⑤ 言葉を多く聞く者
「結局ね、何か考えがある事は分かるんだけど、その理由が分からないままだと、あたしだってフラストレーションが溜まる。それくらいは知って置きなさいね、艦長」
二日目のタギギの街。今日は朝から街を回る事になったわけだが、そんな道の途上で、ミニセルはやや怒りを含んだ言葉をディンスレイへと向けて来た。
昨日、街の主要な箇所の半数を見て回った結果、今日は時間に間が出来た。その間に、ミニセルはそっと近づき、自分の感情を吐露してきたわけである。
「分かっている。君が気にしているのはララリート君の事だろう。今、現在進行形で無理をしている事くらい、私だって分かっているよ」
ディンスレイはちらりと、自分達の後方を歩いているララリートと、その隣にいるアルガンという男を見た。
昨日とは違い、二人は何かを会話している様子だった。いや、だが、それは会話とは言えないかもしれない。
ララリートが話しかけ、アルガンが短い返事のみを言葉にする。その光景だけならば、まだ会話と表現出来たろうが、ララリートの表情に血の気が無く、一方で冷や汗の様なものを流し続けている。
今にも倒れそうな姿のララリートを見れば、彼女がしているのはただの会話だと表現し難い部分があった。
「ララリートちゃんがどうしてあそこまで必死になるのか。それだって分からないけど、あなたが受け入れているのも分からない。いい加減に話をしてくれないと、この場を無茶苦茶にするわよ、あたし」
「……それは怖いな。だが、安易に話す事も出来ない」
「どうしてよ」
「ララリート君自身の意地があるからだ」
自分一人だけの問題だというのなら、今すぐにでもララリートを保護したい。それこそがディンスレイの本音だ。
その本音を曲げているものこそ、ララリートなのである。
「私の強制や期待。それだけで彼女はここまで頑張るものか? 違うだろう? 彼女が何かを……それこそ命だって賭けているのは、彼女自身の意地があるからだ」
「……それは、薄々分かっちゃあいるけど」
まだ納得出来ない。そんな様子だった。
ララリート自身の意思を無視できないと思っていても、それ以上に感情が先んじそうになる。そういうミニセルだからこそ、ディンスレイは彼女が居てくれる事に安心する。
「もし君が、それでも動きたいと思うのであれば、私は―――
「お話し中失礼しますよ。少々、話をさせて貰いたい」
ララリートとアルガンが話をしている間に、もう一人の監視役であるリグレブはディンスレイ達を相手にする様子。
だが、その様子は昨日とは違っていた。
一応の案内役をしているリグレブであるが、その部分への積極性が無くなっている気がするのだ。
ララリートがアルガンと話し始めた段階で、何か……やるべき事が変わったと言った風である。彼女らの会話を邪魔するつもりでは無い様子だが。
「リグレブ殿。今日はどこへ我々を連れて行くつもりなのかな?」
ミニセルとの話を一旦中断し、リグレブへと意識を向ける。
少しばかり、幾つかの意味を込めたその問い掛け。サオリ国の人間程に、自らの挙動に意味を込められぬ我が身であれど、言葉の使い方についてはディンスレイ達側とて相応に技能がある。
今、ララリートが自らの能力を振り絞っている間、ディンスレイもこのリグレブから、何かを引き出すべく全力を尽くすべきだ。
「ふむ? ディンスレイ殿はどこをお望みですか? 我が国はシルフェニアよりは狭いとは言え、見るべき場所は多くある。あなたはその内、どれだけの物を見たいと望んでいらっしゃるのか」
「そろそろ、街の外面だけで無く、内側も見たくなってきた頃だよ。美しい景色だけを見たくて、わざわざ他国に踏み入れたわけでは無い事を、いい加減そちらも気付いている頃だろう?」
「さて、出会ってまだ二日目で、どこまで分かるものなのか……だが、こちらもあなたを知りたい。それは事実ですよ」
お互い、まだ肝心の部分に踏み込まない会話。時間があり、余裕だってあるなら、こんな間合いを測る様な会話を続けても良いだろう。
