⑧ 型を抜き貫く
オヌ帝国所属飛空艦『コンキ』。
そのドーム状という独特な形状をしたメインブリッジの中央に座り、その男、アルガン・ドルゴはブリッジから見える景色を見つめていた。
(ほう。次もまた、攻撃を仕掛けるつもりか。諦めないタイプだな、あちらの艦長は)
外の景色。黒いエイを思わせるシルフェニアの飛空艦の姿を眺めながら、アルガンは心の中で呟いた。
別に余裕を持って、優雅にそう思っているわけでも無い。頬から汗を伝わせながら、歯を食いしばり、思考を続けている。
この汗は冷や汗では無く、疲労と焦燥から来るそれである。
そうだ。アルガンは飛空艦の艦長として指揮を取るその集中力の結果、非常な程に消耗していた。
「敵艦、また仕掛けて来るぞ。警戒しろ」
自分が見た光景。そうしてそこから得た情報を、メインブリッジで艦を動かす部下達に伝える。
部下達の人種は、サオリ国の人間のそれでは無く、アルガンとはまた違った外見をしていた。
彼らは正真正銘、オヌ帝国に所属している兵士達である。
サオリ国のワッパーとして生まれたアルガンとは違う。そんな彼らがアルガンに従っているのは、アルガンがその能力を示し続けているからだ。
(サオリ国内部におけるオヌ帝国への内通者。それだけでは無い。俺は)
今、こうやってシルフェニアの飛空艦を相手取れているのは、このコンキという飛空艦の性能のおかげであるものの、それ以上にアルガンの才覚が故だ。
アルガンは相手が何を考えているか、それが子どもの時分から分かる力を持っていた。
元来、サオリ国の人間は言葉だけで無く、身振り手振りで言葉を伝える文化を持っているが、アルガンはそんな彼らを見てこう思ったものだ。
彼らはどうして、そんな無駄な動きをするのだろう。そんなに大げさな動きをしなくても、言葉は通じるだろうと。
それがサオリ国においても異端であると気付かされたのは、少年時代であった。
誰も彼もが多弁で大声を発している。どうしてみんなそうなのだ。ある時、周囲の環境に等々耐えられなくなったアルガンは、自らの両親に訴えかけた。
昔から、実はずっとそうだった。両親は良く泣く子どもだとアルガンを評していたが、むしろどうして他人はそうでは無いのかとアルガンの方は叫びたかった。
あんなにも五月蠅い人々の中で、泣き出しそうにならない人間は、どれだけ厚顔で図太いのかと。
そうして、アルガンの方が折れたその日、アルガンはワッパーと呼ばれる事になった。サオリ国の人間の中でも先祖返りの能力を持った存在。
アルガン自身がそうであった様に、一般社会では暮らす事が出来ない、特殊な……劣った能力。
特定の場面であれば有用にも働くその能力だからこそ、ワッパーはそれが判明した段階で、サオリ国内のある施設へと預けられる事になる。
諜者養成所と呼ばれるその施設は、ワッパーとしての能力を訓練される事から始まり、そうして、それが出来る様になると、何らかの職に就かせられる。
そこらの料理店の店員になる者も居れば、政治を行う者の秘書となる者もいた。心を探るためだ。
(ワッパーは、この国では社会を揺るがす者を見つけ出すための存在となる。それがこの国をこの国たらしてめている。そうするのが生まれてから定められた生き方だった。冗談じゃあない)
ワッパーの扱いの、利用の仕方の、善悪を語るつもりは無い。それはこの国とって必要な機構なのだろうとすら思う。
飛空艦において、船員は各役割を命じられる様に、サオリ国という飛空艦を飛ばすために、ワッパーという役目は必要なのだ。
別にそれは良い。良く無いのはアルガンの感情である。
(俺は……それだけの存在じゃあない。違う価値が、もっと違う才能があるはずだ。それを提供すると言って来たのがオヌ帝国だ。それを受け入れた事に、悔いなどあるものか。あるとしたら……)
ここで自らの能力を発揮出来ぬ事。
正直なところ、今のアルガンに余裕は無い。シルフェニアの飛空艦側は、こちらの手玉に取られていると思っている頃合いだろうが、その結果を引き出すために、アルガンとて相応の体力を注いでいる。
人の心を読むなど、所詮人の身では過剰な力なのだ。本当の意味で精神を読んでいるわけでは無いのだろうが、それでもこの力は、アルガンの寿命とて苛んでいる事だろう。
(だがそれで良い。俺は俺の力でこの世界を満喫させて貰う!)
