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無限の大地と黒いエイ  作者: きーち
無限の大地と未知なる世界
5/153

⑤ 木と木こり

「つ、つまりぃ、巨大な木を想像してください。そ、それこそ、岩山だと錯覚するくらいに幹が分厚い、そ、そんな木を」

「もはやそれは分厚いと表現するより、広いだな。続けてくれたまえ、アンスィ君」

 ディンスレイは船医アンスィ・アロトナの話を聞いていた。

 そこはブラックテイル号内にある診療室脇にある部屋。船医であるアンスィのために用意された部屋だ。しかも彼女の私室では無く、彼女が自由に使って良いとしている部屋である。

 何故そんな場所を彼女に特別に与えているかと言えば、アンスィには船医以外にも期待している仕事があるからだ。

「わ、私ぃ。こ、こう見えてとても興奮しています。せ、船医以外にも生物学を専攻しているんですが……こ、この規模の植物なんて、は、始めて見たと言います……か」

 ディンスレイはブラックテイル号に乗る人員をその才覚を重視して集めたわけであるが、アンスィも船医の腕は勿論、それ以外にも才能があって雇う事を決めたのである。

 それこそ、彼女が言う生物学の博士号を持っているという部分であり、未知の世界を探検するブラックテイル号には是非とも欲しい人材であった。

 無論、今居る部屋とて、彼女の生物学者としての部分を活かして貰うために用意した研究室であった。

「この岩山……いや、巨大木と表現するべきか。その破片を見ただけで、実際に植物だと分かるものなのかね? 見る限り、というか実際さっきまで、ここは岩山だと思っていたのだが」

 この研究室にディンスレイを呼びに来たララリートからの伝言は、このアンスィからの物であった。大事件だと言う彼女の言葉だったが、アンスィ曰く、大発見であると伝えたはずだとの事。

 ララリートには伝達役の才能は無いかもしれないという評価を脇に置きつつ、アンスィの話を引き続き聞く事にする。

「こ、これが化石化していれば、さ、さすがにすぐには分かりませんでしたぁ。け、けれど、こ、これ、見てくださいぃ」

 言いながら、研究室にある顕微鏡を示してくる。ディンスレイは釣られて顕微鏡を覗き込めば、岩山の破片にしか見えないそれに、確かに植物の細胞壁らしきものが見てとれた。

「これは……まだ生きているのか?」

「い、いえぇ……最近まで、い、生きていたと表現するのが、た、正しいかと」

「最近とは……例えば昨日今日?」

「お、大きさが大きさですのでぇ……百年や二百? そ、それくらい前の事……かもしれません」

 なんとも壮大な話である。これだけの規模の植物と言う事は、死した後に、完全に死に切り、その死骸が変容するまですら時間が掛かるものらしい。

「何にせよ、これは君の言う通り、大発見かもしれないというわけだな」

「は、はいぃ。こ、これまで発見された史上最大の植物は、せいぜいが……という表現もへ、変ですけれどぉ、高層のタワーくらいでしたからぁ」

 今、ブラックテイル号が着陸……この場合、着樹と言うのだろうか? それが出来てまだまだ余裕があるこの植物は、もはや一つの山の大きさを持っていると考えられる。

「喜びたまえアンスィ君。この旅始まって、さっそく君は成果を一つ上げた形になる」

「こ、光栄ですがぁ……そ、それだけじゃなく、か、艦長に判断を仰ぎたい案件があるんですぅ……」

 深刻そうな表情を浮かべる彼女。何時もこんな顔かもしれないが、どこか真剣みをそこに足して来るのが、彼女なりの表情だとディンスレイは最近になって分かる様になってきている。