だが、今はどちらも無い。ならばさらに踏み込んでやろう。いっそ、敵国についての話題を出して、反応でも探ってやろうか……。
「艦長」
「なんだミニセル君。今さら、無茶をするななどと止めるつもりか?」
「違う! ララリートちゃんが!」
「……っ」
立ち止まり、振り返る。
さっきまで居たはずのララリートとリグレブの姿が消えていた。
何時の間に? 警戒を解いたはずは……いや……。
「君か、リグレブ殿……!」
「会話とは要するに、相手に隙を作るものでしょう? ですが安心してください。彼女に危害を加えるつもりは無い」
「何言ってるかわっかんないけど……信用出来ない事を言ってる事は分かるわね、艦長?」
ミニセルが目線を鋭く、敵意をリグレブに対してぶつけ始めた。
もはやディンスレイとてそれを止めない。いや、むしろ彼女と同じ目をリグレブに向けていた。
「こちらの意図に気が付き、接触を計って来たのはあなた達の方だ。それとも、今朝からのララリートという少女の様子。あれは私の方の勘違いでしたか?」
「……それが会話に収まる内は、我々とてそれに乗ろうじゃあないか。だが、それが変わるというのならば———
「安心を。それこそ今、あのララリートという少女とこちらのアルガンは話を続けているはずです。それが我々の目的でもありますので」
「その場において、我々は邪魔だというわけか?」
「そう思っていただければ結構。だからこそ、今、こういう状況を作り出しました」
なら、今頃、ララリートは彼女自身の戦いを始めているという事だろう。
「ねぇ、艦長。やっぱりこいつの言ってる事分かんないし、とりあえず捕まえて縛り付けようかしらね、あたしの方は」
なんなら、交戦も辞さないという様子のミニセル。勿論、ディンスレイはそれを止めるつもりが無かった。
「参ったな。こちらとしては荒事は苦手ですし、そのつもりもありません。あなた達とて、あの少女とこちらのアルガンを対話させようとしているのでしょう?」
「かもしれんがね。やり方というものもあるだろう?」
「なら、こちらもやり方を選ぶとしますか……昨日出会ったばかりで何をと思うかもしれませんが……あなた達は無差別に人を襲う人間では無いでしょうし!」
「あ! ちょっと、逃げたわよ!?」
リグレブは身を翻して街中を駆けだした。
咄嗟にディンスレイ達も彼の背中を追う事になる。
(だが、これは乗せられちゃあいないか? 向こうの方が土地勘がある。そんな中で追いかけっこだと……?)
頭の中に、まんまと罠に嵌まってしまっているという懸念を抱えながら、それでもディンスレイとミニセルは走り続けた。
今はこれくらいしか出来ない。本当に、ララリートが上手くやってくれる事を祈る他無くなってしまったのだ。
意識を失っていたのか?
突然、視界が黒くなったと思ったら、何時の間にか自分には妙な部屋の中に居た……と、ララリート・イシイは自分の立場を認識した。
どうやら柔らかいクッションの上に転がされていたらしく、身体をなんとか起こす。
自分の身体の動きは鈍く無かったが、それでも頭痛がした。
(これ、眠らされたからっていうより、こうなる前からこんな感じだったかも……)
部屋を見渡しながら、自分の状況を整理していく。
確か、タギギの街を歩きながら、アルガンという男の声を聞き続けていたはずだ。
その言葉は短く、意味とて単なる返事にしか聞こえなかったが、それでも耳元で大音量の音楽を聴かされ続ける様な、そんな衝撃を受けるものであった。
耳というよりは脳を直接震わせてくる様なその声に、徐々に消耗し、視界がぼやけ、頭痛が酷くなって行ったタイミングで自分は……。
「やっぱり、気を失っていたんだ……なら、ここはどこ?」
土壁と松明で飾られた部屋。部屋の中で火が焚かれているというのに、どこかひんやしりとした空気が漂っている。
視界についてはぼんやりとしたまま。自分の意識がはっきりしていないというより、松明からの煙で部屋の中が薄っすら包まれているからだろう。
その匂いは独特ではあれ、不快感は無い。何かの香草が混じっているのか?
