③ 地の底深く
大きな屋敷、そのなんと内側にある庭で、日の光を浴びながら、自分は走り回っていた。
遊び場としては家に囲われた場所で、大人になってしまえば狭いと思われる世界であったが、子どもの頃の時分はとても広く、探検したってまだまだ他にする事があるそんな場所であった。
そんな庭を、走り回るのが好きだった。走り回りながら、時に転びそうになり、心配そうに駆け寄る両親が居た事も、実はとても好きな光景だった。
そんな両親が自分に問いかけてくる。
あなたは無茶ばかりして危なっかしい。本当は頭が良いのに、どうしてそんな、何時までも子どもで居ようとするのか。
心配そうにこちらを見つめる両親に対して、自分は問い返した。
大人になってしまえば、そこであなた達との関係は終わってしまうじゃあないかと。
両親とこうやって顔を合わせていた時、その一言くらいは言えれば良かったと思う。それが言えなかったから、こうやって偶に夢を見る。
どんなに愚かな親だったとしても、自分を愛してくれた親であった事に違いは無いのだから。
(ああ、だが、これは夢か。それを自覚してしまった)
見ているものが夢だと気付いた時点で、その夢は終わりに近い。自分は現実に引き戻される。
それを自覚しながら、ディンスレイは思う。
この光景、この夢は悪夢なのか良い夢なのか。どちらかは分からないが、その夢から目を覚ました後に見える現実は、これよりマシと言えるのか?
自分に問いかけて、仕方ないと自嘲する。自分は夢の中で夢を見る事を諦め、ただ現実にそれを求める様になった、そういう人種なのだから……。
「後悔とは違うぞ。他にすべきそれはあるんだからな」
呟きながら、ディンスレイは目を開いた。
目が覚めた以上、それまでの記憶も蘇えっていく。
エラヴの白銀の飛空船に遭遇し、全力を出して戦い、そうして敗北した無様な記憶が、忘れも出来ず、胸に刻み込まれたまま、それでもディンスレイは目を覚まして行く。
「……すべてが夢であれば良かったんだが、こういう現実が飛び込んで来ると、これまでの人生の先にある光景がこれだと納得すらしてくるな」
呟きが続く。そうしなければ正気を保てそうになかったからだ。
ディンスレイは暗いどこかの洞窟の中にいるらしかった。
自分が寝ていたのはベッドなどで無く、洞窟をくり抜くか溶かすかして作り上げられた台の上にあるらしい。
薄暗く、しかして光源があるその洞窟を見るに、ある風景を思い出す。
光石を手に入れる事になった、とある山脈壁の、とある亀裂の奥。
丁度、光石から漏れ出した力に寄り作り上げられた自然のものでは無い、しかし超常的な力により作られたおかしな洞窟。
その壁面の印象に、その洞窟とディンスレイが横になっていた台は印象が似ているのだ。
だが、そんな事で気が狂いそうになったりはしない。そういう場所に居るだけだと納得してしまえる度量が、ディンスレイにはある。
もっとも笑いだしたり泣き出したり、怯えそうになりそうな光景とは、寝て起きた自分の周囲に、他に人がいる事だろう。
自分より背は低いだろうが、がっしりとした、しかしやはり小柄な人影が何人も居て、自分を囲んでいる状況で目を覚ましたとなれば、真っ先にしたくなるのは叫び出す事。
だが、やはりディンスレイはそれを呟きに抑えた。さっきから呟いてばかりにいるのはこれのせいである。
「そろそろ、話し掛けてくれても良いじゃないか? ええ?」
「悪いな、彼らは君らの言葉をまだ喋る事が出来ない。相応に警戒もしている」
漸く返答があったわけだが、ディンスレイを取り囲む者達の声では無かった。
それより少し遠い場所。今いる洞窟の、少し開けた空間を見渡せるであろう位置から、その声は聞こえて来た。
その声の主の姿を確認するより前に、ディンスレイは次の言葉を発していた。
「そっちに誘われるままにここまで来たんだ。もう少し歓迎してくれても良いと思うがね」
「はっ。なかなかどうして、まだやり合うだけの気力はあるらしい」
それはどうかは分からない。空間の隅から、やってきた他とは違う痩身の男の影。その影が晴れ、深々と顔に刻まれた切り傷の様な跡を見れば、相手と戦う気力は途端に臆病に食われてしまいそうだ。