「船内幹部からの話だ。勿論、何時だって聞くよ。いったい君は、何を見つけた?」

「み、見つけたという話であれば……み、皆さん見ています。で、ですがぁ……あまりにも規模が……き、規模ですのでぇ……どうにもそのぉ……」

 話の展開が遅いのが彼女の欠点ではあるかもしれない。それを受け入れるか、改善を促すかは今後、考えて行かなければならない課題だろうが、今の本題はそこでは無かった。

「率直に言って、船医殿が発見した重要事項とは?」

 ディンスレイが尋ねた結果、漸くアンスィは結論を話し始めた。

 その内容に関して言えば、彼女が言い淀む理由が分かるくらいに、ディンスレイにとっても驚きの内容ではあった。




 夜になると太陽は見えなくなり、代わりに月が儚げに大地を照らし出す。それはこの世界の大半の場所でも同様なのだなと、ディンスレイはブラックテイル号艦内ブリッジの艦長席から外の景色を見つめて居た。

 夜の休息時間。無論、最低限の見張りは必要だが、航空状態では無いためか、それもかなり人数を絞っている。ブリッジに関して言えば、艦長の自分がここに居るからと、他の船員は休みを取って貰っている。

 今頃、艦内の食堂で軽いパーティでも開いている頃だろう。

(長い旅の、まだまだ始まりの段階だ。気を抜けるタイミングは存分に気を抜いて貰いたいものだが……)

 こつこつと、ブリッジに足音が聞こえた。誰だなどとは聞かない。聞き慣れた足音だから、顔すら向けずに話し掛ける。

「コトー。君にも休息許可を出していたと思うが」

「いやぁ、命令に違反するつもりはありませんが、食堂で振舞われた料理から避難してきたところなのですよ」

 そう言って笑う副長のコトー・フィックスの表情が見えたのは、艦長席の隣に並んできたからだ。

 そうしてその手には、一枚の皿が乗っていた。

「一口いかがですかな?」

「君が避難してきた料理をか? そうだな、一口だけ挑戦して……誰だこれを作ったのは……」

 口の中に甘さと辛さと苦さとしょっぱさが調和もせずに一気に襲い掛かって来た。食感は肉団子であり、見た目もその通りだったというのに。

「ララリートさんが挑戦してみた料理でしてね。一応、調理役の船員の方が見守っていたはずなのですが……」

「そうか。調理師役の才能もいまいちかぁ……」

 次は何をさせてやろうかと頭を悩ましてみる。はてさて仕事にも色々あるが、少女に務まる仕事はと言うと……。

「休みを取って居ないと見えますが、何か熱中しておられる事でもあるのですかな?」

 コトーにそう聞かれて、彼らしい言い方だなと苦笑する。

 ここで身体に毒だぞと率直に言わず、当人に気付かせてくるのが彼の昔からのやり口だ。何も言われていないのだから反論も出来ない。

「今夜の見張りが終われば、さすがにじっくり眠る事にするよ。そうする必要がある」

「外の景色を少しでも高いとから見たい。今は休むよりそっちが優先のご様子ですな」

「分かるかな。実を言えば、まだ他の船員に伝えてはいないが、船医のアンスィ君から驚くべき事を聞いた」

 副長のコトーになら、先んじて話をしても構わないだろう。実際、コトーは隣にある副長席に座って長話に付き合ってくれる姿勢を取って来た。

「さて、若はいったい、どうわたくしめを驚かしてくるのですかな?」

「若は無いだろう若は」

「子ども染みた目をしていらっしゃいますよ? 探求心と熱意で破裂しそうな、子どもの頃から変わらない目です」

「……そうもなる。今、このブラックテイル号が着陸している場所は、大きな木であるというのは、まず驚いてくれるかな?」

「確かに驚くものですが、まだそこは序の口らしいですな」

 そうだ。山の様に大きな植物。これがまだ序の口だったのである。誰かにすぐに相談したかったのだが、それよりもまず先に、自分の考えを整理する事と、この興奮を一人楽しみたかったというのがあって、まだ誰にも告げて居なかった。

 これを知るのはディンスレイと船医のアンスィのみ。もっとも、そこに今、副長のコトーを含める事になるのだが。

「この岩山はな、木だ」

「ふん? 大きな植物であるという話と、そこまで違う話には聞こえませんが」

「そうかな? 木とはつまり、そのまま木だろう。大地に根を張り、天に向かって幹を伸ばし、枝を広げ、葉を茂らせる。だが、このブラックテイル号が着陸している場所はどうだ?」

