④ 集う事は目的では無く準備である
ミニセル・マニアルにとって、自分自身とは根無し草で表現出来る人間だ。
昔から自覚はあったものの最近、それをより強く思ってしまう。
(別にそれで困ってるわけじゃないんだけれど……疲れないってわけじゃあないのよね)
自分用の小型飛空船を駆り、今日とて故郷から遥か遠くの都市で景色を眺めつつ、次はどこへ行くべきかなんて考えている。そんな自分を客観視すれば、疲れもするだろう。
街並が半ば水に沈む青い都市。時間に寄り近くの湖の水位が上がり、都市の一部が水没するという馬鹿げた街なのだが、それ前提で作られた街であるため、むしろサマになり、観光名所になっている、そんなアルアックという都市の景色を見つめながら思う。
(これ、普通の人間なら綺麗だとか、美しいとか思うのよね。そうして、どこか落ち着くなんて事も考えちゃう。あー、疲れたなんて思わない。普通はそう)
頼んだジュースをストローで飲みつつ、なんだか味気ないと思ってしまう。味が無いとか感じないとかで無く、それを美味しいと思う気分では無いという事。
(不思議よね。もっと疲れたり大変だったりする時期があったわけで、その時はこんな事を感じなかった。むしろ……なんだろう。楽しい? そんな事を感じる事が多かった気がするけれど)
街の景色では無く、ミニセルは空を見上げた。屋外に席がある店を選んだ自分だが、景色を楽しむためでは無く、空を見上げるためであったのかもしれない。
あの空……あの空が自分の故郷。いや、違う。たった一年だったけれど、寂しさが消えたのは空に居たからでは無く、あの船に居たからだ。
ブラックテイル号。あの黒く羽を広げた様な飛空艦。
あそこが自分の家だった。そんな気がしてくる。あそこに居る時だけは、どこか感じ続けていた寂しさが消えたから……。
「ああ駄目駄目。何のためにあっちこっちに旅してると思ってるの。前からそうだったかもしれないけれど、今はこう……思い出さない様にするためって言うか―――
「そう寂しい事を言うものじゃあないだろう。良い思い出なら、頻繁に思い出すべきだ」
「あ……?」
言葉が止まった。思考だって止まってしまった。
ただ視界だけが動く。
幻聴や幻覚の類か? そんな事すら思ってしまった。
だってそこに突然現れるなんて事が有り得ない自分がそこに居たからだ……。
「いえ、そうよね。そういう風に現れそうよね、あなた」
「別にこっちも、突然現れたくて現れたわけじゃないぞ。君を探すとなった時、出会える方法が、君を直接追うしか無いんだ。どこぞで待っていても帰って来る人間じゃあないだろう」
その声の主は、以前みたいに、こっちの了承も無く同じ机を挟んだ席に座って来た。
以前はなんだこいつと思ったものだが、今回も同じ様に思ってしまう。
なんだろうこいつは。
「ディン。今度は何? 何か困った事でもあったのかしら?」
ディンスレイ・オルド・クラレイス。
黒い士官服を着こみ、まだまだ若いというのに、大仰そうな喋り方をする、そういう男。
「ああ、実に困った事態になっている。だが、君を頼りに来たわけじゃあないぞ? 困った事態であろうとも、私だけで何とかしてみせる自信があるしな」
「あらやだ。まだ何も話をしていない状況でいきなり強がりから入るのかしら、あなた?」
本題に入らないままだというのに、こういう会話は、どうしてか楽しい。
さっきまで感じていた疲れが、どうしてか無くなった様な気がするからだ。
ディンスレイとの交流ならば、ブラックテイル号を離れた後も手紙でしていたのだが、直接会って話すとなると少しばかり違うらしい。
「強がりじゃあないさ。前にもあったじゃあないか。ほら、前と同じだよ。君を誘いに来た」
「……ほーら。やっぱり何かあって困ってる」
「……困ってない」
困ってるだろうに。
以前とは違って、表情に混じっている感情くらいなら分かる様になっているぞ。
それで? 今度はどういう理由で、こちらの力が必要なのだ?
