた場所に居る相手と会話するための装置なのである。
こうやって話をしているゴーウィル大佐の方も、この部屋と同じ、いやもっと大げさな施設の内部で、シルフェニアからブラックテイルⅡへと通信を繋げているはずだ。
『ま、こうやって声くらい聞いて、俺もそっちの盛り上がりにあやかりたいところだ。せっかくの新しい技術。それも今後のシルフェニアという国を大きく変えるだろう技術を真っ先に利用させて貰っているのだからな』
ゴーウィル大佐の言う通り、今、ディンスレイが使っているのはシルフェニアにとって非常に重要な技術だった。
オルグよりもたらされた技術。それはワープ技術だけで無かったし、さらにはワープ技術と同じレベルで重要視される技術もあった。
それが今、使っている遠距離通信技術である。
シルフェニアにあったそれは単に飛空艦内部で言葉のやり取りが出来る程度のものだったが、オルグのそれは、声そのものをワープさせる様に、遥か彼方まで自分達の声を届かせ、リアルタイムでやり取りが可能となる。
今でこそブラックテイルⅡ内部の部屋丸々一つと、シルフェニアにある巨大な施設の二点のみを繋げるものでしか無いが、今後、さらに技術の解析と再現が進み、小型かつ生産性が備われば、シルフェニアという国の様相を大きく変えるだろうと目される技術の一つだった。
そうして、現時点ですら、シルフェニアにとって重要な任務を遂行するための道具として使われている。
「ブラックテイルⅡからは以上です。今後の任務遂行に支障は無い状態ですので、サオリ国についてはお任せします」
謎の敵国であるオヌ帝国を追って、南方諸国を突き進むブラックテイルⅡにとって、本国に事後を託す、状況を逐次報告出来るというのは、役に立つという言葉すら越えて、不可欠なものであるとディンスレイは認識する。
何より、シルフェニア本国の状況と繋がった任務であると、この通信を行う度に自覚出来るのは重要な事であった。
『何かあれば……まあ、補給だの何だのは出来んが、相談に乗るくらいなら出来る。専門家の見地が必要となれば、その手の人材だってこっちに呼べるだろうしな』
「感謝します、大佐。現状、そこまでの心配はありませんが……そうですね、時間があれば一つ、相談に乗って欲しい事があります」
『私的な相談を始めそうな雰囲気だが……俺にか? お前が?』
ゴーウィル大佐を頼る事はまだまだあるが、そういえば人生相談なりをした記憶は、大分昔のものになっている気がする。
だが、別にその必要が無かっただけで、相談事そのものを倦厭していたわけでも無い。
「私的かどうかはまだ分かりません。というのも、うちの副長に関してでして……」
『副長……ああ、あの男か? テグロアン・ムイーズ大尉。どうした? さすがのお前でも根を上げたくなったか?』
「まさかです。彼とは上手くやっているところですよ。ですが……そういう物言いをするという事は、彼について、大佐も何かしら思うところがお有りなのですね?」
ブラックテイルⅡの副長であり、ディンスレイの補佐をしてくれている彼であるが、今に至っても謎が多い男であった。
別にその謎すべてを明かして欲しいと思うわけでも無い。誰だって、謎などというものはある。
ただ、何が出来て何が出来ないのか。それは艦長として把握しておく必要があった。
当人が話さず、理解もしていない部分についてを特に。
『元から、随分便利な男だったとは聞いている。外交面に関わっていた事は既に聞いているか?』
「ええ、具体性に富んだ活動の話について聞いていますとも」
昨日訪れた国、サオリ国でかつて諜報活動をしていたという話。きっと、それ以外の国とも接点があるのだろう。表沙汰になったら不都合がある様な接点が。
『それだけがあの男の本質じゃあない。それ以外の分野、物資の調達や軍内部の人事案の提出等、やれと命じたら必要以上の結果を必ず出してくる。だが、抜きん出ているわけでは無い。これがどういう事が分かるか?』
「隠していますね。自らの能力を」
それはテグロアンという男の印象とも矛盾しない。
彼は自らの本音……いや、本質という部分について隠している。ディンスレイが懸念しているのもそこであった。