再度接近してくるシルフェニアの飛空艦。
だが、見えた。
アルガンの耳に、その飛空艦の意図が確かに響いてくる。今度はこの艦にそのまま突撃してくる……と見せ掛けて、直前で止まるつもりだ。
「敵艦、突撃してくるが避ける必要は無い! こちらが避ける隙を狙ってくるはずだ! だが、そこを突く!」
「……!?」
部下の一人が困惑の言葉を上げてきた。あれは止まれる速度では無い。本当に特攻を仕掛けて来ているぞと。
だが、アルガンは笑った。
「俺はあちらの艦の性能は読めんが、それでも狙いだけは伝わっている。あの艦の性能は飛び切りなのだろうさ。俺達の想像を超える急制動が出来る。だが、言葉でバラしてしまった! 俺という耳に対してな!」
上を行ってやる。艦の性能だけを頼りにすれば、アルガンの能力では捉えきれぬと判断したか?
この艦をアルガンが指揮しているという事まで奴らは読んでいたか?
それが事実なら脅威だ。だが、それは受け入れ、打倒するべき脅威だろう。
相手がこの艦にぶつかる直前に止まる。こちらがそれを避けようとする隙を突くために。
それを読んだ以上、アルガンは一つ、この空戦において敵を上回れる。
(さらにその次だ!)
驚異的なスピードで接近した敵艦は、やはり、聞こえた通りに、コンキの前で止まった。
だが、コンキはそれに怯えなかった。だからさらに一つ、先んじられる。
アルガンの耳と目と頭は、敵艦の次の言葉を聞いていた。
「敵艦、攻撃を仕掛けて来るぞ! それは―――
どこだ? 今の体勢から、正面から攻性光線を放ってくるつもりか? いや、コンキが突進を避けるという想定で攻撃を仕掛けるつもりだったのだ。真正面から撃ってくるはずがない。
何か、もう少し角度に自由がある場所に、その攻撃手段があるはずだ。
あの黒い、エイの様な、特徴的なシルエット。
その尾の部分……。
「攻撃はあの尾から来る!」
ならどうする? 耐えるか? コンキはオヌ帝国最新鋭の強化船体フィールド。船体バリアを持った艦だ。生半可な攻性光線ならば耐える強度を持つ。
だが、それでは駄目だと、アルガンの本能が告げていた。
ワッパーとしてのそれでは無く、飛空艦の艦長としての能力がそれを判断させて来た。
「今度は全力で、あの尾からの攻撃を避けろ!」
これで二つ。二つ、敵艦を上回れる。
その二つでもって、敵艦に致命の一撃を加えるのだ。こちらも長時間戦ってはいられない。
敵艦が接近戦という短期決戦を選んで来た以上、それに答えてやる。
その覚悟を決めた瞬間、敵艦尾部から、赤黒い光線が放たれた。
超高出力の攻性光線。それを見るだけでもゾッとさせてくるが、その放ち方も脅威としか言い様が無かった。
敵艦は船体を構成するその尾の部分を、下から上へと曲げたのである。
勿論、その尖端から放たれる攻性光線も下から上へ。
(非常識極まる攻撃だ。そんな奥の手を隠しているなんてズルいじゃないか! だが……!)
コンキはその船体を大きく傾かせた。
だが、それは敵艦の攻撃に寄るものではない。コンキには咄嗟の時、高推力を発揮できる機能がある。オヌ帝国飛空艦の一部に搭載されている機能である。
その推力を利用すれば、咄嗟の瞬間に、艦の角度を大きく変える事が出来るのだ。
縦から横へ。下から上へと放たれた敵艦の攻性光線を、その無茶な回避方法で避け切って見せた。
二つだ! 二つ。これで想定通り、敵艦を上回った。
艦が真横を向いているという無茶な状況から、体勢を立て直す前に、アルガンは指示を放った。
「この瞬間だ! 攻撃出来る全攻性光線で敵艦を貫け!」
「……!」
アルガンの指示に対して、メインブリッジの船員はなんと答えを返して来たか。
それを最初、アルガンは理解出来なかった。
些細な動きからですら、考えを読み取れるアルガンだというのに、その言葉が最初、頭に入って来なかった。
それは、アルガンの指示に対しての返答としては、非常に場違いなものであったからだ。
実際、それは返答では無かったのだろう。
それはただ、目に入って来た光景を言葉にしただけの事。
アルガンもまた、漸くそれを見た。
船員はこう言って来たのだ。
「上?」
アルガンは上を見た。
コンキの、特異な形状をしたメインブリッジは前方だけで無く、上方や下方にも窓があり、そこから外の景色を見る事が出来る。
目で見て、相手の意図を察するアルガンのための艦であるからこそだ。
そうして、その窓から見えてしまった。
避けたはずの敵艦攻性光線は、まだ放たれたまま、次には上から下へと、振り下ろされようとしていた。