「正直なところ、誘って良いかどうかすら迷っている。前回と違って、浪漫を追う旅じゃあないからだ。とても大きな問題があるのだよ。その問題をな、解決しなければならない。私個人じゃなく、このシルフェニアという国に関する問題だ」
「……国境沿いで何かあるって聞いてるけど、もしかしてその件かしら?」
「君の耳にも、もう入っていたか」
「空賊が出て暴れてるって話よね? 特別な理由が無ければ近づくなって話」
「賊どころか、敵国だ」
「ほほう。そりゃあまた大事だわ」
シルフェニアは戦争状態にあるという事らしい。その事をミニセルが知らないという事は、多くの国民もまたそれを認知していないはずだ。伊達に国中を飛空船で飛び回っていない。これでも耳聡い方である。
「で、今度は戦争でも始めようってわけ?」
「したいか? 君が、戦争を?」
「悩むところよね。人殺しなんて性に合って無いもの。けれどあなたとなら……それも良いかも」
「本音のところは?」
「あなたが誘ってくるって事は、そういうんじゃないんでしょう?」
実際、誰かと殺し合いなんて、積極的にしたいと思う性質では無い。
そうして、ミニセルがそういう性質で無い事をディンスレイとて知っているはずだ。だからその手の話をミニセルに紹介するはずが無い。
それくらいに、もうお互いの事について知っている仲だ。
「事が事なので、詳細は現時点で話せない。つまりこちらの詐欺の可能性もあるという前提で話を聞いて欲しいのだが……」
「また、詐欺師になるのねぇ」
「これも前と同じ様な状況かな? だが、前回と違って私を追えなんて悠長な事はしないからな。とりあえず……シルフェニアは追い詰められている」
「思ったより大変な状況って事?」
「さっき国境に侵入した敵国と表現したが、それがいったいどこの国か、まだ判明していない」
「……そんな事ってある?」
戦争しているのに戦争相手が分からない。異常事態も甚だしいだろう。良くもまあそれで敵国などと表現したものである。
「国境線に侵入してきている敵国の飛空艦の数や規模、性能からして、背後に国家規模の組織がいるとしか思えない。だが、南方諸国家群連中がそれを探るのを阻害している状況なんだ。敵国の飛空艦はさらにその奥から来ている……と予想しているが、そこからがさっぱり」
「じゃあ、このままだといずれうちが根を上げるわよ」
「だろうな。敵が分からず、一方的に攻撃を受けるだけだ。つまり、その敵国を探る必要があるわけだ」
「新たな冒険ね?」
「そんな安穏としたものではない。これだって、文字通り戦争行為だ。違うか?」
違わないだろう。相手とどう戦うかの手段の違いでしかあるまい。
だけれど、ミニセルは思うのだ。
「私達の冒険だって、安穏としたものじゃあ無かった。むしろ戦争なんかよりもっと危険だったじゃないの。で、今度はそれより過激かもって事?」
「それはまあ……まだ分からん……か」
「ディン。あなただって不安に思ってるって事?」
冗談を言うみたいに尋ねてみる。
けれど、実を言えば、これがミニセルにとってもっとも重要な質問であった。
「……正直なところ、まだまだ手が足りん。いや、人が足りなくてな。どうしたものかと悩んでいる最中だ」
その返答が来た事で、仕方ないと思った。
これが戦争という事は、ミニセルが望む様な冒険は無いかもしれない。むしろ嫌になりそうな事が起こるかもしれない。
けれど、目の前の男が困っていると言うのだ。なら、仕方ないじゃないか。
「乗ったわ。艦長。私の手を貸してあげる」
「自分で誘って置いてなんだが、本当に良いのかね? 慎重に答えなければならない場面だと思うが……」
「詐欺師にね、騙されてるのよ、私。以前からずーっと。今回もそういう事にして置きなさい」