だが、それでも相手の言う通りに気力が無くならなかったのは、その声に聞き覚えがあったからだろう。
「離れた場所の相手と話が出来る割に、随分と窮屈そうな姿をしている」
「何、声は空気を伝っていくが、身体となるとそうも言ってられんからな」
その声、ブラックテイル号内部の地図に、道しるべみたいな跡を残した者の声。
それはどこからともなく聞こえるのでは無く、確かに今、この空間に聞こえていた。
痩身の、顔に傷痕のある男の声。
他の者より背は高いのだろうが、視線はその者達より低い。
何せその男、車椅子に乗ったまま、こちらへ話し掛けて来ているのだ。
その姿が、どう見ても高圧的にも神秘的にも思えなかったというのが、やはりディンスレイが怯えない理由でもあった。
「その身体で、飛空船を指揮し、ブラックテイル号を落としたのか?」
「……もう少し、雑談を続けようとは思わないのか? 聞きたい事は幾らでもあるだろう?」
「真っ先に聞かなければならない事がある。他の船員達はどうなった?」
自身の好奇心より先に、まず確認すべき事だ。
今、ここで目覚める前に、ブラックテイル号は攻撃を受けていたのだ。その後、記憶にこそ無いが撃墜された可能性も高い。
そうなればブラックテイル号に乗っていた船員達はどうなる? 彼らの命は? もし失われているとしたら、どうしてここでのうのうと話なんぞが出来る?
「まったく。若さというのは言葉だけじゃなく態度にも現れるものだな? 良いだろう。見せてやる。寝起きに無茶をさせるが、後で文句を言うなよ? それをしたいと言ったのはそっちだ」
車椅子に座ったまま、その男は車椅子の手すり部分に置いた手を動かした。
丁度、その手すりを指で叩く様な動作だ。
瞬間、ディンスレイは身体のバランスを崩した。
というより、さっきまで眠っていて、今は椅子みたいにして座らせて貰っていたはずの岩の台が消えたのだ。
途端に転びそうになるところを、無理矢理身体を支える事になり、足を挫きそうになった。
だが、その痛みにうめき声を漏らす事は無かった。そんな痛みすら些細な事と思える光景が突如広がったからだ。
まず場所が変わった。さっきまで居た場所から瞬きもしない一瞬で、周囲の景色が変わったからだ。
ワープ……それをまた自分の身体で経験したのだろう事は分かる。既に一度経験した事なので、それについてはまだ内心の驚きを表情に浮かべずに済んだ。
だが、そのワープをした先にあった光景には耐えられなかった。
そこはさっきまでの場所と同じ洞窟だった。だが、ひたすらに大きな洞窟でもある。
天井はそこに空が無い事が不自然なくらいに高い位置にあり、またその空間の横幅の広さも、走って端から端に十数分は掛かりそうな程だ。
だが、その光景にしたところでまだ驚きを隠す事が出来た。隠せなかったのは、その空間に、船体が焼け焦げ、ボロボロになったブラックテイル号の姿があったからだ。
幾つかの、船体を支える機材に囲まれているのも、その痛々しい姿をより強調させてくる。
人体で言えば傷だらけの身体に包帯を巻かれている様なものだ。とても空に飛び立てる姿には見えなかった。
無論、その内側に居たであろう船員達が無事であるはずも無い。
「君らのうちの六名。その数が治療を続けたものの、その先が無かった者の数だ。意味は分かるな?」
車椅子の男の、その言葉を聞いて、ディンスレイは相手に飛び掛かっていた。
それでも辛うじて残った自制心が、男を殴らずにその肩を掴むだけに抑えた。
だが……それでも叫ばずには居られない。
「お前が……私の部下を!」
「仲間が失われて悲しいか? 苦しいか? だが、大地が過酷である事なぞ言わなくとも知っているだろう? 未踏領域と言ったか? そんな言葉で隠したところで、大切な物を容易く奪っていく世界が消え去るわけもあるまい」
車椅子の男はただ事実を伝えて来る。そうだ。ディンスレイが浪漫を感じる、遥かに広がる無限の大地はそんな世界だ。
人が安心して暮らせる場所など一握り。その他すべてはただただ、そこに生きる者達の、その命を奪ってくる何かが潜んでいる。