その隠されている部分が、想定外の状況で爆発しないと、どうして断言出来るのか。
『そう。そういう男だ。俺からの助言があるとするなら……今のうちに、本気を引き出してみる事だ。そうすれば、お前だってあれとの付き合い方を分かって来るはずだ』
「もしかして、大佐が繋げたんですか? 私と彼を?」
『国にとっても有事だ。出来れば、刺激的な解法を俺も用意しなければならんかった。その結果は、良いものである事を祈りたいところだな。既に用意してしまった以上は』
「まったく、あなたには恩がありますが、愚痴くらい言いたくなりますね、その話は」
『ははは。いいぞ、愚痴の一つや二つ。倍にして返せるくらいの苦労を俺はしているからな』
だからその様な話はしないで置く。きっと、碌な会話にならないだろうから。
「それにしても、ここでの会話が、シルフェニアにとって重要な物だと思うと、どうにも妙な気分になりますね」
『まったくだ。こんな狭い部屋で小さな箱に向かって話しているのが、そんな物だと思いたくも無い』
お互い、冗談みたいな光景の中で、冗談みたいな話を続けている。それを笑いながら、ディンスレイは通信を終える事にした。
シルフェニア側との意思疎通はこれで一旦終わり。今から、ブラックテイルⅡ艦長としての仕事を始めなければ。
シルフェニア本国との通信を終えてブリッジへと戻る途中、ディンスレイは珍しく、何時もは医務室か研究室にいる船医、アンスィ・アロトナの姿を見掛けた。
「船医殿、どうしたんだ、窓をじっと見つめて」
「あ、か、艦長。す、すみません、お、お邪魔でしたか?」
慌てた様子で、廊下の端の窓から離れて、廊下の真ん中で姿勢を正すアンスィ。
言葉に対して行動が逆では無いか?
「別に外の景色を見るくらい、邪魔などと思わんさ。しかし、窓なら医務室にもあるだろう?」
艦の各所に外の状況を見られる窓は配置されているし、廊下の窓より医務室の方が余程大きいものであるはずだ。
「あー、ええっと、ちょ、ちょーっと角度の問題がありましてぇ……か、艦長、あれ、見えますか?」
アンスィが再び窓の方へ寄り、その向こう側を指差す。
窓から見える外の景色。何時も通り、そこには無限の大地と無限の空が映……いや、何時もとは違うものがそこにあった。
空の雲の切れ間に、何かが映ったのだ。
青空と白い雲が5対5くらいの比率の空で、それはじっくり見なければ雲の影としか思えないものであったが、確かに何かがそこにある。
「あれは……何だ?」
「な、何かの構造があるものだと思うんです……そ、それが、雲に隠れて、こ、こう……下側だけ、うっすらと見えている」
「確かに……むぅ。ここからだとはっきり見えんな」
ただ、距離と見えている部分が一部だけだと考えるなら、相当に大きなものに見える。しかし、その全容が分からないので、何とも言えなかった。
「あ、あれ……い、医務室の方で見た時は……も、もうちょっと雲に隠れてなかったんですけど……島……なんじゃないですかね?」
「島……浮島か……?」
浮島。時折、無限の大地から剥がれ落ちる様に、大地の一部分が浮き、空を彷徨い始める事がある。
恐らく、土中に含まれる浮遊石と周囲の環境のバランスがそうさせているのだろう。良くある現象では無いが、幾例か確認された事がある、そういう現象であった。
ただし、その大きさは、大半が島と言うには控えめなものばかりであるはず。
「あれは……もし、雲に隠れている部分を類推するなら、非常に大きなものになるんじゃないか?」
それこそ、島程はあるだろう。少なくとも、これまでシルフェニア国内では見られた事が無い規模の物。
「そ、そうですねぇ……た、確かに、そう見えなくも……い、いえ、ですが、だ、断言はできませんねぇ。や、やっぱり、はっきりと見えないわけですし……」
「なるほど? つまり船医殿は、私にあれをもっと分かりやすい位置で観測するべきだと言うわけだな?」
「え、ええ? い、いえ? 今、ブラックテイルⅡは重要任務の最中ですから……よ、余計な寄り道になってしまうかもしれませんし……」
