⑥ 戦いの時
「いやー、お二人とも。さすがですよ。良くまあここまでやってくれたものです。こちらの全力をこれ程容易く打ち砕いでくるとは。しかし、これですべて上手く行くなどと思わない事です。我々には、まだ第二、第三の手段が……」
「そう言うのは良いから、さっさとララリート君を解放してやってくれないか。幾らシルフェニア側の意図を探ると言っても、彼女はまだ少女だ。かなりキツいやり方だぞそれは」
突如として逃げ出したサオリ国の兵隊、リグレブを追ったディンスレイとミニセルは、暫くの追い掛けっこを演じたものの、二人対一人という事で、早々に逃げるリグレブを追い詰めていた。
リグレブ側も、時間稼ぎが目的だったのだろう。追い詰められた段階で、素直に諦めて来た。
わざとらしい台詞を吐いた上で。
「むぅ。しかしですね。やはりお二人は客人ですから、それなりに我が国で楽しんでいただければと思った次第で」
「ぐだぐだ言われてもこっちは意味わかんないのよ! 艦長、こいつ何て言ってるの! 無事なんでしょうね、ララリートちゃんは!」
怒るミニセルであるが、走っている間に多少の冷静さは戻って来ているのか、掴み掛かったり殴り掛かったりはせず、怒鳴るだけに努めていた。
実際、リグレブの様子を見ればそれは正解だろう。今の彼を見ても、どうにも敵意が無い様に見えたから。
「か、彼女に伝えてはいただけませんか。我々サオリ国としても、シルフェニアと敵対したいわけでは無い。しかし、その真意を簡単に測れぬのも事実だ。我が国も、少し事情があり、ピリピリとした雰囲気の中にあって、あなた方の飛空艦の動きも謎めいているので、無茶をしたという次第で」
「まあこちらとしても、奇妙な外交の仕方を始めたとは思っているが……こうやって追い詰めた以上は、目的を話す事と、ララリート君の解放をさっさと進めて欲しい」
「確かに、私達側としても、これくらいの時間さえあれば、彼女に軽く質問する程度は出来たでしょうし、解放しても良いでしょうね」
リグレブがそう言ってくるという事は、実際に敵対する意味も、ララリートに危害を加えるつもりも無いらしい。
「そもそも、何故彼女を攫ったんだ?」
「今朝からアルガンと彼女は積極的に話をしていたでしょう? シルフェニア側からも反応があった上で、さらに彼女はアルガンの言葉を……真に理解している様子だった。私達としては丁度良いと言えば良いのか」
「ワッパーについては幾らか知っている。そうして、君らが攫ったララリートという少女は言葉のプロフェッショナルでね。こちらとしても相性が良いと思ったが」
「それです。それなのですよ! 相性が良さそうだ。あなた方はワッパーについてどこまでを知っているのか……心が読める。それは知っていますよね? ですが、何もかもとは行かない。しかし相性の良い相手が、敵かどうかくらいは判断出来ます。相手の仕草を見るだけで」
「なるほど。そのための質問を行うために彼女とそちらのワッパーを二人きりにして、君はその時間稼ぎを」
「ええ。結果として敵対する事も覚悟上ですよ。私から言うのも何ですが、今、こうやって話が出来ているのは幸運です。ですがこちらとしても艦長の命令でして……」
ばつが悪そうに視線を逸らすリグレブ。やはり、こういう仕草を見ても、リグレブは敵対者では無い様に思えて来る。
(相手の仕草を見て考えを読むというこの国の流儀に、私も慣れて来たかな? これは)
以前からそういう技能くらいはあった気がするが、今はそういう事にしておく。
新しい国に来て敵を増やすというのはあまり良い事では無いだろうし。
「今からララリート君と会い、無事を確認すれば、一旦は水に流す。という事でどうだろうか。そちらとしても、ララリート君に君達に害を与える考えが無いと判断出来れば、とりあえずはそれで良いのだろう?」