「分かった。そういう事で納得しておこう。ただ……さっき、艦長と言ったか?」
「そうなんでしょう? 艦長?」
また、自分達を艦長として率いるつもりなのだろうが。
それくらいが分からないミニセルでは無かった。
大型飛空艦エイトホール号。雄大な姿をしたその船体の開いた八つの穴の一つにそれは鎮座していた。
その空間の主であるかの様に収まるその姿は、黒いエイに似ていた。
「ブラックテイル級二番艦。名前をブラックテイルⅡと呼ぶ。その名の通り、ブラックテイル号の設計を元に作られたそれだ。始めて聞いた時、光栄さというより、気恥ずかしさが勝ったものだが、君はどうかな? ミニセル君」
ディンスレイはエイトホール号内デッキにて、今なお整備が行われ続けている中型飛空艦ブラックテイルⅡを見つめながら、隣に立つミニセルに尋ねた。
ブラックテイルⅡを一望出来るその位置は、むしろブラックテイルⅡから距離が離れており、その姿を遠目に見つめている状況だ。
「けどねぇ……ブラックテイルⅡ? ブラックテイル……号じゃなく?」
「あの船は、まだシルフェニアの管理下で解析中だ。持ち出しも厳禁。あの艦の技術をシルフェニアが完全に手に入れる時まで、解放される事は無いだろう……が、その技術を手に入れる過程で作られたのがブラックテイルⅡだ。オルグの技術を取り入れたブラックテイル号を再現する様に作られたもので、艦そのものにブラックボックスも多い。作った側が分からないままに作られた部分があるという事だな」
「何それ、大丈夫なの?」
ミニセルに尋ねられてディンスレイは笑って返した。
「大丈夫では無いだろうな。とんだじゃじゃ馬だ。腕の良い操舵士を必要としている理由が分かったかな?」
「有能な艦長でも持て余す艦ってわけね。上等じゃない」
そう。中佐となったディンスレイは、このブラックテイルⅡの艦長に任命された。その後、ディンスレイ自身が選んだ船員の一人がミニセルだった。
前回と同じく、あくまで彼女は軍人では無いが、その前回に、オルグの技術を使ったブラックテイル号を操舵してみせたという部分が評価され、ディンスレイの推薦が思いの外簡単に通ったのである。
「出来れば……前回と同じメンバーを揃えたかったんだが、全部が全部、そうは行かん」
「ま、そりゃあそうよね。今回は軍の任務って側面が強いから、人事が全部、艦長の一存は難しいでしょうし」
「それに……船員達側の事情もあった。あの旅で、相応に成果を出せた者も居ただろう? また危険な旅に同行してくれるという奇特な人間も、そう多くはあるまい」
「なるほどねぇ。そりゃあそうよね。あ、私だってそうよ? 生活に困るなんて無いくらいに貯蓄があるんだからね」
「悠々自適な旅をしている風には見えなかったがな? どこか憂鬱そうだった。それに……そもそも、前回の旅で命を落とした船員だって居る。元通りのメンバーというのは、そもそも無理な話だ」
「なーにまだ引き摺ってるのよ」
ミニセルはそう言って、ディンスレイの背中を勢い良く叩いて来た。
思わず咳き込みそうになるも、それをディンスレイは飲み込んだ。
それなりに、ディンスレイにだって意地があるのだ。
「分かってる。背負いはしても、引き摺るなんてみっともない真似はしないさ。だが、これからまた旅に出るんだ。感傷的になるのだって、悪い事じゃあ無いだろう?」
そのまま、ディンスレイはブラックテイルⅡの船体を眺めた。
それは元にしただけあって、ブラックテイル号に似ているが、細部が違っている。
黒いエイを思わせる輪郭こそ同じでも、最初のブラックテイル号よりは丸みがあり、最後のブラックテイル号よりは凹凸が目立つ。言ってみればその二者の合いの子とも表現出来る姿をしていた。
元々のブラックテイル号の設計を元に、何とかオルグの技術を取り込んだブラックテイル号を再現しようとして、すべてがまだ中途半端なままという飛空艦なのだから仕方ない。