世界の広さと同じくらいに、どうしようも無い危険が潜むそんな世界。
そんな世界に飛空船を飛ばしているのだ。誰かが犠牲になる事だってあるだろうさ。だが、それはあの様な、飛空船に翻弄され、一方的にやられる事では無いはずだ。
「シルフェニアは……少なくとも我々は! 誰かと殺し合うために旅をしたわけじゃあない! 一方的に殺される旅をしたかったわけでも無い! だからこそ、私は恨みに思うぞ。怒りもする。この感情が無ければ、旅なんぞ始めるものか!」
「そうだな。そうだとも。人とはそうで無くてはな。不合理で、感情的だからこそ、無茶だって楽しんでみせる。過酷な世界だからこそ、生きる人間はそうでなくてはならん。だからこそお前を呼んだんだ。ディンスレイ・オルド・クラレイス」
車椅子の男のその言葉を聞いて、ディンスレイは怒りに染まった心が冷えて行くのを感じる。
仲間の命が奪われた事。それそのものの悲しみも怒りも消えたわけでは無い。むしろふつふつと煮えたぎっている最中だ。
だが、それは目の前の男に対してのものでは無くなった。
「お前じゃあ無いのか? 我々の船を攻撃したのは……?」
「どう思う? 私は確かにお前達を呼んだ。我々の元へと導き、そうしてこんな風に話をするために。だが、危機に瀕していると以前言っただろう? その危機に、お前達が遭遇しないとも限らない。それくらいの予想をしていたとしたら……結局のところ、我々の行動が、君らの仲間の命を奪った。そう表現する事は出来るだろうさ」
自嘲か反省か。純粋な懺悔か。
その答えを知るには、あまりにもこの男の事を、この場所のことを知らなさ過ぎる。
「……どうやら、確かに話を続ける必要があるようだ」
「そうだとも、ディンスレイ。我々には対話が必要だ。どんな物になるにしても、実際に行動するのはその次だ」
言いながら、車椅子の男は、ディンスレイが掴んでいた肩を摩りながら笑った。
車椅子に乗る男の名前はウンドゥ・ガルサと言うらしい。
それにしたところでディンスレイ達の言語に合わせた発音らしく、正確にはもう少し複雑なのだとの事。
というより言語そのものが歌と表現すれば良いのか。詩的な表現になる場合もあり、さらに他の種族が聴くと少々複雑な発音が多いのだという。
それがエラヴの言語の特徴なのだとの事。
「エラヴの名前を持つ以上、そちらはエラヴと考えたいところだが……違うのか?」
「いいや違う。私の種族名は……そうだな。オルグとでも呼んでくれ。オルグのウンドゥだ」
壊れたブラックテイル号が配置された空間の端。そこに用意されていた場違いな椅子と机に座るディンスレイ。
車椅子の男、ウンドゥの方は椅子にわざわざ座り直しこそしていないが、陶器のカップらしきものに、誰が用意したのやら熱く濁った水を入れてそれを飲みながら話をしていた。
「何もかも詳しく無くて恐縮だが、そのエラヴとオルグというのは……どういう違いが?」
「エラヴから変わったという意味だ。前にも言ったろう? エラヴは滅んだ。エラヴを名乗る種族はもう居ない」
どうやらそれは、オルグを名乗るウンドゥという男にとって悲しい事であるらしい。
少なくとも、ウンドゥは顔の皺を歪めている。その皺により作り出された表情は、やはり悲しみが見て取れる。
それにしても皺が目立つ、老人と言える外観だった。頭部に毛髪が無いのも、種族的な見た目というより、加齢によるものだろうか。
男の姿を見れば見る程、何か、表現する事もおこがましい苦労を背負い込んでいる様な、そんな風に見えた。
「ならば、我々を襲ったあの飛空船は何なのだ。あれもエラヴでは無い?」
「ああ。あちらも、元はエラヴから、変わってしまった種族だ。名をハルエラヴと言う」
「ハル……エラヴ……?」
「ハルは上のという意味だ。要するに、エラヴより上の種族と名乗っていて、一応、君らが進んでいた空域の支配者と言える。あくまでその領域の端の端だがな」
「となれば……私は運が悪かったか」
「言ってしまえばそうだ。本来の予定であれば、彼らの領域を多少見た後に、私が君らを回収する予定だった。無論、あの船も無事のまま……な」
ハルエラヴ。それがディンスレイ達のブラックテイル号を撃墜した連中の名前。