「なになに? 話がまとまりそうなの? 艦長?」
「ララリート君は恐らく……確認はしなければならんが、無事だと思う。それでも怒りは収まらんか、ミニセル君」
「多少はね。けど、無事を確認するのは賛成。まずはそこからよね」
口論している時間だって無駄な時間と言ったところだろうか。
彼女を真に怒らせると怖いぞ。という意思を込めてリグレブに視線を送ったところ、冷や汗を掻き始めたので、やはり結構伝わるものらしい。
(なんとなく、サオリ国での会話のやり方も分かって来た気がするな……)
その事を喜びたいのであるが、今はその喜びだって後にしなければならない事態だ。
「分かりました。実を言えば、すぐに案内出来る様に、この近くにあるのですよ。攫った彼女を運んだ家が。こちらで―――
リグレブが話し終えるより先に、それは聞こえた。
聞き逃すわけには行かない。それはララリートの悲鳴だった。
「おい! 無事を保障とすると言ったろ!」
「馬鹿な……危害は加えぬという話だったはずです!」
こうもなればリグレブと話をしている時間すら惜しかった。
悲鳴が聞こえて来た方向へと走り出す。反応はミニセルの方が素早く、真っ直ぐそちらへ向かっていたので、ディンスレイはその背中を追う事になった。
「ミニセル君! 一応聞いておくが、荒場は得意かな!」
「今さら! そんなもん辿り着いてから考えるわよ!」
同感だった。武器の一つでも欲しいところであったが、それよりもまず、ララリートの無事を確認し、安全を確保する事。
それ以上に祈りたいのは、彼女の命が失われていない事だ。怪我だってして欲しくないというのが本音なのだ。
(やはり……私は厳し過ぎたのか?)
ララリートが望んでいた事とは言え、やはりこの様な場で仕事をさせるのは早かったのか。大事に守る方が、大人として正しいやり方だったのか。
自身の飛空艦の指揮に対しては後悔なんてしないディンスレイであるが、あの少女の事になるとどうにも違ってしまう。
いわゆる、親バカという事になるのか。これは。
「珍しく不安そうな顔してるけど、今は気を引き締めなさい、ディン! そろそろ悲鳴があった場所に着くってきゃあ!」
今度はミニセルの悲鳴が聞こえて来た。
曲がり角から急に人が飛び出して来たからだ。
その人の顔を見てディンスレイも驚いた。
それはララリートと共に消えたアルガンの顔であったのだ。
「待て! お前がララリート君を……そっちも逃げるのか!?」
現れたアルガンは、遭遇したディンスレイ達を構う余裕すら無い様に、ディンスレイに背中を向けて走って行った。
それも自分の耳を塞ぎながらという奇妙な恰好でだ。
「ええい、追う必要はあるのだろうが、それより前に―――
「ディン! こっち!」
アルガンが飛び出して来た曲がり角の向こうの道に、もう一人、よろよろと走る影があった。
ミニセルはその影に走り寄り、急ぎ支える。
その影はララリートのものであったから。
勿論、ディンスレイも同じく彼女の方を優先した。
「ララリート君! 無事か!?」
「ꡓꡕgjlFjKꡙL! jꡰꡄꡑnꡱqN꡴ꡭ!」
「ララリートちゃん!?」
助けに寄ったミニセルと同時に、ディンスレイはララリートの様子に困惑する。
彼女は意味がまったく分からぬ言語を叫んでいたのだ。
非常に奇妙で、喉を独特な形で動かせば発音出来そうな、そんな何か。
一瞬、気が狂ったのかと思えたものの、ララリートの側もディンスレイ達に漸く気が付き、はっと視線を上げた。
「み、ミニセルさんっ。艦長! わ、わたし……えっと……」
「ああもう、ほら。身体に力入って無いわよ、とりあえず地面だけどそこに座って」
ミニセルは手近な壁に背中を預けさせ、ララリートを座らせる。