こんな艦であろうとも、ディンスレイは懐かしさを覚えるし、何より自分の艦となるのだから、むしろ夢を見ようと思っていた。
この艦で再び無限の大地の、無限の空へと向かう。そのためにミニセルとここに居る。
「で、そろそろ教えなさいよ。この艦で、いったいどこへ行くつもり? 敵国について探るって言ったって、単純に、国境線沿いの争いに参加するってわけじゃあないんでしょう?」
「まあな。あの艦、相応に高性能ではあるのだが、さっきも言った通り不安定だ。戦線にそのまま投入すると、他の飛空艦の足を引っ張りかねん」
複数の飛空艦が戦う場合、多少、性能が劣ろうと、同型艦を揃えた方が上手く行くのだ。
お互いの艦の性能や動きを把握出来るからこそ、コンビネーションが行えるという部分があるからだ。
「となると……あれはまた単艦で作戦を遂行するって事ねぇ」
「その通り。そうしてその方が適した作戦だとも言える。今回の作戦は……未だ不明な敵本国を、この艦単独で見つける。それに尽きる」
「敵国は南方諸国家群の向こう側から来てるんでしょう? あの国々に探りを入れるための艦って事? それにしたって、この飛空艦単独でどうするって言うのよ」
「それは―――
「盛り上がっているところ恐縮ですが、そこから先の話は、これからの幹部会議で行った方が手っ取り早いのでは?」
いきなり、男の声がミニセルとディンスレイの会話に入って来た。
気配でも消していたのか。驚くほど近くに、その男は立っていて、ディンスレイも一歩だけ身を引いてしまう。
ミニセルの方は二歩引いた。まあディンスレイの方がポーカーフェイスを維持出来たと思おう。
「ちょっ……いきなり何なのよ。あなた誰?」
「おや、艦長からは聞いていませんでしたか?」
「後で紹介するつもりだった。それこそ幹部会議でな。ミニセル君。彼はテグロアン・ムイーズ大尉。今回の作戦において、ブラックテイルⅡの副長を務める事になる男だ」
言いながら、突然に現れたその男。何を考えているか分からぬ、ぬぼっとした表情を浮かべた男は、ディンスレイも先日出会ったばかりのテグロアン大尉だった。
いや、今はテグロアン副長と表現するべきなのだろう。
「へ、へぇ? 副長のテグロアンさん……あら? だったらコトーさんはどうなったのよ。あの人は副長じゃないの?」
「その件も、そろそろ時間だ。これからの幹部会議で話そう。とりあえず、今回の旅に関しても、そこがスタートだろうな」
最初のそのスタートラインもまた、遂行難易度の高そうなものになりそうだ。
そんな予感もしながら、ディンスレイは足を動かし始めた。
次に向かう先は、新造艦であるブラックテイルⅡの会議室である。
ブラックテイルⅡは、輪郭こそブラックテイル号に近いが、船体が一回り程大きい
オルグの技術を一部でも取り入れようとした結果、その技術を用いた機材が大型化してしまったからである。
ただ艦の機動力や速度に関してブラックテイル号より減じているかと言うと、純シルフェニアの技術だけで作られた時のブラックテイル号よりは各段に向上していると言えた。
特に、艦が大きくなった結果として、会議室が広くなったのは良い事ではと思う。
「良い机を入れてくれただろう? 私の要望でな。皆が不機嫌そうに顔を突き合わせる場所だから……せめて調度品は上等な物を揃えたかった。こういうのを見て、心の余裕を持ってくれれば……幸いなんだがなぁ」
座り心地の良い席に座り、円卓である机の一端に位置しているディンスレイは、他の船員達に向けて声を発した。
ディンスレイが声を向けた側である船員達……ブラックテイルⅡの船内幹部となった者達は、ディンスレイの冗談を聞いて笑って……くれはしなかった。
残念な事である。