「起きたか。調子はどうだ?」
どこからか、声が聞こえて来た。
その声には聞き覚えがある。というより、嫌でも憶えてしまったと表現するべきか。
いったいどこからこの声は聞こえているのか。立ち上がり、姿勢を正し、部屋の中を探り始めるララリート。
「おっと、俺を探さない方が良い。俺の姿を見れば、また倒れるぞ?」
「急に……沢山喋る様になった。ここに来る前はあんなに喋らなかったのに」
この声はアルガンというサオリ国の兵隊の声だ。
部屋はそう大きく無いものの、視界がはっきりしないせいで、声の発生源がどこか分からない。
一方、その声を聞いても、多少五月蠅いなと感じる程度に抑えられていた。
「沢山喋るのは、キミがそれで倒れなくなったからだ。俺が姿を見せない限りは、キミが俺の言葉でダメージを受ける事は無いだろう?」
「……気を使ってくれてどうも」
素直に感謝を言葉にしておくが、納得したわけでは無かった。
今、ここにディンスレイ艦長やミニセルが居ないのはどうしてだ? 情けない話だが、自分が気を失って倒れたというのなら、彼らは自分を心配して見守ってくれている事だろう。
そうでは無い光景が今ここにあるという事は……。
「気を使って、わたしだけをどこかに運んだ事は、どうもって言うべき?」
「言わなくても良い。表現が上手く伝われば良いが、キミは俺に攫われた。感謝するというのも変だろう」
変なのは、ララリート側の言葉の理解の仕方か、それともアルガンという男の思考か。どちらかはまだ判断が付かないものの、自分はまったく安心出来る状況じゃあ無い。それは分かる。
「どういうつもりなのか……聞けば答えてくれますか……?」
焦りそうに、泣きそうにもなっている心を、なんとか奮い立たせた。
そうしてむしろ相手に太々しく尋ねるのだ。これはララリートがディンスレイ艦長を見ながら学んだ交渉術である。
弱弱しい態度は、一旦不利となった状況においては何も得る事が出来ない。
やるべきなのは、例えハッタリでも何か戦える手段があるぞと相手に示す事。
「俺としては……むしろキミに聞きたい。確かに、こちらから接触を誘ったが……まさか俺の言葉をあそこまで理解し、さらに衝撃を受けるまでの人間は、サオリ国にだって居ない。キミは何だ?」
「……きっと、あなたと同じ、特殊な能力を持っている。それだけ」
どうやら、アルガンはスペシャルトーカーという存在を知らないのだろう。
一方でララリートもアルガンの力がどれ程のものか。それをまだ判断出来ていなかった。
その言葉には力がある。それは分かる。だが、言葉を理解する者を不快にするだけの力だというのなら、あまり良いものとは言えないだろう。
「今の状況が、キミにとって不快な状況である事は分かる。だが、こちらにも事情があってね。敵意は無い。ただ、サオリ国の現状が、そちらの様な来訪者にとって、慎重になり、一方で積極的にならなければならないんだ。そのために俺の様な人種が接触を命じられた」
今朝、テグロアン副長から説明を受けた。
ワッパーと呼ばれる、他者より多くの意味をその言葉に、その動きに持たせる事が出来る人種。
だが、そういう人種が何故、ララリート達と接触する必要があるのか。それが問題だ。
「普通に話せば良いじゃないですか。あなたの言葉がわたしにダメージを与えるっていうのなら、他の人がそうすれば良い、どんな事情があったって―――
「こちらは謎の勢力に襲われている」
「……」
漸くララリートは黙る事になった。
ディンスレイ艦長達の狙いは当たった事になるのだろうか? それとも、まったく関係無い事象なのか。