ララリートの側はその間も意識が朦朧としているのか、足元が覚束ない様子で、これで良く走れたものだなと思わせて来た。
「走っていた……ララリート君。これは……君があのアルガン氏を追いかけていたのか?」
「え、ええっと……艦長、それは……」
「まだ話すのは無茶よ、ディン。この娘、大分消耗してる」
ミニセルの言う通り、どうやらララリートは疲労している様子だった。外傷などは確認出来ないため、別の何かで体力を奪われたのだろうが……。
「だ、大丈夫……です。この状態ならまだ……話くらいは出来ます。わ、わたし。ちゃんと艦長に報告しないと……」
「あのねぇ、無茶はしないで良いのか。あなたは―――
「いや、確かに報告は優先しなければならない」
「ちょっと艦長!」
「ただし、最低限だ。君が倒れたら意味が無い。なので、あまり無理の無い報告に努める様に」
「えへへ。相変わらず、厳しくて優しいんですね、艦長さん……。は、はい。あの、あのアルガンさんって人……敵国の人間です。敵国の名前はオヌ帝国……わたし達、さっそく発見しましたよ、敵の情報を」
その報告で十分だった。彼女、ララリートは、どうやら危機的状況を生き残り、確かな成果を得た事を示していたから。
そんな彼女の姿を見て、ディンスレイはどうしようも無く誇らしくなる気持ちを、表に出さない様に苦労する事となった。
体力を消耗したララリートをブラックテイルⅡへと運んだディンスレイは、そこでサオリ国飛空艦の艦長、ペグデュラティ・ロルソーンと、街でいったい何があったか、双方ともにどの様な責任を負う事になるのかを話し合った上で、次に船内幹部会議を開く事となった。
サオリ国の街に出て、敵国を探るという任務は、一応、成功したと言える状況なのであるが、それはそれとして、起こった事象が多く、整理をする必要があったのだ。
「と言っても、分からない状態は変わらなくないですか? 敵国をほら、オヌ帝国? そう自称してる連中って事くらいで」
「そう考えるのであれば、主任観測士、メインブリッジからの観測だけでは目が鈍るぞと言わざるを得んな」
ブラックテイルⅡの会議室。既に親しみと慣れを感じ始めているこの場において、さっそく船内幹部各々が意見を述べ始めていた。
主任観測士のテリアンにしても、意見が単なる感想に近いものであったとしても、沈黙を選ばない様になってきた。
良い傾向ではあるものの、その内容については艦長としてツッコませて貰う。
「オヌ帝国は、シルフェニアだけで無く、南方諸国家相手とも敵対している。しかも、シルフェニア相手の様に飛空艦による侵攻だけでは無く、相手国の人間すら仲間に引き入れる狡猾さを見せている。要するに、明確な策略を持った厄介な相手である事がこうして分かったわけだ」
何も分からないという状況から随分と進展したとディンスレイは評価する。一方、その評価を素直に喜べない部分もあった。
「副長からというより、個人的な意見ですが、皆さんの任務の重要性が増しました。今後ともに気を付けて挑んでいただければと思います」
ディンスレイが言う前に、テグロアン副長が先んじて発言してきた。
彼にしては珍しい。
「副長がそう言いだすのは珍しいですな。何か思うところがあるんですかい?」
ガニ整備班長もディンスレイと同意見だったらしく、ディンスレイが尋ねる手間が省けた。
「個人的に……と表現するべきかは分かりませんが、危機感があります。サオリ国内部にオヌ帝国の内通者が居た。それはつまり、シルフェニアにも入り込まれている可能性があるのでは?」
「……」
その想像は、実際に危機感や恐怖を覚えさせてくる。
敵国飛空艦の侵入が、喧嘩相手が殴り掛かって来た恐怖だとすれば、サオリ国で起こった事件は、食事に毒を少しずつ盛られているかもしれないという怖さに近い。