 それは一見、遠目から見てもそれが木だとは分からなかった。草原の只中にある台地の様な岩山としてしか皆、判断出来なかったのである。

 それは何故か。

「なるほど。木と言うには、些か形が一般的では無いと。大きさを度外視するならばですが」

「その通り。ではいったい、この巨大木はどうしてこの形をしているか。実を言えば、そこに関してもやはり、我々には見覚えがあるはずだ。思い出してくれ。さっき言った通り、大きさは度外視してこの岩山を見れば……」

「切り株ってわけね」

 コトーから帰って来ると思った答えが、別の人物の口から告げられる。片手に酒瓶を持った女がブリッジの出入口に立っていた。

 その歩き姿を見れば、もう随分と酔っている様に見える。

「おいおいミニセル君。ブリッジは酒場では無いのだがね」

「今日に限っては酒場みたいなもんでしょ。話したがりで夢見がちな若者と、聞き上手なバーテンさん。違う?」

「いやはや、ミニセル様の言葉は言い得て妙ですな」

 コトーの言葉を笑いながら受け、ヅカヅカとやってきたミニセルは、艦長席近くの手すりに腰を預けながら、酒瓶の中身をもう片方の手に持ったコップに注ぎ始めた。

「で、当たり? ここの正体について」

「……ああ、そうだな。その通りだ。船医も言っていたよ。ここは切り株の上だと。それが意味する事を思って、私は震えた」

 空の方を見上げる。だが、ブリッジの天井が見えた。思いを空の彼方まで飛ばす事が出来なかったので、ディンスレイは再びブリッジから見える外の景色を眺め始める。

「自然に出来た地形では無いと……そういう事ですかな?」

「うむ。何せ見ろ。ここは飛空船を着陸させる事が出来るくらいに平坦だ。ここが切り株であったとして、こんな光景が自然に出来るものか? もしその様な自然現象があればそれこそ驚異的だが、もっと簡単な答えがある」

「……誰かが切ったのね。ここにあった木を」

 そうだとも。ミニセルはどうにも他人様が勿体ぶっている答えを先に言いがちだ。これで勘が鋭く話が早いのだから性質が悪い。

「誰か。そうだとも。誰かだ。ここにかつて、誰かが居て、木を切ったんだ。何らかの技術で」

 尋常ならざるそれだ。ディンスレイ達が所属する国家、シルフェニアにおいても、その様な技術は見た事が無い。

 この巨大木の幹の硬度は、それこそ鉱石と同じかそれ以上のものだろうに。それを、真っ平にする様に切り取り、運搬出来る技術を、この幹を作り出した者達は所有しているのだ。

「……近代に入って以降、わたくし達の国家において無かった事ですな。新種族との邂逅というのは」

 コトーの言う通りだ。

 この世界。無限に続く大地『マグナスカブ』。多様な気候、地形、生態系をその内に蓄え、養い、そのすべてを知る事すら未だ誰も成し遂げていないだろうそんな世界において、シルフェニアという国家は世界を開拓し、生存圏を広げて来たが、それでも、自分達と同等かそれ以上の知性を持った未知の種族に出会えるという事は、国家の拡大期以降では稀な事であった。

 現代に至り、冒険が流行となったとしても、未踏領域で無い場所においては、既に探索出来るものはし尽くしたと言っても良い。

 だからこそ言えてしまう。もし、新しい種族に出会えたとすれば、それは快挙極まるもので、その発見だけで名声は国内に轟く事になるだろう。

「やったじゃない。大きい木とその木こり。二つも新発見よ」

「君が言うと、何てことも無い発見に聞こえて来るなぁ」

「だってぇ。あなただって、国が大発見だぞと認めてくれる事そのものには、あんまり興味が無いんでしょう?」

「……」

 まあ、それはそうだ。他の船員には、そこが重要だろうと言う人間だって居るので口には出さないが、他人の評価に関しては極論、そこまで興味が持てない。

 ディンスレイにとってはそもそも、発見したという事実そのものが心を熱くしてくる。

「しかしな諸君。これは大変な事だ。この幹を作った知的種族はどこへ行った? どうして大事業にも見えるこの光景の傍には誰もない。いったい何を目的としてこれを成した? その答えに寄っては、出会う事それそのものが危険な行為となるかもしれない」