「ならば、あの浮島らしきものに一切の興味が無いと?」
「な、無いのかと問われれば……あ、有ります。ああいう場所って……せ、生態系や環境が独自の可能性が有って……調べ甲斐があると言いますか……な、何せ他から浮いてますし……?」
「ほうほう」
「な、何か納得した様な声を……どうして……? あ、え? か、艦長? 方針の決定は幹部会議で……のはずですよね? 何か思いついて……すぐ実行だなんて思ったり……してませんよね?」
アンスィに尋ねられ、曖昧に頷いておく。
確かに船内幹部会議での意思決定は大事だ。ブラックテイルⅡを左右する様な方針決定は、会議で決められるなら会議で決める事にはなっている。
ただ、会議を開く暇が無いくらいの緊急事態であったり、会議で決まった方針に逆らわない様な意思決定は、わざわざそれをする必要が無い。
何せ自分は艦長なのだから。
「船医殿が興味を持っている。なるほど? これは丁度良い判断材料になるな。ちょっと今から、考えてみようと思うよ。何をどうするかを」
「か、艦長……? それは自由ですが……わ、私の名前を出さないでいただけるとぉ……」
「よーし。邪魔をして悪かったな船医殿。恐らく、この廊下でわざわざ見つめなくても、もっと観察しやすくなるだろうから、楽しみにしていたまえ」
「か、艦長!? で、ですから私の名前は……出さないでくださいねぇ……!」
そんなアンスィの言葉を背中に受けつつ、ディンスレイはメインブリッジへと足を進めた。
とりあえずブリッジでは、船医のアンスィが面白いものを見つけた様だぞという報告から入る事にしよう。
「反対です。艦長」
メインブリッジに戻り、廊下であった事を報告したディンスレイに対して、だからどうしようと言う前に、そんな言葉が投げかけられた。
こういう場合、そんな言葉を向けて来る相手は誰か、だいたいは決まっている。
「おいおい。私が何をしたいかは、まだ何も言って無いだろう副長」
長丁場になりそうだなと艦長席に座りつつ、隣の副長席に座るテグロアン・ムイーズ副長との会話を始める。
他のブリッジメンバーを横目で観察すると、完全にディンスレイ達の話を観戦するムードだ。
そんなに艦長と副長の言い合いが楽しいイベントに見えるのか。
「何を言いたいかくらいは分かります。その浮島をさっそく観測しようと言うのでしょう?」
「なるほど。副長は正しく私の意見というのを汲み取ってくれているらしい。だというのに反対だと?」
「やるべき事の予想が付いているからこそ、支持しないというのもあります。そも、我々は何のために今、移動を続けています?」
もっと感情的に言ってくれた方が話も弾みそうなのだが、テグロアン副長はこの手の話すら淡々としていた。
なるほど、これは難敵だ。
「個人的には旅を続けているという表現が好きだがね。君はあれを調査する事が、旅の支障になると考えているのかな?」
ディンスレイはメインブリッジからも観測出来る浮島を見た。やはり雲に隠れていて、その全容ははっきりしない。そもそも、はっきりさせるための観測行為について、今、やるかどうかの話し合いの最中だ。
「我々の目的はオヌ帝国を追う事でしょう? シルフェニア本国との通信ではどう言われましたか」
「ま、後方に外交を押し付けて楽しそうな事をしやがってと嫌味は言われたな。こっちだって相応に苦労はしているのだが……特に副長などは今、苦労している」
「それが分かっているのでしたら……」
「自重して、次はどうする?」
現在、ブラックテイルⅡはサオリ国でのワープをしてから、数日のワープ準備期間中であった。
その間にブラックテイルⅡは何をするべきだろうか。
「先の船内幹部会議では、その間、他国との接触を積極的に行うという事でしたね」
「で、その他国はどこにある?」
そもそも、現在、何故雲の切れ間に存在する浮島なんぞを船医のアンスィが発見したかと言えば、他にする事も無かったからだ。
旅を続ける南方諸国家群の領域であるが、すべてがどこかの国の領域というわけでは勿論無い。