何にせよ、例の敵国について、何かが動き出したという予感がララリートにもし始めていた。
「正確に言えば、根を生やされていると表現するべきだろうか。我が国に不法に侵入して通り過ぎていく謎の艦が既に何度も目撃されていてね」
「あなた達の国でも……?」
「も……か。その言葉に嘘の意味を読み取れない。つまり、こちらが敵だと考えている相手について、あなた達、シルフェニアもそう考えているという事か?」
「それを探るために、あなたはわたし達に接触した……んですね?」
ララリート達側がそうである様に、アルガン達もそうかもしれない。そういう予感が、今、実際の話に変わったのだ。
そうだ。もし、敵国の飛空艦がさらに遠くから襲来しているのならば、サオリ国とてその脅威に晒されているはずだ。
「あなた達はどうなんだ? どうしてその事を話題に出さない? こちらを警戒しているのか、それともあの飛空艦こそ、あなた達のそれなのか」
「違う。むしろわたし達の国こそ襲われている側……って言って、分かるものなんですか?」
「……俺は、心が読める」
やはり……というべきなのだろう。
ワッパーと呼ばれるサオリ国の人種は、多くの意味を身振り手振りに込められるのと同じくらいに、相手の挙動と言葉から、対象が何かを考えているのか、その意味を読み取れる。
それほどの能力を持っているのだろう。サオリ国の人間にそもそも、勘が鋭い程度の能力があるらしいから、さらにそれを高めた形になるのだろう。
そんなワッパーであるアルガンがララリート達に接触している理由こそ、相手が嘘を言っているか、本当の事を言っているかが分かるから……という事なのかもしれない。
なんとなく、ララリートにはそれが分かった。
(たった一言、声を発するだけで、わたし自身を苦しめて来る。それくらいに、言語の意味を、本能的に多く扱える人種なんだ。だったら、自分に向けられているそれだって、同じくらいに読み取れる)
真に心が読めているというよりは、話をする当人が無意識に発している仕草や声色から、その真意が伝わるのだろう。
そうして、ララリート達が敵かそうでないかを判断する。そのためにこそ、彼はここに居る。
「なら、わたしの言葉を聞いていれば分かるはずです。わたし達シルフェニアは、シルフェニアを襲う正体不明の飛空艦がどこから来るのかを探るためにやってきました。あなた達がその正体じゃあなく、さらに同じ敵に相対しているのなら、協力だって出来るはず」
「その言葉にも嘘が無い。なら、確かに協力出来るかもしれないな。だが、こちらの事情だって分かって欲しい。その謎の飛空艦はサオリ国内を無断に航空しているんだ。なのに……それを止める動きすら無い」
「……?」
「分からないかな? 誰かが見逃しているんだ。それを発見し、報告し、警戒すべきだという言葉を、誰かが無視している。もみ消している。いや、首を垂れている可能性すらある。問題は、それが出来るくらいに身内で、権力を持っている存在の、正体すら分からないという事だ」
どうやら、サオリ国側の危機意識はシルフェニアより上の可能性すらある。
シルフェニアは今なお、敵国の飛空艦と戦い続けているのだろうが、サオリ国は既に、内側から食い破られようとしている。
その予感がするから、ワッパーという人種を送り込み、やってきたシルフェニアの飛空艦が、敵か、それ以外か。最悪をもたらしに来たのか、それとも雁字搦めの状況を打破する要素になるのか。それらを判断しようとしているのだろう。
(今、わたしが思っている以上に、今のこの状況は重要……っていうこと……?)