「相変わらず、多弁で言い訳を言葉にする時というのは、何時も他人どころか自分も騙しきれない方ですな、あなたは」

 そう返されると、コトーには勝てないと思う。子どもの時分よりずっとそうだ。

「あらやだ以外。副長ったら、この人の事をむしろ後押しするタイプだったの?」

「いえいえ。危ない事は止めろと、これでも昔は良く言っていた身なのですよ?」

 だが、それを何度も裏切って来た。そんな思い出がある。途中からは呆れられ、最終的には付き合ってくれる様になったのは彼だ。そうして最近は、また別に、ディンスレイの無茶に付き合ってくれる相手が現れた。

「明日までに、結論を出そう。それを他の船員達全員に知らせる。もしかしたら今日の浮かれ気分が、すべて吹っ飛んでしまうかもしれんな」

「楽しみにしておく事にするわよ。ねぇ、副長」

「ええまったく。それが一番、健全な受け止め方になるでしょうから」

 どうにも、ミニセルとコトーは何やら気が合う部分を見つけたらしい。ディンスレイに対する考え方がそれなのかもしれないが、いちいち詮索しないくらいにディンスレイだって大人になっている。

「まったく。私はもう少し、ここで見張りを続けていくから、君ら二人は今日を楽しむか、さっさと休養を取り給え。断言するが、どんな結論を出したって、明日以降も忙しくなるぞ」

「りょーかーい。あ、けどね、艦長。そっちが仕事でこのブリッジに居るみたいな事言うけど、それって違うだろうってあたし分かってるわよ?」

「ああそうだろうとも。さっき副長にも言われたよ。出来れば高いところから、この驚異的な景色を見つめたいだけなのだろうとね」

「違うでしょ?」

 コトーはさっさとブリッジを去ったと言うのに、ミニセルはまだ留まったまま、やはりディンスレイを見つめて来て、コトーとは違う考えを告げて来る。

「違うとは、何が?」

「高いところから見たいんじゃないくて、ここから見たいのよ、あなたは。だって、これからこの船で未知の世界を探検する事が、あなたが望む事なんだから」

「……まったく」

 本当に、他人の考えの結論を先に言ってしまう女だ。

 ディンスレイが明日出す予定の結論を、ミニセルは先に言ってしまったのだ。




「船員の様子はどうかな副長。自分で見て回りたいところだが、どうにも計画の作成と各担当の打ち合わせに忙しくて目を向けられなくてね」

「常々、休んでいただきたいと忠告しているところですがね」

「船員に?」

「あなたにです。ディンスレイ艦長」

 メインブリッジ。離陸準備に慌ただしい光景の中で、艦長席に座り、今後の進捗予定についての最終チェックを行っているところであるが、隣の副長席に座っているコトーから嫌味を言われる。

 今の巨大木の幹に着陸してから二日程経過しており、そろそろまた旅立つ準備という事で、心はまったくもって健全な状態なのであるが。

「軍隊における睡眠時間についての論文は読んだ事がありますかな? 忙しい部署であればあるほど、十分に用意しなければ十分な結果を出せないという結論が出ています」

「確かそれは有事で無い場合という注釈が付いていただろう? 寝る間を惜しんで遂行すべき作戦というものも―――

「今ではありますまい。若」

 怒鳴りはしないが、張り上げた声。副長のそんな声はしっかりとメインブリッジに聞こえた。

 ディンスレイが嫌がる若という呼び方についてもあえて言葉に出したのだろう。外面にはおくびにも出していないが、これはかなり怒り心頭という様子であるのがディンスレイにも分かった。