ブラックテイルⅡが早急にオヌ帝国の全容を明かさなければ、シルフェニアが内部から侵食される可能性だってあるのだ。
「そ、その危機が分かっただけ……よ、良かったのかもしれませんねぇ……そ、それにしても、ら、ララリートさんは、良く……その話を聞いて、生き延びる事が出来ましたね……?」
そういうアンスィ船医の言葉を聞くと、今、医務室で休んでいるララリートから、彼女はまだ詳しい内容を聞いていないらしい。
「ララリート君は自らの力で危機を脱したんだ。上等過ぎる行動だよこれは」
「その上等な行動ってのがいまいちその……分からんのですが」
ガニ整備班長の質問に頷く。確かにララリートがした事は、彼女にしか出来ぬ独特なやり方だったからだ。
「彼女はな、悲鳴を上げたんだ」
「悲鳴? ただ悲鳴を上げただけで、なんとか逃げられたんです?」
疑問符を浮かべて来たのはテリアン主任観測士もであるらしい。確かに、ディンスレイの発言は分かり難いものであった。その点はディンスレイ自身もそう思っているから仕方ない。
「ただの悲鳴じゃないって事よ。ほら、ララリートちゃんってスペシャルトーカーでしょう? 個人的に言語学だって学んでるんだから、やろうと思えば、その場で独自の言語とかを作り出せちゃう? そんな感じなのよね。合ってるわよね? 艦長?」
「そうだな。ミニセル君の表現で正しい。彼女は以前より、未知の言語を途轍もない速度で理解し、話せる能力を持っていたが、知識や経験を増やすうちに、即興で誰も話してない言語を作り出したりも出来る様になった。以前にも、役に立つか分からない特技が出来ましたと、私に披露してくれた事がある」
そうして、実際にその特技を見て、ディンスレイの方は戦々恐々としたものだ。
これは末恐ろしい事になるぞと。
「そ、それはすごいですが……逃げのびた事と……そ、そこからどう繋がるんです?」
「この場合、自身を攫ったのがワッパーと呼ばれる、他者の些細な動きや言葉の機微から意味を汲み取れる人種だった事が重要だな? これは便利に見えて、大半が進化の中で淘汰されたものだ。サオリ国内にその手の人種が少ない事がそれを証明している」
「なるほど。分かりました。つまり敵国、オヌ帝国に通じていたワッパーはその弱点をララリート補佐観測士に突かれた形なのですね?」
テグロアン副長がさっそく察してくる。彼自身がワッパーという存在について一定の知見を持っているからこそだろう。
他の船内幹部を見れば、まだ首を傾げているものの。
「うむ。つまりだな、言葉一つで色々察する事が出来る人間が居たとして……その言葉にあらゆる意味が込められていたとしたらどうなる? 頭の中が、ただの一言だけでパンクするのでは無いかな?」
「ええっと……つまり、うちの補佐観測士は、ただ一つの悲鳴をそういう形の言葉にした……と?」
「君の部下はそれが出来ないと思うか? 主任観測士。だが、事実として、その悲鳴にワッパーは逃げ出した。相対した人間が、耳元で大音量を流す以上の不快感や痛みを発生させる力を発揮し始めた様なものだよ。これはワッパー側の言語にララリート君が苦痛を感じていたのと似た現象とも言えるな」
互いに、言語の分野で研ぎ澄まされた才能を持つからこそ、その鋭さが刺さる……そういう事なのだろう。
結果、ララリートを攫った相手は、思いも寄らぬ反撃に遭い、逃げ出す事になった。
咄嗟にそこまで考えを至らせたララリートの勝ちと言える。
「とりあえず、ララリートちゃんに関してはこれくらいで良いんじゃない? 今のところ、ブラックテイルⅡの船員は全員無事。となると次にするべきは、この後どうするかよ」
「サオリ国に苦情の一つでも言いますか?」