遂さっきまでもそうであったが、今はさらに重荷を背負った様な気がする。
今、本当に、ララリートはシルフェニアとサオリ国の二国の関係を左右してしまう立場なのだ。
迂闊な事を言えば……いや、迂闊な事を言わないのが正解とも言えない。分からない。
それでも……今ここに、ディンスレイ艦長は居なかった。
「あなたが、嘘か本当かを判断出来るのなら、聞きたい事を聞けば良い。それでわたし達に敵意が無い事は分かるはず」
いっそ、アルガン側が判断するべきだ。そういう逃げの言葉がララリートの口から飛び出して来た。
情けなくなるが、この他にどうしろというのか。今、自分はどこかの部屋に攫われて、相手の姿すら見えない。
それに、サオリ国そのものは敵では無いとすれば、抗う必要も無い。
「今のところ、確かに俺はキミ達が敵では無いと思っている。キミ達自身の言動からそれが分かるのが俺だ。だが、謎は残る」
「謎……?」
「キミ達はどうしてサオリ国まで来た?」
「だから……それはわたし達の国を襲う敵国を探るためで……」
「それはどうやって? こちらの準備すら出来ない、奇襲みたいなタイミングで、キミ達はサオリ国まで来たんだろう? 何時ものシルフェニアなら、まだ間に国を挟んでいる。来るというのなら、サオリ国はその動きをもっと早い段階で掴み、準備出来るんだ。だが、今回はそれが出来なかった。何故だ?」
「……」
ブラックテイルⅡはワープが出来るから。
これまであった外交上、地理上の障害を、文字通り一足飛びで解消出来るから。
それを話すべきなのか。そこで漸くララリートは自身に主体性を取り戻した。
安易に話す事が出来ない話題だったからだ。これはララリート個人の問題では無く、ディンスレイ艦長や、ブラックテイルⅡ全体にも関わるものなのだから。
(ワープ技術は……多分、わたし達にとっての一番の武器。だからそれを簡単に明かすなんて……やってはいけない事のはず)
その考えが、漸くララリートに思慮深さを与えてくれたのだ。
今さら遅いのかもしれないが、相手に聞かれるままに答えるのはいけない。例え相手が、ただ自身の疑問を解消しようとしているだけだったとしても。
「何か……形容しがたいものについてを考えているのか?」
「分からないの? わたしの考えが?」
「……」
今度はアルガンが黙る番だった。
恐らく、ワープなんて技術を、相手の挙動だけ言語化するなんて無理なのだろう。だから、ワープについて考えていたララリートの思考を、ただ難しい事を考えているとしか読み取れない。
多分、これが、アルガン側にとっての限界。
(言ってる事か嘘か本当か、あとは簡単な考えしか分からないんだ。うん。当たり前の話だよね。万能な人なんて、どこにも居ない)
ララリートが尊敬するディンスレイ艦長ですら、何かしら欠点がある。卵料理を作るのが酷く苦手だったり、暇な時間に本や話し相手が無いとその場を動き回ったりし始める。そういう欠点だ。
その欠点の部分にこそ、ララリートが付け入る隙がある……と思う事にする。
「今、キミは何か納得したな。覚悟を決めた? そういう言葉が聞こえる」
「うん。確かにそう。今、言える事は一つだけっていう覚悟は出来た」
「それはどういう言葉だろうか」
「わたしは、わたし達はサオリ国の敵じゃあない。それだけを言う覚悟。だって、あなたに伝えるならそれが一番だもの。複雑な言葉じゃなく、単純な意思表示こそ、あなたは真偽を判断出来る。でしょう?」
むしろ、それ以上は必要無いはずだ。それ以上の会話は、もっと別の、複雑な事への決定権を持つ人達が決めれば良い。
今、ここで行われるのも外交であるというなら、下っ端も下っ端なララリートやアルガンが出来るのは、相手が敵かそうでないかを判断する事くらい。
なのに、アルガンはさらに踏み込んできた。
「納得出来ないな。それだけでは駄目だ。キミらに敵意が無い事くらいは、こういう場を作らなくても分かっていた事だ。何を困惑している? 俺達、サオリ国の中にもまた敵がいるというのは伝えただろう? そんな存在がいる以上、こちらは慎重に、そうして深入りもさせて貰う。キミは敵で無くとも、キミ以外が敵の可能性があるわけだからね?」
アルガンの言う通り、ララリートは困惑していた。
アルガンの疑り深さに……ではない。
何故、さっきのララリートの言葉に、アルガン自身が納得しないのかについてだ。
(幾らこの人がワッパーだからって、そこまで望むものなの? わたしの言った事は、こういう状況での正解だったはず。なのにそれだけじゃあ満足できない。これは……本当にサオリ国がそう判断したから?)