「分かった。分かった。今から三時間……ああ、いや五時間。五時間程睡眠にあてる。それで良いな?」

「それがよろしいかと。その間のブリッジや船員の管理は任せておいてください」

 それで副長の方が頼れるとなったらそれはそれで困るなと頭を掻きながら、今後は注意されない様に気を付けようと思う。実際、心は元気だが目がふらついている最中だったのだ。

 引継ぎの仕事を一通り伝えて、ディンスレイは艦長席を立った。

 メインブリッジを出て廊下を暫く歩くと、一歩ずつ足が重くなってきているのを思えば、確かに休息のタイミングだったなと自覚する。

(ま、今の心持ちのままベッドで横になって、どれだけすぐに眠れるかは課題の一つではある……が……)

 ふと立ち止まる。思考も止めて、横を見る。もっと正確には横の、さらにやや下側に目を向けて呟く。

「どうかしたのかね。ララリート君」

 何時の間にか、隣に並ぶ様に少女、ララリートが歩いていた。いや様にではない。実際同じ速度で歩いて来たし、今は立ち止まっている。

「艦長さん! お疲れですかー?」

 と、こちらを見上げて首を傾げて来るララリート。疲れていない風に見えていたとしたら、自分の表情も中々ポーカーフェイスだなと思うところだが、彼女がこうやって聞いてくるという事は、疲れている風に見えているはずだ。

「そうだな。かなり疲れているが、じゃあすぐに休めるかと言われれば、雑談でもしてからの方が良いと思っていたところだ。それを提供してくれる船員が居れば良いのだが……」

「はい! はいはいはいーい! わたし、わたし今、すっごい艦長さんと雑談がしたいです! 良いですか? 良いですか!」

 元気に手を上げて、目を輝かせてくるララリートを見れば、多少なりとも話をしてやりたくもなってくる。

 その話が終わる頃、丁度、眠気だって出て来る頃合いだろうし。

「で、どんな話がしたいのかな? 私に答えが出せるものであれば良いが……」

 通路の端で、二人並びながら話を続ける。慌ただしく通り過ぎて行く船員も見えたが、こっちは艦長だ。文句を言われる筋合いは無い。

「あのあの……わたし、どうにもお仕事が上手く行かないんです」

「なるほど。確か今は……ああ、整備仕事の手伝いを任せていたところだな」

「任せて貰って、レンチとかドライバーとか? そういうのを運んでいたんですけど、ガニ班長からもう何もするなって言われちゃいまして」

「それは酷いな。いったいどういう理由で?」

「わたしがそのドライバーとレンチをどうした事かこう、預かっていた分を曲げちゃいまして。なんでですかね? なんでか何時の間にか踏んじゃったり壁に叩き付けたりしちゃって、班長ったら、頼むからもう何もしないでくれって」

「そうか。後で班長にはよくよく、怒らないで居てくれてありがとうと言っておく事にするよ」

 この少女に整備の仕事は確かに難しかったかもしれない。もう少し単純作業を……例えばひたすら蝶々結びを続ける仕事なんかあれば良いのだが。

「わたし、何をやってもダメダメみたいです。みんなの足を引っ張るばかりで、向いてる仕事なんて無いんじゃないかって」

「それは違うな、ララリート君」

 気落ちしているところ申し訳ないが、彼女の発言に関してはきっちり否定させて貰う。この様な勘違いを、何より本人がするべきでは無い。

「君は未熟だろうララリート君」

「は、はい。そうです。そうですけど?」

 きょとんとした様子でこちらを見つめて来る彼女に向かって、ディンスレイは真顔で告げる。

「未熟な者が、未熟な仕事をして、未熟な結果に至るのは当たり前だ。そんな事は当たり前の事として、君に仕事を任せているんだ。私も、他の船員もだ」

「け、けどけど、それだと、やっぱり迷惑に―――

「このブラックテイル号は現在、船員に欠員は出ていない。それぞれ必要な労働力が確保出来ているという事だ。追加の人員に対して、迷惑を感じる者などいるはずも無い」

 他人の世話くらいしてやろうと思える程度の人間性だって、雇う時には見ている。今、彼女が申し訳無くなる事があるとしたら、未熟な自分から成長しようとする意欲を無くした場合だ。