無限の大地はその文字通りに果てしないのだ。虫食いみたいにどの国のも属さぬ空白地帯がある。基本的にブラックテイルⅡのワープはそういう場所を狙ってする。
結果として、近くに他国があれば接触すれば良いが、そうでは無く、本当に周囲に国が見つからない場合というのもある。
それが今だ。
「とりあえず、再ワープが可能になるまで観測と艦の整備を続ける……というのが今、やるべき事だろう?」
「その観測とやらが、あの余計な浮島に関わる事だと?」
「余計かどうかも分からない。だから調査してみなければならない。違うか?」
「……」
テグロアン副長は一旦黙った。
言い負かしたか? そうは思わない。この男が黙っているのは、次の攻め手を考えているに過ぎない。
「余計な事である事は分かりますよ、艦長」
「ほほう?」
「これは今の時点で断言出来ます。やる必要の無い事をすれば、必ず厄介事に巻き込まれる。いえ、それが厄介事になる」
「確かに……違わないな」
ディンスレイは笑い出したくなった。この副長はディンスレイの痛いところを突いてくる。
「でしたら、今は変化からは逃れ、休養するべきです」
「ワープした先に、他国と接触するべきだという事に賛成したのは他ならぬ君だったはずだな」
「他国相手も、同じく厄介事。そう言いたいのでしょう? ですが、オヌ帝国というものの情報がそこにある可能性があるからこそ、私は賛成したのです」
「それはあの浮島には無いと?」
「無いでしょう」
「あるかもしれんだろう。それだって分からん」
「……」
次は正気かこいつという目を向けて……は来ていない。何時も通りの、何を考えているか分からない視線で、ディンスレイを観察してくるのみだ。
(値踏みの目線だな。これは)
馬鹿な願いを突き通すタイプの艦長なのか。そうであれば見限ろうか。
だいたいその辺りだろう。ならばここで副長の言葉を無視してディンスレイ個人の意思を無理矢理通すのは、なかなか不味い事になりそうだ。
(別に相手が怖いわけでも無いだろうが、相手から価値の無い人間だと思われるのは沽券に関わる)
艦長としてでは無く、ディンスレイ・オルド・クラレイスという個人にとって。
だからディンスレイは笑って返した。
「厄介事がな、次の道を持って来てくれる時がある。経験則的にだ」
「そんなのはただの―――
「偶然かな? だが、私がこうやってブラックテイルⅡの艦長をしている経緯には、その厄介事に自分から頭を突っ込む性分があったからだ。ここで、そうで無くなる方が得策だと、どうして言える?」
「失礼ながら、私には分かりませんから」
副長の答えを聞いて、やはりディンスレイはニヤリと笑った。
「知りたくないか」
「は?」
「厄介事が何をもたらすか。もしくは……私という個人の判断がどういう結果に至るか。たかが浮島一つ、観察するだけでも、分かるものがあるかもしれんぞ」
「私の、好奇心に期待しようとしていらっしゃいます?」
「無いかな。君に、好奇心」
今度はディンスレイがテグロアン副長を値踏みする番だった。彼はここまでの話で、どういう結論を出すのか。そこが今は気になる。
「……良いでしょう。今日はここまでにしておきます」
「よろしい。皆、副長の許可が下りたぞ。さっそくあの浮島に接近して観測をしてみよう。丁度、周辺に立ち寄れる国が無くて、暇していたところだ」
「あーあ、艦長って口喧嘩が強いんだから」
「別に喧嘩をしていたわけじゃあないぞ? 船内の意思決定を行う上での、大切な話し合いだミニセル君。ところで君は今後、どうするのが適切だと思う?」
なんだったら、今度はミニセルとも話し合いをしたって構わない。暇の潰し方は有って困るものでは無いのだから。
「艦長だって分かってるでしょうが」
「だろうな。君の意見は、だいたい予想が付く」
「癪だけどその通り。ごめんなさいね、副長さん。あたしも、あれを調べてみようって艦長の意見に賛成なの」
「船内幹部二人の判断だと言うのでしたら、文句を続けるつもりもありません」
テグロアン副長のその台詞は、やはり変わらず、感情を見せて来ないものであった。
だが、どういうわけか、若干悔し気な部分があったのは、ディンスレイの気のせいだろうか。