「二つ上回っても……まだ足りない……?」
その言葉を発している間に、その攻性光線はコンキを上から下へと切り裂いていく。
敵艦の攻性光線はアルガンの読み通り、コンキの船体バリアを貫ける威力を持ったものであった。
ディンスレイにとって、あまり好みでは無い戦い方とは、艦の性能で相手を上回る事である。
相手を圧倒する戦い方というのは、その属性自体が好ましいと思えない性質なのだ。
(自分側が不利に慣れている……だけかもしれんがね)
ブラックテイルⅡの尾部攻性光線を叩きつけられたオヌ帝国飛空艦が、無限の大地へと沈んで行く光景を見つめながら、ディンスレイは内心で呟いた。
そも、命の取り合いである飛空戦において、手加減する事など以ての外である以上、好みかそうで無いかは些末事である。
だが、それでも少し、心が痛むのは、ディンスレイはそもそも、この様な戦いを本分とはしていないという意地があるからかもしれない。
「一応、メインブリッジへの直撃は避けたんだから、不時着出来るかもしれないわよ、あの艦。こっちとしては、それが精一杯なんじゃないかしら?」
「……かもな。ミニセル君」
ミニセルなりに、ディンスレイを励ましてくれているのだろう。だが、聞く人間が聞けば贅沢な話だと笑われてしまう。
少なくとも、不要な手加減をして自分達がやられる可能性だってあるのだから、敵を打ち払った事を後悔するべきではないと。
「実際、見事でした艦長。この艦であの攻撃をする事を選んだ時、あなたの頭の中では既に勝敗が決まっていたのですね?」
ディンスレイの後悔など知らないとばかりに、テグロアン副長はディンスレイの手法を評価してきた。
「まあ、な。いや、待て。相手がこちらのすべてを読んでいたのだとしたら、それも難しかったろうさ」
「ですが、現実はあなたの勝利に終わった。私の見立てでは、相手艦はその能力から、二手先までこちらのやり方を先読みしていた様ですが、あなたは三手先まで勝利の手段を置いた。そこに感服します」
「四手だ」
「ふん?」
「今のが避けられたとしても、もう一手、勝ち筋があった。でなければこちらの心を読む相手に正面から挑まん。勝利に挑む瞬間とは、本来そうで無いとな」
「……」
じっと、こちらを見つめ続けて来るテグロアン副長。彼がディンスレイをどう評価したのかは分からないが、ディンスレイにとっては、やはり素直に喜べないと感じる勝利であった。
(贅沢な悩みさ。一方的に勝ちを選べたという事に、罪悪感を覚えるというのはな。だが……これが私なりの矜持だ。外面には出さんから、それくらいは許して欲しいね。勝者側の特権というやつだ)
少なくとも、あの落下していくオヌ帝国飛空艦においても、生き残りが多くあれ。そう祈るくらいの権利は、ディンスレイにあるはずだろう。
「主任観測士、敵艦の落下を確認しました。街を外れているのは幸運ですかね。艦長、この後はどうしますか? 敵艦はとても戦闘を再開できる状態じゃあありません。こっちはまた空港に戻りますか?」
テリアン主任観測士の言葉で、再び現実について考える場面がやってきた。
顔を上げ直し、ディンスレイは顎に手をやった。
「この後どうするか……か。少しばかり考える必要が―――
「あっ、その空港から接近する飛空艦があります。サオリ国所属の飛空艦ですっ」
ララリート補佐観測士が矢継ぎ早に報告を入れて来た。
「遅い到着ってところねぇ。あたし達の飛空戦に参加してくれても良かったんじゃない?」
「無茶を言うなミニセル君。あの飛空艦は見た目こそ奇抜だが、そこまで高性能じゃあない。さっきの空戦に参加していたら、真っ先に落ちていたのはあの艦だったのかもしれんのだ」
そうして、そうなった時、外交上厄介な事態にもなるだろう。他国の飛空艦同士の空戦に巻き込まれて、サオリ国艦が撃墜されたとなれば、シルフェニア側の責任となりかねない。
結局、あの艦を蚊帳の外に置けたというのは、今、並び立てられる状況の中では良い事であると評価する。
「とりあえず、向こうの艦はまた空港に行けって顔を光らせてますね。あれ、結構便利だな……うちの艦も取り入れたらどうです?」
「顔を付ける必要は無いが、何らかの信号を外部に発するのは良い事かもしれんな、主任観測士。ただ、そのまま指示に従うのは……ちょっと待ってくれ。確認したい事がある」
最後の言葉は、テリアンに返した言葉では無く、メインブリッジ全員に対してだった。
何事だとディンスレイを見つめて来る彼らに対して、ディンスレイは機関室に通信を繋げた。