こちらにとっての第一声が屈服しろであった者達。
確かに違う種族なのだろう。少なくとも目の前の男からはその傲慢さが感じ取れない。
「詳しく、聞かせて貰いたいものだな。いったい我々をここに誘った理由は何なのか。そもそも、君らが何なのか」
「無論、そのつもりだとも。だが、まず言っておくべき事として、生き残っている船員達は拘留させて貰っている。脅しじゃあないぞ? 初対面の種族との対応としては、代表者の自由は確保しつつ、他の面々は離れた場所に居るのが常道だ。あの船が無事なら、そこで待機して貰っていたが……」
ウンドゥがちらりとブラックテイル号を見つめる。
この空間に安置されているというより停留と表現するべきなのだろうか。この場所は、ウンドゥ含めた彼らの飛空船停留所の様なものらしい。
飛空船用の出入口こそ無いが、ワープ技術を持つ彼らにとっては、ただそれを納める空間さえあれば良いのだろう。
「無事は保障してくれているのだろうな?」
「水と食料と寝床も用意しているさ。一応聞くが、水分が毒になったりはしないだろうな? 固い場所じゃなければ眠れない奇特な特徴を持っていれば、申し訳なくもあるが」
「後でチェックはさせて貰おう……」
だが、とりあえず生き残った船員について、話を聞く限りは無事の様子だ。
実際に自分の目で見なければ安心は出来ないものの、今はウンドゥの言う通り、話をする時間である。
「さて、ではディンスレイ。そちらの要求通り、今度は私の方から話を進めさせて貰おう。我々の状況。さらにはハルエラヴとは……それを話すとしようか。既にそちらは、エラヴという種族が辿った道のりについては見ているな?」
「彼らが残した遺物やら遺跡やらで類推する事しか出来ていないがね。古いエラヴが捨てた街を見た。彼らが技術を発展させ、戦う手段としていた痕跡を見た。それは我々、シルフェニアの人間から見れば、圧倒されるばかりの技術ではあったが……ワープ技術にしてもそうだ。それを戦う術とするのならば、その驚愕は恐怖に変わるだろう。そういう光景を見た気がする」
「概ね……それで正しい。かつて、まだ故郷というものがあったエラヴは、とある襲撃を受けた。他の種族では無く、まさに自然に寄る脅威の具現と言えるものにな」
「……ドラゴン」
「あれをそちらも見たか。そうだ。ドラゴンとそちらは呼ぶが、エラヴにとってそれは……ただただ大規模な自然災害として見た。街を捨て、新天地に旅立たざるを得ないそういう事情から、エラヴという種族の歴史は真に始まったと言える」
エラヴはさ迷い、そうしてまた違う街を作り始めた。一所に留まるのでは無く、広がり、発展し、さらなる技術を求めた。
それはシルフェニアの拡大期とも似ている。だが、動機は追い詰められた側の、世界への必死な反撃だったのだろうとウンドゥは語る。
何時か、かつての故郷に、安心して帰れる様にと。
(あのドラゴンに、どうしようも無い浪漫を感じた我々とはそこが違うのかもしれん)
これまで、エラヴとはシルフェニアの先を行く種族だと考えていた。
だがその実、根本部分で差異のある存在なのかもしれない。だが、そんな種族も既に居なくなったとウンドゥは語る。
「エラヴにいったい何があった。オルグとハルエラヴというエラヴから生まれたその二つの種族は、何が違う?」
「ざっくりと言ってしまうと、エラヴはハルエラヴになったのだ。そうして、それについて行けない者が私の様な、オルグとなった」
そう言いながら、ウンドゥは自分の顔に刻み込まれた傷痕を摩った。それに種族としての意味があるかの様に。
「種族が発展したとして、わざわざその種族名を変えるものか?」
「それをしてしまったから、やはりもはやエラヴとは言えんのだろう。かつてエラヴは、自らの発展に力を注いだ。もう自然の災害に、この無限の大地に敗北しない様にと求め、旅をし、数多くの種族と出会い、より貪欲に力を得続けた。結果として残ったものが……彼ら以外を下に見る文化……と言ったところかな」
種族としての傲慢さ。まだ顔も合わせた事の無いハルエラヴであるが、それでも、ディンスレイも彼らからそれを感じた。