一旦生まれた疑問が、さらに頭の中で広がって行く。この疑問に対して、ララリートは早く答えを出さなければとも感じた。
今、ララリートは困惑している。アルガン側がそう読み取っている間に、相手の予想外となる答えを出さなければ、また会話の主導権を握られてしまうだろうから。
(考えて。考えなきゃ。わたしは考えないといけない。それが正しいとかよりも前に、わたしがわたしの夢を叶えるなら、今、ここで考えられる人間じゃないといけない)
酷く自分本位の考えであったが、そんな考えが今のララリートを支えていた。
夢を叶える。
今のララリートには、とても大きな夢がある。その夢のためにこそ、ブラックテイルⅡに乗っている。
けれど……考えすぎてもいけない。膨れ上がった思考は大切なものだが、その中から不要なものを切り捨てる事も同じくらい大切だ。
頭の中のディンスレイ艦長が、そんな助言を語り掛けて来た気がする。
(サオリ国が何を考えているか)
これは不要な思考だ。考えたって仕方ない。ララリートという一船員にとっては雲の上の話に過ぎる。
(相手がわたしに何を望んでいるか)
これも切り捨てる。今度は分りきった思考である。何でもだ。相手が知らず、ララリートは知っている情報なら、きっと何でも欲しがっている。
(この人は、どこまでわたしの考えを読めるのか)
やはり切り捨てた。どれほど読まれたって知るものか。それ以上の思考を今、この瞬間に引きずり出さなければララリートの負けだ。
(どうして、そんなにもここでの会話に拘るのか……?)
残った幾つかの考えの中から、そこに引っ掛かった。
何故、より多くをララリートから、この場所で引き出そうとするのか?
何故、わざわざララリートを攫った? そうしなくても、簡単な嘘なら見抜ける彼が、どうしてここまでお膳立てをする?
ララリートがスペシャルトーカーで、街で同行していた三人のうち、唯一、アルガンのワッパーとしての能力を体感したから?
それは理由の一つにはなるだろう。話が分かりそうな相手とまずは慎重に話す。
だが、今、こうやって二人きりで話が出来た時点で、それ以上の慎重さは必要無くなったはずではないか?
ララリート側はスペシャルトーカーであるが、それは単に、多様な言語を理解出来るという事に過ぎない。
こと、外交上の話ならば、幾ら言葉を理解出来たところで、一般人とさして違いが無い。
(なら、今のわたしを攫ったままの状況は、さっさと解消しないと後に響く……はず)
サオリ国だって、何の理由も無くシルフェニアと険悪な関係になりたくは無いだろう。相手国の人間を攫う。それだけでも相当にリスクある行動のはずで……その攫うという行為にメリットが無くなれば、さっさとララリートを元の状態に戻し、攫った事は謝罪するか、理由があったと弁解すれば事足りる。
だが、アルガンはそれをしていない。むしろ続けたがっている。
(それはつまり……サオリ国側の立場に立って……いない?)
自分はやはり素人では無いか? 考え足らずの夢見がちな少女では無いのか?