「整備班長。空戦が終わったところ申し訳ないが、以前聞いた話だと、ワープが可能な時間帯じゃあないか、今は?」
『こちら機関室。って、は? いえ、まあ……可能な状態は維持してますが……』
通信を繋げた向こう側からも、困惑の声が返って来た。ガニ整備班長と言えど、やはりディンスレイの意図は理解し難いらしい。
「とりあえず、嘘も方便もいらんから答えて欲しい。安全に……ワープは出来るか?」
『ええっと……ええ。さっきの戦闘でダメージはありましたが、ワープするための機構に損傷はありません。艦内でもとびっきり頑丈に出来てますからね。けど、なんでそんな事オレに尋ねてくるんです?』
「了解だ。整備班長。そのまま、ワープが可能な状態を維持してくれ。すぐにそれを使う事になる」
『なんですって? ちょっと、艦長!?』
一旦通信を切ってから、正気かこの艦長という目を向けているメインブリッジメンバーに対して、ディンスレイは告げた。
「諸君。これから次の予定地点にワープするぞ」
「正気ですか? 艦長」
真っ先にそれを疑ってくるテグロアン副長。なるほど。今の立場に慣れて来た節がある彼であるが、まだまだ、ディンスレイ当人には慣れていないらしかった。
「勿論、正気だとも。君がもっとも心配しているのが、サオリ国の飛空艦の目の前でそれをする事に対してだというのも、理解した上での発言だ」
ワープ技術はシルフェニアの秘匿技術。他国の人間が見る形でそれを実行するのは、シルフェニアの国家機密を暴露する事にも繋がる。
それをディンスレイがするのかとテグロアン副長は危惧しているのだ。
「それが分かっていらっしゃるなら、何故その様な判断を?」
「ここがシルフェニアに近い場所にある国の領空だからだ。勝手に空戦をした負い目と、今後ともシルフェニアと健全な付き合いをして貰う必要がある。なら、一つ、奥の手を見せておくのも建設的な関係を続けるために必要だろう?」
貸し借り無しか、お互いに同量のそれを持つというのが国と国の関係には必要だ。
こっちはサオリ国に無断でオヌ帝国飛空艦と戦い、向こうはシルフェニアの秘匿技術の一端をここで見る。
そうする事で、お互いに対する負い目を無くそうという魂胆だった。
「しかし……その様な関係を作るためには、むしろここで私達が去るべきとは思えません」
「一理ある。本当にしっかりとした外交をするというのなら、腰を据えてやるべきだ。飛空艦に乗って、オヌ帝国などという名前を知ったばかりの相手を追っている飛空艦がするべきでは無いな?」
「……」
「副長。君の立場として、我々ブラックテイルⅡが好き勝手する事を看過出来ないのは分かる。だが、それを理解した上で言える事は……勿論、我々だって勝手をするつもりは無いという事だ。ここは、シルフェニアにまだ近い国だ。ここまで言えば分かるな?」
「……今後来るであろうシルフェニアの外交官に、後を任せると、そういう事ですか」
満点の答えが返って来たので、ディンスレイは頷いた。
そうだ。今回の作戦はブラックテイルⅡだけが続ける作戦では無い。シルフェニアという国がオヌ帝国とまともに戦うための作戦の、その一端でしか無いのだ。
自分達に出来ぬ事は、後に続く者に任せる。だからこそ、出来る限り、ブラックテイルⅡはその続く者が動き安い状況を作る様に努力する。
それが今、ここでサオリ国相手にワープ技術を見せるという判断なのだ。
「納得してくれたろうか? まあ、それが出来ないというのなら、他のメンバーが向ける視線と同じ物を私に向けてくれて構わんぞ」
「ちょっとー、あたしは別に、そこまで突拍子も無いとは思って無いわよ? 何時ものが始まったと思ってるだけ」
「それって、つまりうちの艦長がまたやらかそうとしてるって事ですよね、ミニセル操舵士。僕はまだ納得出来ないなー。従いますけどね?」
「ほ、補佐観測士としては、勿論、理解出来てますからね? はい!」
メインブリッジメンバー各々の声に苦笑しながら、やはりディンスレイはテグロアン副長を見た。
後は彼自身の意見を聞きたい。そう思ったから。
「後ほど、詳しい話を聞かせていただきたい。よろしいですか、艦長?」
「勿論、よろしいとも副長。では諸君、すぐに始めるぞ! サオリ国の連中に見せてやれ。うちの国の、驚異的な部分をな!」
メインブリッジにおける意見は決まった。
そうしてそれは、ブラックテイルⅡの次に進む先が決まったという事でもあった。
サオリ国での旅はここで終わり、次の旅へとワープを始めるのだ。