「そ、その時間が無いから……い、今があるのでは……?」
テリアンの軽口に珍しくアンスィがツッコミを入れた。アンスィもテリアンの存在には慣れて来たのだろう。
ただ、そんな彼女にしても、慣れぬ相手はまだ居る。
その慣れない相手であるところのテグロアン副長が口を開いた。
「オヌ帝国のワッパー、アルガンという人物を追うべきです。多少我々の行程を遅らせても、彼を捕える価値はあります」
「ま、そもそもそのオヌ帝国を追う旅路ですからな。ワープの準備はそろそろ出来ますが、オヌ帝国の人間を追う事を優先するべきってのは賛成です」
「あたしもそこのおじ様に同感って言いたいところだけど、やっぱりそれをどうするかよ。アルガンって男、どこに逃げたの? 個人的には然るべき制裁を加えてやりたい気持ちだけど」
ミニセルはララリートを攫ったという事への怒りを、まだまだ忘れる気は無いらしい。
一方、やはり彼女の言う通り、どうやって探すかが問題だった。
土地勘の無い他国で、逃げ出した男一人をどう見つけるか。難題の一種だろうこれは。
「サオリ国側でも内通者という事になるのだから、いっそ彼らに任せるというのも―――
「た、大変です! 皆さん!」
ディンスレイの言葉を遮る様に、会議室に船員が一人、慌てた様子で入って来た。
「どうした? 何があった?」
話の途中だぞと叱責する事も無く、ディンスレイはさっそく理由を尋ねる。
この様な瞬間、何よりもまず、船員の言葉を聞く必要がある事を経験則で学んでいたから。
「て、敵国と思しき飛空艦が、当艦に接近中です!」
ほら見ろ。この通り、何よりも早く聞くべきなのだ。
聞いた後は行動に移らなければならない。そんな事態が舞い込んで来る。これが飛空艦での旅というものだろう。
「まったく、話をしている暇すら無いというのは問題ではあるぞ?」
愚痴だって忘れずにしておく。それくらいの猶予はあって欲しいところだった。
メインブリッジへと戻った時、その場所を担当する船員達全員が、二つの驚きを感じる事になった。
一つはブリッジのガラスの向こうに見える、接近してくる飛空艦の姿。
それはサオリ国の特徴的なそれでは無かった。しかし、どこか見覚えのある輪郭をしている。
(あれは敵国……オヌ帝国の飛空艦の姿だ。だが……)
アルガンという男がオヌ帝国からの内通者である以上、彼が逃げ、そうして拠点であろう飛空艦を動かし始めた……というのは驚きであるが理解出来る。
ディンスレイが戸惑ったのは、もう一つの驚きのせいであった。
「ララリート君。君は医務室で休養中のはずだぞ」
補佐観測士の席に、ララリートが座っていたのだ。さらにその仕事を始めようと、目の前の操作盤に対して手を動かしている。
「艦が緊急事態だと思って……簡単な作業ならわたし、出来るくらいには回復しました」
そう返して来るララリートの表情は、悪いものだが、こうやって話が出来る程度には持ち直しているらしかった。
ディンスレイは逡巡する。ここで彼女に、病人は邪魔だと言って医務室へ返す事も出来るだろう。それは一種の優しさだ。
ララリートの体調を考えれば、それを言うべき状況かもしれない。
ただし、今の彼女の意気込み次第ではあろうが。
「足手纏いにはなりたくないと、そんな風に考えているのか?」
「いいえ。そんな風に考える人間だと、本当に足を引っ張ってしまうと思います。わたし……ここに居た方が、艦の役に立ちます。これから、あれと飛空戦を行う可能性だってあるんですよね? わたしが少しでも助力すれば、ほんの少しでも、勝率を上げられると思います。なら……生き延びる可能性もほんの少し、高くなります……よね?」
「……分かった。君は君の仕事をしろ」
「艦長!?」