そんな考えが頭の中に浮かんで来た。
けど、しかし、やはり頭の中のディンスレイ艦長が言ってくるのだ。
考え抜いた先で、突拍子も無い考えが思い浮かんで来たのなら、存外、その場における大きな武器になるかもしれないぞ……と。
だから……咄嗟にそれを相手に向けた。
「あなた……もしかして、サオリ国内部の敵なの……?」
「……」
また黙り込む。次にどんな言葉が出て来るのか。ララリート側は思考なんて読めないので分かるはずも無い。
だからアルガンの次の言葉を待った。
「不思議だ」
待ったうえでの言葉は、これまでの会話とは繋がりが無いように思える言葉だった。
「そんなに、わたしのさっきの疑問、変だった?」
「いや、不思議だと思ったのは、今のキミだ。いったいどういう理屈で言ったかも分からないさっきのキミの言葉。それが吐き出された瞬間、キミは不安を抱えていたというのに、時間が経つにつれ、それが自信に変わろうとしている。今、この瞬間も」
言われて、自分の中にある思考に後から気が付く。
今、ララリートは自分自身が吐いた言葉に、ララリートの思考は遅れて理屈を付けようとし始めていた。
考えてみれば妙だ。アルガン自身だけで無く、ワッパーという存在がサオリ国内に居るのなら、潜んでいる敵国の人間だって、そのワッパーが探り当てるものじゃあないか?
単純な会話で、嘘か本当かを当てられるというだけでも、どこかに潜む敵を探るのにぴったりな能力だ。
それはサオリ国の強みのはずだ。それでも敵国の人間が国内に潜み、見つけ出せないというのならば……。
「ワッパーの中に、敵国の人間がいる。でなきゃサオリ国だって騙されない。例えば今、ここにいるワッパーだって、敵国の人間かもしれない」
「かもしれない……などと考えてもいない事を言うべきじゃあないな。キミは言いたいのは、断言だろう? 俺が敵国の人間という」
「じゃあ聞き直す。あなたは……サオリ国側に立っていない。サオリ国のためじゃなく、あなた自身のために、ブラックテイルⅡの情報を、わたしから聞き出そうとしている。サオリ国に害があったとしても、そっちを優先している。だからあなたは……」
「オヌ帝国」
「……?」
「潜み、情報を引き出せない場合は、宣戦布告をしてこいと命じられている。シルフェニアは、内部から切り崩すにはあまりにも強大だ。だからそれが難しいなら、正面からぶつかるべきだという考えだな。それに……何時までも敵国呼びでは、恰好が付かないだろう?」
「……本当に言っている?」
「喜ぶと良い。キミが導き出した答えだ。俺ははぐらかすつもりも無いし、正直に認める。そうだ。キミの言う通り、俺がサオリ国内部の敵……毒だよ。まさか本国も、大事に保護しているワッパーが外敵に寝返っているとは思わないだろう。むしろ他国の人間であるキミだからこそ、その答えに辿り着けた。素直に評価できる点だ」
最初に出会った頃の無口さが嘘であるかの様に、アルガンは多弁となっていた。
これがアルガンの正体という物なのだろうか。それとも、冗談を言っているだけか。
(まさか。ここで冗談を言うわけが無い。わたしは……すごい事を知ってしまった)
敵国……オヌ帝国。その名を知った。その国の構成員すらも今、出会ってしまっている。
シルフェニアにとって、謎めいた相手を一気に知る事が出来るチャンスだ。
だというのに、ララリートの心に危機感が湧き続けていた。
これは何だ? いったい自分は、何を警戒し始めている?
「さて、こちらが名乗り、そうしてキミが囚われの状況だとして、何故こうもこちらがベラベラと喋っているのか。その理由は分かるかな?」
「シルフェニアへの宣戦布告、あなた自身がそう言っていたでしょう?」
「ああ言った。言ったが、注釈を一つ忘れていたよ。キミが今、ここから逃げのびられたのなら、そうなっても構わない。勿論、逃がす気は無いが」
それは、会話の終わりを意味していた。
さっきまで姿を隠していたアルガンが部屋の柱の影から現れる。
今、彼は彼の言葉を抑えていた寡黙さを持っていない。
もし、さっきまでの多弁さで、ララリートに話し掛けて来たらどうなるだろう?
その言葉は、確実にララリートの頭の中を苛んでくるはずだ。
アルガンはそれを狙っていた。彼は口を開く。いったい何を喋るのか。それを理解するより前に、ララリートは叫び声を上げた。