「私の認識では、他者より優れた力というのは、大きな罠にも成り得る。他者に対して、自身の方が上等だと思考する必然性を与えてくるからな。事実、競えば勝てるというのが厄介だ」
力の扱いは慎重に。それはシルフェニアにおいても、当然に培われた道徳の一つである。だが、エラヴの方はそこに歯止めが効かなかったのだろうか。
「うむ。こちらにとっても同じ価値観だよ。だが、些か躊躇が足りなかった。君らが撃沈されたあの地域の特異な形状については、しっかり見て憶えているな?」
「穴だらけの大地。あれは確か、攻性光線の様な兵器に寄り作り出されたとこちらは考察していたが……」
「それだけでは無い。調べれば分かるが、あそこではあらゆる兵器が飛空船に搭載され、使用された。あそここそ主戦場だ。遂には他の誰にも叶わぬ力を手に入れたエラヴが、ハルエラヴを名乗り、他の種族に攻め込み始めた時の防衛線があそこだ」
かつてあった戦場跡。と言うにはあまりにも大きな傷跡があそこにはあった。
ディンスレイには想像出来ぬ苛烈な戦いがあったのだろう事は分かる。だが、そんな力を得て、それでも戦いを繰り広げたというのか、エラヴは。いや、ハルエラヴとなった彼らは。
「発端は何なんだ。傲慢になった種族と言え、それだけで他者を害そうとするものなのか?」
「もはや、彼らにとって、他種族というのも克服すべき存在となったのさ。優位な立場となったとは言え、頭が回る以上は、何時かは追い越されるかもしれない。その危機意識を素直に認めるのでは無く、克服しようと考えた。それがやはり、彼らの傲慢だった。代償は彼らでは無く、その他の種族であった事が悔やまれる」
未踏領域へと入ったディンスレイ達が、他の、技術を持った種族を見なかった事の理由がそれなのだろう。
滅ぼされたのだ。ハルエラヴに。
「誰か、止める者は居なかったのか? そのやり口は……文化が違っている可能性もあるだろうが、あまりにも愚かだ。いや、居たんだな?」
「もう、やめようと考える者達は居た。この世界はあまりにも広い。手には収まらない。それらをすべて屈服させるなど、どうしたって歪な願いになる。だからここらで、戦いを止めようと考える集団は居た。それが私の様な、オルグだ」
やはりまた、手を顔の傷跡に触れるウンドゥ。それを見つめるディンスレイの視線に気が付いたのだろう。
ウンドゥは苦笑しながら口を開いた。
「これはな、ハルエラヴとは違うという我々の証だ。彼らの文明は、自らの姿形すら上等なものにしようという文化も生まれていてな。そんな生き方に反抗する様に、ハルエラヴから離れたオルグは、顔にこの様な傷を作る文化が生まれた」
それもまた、歪んだ考え方なのでは無いか? ディンスレイはあえてそれを聞かなかった。
ウンドゥ自身が、それを理解していそうだから。
「他者を圧倒する文化と技術を持ち、自らの領土を攻撃的に固守しようとするハルエラヴと、それに抗うオルグ……未踏領域の勢力図というのは、そういう類のものというわけか……」
ウンドゥの話を聞く限り、そんな結論になるだろう。
まるで鉄火場だ。そこにブラックテイル号はのこのこと足を踏み入れた形になるのか。
「その結論は、まだ早い。いや、遅いと言うべきだろうな。今はまた違っている。言ったろう? 我々は助けを求めている」
「そうか。その話があったな。ブラックテイル号をこの場所へと誘う言葉……とも言えんだろうが……だが、聞く限りにおいて、我々の力などハルエラヴやオルグとは比べ物にならぬ程に弱く思える」
「そうでも無いさ。いや、こちらを買い被り過ぎだ。助けを求めるというのはな、文字通りの意味でもあるんだ」
じっと、ウンドゥはこちらを見て来る。その視線は、そろそろ気が付く頃ではないかとディンスレイに問いかけている様だった。
だからこそ、ディンスレイも気が付いた。目の前の男の、どうしようも無いくらいの疲労に。
「もしやオルグも……ハルエラヴに滅ぼされようとしているのか?」
「ああ、そうだ。長く続いた抵抗も空しく、我々は敗北する。その見通しが立った。君らがここに来たのは、そういうタイミングと言うわけだ」