ミニセルはそれでもララリートを帰らせたい様子だが、ララリートの返答はここに居る理由を明確に示したものであった。
今は緊急事態。猫の手でも借りたい状況ではあるのだ。それくらいの存在感はあると船員自身が示した以上、休ませる必要は無い。
もっとも、本当に良いのか? という視線をミニセル含め、他の船員達から感じ続ける事になるだろうが……いや。
「いいんです。ミニセルさん……いえ、操舵士。わたし、夢があるんです。その夢のためには、少しだって甘えては居られない。ここに居る理由はさっき言った通りですけど、わたし自身の夢のためでもあるから……」
ララリートは自分に関するメインブリッジ内部のギクシャクした空気くらいは、自分で解消するつもりだった。
なのでディンスレイは黙り、自らの仕事の場所である艦長席に座る。
「夢って……前から言っているけど、あなたのそれ、どんなものなの?」
ミニセルの方は自らの席に座りながら、ブラックテイルⅡが飛び立つ準備が整う間、ララリートに話し掛けていた。
「はい。笑わないでくださいね? わたし……飛空艦の艦長になりたいんです」
「……」
メインブリッジにララリートの言葉が響く。
確かに、聞く時や場所を選べば、笑われそうなそんな言葉。
だが、この緊急時に言う以上、それが冗談でも何でも無く、ララリートの本気である事は全員に伝わったろう。
「……それ、僕より先になるつもりかい? ララリートさん?」
「ええ!? 主任観測士も同じ夢を持っているんですか!?」
「そりゃあそうさ。飛空艦の、それも船内幹部にまでなってるんだから、いっそ艦長にもなりたいって思うけど……なるほど、ライバルがすぐ近くに居たか」
テリアンの軽口で、少し引き締まった空気が緩んだ。
このテリアンの調子があるから、彼を船内幹部に選んだのだ。ララリートの決意表明も、緊急時だという現実も、ひっくるめて、空気を軽くし、さてこれから気分を切り替えてやるぞという状態にしてくれる。
「観測士二人とも、現艦長からのアドバイスだ。観測士は艦の目として働く以上、もっとも多くの情報を集められる。艦長を目指すなら、抜群の立場だ。既に幸運を手にしていると言って置こうか」
ディンスレイもまた、今の空気に乗った。
オヌ帝国の飛空艦は接近し続けている。明らかにブラックテイルⅡに対して戦闘を仕掛ける気だ。
だからこそ、今の空気に乗るのだ。
「艦長、オヌ帝国艦に対しては」
「副長、大丈夫だ。そろそろ整備班長がブラックテイルⅡの機関室に熱を入れる。これはな、指示なんぞしなくてもやってくれるものなんだ。だからこっちは、ただその瞬間に指示するだけで良い」
実際に、ブラックテイルⅡの機関が動き出す微振動がメインブリッジにも伝わって来る。
『艦長、こっちの準備は完了だ。何時でもこっちは飛び立てる。あとはそっちの指示待ちですぜ』
ブラックテイルⅡのクリアな音声を伝えてくれる通信機器より、ガニ整備班長の声が聞こえて来た。
「ほーら案の定だ。整備班長、了解した。すぐに指示を出す。メインブリッジ諸君も、準備は良いか? 艦内すべてにも通信を繋ぐ」
ララリートの決意表明も、彼女の現在の疲労に関しても、何時の間にかさて置かれている状況。
今はきっと、それで良い。一度決めた以上、艦内すべてが、今は一つの意思によって動く事になるのだから。
「諸君。本艦は今、敵艦の襲撃を受けようとしている。私の予想では、すぐに飛空戦が始まるだろう。覚悟しろ? ブラックテイルⅡ始めての実戦だ。その艦の性能を、全力で発揮してやろうじゃあないか! いくぞ! ブラックテイルⅡ、発進!」
黒いエイが、多くの夢や意気込みを背負い、その二つの翼で飛び立っていく。
その夢の続きを見るために、今、ディンスレイ達ブラックテイルⅡは戦うのだ。