 少なくとも今の彼女からは、そんな態度は見て取れない。

「今の君はな、失敗を恐れずに挑む事こそがもっともすべき事だ。今、何をすれば良いか分からないのなら、私がまた見つけよう……あと、五時間程休息を取ってからだがね。そこは勘弁して欲しい。副長に目を付けられている」

「なるほどー、艦長さんも大変なんですねー。大変で、とってもしっかりしています!」

「そう言って貰えると嬉しい気分にもなってくるよ。私は」

 これで彼女を元気づける事が出来たとしたら、会話をした意味もあったという事である。ただ、ララリートはまだ話をしたい事があるらしい。

「あのー、話は変わるというか、艦長さんや、他の船員さんの話でもあるんですけど……どうして、みんなそんな一生懸命なんですか?」

「仕事は一生懸命するものさ。サボりがちだと給料が減る」

「けど、そういう部分以外にもこー……トークレイズの街の大人の人だって、お仕事はしてましたけど、熱い感じって言うんですか? そういうの、無かったと思います。この船の皆さんと違って!」

「その理由を聞きたいのかな? 勿論、人それぞれに理由があるだろうが……」

 ただ、熱意の理由で一番多数で大きいものというのはディンスレイに分かるものがあった。他の船員だってそれを答えるだろう。

 ただ、ララリートには難しい。そういう理由が。

「わたし、難しい話は苦手ですけど、難しくても聞いてみたいです!」

「なら、とりあえず前段階の説明からだな。ララリート君。君は何故、お金に価値があるか知っているかな?」

「えっと……あ、貴重な金属が使われているからですか?」

「そうかな? 紙幣だってあるだろう? あれは言ってみれば紙切れだ。その紙切れが何故か、物を購入できる。紙と、例えばお腹と満たせる食べ物と交換出来る。その理由は何か?」

「た、確かに難しい話になってきました」

 なら、あまり深く話をするべきでは無いだろう。ざっくりと分かりやすい答えを言ってやる事にしよう。

「答えは、その紙は別の、誰にでも価値があるものと交換出来るという事が保障されているからだ」

「誰にでも……それが宝石とか貴金属とか?」

「さて。それらもまあ価値はあるだろうが、それに価値を感じない者もいるだろう? 地域に寄ればただの石ころだと判断される場合もある。君はサファイアの谷というのを知っているかな。青い色の宝石で形作られた谷が延々と続く場所があるのだが、あそこでは宝石というのは美しいものではなく、転んだら大怪我をする可能性のある危険物だ」

「な、なるほどぉ……それだと確かに、宝石なんて見たくも無いかもしれません」

 実際、その地域では宝石の値段が、サファイアで無くとも下がりがちである。故に単なる資源もまた価値の担保とはならないのだ。

「君も学業を進めれば、学校で自然に教えて貰う事になるだろうが、今ここで知って悪い事ではあるまい。我らがシルフェニアという国において、通貨の担保となる交換物とは、即ち、地図だ」

「地図?」

「そう。この大地の形を描写し、どこに何があるかを示す公的な地図。それこそ、万人に価値がある物であり、国家が管理するそれと部分的に交換できるという保証を通貨に与える事で、通貨そのものにも価値を与えているわけだな」

 正確に説明するならば、もっと複雑怪奇な話になっているが、初等教育で教えられる内容と言えばこうなるだろう。

 現在、学者ですら無限に続く可能性すらあると説を唱えているこの世界のこの大地において、その世界の一部を描き留めようとした地図は、何時の時代、誰から見ても価値のあるものだった。

 シルフェニアだけで無く、その発展の中で出会った異文化、異種族にとっても、大地のどこに何があるかを示す地図は価値あるものとして扱われ、そうして取引の材料とされてきたのだ。