「お久しぶりですな、艦長。ま、思ったより再会が早かったと言って置きましょうか。とりあえずオレからは」
とりあえずの形で、ディンスレイの言葉に親しみで返してくれたのは、今回も整備班長をしてくれる男、ガニ・ゼインであった。
彼もまた国軍に未だ属している身であり、ブラックテイルⅡが任務を行う事が決まった時点で、ディンスレイと共に、参加する事を命じられたらしい。
「整備班長。あなたが居てくれる事は、私としても嬉しい話だ。友人である以上に、あなたの経験が今回も必要だ」
「まったくですな。オルグの技術を整備した事があるシルフェニア国の軍人なんざ、オレと俺の部下達くらいでしょうから。そうして、指揮したのは艦長だけってわけだ」
ガニはそう言いながら、漸く笑ってくれた。彼にとっては、今回の任務は悪い印象のものでは無いらしかった。
ならば、国軍所属では無いものの、やはり今回も参加してくれた船内幹部はどうだろうと、ディンスレイは視線を向けてみた。
「は、はいぃ。わ、私ですかぁ?」
「ああ、君だ。アンスィ・アロトナ殿。今回もこう呼んで構わないかな、船医殿」
こちらも見知った船内幹部。船医のアンスィ・アロトナ女史である。
彼女は軍所属では無く民間人であるのだが、それでも国軍からの依頼に承諾してくれた。
「か、艦長が呼びたければ……ま、またどうぞ」
「意外よね。船医さんったら、こういう荒事には参加したく無さそうに思っていたけれど」
アンスィにさっそく話し掛ける船内幹部、操舵士のミニセル・マニアル。
ディンスレイが直々に参加してくれる様に頼んだ以上、やはり彼女もまた、この艦で重要なポストを担って貰う事になった。
「こ、この艦。オルグの技術を用いた医務室がある……との話を聞きましてぇ……ちょ、ちょっと触れてみたいって思っちゃったんですよぉ……い、今、後悔しています……」
後悔したところで、今回の任務は一般に秘匿されたものであるから、離脱する事は出来ない。任務を拒否すれば逮捕される可能性すらある。
なのでアンスィの現在の表情がご機嫌なもので無くとも、今後頑張って欲しいと言う他無い。
(これで一名、会議中不服そうな表情を浮かべている幹部については、もう仕方ないと納得する事が出来たな。うん)
今さら遅いとしか言えないので、諦めも出来る。
では次に空気を悪くしている原因と言えば……。
「え? なんです? 艦長? 僕に何かあります? いやー、参ったな。皆さんとこういう場所で顔を合わせるのって、身分不相応かなとも思ったんですけど、幹部扱いになるっていうのなら、しっかり出席しなきゃ不味いって言いますか」
「テリアン主任観測士ー。落ち着きなさーい」
なんと寄りにも寄ってミニセルに注意される彼、テリアン・ショウジ。
ブラックテイル号においてはメインブリッジで観測士をしていた彼であるが、今回は主任観測士という役を担って貰っている。
文字通り、観測士の部下を持ち指揮する役となったのであり、さらには船内幹部としての役割担う事となっている。
「未踏領域での旅で、観測士の役割が重要である事を認知させられたからな。また、ブラックテイルⅡではさらにその重要性が増す。船内幹部として適宜、意見が欲しい人材ではあるのさ。もっとも、やはり落ち着く様に、テリアン観測士」
「了解しました! 落ち着きますよ! 建設的な意見もバシバシ出してやります!」
彼の場合、不機嫌というより空回りの方向性が強い。今後、適宜会議の場において船内幹部の態度というのはどういうものが適切か、矯正していく必要がありそうである。
そんなテリアンの様子が、今回の幹部会議の空気を微妙なものとしている理由の一つだが、それが主では無い。
では、テリアンに真っ先に落ち着く様に言った、ミニセルの不機嫌さが問題なのかと言えば、やはりそれも違うだろう。