 お前はこの地域の地図を持っているな。私はここの地域の地図を持っている。お互い、何か他に価値のあるものと合わせて交換する事で、取引をしよう。

 そんな事が繰り返される中で、地図とはそれそのものが価値あるものとして考えられる様になった。

「逆説的に、地図とはイコール金銭だ。その価値は精度が高ければ勿論、より大きな金銭となる。だが、地図の中でも、もっとも価値が高い種類のものがある。何か分かるかね?」

「は、はい! なんだか分かって来ました。つまり……誰も知らない場所の地図が、一番価値があるって、そういう事ですね!」

「その通り。良く出来ました。言ってみればな、この事業、ブラックテイル号の旅は、一攫千金の旅でもあるのだよ。船員のうち数名が、地図作成のための人員となっている。そうして作成された地図は帰還の後に国家銀行が国軍を通して買い取り、その報酬の一部が事業の参加者に分配される。無論、旅の最中の成果や名誉とは別にな。やる気にもなるだろう?」

 既に今、ブラックテイル号が居る場所が未踏領域なのだ。ここから帰還しない限り、ブラックテイル号が飛び続ける限り、船員達が受け取る報酬は大きく成り続ける。それが船員達の主なモチベーションになっていると、ディンスレイだって理解していた。

「み、皆さんやる気になってる理由は分かりました!」

「ふむ。後半は難しい話だったらしいな」

「ちょ、ちょっとだけ分かりました……」

 素直で結構。ただの勉強にしたところで、そこまで聡いわけでも無さそうなララリート。それでも、やはり元気が良いのは良い才能だとは思う。

「学ぼうとする姿勢。それは素晴らしい事だよララリート君。君の場合、金銭云々とは関わっていない以上、その熱意は持ち前のものだ。何かを理由にしたものや、誰かから与えられたものでは無い。だから……そうだな。それこそ、君の才能だ」

「褒められて……ますか?」

「ああ、しっかり褒めている。だから誇ると良い」

 彼女の特性だって、そろそろ艦長として知っておくべきだろう。そうして、やはり彼女の成長の助けとならなければ。

「なら、艦長さんだって誇っているんですね!」

「うん?」

「だって……艦長さんも、お金儲けのためには働いてませんよね?」

「何故、そう思う?」

 ディンスレイだって大人だ。もう夢にだけ生きる年頃を過ぎて、世の中、汚いところだってあるし、それもまた社会にとって不可欠な部分もあると理解している年頃でもある。

 そんな自分のどこに、金儲け以外の熱意があるって?

「見てたら分かります! 艦長さんってこう……他の人達と違って、まーっすぐなんです」

「視線がかね?」

 自分の目元からその先へ、すーっと指先を動かすララリートを見てそう尋ねるも、彼女は首を横に振った。

「見てる物がです! 何かって言われると困りますけど、ずっと、なんだかずっと先を見てるから、きっとお金とか、そういう手頃なものを求めてないんじゃないかって、そう思ったんです!」

「なるほどなぁ……」

 彼女の意見が正解とは言わない。彼女が言っている事は、きっとディンスレイ自身だって気が付いていない部分を指摘しているだろうから。

 ただ、彼女の物を見る目というのが、中々に独特な部分があるという評価は出来た。きっとそれも、彼女にとっては得難いものになるはずだ。

「存外、君は私なんぞの想像すら出来ぬ何かを見つけ出すかもしれん」

「ええー! それってなんですか!? わたしってどういうものを見つけちゃうんだろう?」

「ま、それは想像すら出来ないわけだからね。考えると眠くなってくる」

「ああー! もしかしなくてもお休み中でしたね、艦長さんっ。お話を聞いて貰ってすみません……」

「構わないよ。むしろ好都合だったのだから」

 そう言って、ララリートの頭を触れる程度に撫でてから廊下を歩き出す。

「好都合?」

 首を傾げるララリートに対して、笑みと辞儀だけ返してから自分の部屋へと去る。

 これから暫しの睡眠は、気分の良いものになりそうだ。その礼のつもりで辞儀をしたのだが、ララリートには通じていない様だった。

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