「で、艦長、いろいろこれから説明が始まるんでしょうけれど、とりあえず自己紹介と、どうしてここに居るのかの説明はしてくださらない? そこの方に」
「そう意地の悪い言い方をするなミニセル君。もう言った通り、彼が今回、ブラックテイルⅡの副長をしてくれるテグロアン大尉だ。そこは変えられん」
「どうも。副長のテグロアン・ムイーズです。皆さん、よろしくお願いします」
一応、辞儀くらいは出来るらしいテグロアン副長であったが、表情に愛想というものが無ければ片手落ちだ。
要は彼の立場と態度が、船内幹部会議の空気を悪くしている原因であるのだ。
「気になっちゃあ居たんですがね、ブラックテイル号の副長をしていただいていたコトー・フィックスさんは今回、居ないんですかい? あの人は民間人でしたが、話の纏め役として、色々気が回る人だった」
ガニ整備班長の言う通り、コトーの存在はブラックテイル号においてとても重要な立場であった。
副長らしく、ディンスレイの補佐役としても十二分に働いて貰ってもいた。だが、彼の存在はここには無い。
「ああ。今回の任務でコトーは参加しない。元々、高齢であったので、誘ったところで良い返事を貰えなかった」
だが、それにしたところで、ディンスレイが頼み込めば、この任務にも付き合ってくれただろう。
それくらいの仲なのだ。ディンスレイとコトーは。
だが、今回は副長としてのポストが先に埋まっていた。そうなると、コトーが立てる立場というのも無くなってしまうため、本人の意向と合わせて、彼の辞退を受け入れる事にしたというわけだ。
その先にポストを埋めた人間こそ、テグロアン副長である。
「後々告げても問題になりそうだから、今の時点で言ってしまうぞ。彼、テグロアン副長は我々の目付けだ。副長の仕事をする傍ら、我々がシルフェニア国軍に反抗的な態度を取らない様に監視する役目も担っている」
「……それ、今言われても、どんな顔してれば良いんです?」
船内幹部会議初参加で、とんでも無い爆弾発言を聞かされたと言った風のテリアン主任観測士。
だが、他の船内幹部達を見るが良い。そういう事もあるかと言った顔をしているだろう。
こういう事態に慣れっこなのだ。それが船内幹部と言う事。
「いや、なにうんうん頷いてるのよ。説明しなさい艦長。説明を」
「さっきので足りなかったかなミニセル君。まあつまり、厄介な人間一人、今回は追加される旅だ。皆、適切な距離感で頼む」
「存外、軽い言葉をするのですね。艦長は」
「君もだぞ、テグロアン副長。例え、どの様な役割が裏であろうとも、副長としての任についている以上、他の船員達の距離感が、適切なものになるよう努力しろ。その部分だけは、私が艦長である以上、口を出して行く。分かったな」
「……了解しました、艦長。打ち解ける様に努力してみましょう」
まったく、そんな気持ちの無さそうな返事をするテグロアン副長であったが、やはり本心の分からぬ言動だった。
これで本気でそう言葉を返している可能性もあるから、叱る事も出来ない。
「現時点ですら、前途多難である事は皆、これで理解してくれたと思う。だが、本番はこれからだ。我々がこれより行う作戦概要を説明させて貰う」
「シルフェニアを襲ってる謎の敵軍の正体を探る……んだったわよね? それって、具体的にはどうするのかしら?」
ミニセルの質問で、漸く本題に入れたとディンスレイは思う。
まずは旅が始まる前の難題を一つクリアだ。
次の難題は、今、ここにいる皆で解決を目指そう。
「敵国の正体が分からないのは、奴らが南方諸国家群というある種の政治的、社会的な壁を越えてやってきているからだ。あの国家群もまた、我々にとっては未踏領域と呼べるのかもしれんな。向こうはそれをどうにかしている。使用されている飛空艦の技術よりは、むしろそちらの方が脅威と言える。今のところ謎だ。現状、シルフェニアは防戦一方だと言える」
「い、今の状態が続くと……よ、よろしく無い事態になる……という事ですね?」
「船医殿の言う通り、シルフェニアとしても現状をどうにかしなければならないという危機感がある。その結果として、この、ある意味虎の子と言えるブラックテイルⅡを使う事を決断した。その経緯を聞く限り、些か、大胆だと思える選択をしたとすら思える」
ブラックテイルⅡは、文字通り国家規模のプロジェクトの一環として造船されたものである。
シルフェニアとしては、戦いに出す様なものでは無く、あくまで元であるブラックテイル号に搭載された、オルグの技術の再現を目指す実験艦として作られたのだ。
だが、その未解明の技術を使えば出来る事がある。ならばそれを利用するのはどうだろうかと、そういう判断をしたのがシルフェニアという国だった。
「そういえば、整備班長としては気になるところではありますな。この艦が、どれほどブラックテイル号を再現しているのか」
「ガニ整備班長なら、どうせすぐ知る事になるだろうが、まだ二割にも満たないと言ったところだよ、この艦は。いや、だが、二割もと驚くか?」
「主任観測士としては勿論、驚きですね。オルグの技術を体感した身としては、あの艦の二割も再現出来ているというのなら、それこそ従来の飛空艦とは一線を画す性能って事では?」
「そんな上手い話じゃあないだろうが。二割というが、いったい何が出来るから二割なのか。艦の性能としちゃあそこが肝心だぜ」
そう。ガニ整備班長の言う通り、そこが肝心であり、ブラックテイルⅡが今回の作戦に投入される事となった理由でもあった。
「まずは話を纏めようか。ふん? 以前はこの纏め役、副長がしていた気がするが?」
「それはまた失礼を。皆さんがどの様な会話をするか観察させて貰っていましたが、以後、適宜、会議の纏め役を買って出る事にします」
あまり頻繁にするのも会議の邪魔になるのだぞ……とまではテグロアン副長には言わないで置く。それくらいは分かる男だと思うからだ。
分かった上でそれをしてくる可能性もあるから怖いが、今は問題にしないで置く。
この会議の議題の方が優先だからだ。
「でだ、今回は私が纏めると、シルフェニア国が謎の敵国を探る上で問題になるのは南方諸国家群。何故この南方諸国家群が問題になるかと言えば、安易にそれを越えられないからだ」
他国の領土領空を侵犯するという事、シルフェニア国は行わない方針を立てている。抜けるというのなら、対象の国の許可を得てからだ。
結果、ただ南へ真っ直ぐ向かうだけでも、複数の国と順次長ったらしい交渉を行っていく必要が出て来る。
その必要とそれに伴う時間こそ、南方諸国家群という壁なのである。
「ぶ、ブラックテイルⅡが、た、他国との交渉に役立つ……とは、思えませんねぇ……」
「無論だ。この艦の性能が相応であろうとも、それを脅しに使えるとも思えん。性能云々を説明するうちに時間を使っていれば元も子も無いだろう。だから、この艦は別の方法で南方諸国家群という壁を突破する。そのオルグの技術を我々は知っているだろう?」
「ま、まさか……それって……」
アンスィの表情が驚愕に染まる。
一度だけで無く数度体感したというのに……いや、体感したからこそ、シルフェニア国がその技術を再現出来ているという事に驚いたのだろう。
その驚きは彼女だけの物では無く、テグロアン副長以外の皆にも伝染していく。
だからディンスレイはここで伝える事にした。
今、シルフェニア国における最大級の秘匿事項を。
「このブラックテイルⅡには、再現されたワープ機能が搭載されている。この機能を使って、南方諸国家群を越えて敵国の調査を行う事が、我々とブラックテイルⅡの任務となる」




